はとこ
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夜のはじまり(ミルアイ/1月無配)

ミルアイ本「ふわふわウイークエンド」の前日譚です。初夜突入前です。前日譚だから本未読でも読めるかな〜と思います。もらってくださってありがとうございました!

「こんばんは、風帝です」

 ベージュ色のドアの向こうから、礼儀正しいアイの声が聞こえてきた。聞き慣れたはずのその声に俺は心臓をこれ以上ないってくらい高鳴らせながら、ドアを開けた。
 思わず背筋が伸びるような夜の空気を纏い、アイが頰と鼻の先をほんのり赤くして待っていた。
「こんばんは」
「お、おう……部活お疲れ」
「ありがとう。あ、これ。お母さんから。家にあった頂き物の羊羹だけど」
 そう言ってアイが下げていた藍色の紙袋を差し出した。
「え?! い、いや、手土産なんて気使わなくてもいいって! 今日俺しかいないんだし!」
「でも、持ってきちゃったから、受け取って。持ち帰るわけにもいかないし」
「そ、そう言うんならもらうけど……って、羊羹デカくね?」
 紙袋の中に入っていた立派な箱に俺がギョッとすると、アイが苦笑いした。
「あ、うん。ボクもそう思ったんだけど、お母さんが『お友だちみんなと食べるなら量があった方がいいでしょ』って言うから……
「『みんな』……って、お前、今日の泊まりのこと、なんて言ってきたんだよ、親に」
…………複数の友だちと泊まり込み勉強会。そう言わないと、許可もらえなさそうだったから」
 アイが目を伏せて、指先を弄る。と、くちゅん、と小さくくしゃみしたのを見て、俺はその手袋に包まれた手を取った。
「と、とりあえず、飯にするか。準備はできてるからさ」
「う、うん。お邪魔します……
 そっと握り返してきたアイの手は、いつもより小さく感じられた。



 スーパーで買ってきた惣菜で夕食を済ませ(料理できねえわけじゃねえけど、この後のことを考えるとどうしてもまともな飯を作れなかったからだ。明日頑張ろう)、他愛ない話をしながら金箔付きの羊羹を食べて。でも、お互いにこの泊まりの目的を意識してしまっているせいですぐに会話が途切れてしまった。
……早いけど、風呂、入っちまうか」
「ショウ、先に入って。ボクはその、じゅ、準備したいから……
 真っ赤な顔でアイがそう言うから、俺もドギマギしながら先に入った。自分の体を洗うより、次に入るアイのために風呂を掃除することに専念しちまったから、体も心もあんまり温まれなかった。
 アイが風呂に入ってる時も俺は落ち着かなくて、昼間に散々やった部屋の掃除をまたやっちまった。ゴタゴタしたもんは片付けたし、ベッドのシーツも清潔なものにしてあるし、バスタオルも多めに用意した。買うのにめっちゃ苦労したコンドームやローション、いざという時のための軟膏と必要なものがちゃんとあるか、全部確認した。
 それでも、まだアイは風呂から上がってこなかったから、ベッドに座り込み、ひたすら心を落ち着かせることに専念した。
 正直言うと、本当はこの時期にアイとシようとは思ってなかった。その、いつかはシたいと思ってたけど、三年生の俺は進路がまだ確定してねえし、アイだって冬休み前は部活や生徒会、勉強に忙しい時期だし、普通に考えたらこの時期は避けるはずだ。
 それがどうしてこのタイミングですることになったかって言うと、先月の文化祭がきっかけだった。
 俺たちがお互いを意識するきっかけになったのも一年前の文化祭だったから、お互いこの行事には思い入れがあった。今年は俺たちが一緒に過ごせる最後の文化祭だし、恋人になって初めての文化祭でもあったから、去年以上に張り切ったし、盛り上がった。
 その終わり際、俺たちは空き教室でこっそりキスをした。
 学校でキスするのはそれが初めてじゃなかったけど、最後の文化祭という特殊な状況でしたそれにすっげえ興奮しちまって、気がついたら俺はアイを床に押し倒していた。

……するの?』

 ごめん、と慌てて飛び退いた俺に、アイがぽそ、と呟いた。
 あの時のことは今でも忘れられねえ。薄暗い教室の中、床に倒れこみ、キスの余韻を残すぼんやりした目で俺を見上げている、アイのあの姿を。しかも、そんな台詞をいきなり口にするもんだから、俺は目も口も開きっぱなしで固まってしまった。
『するって、お前……
……セックスするの、って意味で言ってる』
 アイの口から出たそのワードに、俺は眩暈を覚えた。
 いや、言葉だけなら知ってるとは思う。でも、俺の中で勝手にアイとはそういうこととは縁遠いもんだと思っていたところがあった。
 だから、俺はアイとそういうことをするのはもっとずっと先――少なくともアイが卒業するまで待たないといけないかもしれないと思っていたんだ。
『ボクは……したいよ』
……っ』
『ショウはしたくないの?』
『し、したい、けど……お前、ここ学校だぞ』
 それでも何とか理性を総動員させて言うと、アイは目を丸くした後、すごく恥ずかしそうに目を伏せてしまった。
……ごめん、それは絶対ダメだね』
『だ、だよな』
……じゃあ、別の日に違うところでしようか』
『そうだな……って、マジで言ってんのか?』
『うん。だって、君と作れる思い出はできるだけたくさん、何だって作りたいから』
 そう呟いたアイの声色に寂しげな色が混じる。
 別に、俺の卒業と同時に別れるつもりはお互いにない。でも、俺が三年生だから、今回の文化祭みたいに事あるごとに「最後」と付けられて、アイは寂しくなっていたようだ。
 思い出作りにセックスが入るのはすげえ予想外だったけど、アイが今の時点でしたいって思ってくれてるんなら、俺も卒業まで待とうなんて思えなくなっていて。
 文化祭の一ヶ月後の今日、しようって二人で決めたんだ。
 ちょうど、お袋が単身赴任先の親父のところに泊まりに行ってて不在だから、場所は俺の家にして。




「ショウ、お待たせ」
 その声で俺はハッと我に返った。
 白のパジャマに身を包んだアイが、ドアから顔を覗かせている。髪を下ろしているのも、初めて見たパジャマ姿もあまりにも刺激が強すぎて、俺は思わず視線を逸らしてしまった。
「あ……何か変、かな?」
「い、いやっ、へ、変じゃねえ! 大丈夫だから!」
 視線を逸らしながら必死に言うと、アイの控えめな足音がこっちにやってきた。ぽす、と俺の隣にアイが座った途端、シトラスの香りが鼻をくすぐる。
 俺の家のシャンプーなのに、なんか全然違う気がする。もっと甘ったるくて、砂糖菓子みたいな匂いがするのは、アイ自身の匂いがそうだからか……って、そうだっけ? やばい、予想以上に俺、テンパってる。
……ショウ、大丈夫?」
「だっ…………いじょうぶ……じゃ、ねえ」
 強がってみようとしたが、アイと目を合わせた途端、強がりはたちまち萎れてしまった。
 かっこ悪い自分に唸りつつ項垂れると、くす、とアイの笑い声が聞こえてきた。
「良かった。ショウも緊張してるんだね」
「す、するだろ! 初めてなんだから!」
「そう、だよね。ボクも……ショウの家に来る前からずっと心臓がうるさいんだ。お陰で昨日の夜は全然勉強できなかったし、今日の部活練習の時は音を外してばかりで酷かったよ」
 明るい口調で言っているが、その語尾が微かに震えていることに気づき、俺はそっと顔を上げた。
 俺を見つめるアイは辛うじて笑顔だけど、よく見れば唇は引きつってるし、肩が小刻みに震えてる。それでも、そのミントグリーンの目だけは逸らすまいと言わんばかりに、じっとこっちを見ている。
「そんな調子だから、いざって言う時に嫌がってるように見えたらどうしようって、君の家に行くまでの間、ずっと考えてた。お風呂でも、そのことばかり考えてた。練習したから『準備』はうまく行ったけど……それでも全然、心臓の音が落ち着かなくて……
「アイ……
「だけど、ボクは……ショウとシたいって思ってるから。もしかしたら、『嫌』とか、『やめて』とか言っちゃうかもしれないけど……それは本心じゃない、から」
 俺と同じくらい、いや、きっとそれ以上にアイは緊張してる。
 でも、俺が好きだから、俺と思い出が作りたいからって頑張ってるんだ。
「だから、大丈夫だよ……ショウ。し、しよう、よ……
 懸命に伝えようとするアイが愛おしくて、俺は思わずアイを抱きしめていた。
「わ」
 勢いがつきすぎたせいか、そのままアイとベッドに寝転がってしまった。
 心臓が、これ以上ないってくらい速いリズムを刻んでる。それはきっと、俺の下にいるアイも一緒だ。
 ゆっくりと顔を上げ、アイの顔を覗き込む。眉を八の字にしてミントグリーンの目を潤ませるアイは今にも泣き出しそうだ――と思ったのも束の間、唇を緩ませ、そっと瞼を閉じた。
 自分の全部を委ねようとしてくれるアイに、俺は言葉にするより先に唇を重ねた。途端にアイが体を強張らせるのが伝わってくる。
 俺はそっと唇を離すと、ぎゅっと瞼を閉じたままのアイに囁いた。
「怖いか?」
……少し」
……怖くしねえし、痛くも……しないよう頑張るからな」
……うん。信じてるよ」
 ふっとアイの瞼から力が抜ける。それを合図に、俺はアイの手をそっと握って、再び唇を重ねた。


 それは冬の始まる少し前、静かな夜のこと。