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タロ文庫の作品置き場
2025-05-06 22:12:23
3463文字
Public
作品
惑わす口先
2020-06-12
対面に座っているパームが、あ、と小さく口を開けた。クルミのように丸い目がティームの頭上に視線を移動させる。
「こんにちは、ウィン先輩」
パームは律義にスプーンとフォークを置いて胸の前で手を合わせてワイをした。ティームは振り向くより先に肩に置かれた大きな手を感じて眉根を寄せる。いつものようにのしかかってくる重たい重力。心の中で舌打ちをした。
「パーム、もう少し待ってやってくれ。ディーンのやつ教授につかまってて」
「はい。分かりました」
ウィンが言うより先にパームのセルフォンにはディーンからランチに遅れるという連絡がちゃんと入っていたが、彼は恋人の親友ににこやかに頷いた。ウィンはランチプレートをテーブルに置くと、ティームの肩に置いた手を軸にベンチをまたぎ腰を下ろした。
「毎回言ってることですけど、先輩は誘ってないんですが」
さも当然とばかりに自分の隣を陣取る相手に、ティームは苛立つ声色そのままに言い放つ。顔を見ることはできない。
いつもより多めに米をすくって口の中に放り込む。食事に集中することで隣の男がしているであろう表情を気にしなくてすむように。
「毎回言っていることだが、俺の勝手だろう。それともお前はひとりぼっちの虚しい空気を出して目の前の二人に水を差す気か。趣味が悪いぞ」
「あー! あー! あのぉ、ウィン先輩は今日はチキンなんですね」
「そうだよ、パーム」
「前に、ここの食堂のチキンは硬くて食べづらいと仰っていたので珍しいですね」
「今日は無性に歯ごたえがあるものが食べたくなって。なぁ?」
同意を求められて米が喉に詰まった。見なくても耳は塞げなかった。ゴホッとむせた背中をウィンは軽く叩いて撫でる。
「ちょっとティーム! 大丈夫? お水持ってくるね」
ほんわかした彼らしからぬ慌てた動作でカトラリーを皿に置き、パームは素早く立ち上がった。ティームが声をかける暇を一切与えず、リスのようにちょこちょこと走って行ってしまった。
「水なら俺のがあるけどな」
ほらとコップが目の前に置かれてストローを向けられる。ピークが過ぎた小さな咳を繰り返しながらティームはそれを口に含み落ち着くまで吸った。鼻をすすって数粒の米と一緒に喉に流し込む。
一息ついてコップをウィンへ戻すと彼の顔を見た。
「やっとこっちを向いた」
わざとらしく口を開けたまま歯をカチカチと鳴らして笑う。先ほどパームに向けたものとは種類が全く違う顔だ。
歯応えのあるものが食べたいだなんて、数時間前に絶対噛むなと喚いた自分への嫌味か。
ティームはウィンと朝まで一緒にいた。
そして午後の部活でも会うのだ。ランチまで一緒にしていたら日中ずっと一緒にいることになる。パームがディーンとランチの約束をしている時にウィンが必ずいるわけではない。だから今日はいないことを願っていた。今日に限ってはウィンと一緒にいるところをあの二人に見られたくなかった。が、ウィンがそうするわけないこともティームは薄々気づいてはいた。
普段の食事では一度も手から離さないカトラリーを遂に皿の上に置いた。自分の身体の何かを確認するようにまとわりつく眼差しに耐えられず、半身をひねり身体ごと隣のウィンに向く。
「何ですか。さっさと食べてください」
早口で気持ちを日常に戻そうとすると唐突に左手をひょいと掴まれた。反射的に抵抗しようとしたのを見越してか、ウィンは掴んだ手に力を込めて自分の方に引っ張る。
目の高さに掲げられ寄り目がちに指先を凝視される。
「ちょっと! 先輩」
「爪が伸びてるかチェックしてやる。運動部にいる以上、大切な事だろう?」
「なんで今!」
「俺が気になったから」
誰が見てるかもわからない食堂でウィンに手を握られている。パームもいつ戻ってくるかわからない。それだけでティームはこの場から離れたくてしょうがなくなった。
「へぇ、ちゃんと短くしてるじゃないか」
ウィンの指が、すっと撫でる。爪と皮膚の間を行ったり来たり。感心したような笑い声にティームは渾身の力で左手を奪い返した。
堪らず睨みつける。
撫でられた指先が昨夜の感触を思い出そうと震えるから、拳を握りこんでやり過ごした。
ウィンは面白そうに目を輝かせ、右腕をティームの前に差し出した。いつも緩くまくっている制服のシャツをさらに上にずらすと彼のタトゥーがひとつ露わになった。
「そんな短い爪でよくこれだけ引っ掻いたな」
三角形が重なっているモチーフのそこには斜めの赤い線が数本入っていた。彼の本来の皮膚の部分は色白だから更にくっきりと、自分が彼に縋った痕がついている。
噛んだり齧ったり、今日は絶対に嫌だと言ったのは確かにティームだった。言ったのはそれだけだったせいで、いたるところを舐められて色んな言葉を耳に流し込まれた。
ウィンの口は厄介だ。感覚の違いに戸惑って自分がどこかに流れていきそうな気がした。その拠り所を探していた手が身近なものに縋った結果が、ウィンに残った痕跡である。縋りきれなくて何度も爪を立てた。
「指、痛いか?」
「なんともない」
労わるようにも揶揄うようにも聞こえる言い方にティームは更に指を握り込む。
「お前も水泳やってるからには知ってると思うけど」
「何ですか?」
赤い線から目が離せなくて、ウィンが耳元に顔を近づけてきた事に対応が遅れた。
「溺れそうな時はもっとしっかり掴まらないと」
背中、とか。
食堂では聞きたくない声と言葉にティームは耳を押さえて仰け反る。悪戯が成功した男は満足そうに身体を元の位置に戻した。
本当に、本当に腹が立つ。
澄ました顔で食事をしようとカトラリーを手にしたウィンにティームは人差し指を突き立てた。苦虫を潰した顔で言い放つ。
「次はその翼をもいでやる」
どうにかこの男の口に勝ちたくて何も考えず言葉を出した。人差し指の延長線にいるウィンが小さく瞬きをする。あ、と思った時には形のいい唇はチシャ猫のようにニィーと横に広がっていた。
「それはまた、熱烈だな」
金髪のチシャ猫は赤い舌を出してペロリと唇を舐めると、前歯を見せて楽しそうに笑った。
「ティーム! お水持ってきたよ!」
ティームの脳がいよいよ真っ赤になった瞬間、柔らかい声とともに両手にコップを持った親友が戻ってきた。すぐ後ろにぴったりとついている部長の姿を見てティームは瞬時に胸の前で手を合わせてワイをする。
部長の緑がかった黒目はティームを見た後、すっと横にずらし自分の親友を眺めると少し細まった。ウィンは片手を上げひらひらと振る。
「途中でディーン先輩と合流できたんだ。遅くなってごめんね」
「大丈夫! ありがとな」
自分の対面に座りコップを差し出しながら申し訳なさそうにするパームにティームは首を横に振った。コップの水をストローで吸うと冷たくて、無駄に火照った気持ちが落ち着く。
パームの隣に座り同じくコップを受け取ったディーンはパームに微笑みかけた後、ウィンの腕に視線をやり低い声で呟いた。
「それ、どうしたんだ?」
ディーンのよる恋人に向けた顔と親友に向ける声のスイッチングをティームはいつも面白く見ているのだが、今回は居た堪れなくてさりげなく視線を逸らす。
「引っ掻かれた」
問われた本人はごく自然と食事をしながら短く答えた。嘘は言っていない。何にとか誰にとかは言う気はないらしく、親友をチラリと見て歯応えたっぷりのチキンを飲み込む。
パームがそれを覗き込もうとするのをさり気なくかわして今度はウィンが口を開いた。
「パーム」
「は、はい」
「お前は溺れそうになったらディーンにしっかり掴まれよ」
「?? はい」
「安心して任せていいぞ」
「はぁ」
唐突な話の筋道が見えないパームはディーンに助けを求める。ディーンは小さく首を横に振ってから、困惑している恋人を覗き込んだ。
「気にしなくていい。でもその時はちゃんと助けるから」
「はい。大丈夫です。助けてくれるって知ってるから、先輩に任せます」
起こってもいない水のトラブルの対応を想像して見つめ合っている二人にウィンがくつくつと笑っている。
「だってよ」
それはそれは楽しそうに目元を細めて笑って、肩で肩を押してきた。
ティームはウィンのその厄介な事ばかりする口に、目の前のガパオライスを皿ごと突っ込んでやりたい衝動にかられた。
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