ミイ
2025-05-06 20:43:53
2953文字
Public 静なつ
 

426(静留)の日 2025

・静なつです。
・4月26日、静留の日にちなんで、静留さんの名前から連想したお話を書いてみました。
・大遅刻ですが、あたたかい目で見ていただけると幸いです。

「静留」

 これは後ろからうちを呼び止める時の声。なつきが中等部の時……うちの名前を呼び始めた頃は、も少し緊張した声、したはりましたけど。最近、うちより先にうちを見つけたって。嬉しそうな音が混じるようになったんは……うちの気のせいやろか。



「どうした? 静留……

 あん子は……周りを拒絶して一人でいる時間が長かったさかい、ぶっきらぼうな子みたいに見えますけど、ただ不器用なだけで。本当は、優しすぎるくらい優しい、普通の子。

 うちがほんの少し、言葉に迷っとったら。なつきと会えた嬉しさに言葉を詰まらせとったら。優しい声で、うちの名前を呼んでくれはる。……せやから、なつき。うち、あんたの優しさをみんなに知ってほしい、思うんと同時に、その優しさを向けるんがうちだけであってほしい。そう思ってしまう。……うち、欲深いんよ。なつきはそう、思てへんみたいやけど。

 なつきを前に、欲しいもんなんてなぁんも言えへん。うちが欲しいんは、自分が差し出せるもの全部投げ出してでも、ただ一つ、うちが欲しいんは……なつき、あんただけやから。



「静留! こらっ!」

 ふふっ。これはうちがあん子にいけずした時の、照れ隠しの混じった咎めるような声。頬を赤くして上目遣いにうちを見つめて……。あきませんえ? なつき。そないにかいらしい顔、うち以外に見せんといてな。



「なぁ……静留」

 その先を聞かせてくれたこと、あの祭りが終わるまで、一度もありませんでしたなぁ。どないしたん? って聞いても、あんたはいつも遠くを見てて。うちの言葉に答えてくれへん。うちには見えへん何かを、ずっと見つめてはった。やかて……その先はきっと、うちのために言わずにおいてくれたん、わかってます。あの戦いに巻き込まへんように。うちを、守るために。

 うちとは違って同じ秘密を共有する鴇羽さんたちと急に距離が近くなっていくんは怖かったし、身を焦がすような、狂おしいほどの嫉妬もしました。やかて……嬉しかった。あんたの、不器用な優しさが、うちに向けてくれはる気持ちが。嬉しかったんよ、なつき。



「んっ……静留ぅ!」

 あかん。こないな声聞かされたらうち、おかしなってしまう。あきませんえ、なつき。うち以外の前でこないな声出さはったら……そこに居合わせた全員の耳、削ぎ落とさなあかんことになります。



「静留!」

 ああ、また聞こえる。うちを呼ぶ、愛しい子の声が。

 名前を初めて呼ばれた時、心臓が高鳴った。あの頃なつきはまだ中等部の生徒で、誰も信じない。そんな目をしてはった。それやのに……自分を、「静留」と呼んでくらはるようになりました。手負の獣を手懐けるように、少しずつ、少しずつ。かつてないほど慎重に距離を詰めて、離れてを繰り返して。自分から近づいてきて、まるでいたずらをする子どもみたいに。驚かせるようにして名前を呼んできてくれた時は、涙が出そうになる程嬉しかった。後ろからなつきが近づいてきてるのは気づいてましたし、気づかないふりするのに必死やったけど。思わず溢れてしまったそれを、びっくりしたからと言い繕った時のなつきの慌てた顔も、うちは生涯忘れへんと思います。

 ……いつから、やったやろうか。下の名前で呼ばれることが減ったのは。幼い頃は、下の名前で呼び合うことが当たり前で……やかて、高学年くらいになってから、名字で呼び合うことが増えた、思います。名前で呼んでくれるんは、近しい友人や家族くらい。風華学園に来てからは、自分の名を呼ぶ人はほとんどいなかった。それが当たり前で、何も不自由なんてしていなかったんに。

「静留」

 そう、呼んで欲しいと、願ってしまった。

 この想いを自覚したその時。名前の通り、自分の中に静かに留めおかねばならないのが『何か』をわかってしまった。理解して、しまった。それでも。

 彼女の形のいい唇で。少し低めの掠れた声で、呼んで欲しいと、思ったんどす。

 他の誰でもない。うちだけを示す、その名前を。

 初めて出会った時から。彼女の声を、視線を、彼女がくれた温度を。その全てを、自分の中に留めおいている。

 それこそ今、頭の中でなつきに関するものを自在に再生できるくらいに。

 なつきからもらったもんはひとかけらでさえ、忘れたない。全部全部、うちのもんや。

「おい、静留?」

 ああ、この声は。

「静留。何ぼーっとしてるんだ」
「なつ、き?」

 目の前で手を振られて、瞬きを一つ。視線を上げれば、翡翠のようなキラめきに、じ、と覗き込まれる。目の前でうちを見つめて、訝しげな顔をしているのは、妄想の中の彼女ではなく、今この場に実在する彼女らしかった。

……疲れてるのか? 昼寝でもしたらどうだ」
「大丈夫どす。たった今、元気になりましたさかい」
「あははっ。なんだそれ」

 今年の春。うちは風華大学へと進学し、一人暮らしを始めました。そしてしばらくしてから、そこに転がり込んできたのが、この子。

 寮で一緒に暮らしていた時は自分から出て行ったかと思えば、今度は自分から戻ってきて。

 うちの気持ちは受け入れてもらえへん、なんて思ってたんに、なつきはまた、うちに希望を持たせてくれる。淺ましく醜い自分を自覚してしまう、残酷な希望を。

「静留。見てくれ。今日はマヨの特売日らしい。スーパーに行くぞ。おひとり様二つまでだから、四つ買うのが目標だ」
……やかてなつき、あんたマヨさんちょっとは控えるって約束したやないの」

 こないな、まるで夫婦みたいなやりとりができるやなんて、少し前のうちが聞いたら綺麗な笑顔で引っ叩かれてしまうんやろうね。

「ぐっ……ほ、ほら、ストックはいくらあってもいいだろ?」
「もう……ほんと、なつきはマヨさんが好きなんやから」
「いいだろう別に……

 ぷう、と膨れてしまった彼女の頬をちょん、と突くと、ふしゅう……と小さくなっていく。頬は萎んだというのに、口がタコのように尖っているのが愛らしい。拗ねてる、いうアピールなんやろうけど。

 ……あの頃。背伸びに背伸びを重ねて、早く大人になろうとしていた彼女の、子供のような一面が見られて嬉しい。

「静留、ダメか……?」

 こん子、この目ぇされたらうちが嫌て言えへんことわかってやってはりますわ。……うちも舐められたもんどすなぁ。そんなんでいうこと聞く、思たら大間違い……

「二本まで、どす」
「やった! じゃあ出かけるぞ!」

 ……惚れた弱み、いうんはこういうことやと思います。ええ。仕方のないことどす。

「静留」

 自然に伸ばされる手をとり、一歩を踏み出す。まだこの関係に「同居人」以外の名前がなくても、ただこの子の近くにいられて、名を呼んでもらえるのなら。今はそれで、それでもいいと思ってしまう。

 そして……もしも、願ってもいいのなら、いつか。一度で、いいから。

 うちと同じくらいの熱で、あんたなりの湿度で。うちの名前を、呼んでくれへんやろうか。

「静留」
って。

 他の誰でもないうちだけが聞ける、あんたの声で。