camellia57
2025-05-06 23:17:34
2684文字
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もしもの話

カレー記念日(2025)
二人の運命が交わった日を祝して

「悪い、起こしたか?」
 夢と現実の間をふわふわと行き来していた瞼を開けると火村が布団を掛けてくれていた。肩が寒そうだったから直したところだったらしい。
 二人で並ぶと少し窮屈なベッドに枕は二つ、掛け布団も二枚。寝ている私が独占してしまったことが数回あったので――火村は気にしないと言ってくれたが――リビングのソファで使っていたものを寝室に動かした。キャメルの匂いが染みついたそれをこの部屋で使うことには若干抵抗があったのだが「今さらじゃないか?」の言葉にそれもそうかと納得してしまった。
……寝てたわけやない」
 目を閉じていただけで寝てはいない。半分ほどしか。
 私の頬の涙の跡をそっと親指で撫でて仕方がないなとでも言いたげに火村が軽く笑う。そのままベッドに横になって、あやすかのように布団をぽんぽんと叩く。子守唄はセットではないらしい。
「疲れてるところ、悪かったな」
「それは君の方やろ」
 常に忙しくしている男だが、この時期は特にそうであることくらいわかっている。それでも毎年この日はそれが当たり前のように一緒に過ごしてくれることが嬉しい。素直にありがとうとは言えないのだけれど。
「最近はそうでもないさ。それより、なにかあったのか?」
「なにかって?」
 締め切りを守ってきちんと連休前に原稿は送ってあるし、買い出しをしたので冷蔵庫の中は充実している。某高級スーパーでついピーナッツバターを手に取ってしまったので明日の朝食で出してやろう。
「なにもないならいいけれど。考えごとをしているみたいだったから」
「そう見えたか?」
「見えた。別のことに気を取られてるように見えた」
 さすがの観察眼と言いたいところだが、変なところで空振りをするやつだ。私のことになると調子を崩しやすいらしい。
…………そんな余裕あったことないわ、あほ」
 抓ってやろうかと頬に手を伸ばすと何を勘違いしたのか顔をほころばせた。随分ポジティブな解釈をするやつだ。
「考えごとをしてたわけやないんや。ただ…………君とあの日に偶然出会ってなかったら、今ごろどうなってたんかなって。ふとよぎって。まあこんな仮定の話、答えようがないかもしれんけれど」
 火村が親族相続法の聴講に来て、講義中に小説を書いていた不真面目な私の隣にたまたま座ったから、偶然に偶然が重なって――それはもう必然かもしれないが――あの広いキャンパスで出会うことができた。運が良かっただけで私自身になにか人にはない魅力があったわけでもない。もしも一つでも欠けていたらずっと見知らぬ二人のままだったのではないだろうか。そんなことはわからないとあっさり流してくるかと思ったのだけれど。
「どうだろうな? 俺よりも想像力の逞しい有栖川先生の方が、もしもの話を作れるんじゃないか?」
 頬に伸ばした手の上に火村が手を重ねて楽しげに笑う。
 もしもの、話……
「そやな、君の名前だけは聞いたことはあったから、そういう存在のまま卒業してたんやないかな」
「随分消極的なんだな。俺はあの日に出会っていなかったとしてもどこかで似たようなきっかけはあったと思うぜ? アリスのことは前から知っていたし」
「え?」
 初耳なのだけれど?
「あそこまで堂々と講義中に内職してたのは初だったと思うけど図書館や自習室でも書いてただろ? 何度か見かけた」
「そうなん!?」
「名前も学部も知らなかったけどな。だから投稿を続けるアリスの隣に座る機会はあの日じゃなくてもあっただろうし、卒業までにいつか出会っていたんじゃないか? もしかしたら奢るのはカレーじゃなくて唐揚げ定食だったかもしれないな」
「それは勿体ないことをしたかもしれんな。……じゃあ知らないまま卒業した場合は?」
 私が予想した道の先にも出会いの可能性はあるのだろうか?
「なんだよ、寝物語をご所望か? そうだな……、今と同じように准教授と作家になっているとしたら、調べ物で英都に来ることもあるだろうし、片桐さんがインタビューの場を設けることもあったんじゃないか? 同い年とか、共通点探すの得意そうだし、交渉も上手なんだろうな」
 私の相棒である片桐からの原稿依頼を断り続けている准教授だが、編集者としての能力は高く評価しているようだ。
「ほぉん……
 確かにあり得る。
「君は出鱈目な話が上手やな」
「そりゃどうも。ほかのケースは?」
「そやな……学年が違ったら?」
「そこの前提が変わっても行動は同じだろうから出会ってるだろうな」
「やけに自信があるんやな。せやったらもっと歳が離れてたら?」
「そこまで条件を変えられるとなぁ……。アリスが作家になっていない未来は想像できないから、英都の図書館で出会ってるだろうな。物騒な単語ばかりをノートに書いている職業も年齢も不詳の人が気になって話しかける……かもな。その後は悩める火村青年を年上の作家先生の包容力で癒やしてくれるんじゃないかな」
 正直、年下の火村を手玉を取る年上の私、と言うよりは火村に翻弄されている姿しか浮かばないのだけれど。
「じゃあ逆やったら火村先生が生徒を誑かすん? あかんセンセやなあ?」
 からかうように言えば火村が片眉を上げて反論する。
「人聞きが悪いことを言うなよ。卒業まで待つに決まっているだろ」
「君は自分に自信があるんやなぁ」
「アリスを好きになる自信はあるよ。好きになってもらえる自信があるわけじゃないけれど、アリスの気持ちを信じてるから」
 よくもまあそんな言葉を照れもせずにスラスラと言えるものだ。
「変わった趣味やな、君も、俺も」
「それでいいだろ? ほら、もう寝物語は終わり。難しいことは考えずにゆっくり寝たらいいさ。起きたら散歩にでも行こう。どこにでも付き合うよ」
 私の髪を指で梳きながら火村が目を細めて笑う。愛猫たちに向ける顔と似ているようで違う、その顔が好きだ。火村の言葉の力なのか私が素直なのか、本当に眠たくなってきた……
 偶然が重なった出会いだったのかもしれないけれど、私が幸運だったのかもしれないけれど、どんなもしもの世界でも火村と出会える糸が繫がっているのだと信じたい。
「ひむら、ありがと……
「どうしたんだ?」
「あの日におれの小説よんでくれて……声かけてきて……カレーおごってくれて……
「うん」
「みつけてくれて……ありがとう……
「うん……。おやすみ、アリス。また明日」

 ずっとずっと特別な、二人だけが知っている記念日が今年もやって来る。