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タロ文庫の作品置き場
2025-05-06 22:34:01
5654文字
Public
作品
抗体なき実害
2020-07-10
プール棟に一番近い駐車場にバイクを止めてヘルメットを取ると、向かいに見覚えのある車が駐車するところだった。助手席に座る親友の恋人がこちらに気づき、手を合わせて挨拶する。ウィンも片手を上げてひらひらと振った。顔にかかる髪をいつものように括りながらディーンの車に近づく。
「おはようございます、ウィン先輩」
「おはよう。手伝いに連れてこられたのか?」
「いいえ、僕が自分で行きたいと駄々を捏ねたんです。これは差し入れのサンドイッチです」
簡単なものですが、と後部座席から大きな紙袋を両手いっぱいに持ってパームがにっこりと笑った。その可愛らしい笑顔と声に気怠けな疲労感が混じっているのを感じ取って、ウィンは眉毛をあげた。隣にやってきたディーンがさりげなくパームの背に手を添える。
なるほど。
察したウィンは軽く息を吐いて、手を差し出しパームから紙袋を全て受け取る。中を覗くと一口サイズに切られているサンドイッチが保冷剤と共に詰まっていた。
「ずっと動きっぱなしだとお昼までもたないかと思って。プール掃除なんて力仕事で大変ですよね」
「ありがとう、パーム。朝から準備するの大変だっただろう」
それも今日は休日だ。本来なら朝食を家でゆっくりとっている時間だろう。見る限りサンドイッチは三種類はある。ウィンが目を上げるとディーンがパームの顔を手のひらで包み目元を指でさすっていた。それから親友である自分が五年の間に見たこともない慈愛に満ちた表情で恋人を覗き込んでいる。
「今日は部室棟にいるプルック先輩の手伝いをしてくれないか? 遠征で使っているボトルやクーラーボックスを洗っているはずだ」
「あの、ディーン先輩は?」
「俺はプールにいる。向こうではプルック先輩の指示に従って」
「はい」
ウィンにはパームが寂しそうに目を揺らがせたように見えたがそれも一瞬で、ディーンに頭を撫でられた後はいつもの笑顔で頷くとウィンに一礼して部室棟の方へ歩いて行った。ウィンはその健気で気丈な背中を眺めながらディーンの腹を肘で小突いた。睨んでくるジト目はウィンがこの五年で嫌というほど見ている親友の顔だ。
「目に入るところに置いておかなくていいのか? あんな顔のまま行かせるなんて」
「あんな顔?」
「昨日たっぷり抱かれましたって顔」
「死にたいのか」
緑が混じる黒目の奥に殺気が立ち上がるのが見えてウィンは鼻で笑った。
「まぁプール棟は屋根があるとはいえ蒸してるから、じっとしていても倒れるかもな」
それならクーラーが効いている部室棟にいた方が良い。それも察しが良い頼れる先輩がいる。ディーンはパームを慮った上で自分とは別の場所に向かわせたのだ。慮らなければならなくした張本人ではあるが。
「本当は家で休んでいて欲しかった」
ポツリと呟くディーンにウィンは首を横に振る。今日は休日だ。この間まで他校での合同練習があったし来週はこの大学で合同の記録会がある。部長でエースのディーンが出ないわけがない。そうなると一緒に過ごす『休日』を満喫できるのは今日と明日くらいしかない。『休前日』は満喫したくせに真面目に部長職をこなしにくるから、パームが一人で家に篭るわけがない。一緒にいたいのだ。健気で気丈である。
「なら、さっさと行って終わらせようぜ」
ウィンはディーンの背をポンと叩いてプール棟へ歩き出した。
「
……
で」
「あ?」
道すがらディーンがポツリと口を開いた。
「お前はどうなんだ」
ウィンを横目で見る。ウィンはそれをチラッと確認してまた前を見た。
ざりざりとアスファルトの上にまばらに散る砂利が靴底に当たる。休日の大学は静かだ。
「どうって?」
先程の意趣返しか、こちらの『休前日』に探りをいれてくるなんてよほど自分でも過ぎたものをパームに与えてしまった覚えがあるのだろうか。
ディーンの視線が自分の顔に刺さっていることに気づきウィンは親友を見返した。
ディーンは多くを口にしない。
「倒れられたら困るのはあいつも一緒だ」
だが、探ってはくる。
そこには部長としての苦言と、一歩踏み込んだ友人間でのみ許される夜の話が混じっていた。今日は掃除の後に水を張りロープを設置するだけで泳ぐわけではない。ウィンにとってもゆっくりできる『休日』は今日と明日なのだ。ディーンがお前も立場は一緒だろうとほのめかしている。
ウィンは首を横に振った。
「あいつは頑丈だからな。ちゃんと一年の集合時間に間に合うように出てったぞ」
今もきっといつもと同じ顔で同期と遊びながら掃除をしてるはずだ。
そこでふとウィンは部屋を出て行く時のティームの姿を思い出した。水泳部のジャージを羽織り、送って行くと言った自分の提案を却下して、すたすた歩いて車に乗って行ったのをベランダから見送った。
先程見たパームの様子が頭をよぎる。
ウィンには彼らと自分達の何かを比べる気は毛頭ないが、果たしてティームにもそんな風になる時があるのだろうかと、考えてしまった。
「おい」
一瞬黙り込んだウィンの間を捉えてディーンがまだ何か探りたそうな目をしている。ウィンは口を突き出して茶化し、この話を終了させた。
ウィンとどんな夜を過ごしてもティームがその余韻を持って登校したことはない。
パームとマナウといる時は当然のこと、中庭で水泳部の同期とサッカーをしていたり学部の教授の重い荷物を持って笑って歩いているところを見かけたことがある。自分と出くわすと一瞬気まずそうな顔をするが瞬きをしている間に生意気な後輩の顔になる。
ウィンはそのティームの頑丈さをとても気に入ってる。
気に入っているものの、ごく稀に、ほんの少しだけ、崩してみたくなる時がある。パームの様子をすぐに察せたのも直近でティームにその気持ちを注いだからだ。
昨夜、ウィンはティームに盛大に煽られた。何を思ってそうしたか分からないがティームがずっとウィンを見上げていた。反射でギュッと閉じることはあったがすぐにハッとした顔をしてこちらを見る。普段はスッキリしている一重の目元が熱で潤んで溶けていて、明確な欲が真っ黒い瞳を覆っていた。そんな視線をねっとり絡みつけられる。更に白くて柔らかい手が顔のあちこちを触り、厚みのある指で目尻を擦られ、唇に触れたと思ったら口の中を探られた。そんなことをされてウィンのティームを暴きたい気持ちが溢れ出てしまった。
今日のティームの身体にはウィンが『翌日の鉄壁』を崩したくて付けた強めの痕跡がある。勿論プール掃除でティームが水着を着ることは覚えていたので噛み跡やキスマークではないのだが、今朝の様子を見る限りひとつやふたつ付けても良かったかもしれない。それほどティームは崩れずに部屋を出発したように見えた。
プール棟に到着しロッカールームにパームのサンドウィッチを置くと、ウィンはチノパンの裾をめくりプールへと足を向けた。プール槽の中ではティームを含めた一年生が数名、ブラシで底を擦っている。プールサイドにいる部員がウィンに気づき挨拶をした。ウィンは軽く頷いて挨拶を返しながら視線を巡らす。黒髪の丸い頭がぴょこぴょこ動いているのが飛び込み台の向こうに見えて口元が緩んだ。ゆっくり近づいてプール槽の縁でしゃがむ。
「サボらずやってて偉いぞ」
「
……
重役出勤なんて良い身分ですね」
「これでも副部長だからな」
ティームはブラシを動かしていた手を止めてウィンを見上げた。水着に着替えて水泳部のジャージを羽織っている。プール槽の掃除は終盤に差し掛かっているらしく洗剤を洗い流しているところだった。ティームはずっと動いていたのだろう、額が汗ばんで前髪が張り付いている。上を向いた動きでこめかみから顎に汗が伝う。ジャージの袖を捲っている腕で乱暴に拭った。
暑いなら脱げばいいのに。
ティームが部のジャージを着ていることはさほど珍しくはない。だが、首元をきっちりすることを嫌がる彼らしく胸の中ほどまでしか上げていないもののファスナーで前を止めているのは初めて見た。
「そういえばパームが来てるぞ。部室棟のプルック先輩を手伝ってる。あと差し入れもあるぞ」
「パームの差し入れ! お菓子? サンドイッチ?」
「サンドイッチ」
「やった!」
自分を軽く睨み付けていた目が親友と美味しい単語に、瞬く間にきらきらと輝き出した。まるで子供みたいに心の中のあどけなさを表情に乗せる。ティームの無防備なこの顔がウィンは大好きで、しゃがんだ膝に頬杖をついて思わず破顔した。それもこの見上げてくる角度がたまらなく可愛い。いつも半目に近い瞼がくりっと上がって、真っ黒いツルツルした瞳に光がたくさん入っている。ぽってりした唇が軽く開いて前歯が覗くと、ティームの本来持っている健康的な少年の甘さがそのままウィンの前に差し出される。ふわっとした頰との相性も抜群だ。ウィンはそんなティームをうっとり眺めて思わず心の声を口に出した。
「いい眺め」
手が届くなら頭をかき混ぜていた。そんな愛しい気持ちで見ていたはずなのにティームはウィンの呟きに目を見開き、バッと凄い勢いで両手をクロスして自分の肩を掴んだ。ブラシが床に落ちる。
「見るな!」
「え?」
ウィンの愛すべきティームの童顔がまた膨れっ面に戻り睨み付けてきたのを訝しく見返す。口がモゴモゴ動いている。ウィンが眉根を寄せて名前を呼ぶと目が左右に揺れる。
「先輩のせいだ。ヒリヒリして気持ち悪い」
「な」
何が? と問おうとしてウィンは自分で答えに行き当たりピタリと口を閉じた。今度こそウィンの目がクロスされているティームの腕に滑る。ティームはその目の動きを追って、見せまいと半身を捻った。ウィンの目がすっと細まる。
くそ、見逃した。
痕をつけない代わりにその胸を舐めて齧って吸った。しつこいと髪を引っ張られてもやめなかったら暫くして感じ始めたのをウィンは思い出した。
ベッと舌先を出し少し曲げて見せるとティームは毛を逆立てた猫のように肩にギュッと力を入れてジャージのファスナーを勢いよく上まで上げきる。ウィンは楽しくなって、笑う口元を止められなくなった。
「後でタオルで冷やしてやろうか? それとも絆創膏でも貼るか?」
「い、いらない!」
睨んで見上げてくる目元が赤くて目の中が潤んでいる。先程と様子が随分変わっていて、ウィンは少し昨夜の手応えを感じた。
「ウィンせんぱーい!」
その時、足早にこちらに向かってくる自分を呼ぶ声がした。緩む頬をどうにか引き締めて副部長の顔を取り戻すとウィンは立ち上がりビート板を抱えたミューを振り返った。
「すみません、仕舞えてたはずなのに全然入らなくて」
倉庫の中を掃除して備品をしまい直そうとしたらうまく格納できず物が溢れてしまったと泣きつく。
「あそこはテトリスみたいにしないと入らないからな。コツがいるんだ」
ウィンは腕を組み小さくため息をつくと頭の中で倉庫を思い出し、ミューに一つ一つ説明していった。横目でティームを確認するとブラシを片手で適当に擦りながらこちらをじっと見ていた。
悪い気は全くしないので放っておくが昨日からやたらと見てくる。
ミューに一通り手順を教えた後、復唱させて合っていたのでミューの肩を叩いて送り出す。
「ありがとうございます! とても分かりやすかったです。ウィン先輩って教えるの上手ですよね。一回で覚えられます」
えへへと笑うミューに言い返そうとした時、プール槽の中から派手な音がして二人で振り返った。ティームがブラシを拾おうとしゃがんでいる。
「おい」
「ティーム、お前大丈夫か? 顔が逆上せてんぞ。熱中症になる前に休憩しろよ」
「
……
わかってる。お前は早く片付けに行けよ」
ミューがウィンにワイをして去っていくのを眺めて、ゆっくりティームを振り返る。見下ろす先でブラシを持ったままティームはそっぽを向いていた。
今度は何を思い出しているのか手に取るように分かる。
自分を抱きたいと言ったティームは抱き方の準備や順番を覚えられないと抱かれる方を選んだ。だからウィンは胸への刺激だけでなく懇切丁寧に教えながら抱いた。これから何をするか、こうすればどうなるか、ティームが今どうなっているか、言葉で音で熱でひとつひとつ説明した。ティームの体内外のそこかしこに感触が残っている。
「教えるの、うまいってさ」
「うるさい。黙ってください。さっさと仕事しにいってください」
ティームは限界とばかりに耳を塞いでウィンに背を向けた。剥き出しの耳殻とうなじが真っ赤である。
朝に出ていった時とは全然違う。ウィンの痕跡は遅効性だったようで、ジワジワとティームを崩していた。
ティームは大股でプールの向かい側の縁まで歩いていくとホースの水を勢いよく頭から被った。自分の何かを必死に冷やしている様子にウィンはまた緩む顔を抑えられなかった。
こんなに効力が出るなら、噛み跡もキスマークも付けなくて正解だった。ティームの色味を誰にも気づかれたくない。
ウィンはティームがこれ以上崩れないように、会ったら伝えようと思っていた事をひとつ飲み込んだ。もしかしてティームは朝から胸に違和感を感じていたのではないか。だからジャージを咄嗟に持っていったのではないか。自分の部屋から真新しい新入生のジャージを持ってきてないことも気づかずにウィンの少しくたびれたジャージを羽織っていった。
「はぁ
…
とんでもなく可愛い」
次に崩したくなった時はもう少し加減しよう。そうしないとティームが愛しすぎて自分がどうにかなる。
ウィンは緩んだ口元を誤魔化すように首を横に振りながら自分の持ち場に向かってゆったりと歩いていった。
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