mishiadd
2025-05-06 19:18:25
4367文字
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宮本伊織が魑魅魍魎コレクション:手

【本編軸】人を「剣の操り手」としか認識していないので初見でセイバーの性別を見抜いている伊織殿と至高の「剣の操り手」であるセイバーの右手に異常執着する伊織殿【剣伊】※セイバーは男性です

「そういえば」とセイバーは何の気なしに口にした。

「当世においては――きみだけか? 私を徹頭徹尾媛扱いしないのは。……あとは、ムサシもそうだったか」

別に、「だからどうだ」ということは何もなかった。ただ単に――伊織がセイバーの右手の爪にやすりをかけている間、手持ち無沙汰になったので、時間を潰すためだけに持ち出した話題だった。
実際、他人から自分の性別がどう思われていようとセイバーにとっては至極どうでもよかった。それで別段不都合があったこともないし、彼の剣の理と同じように――セイバーにとっては、相手の出方や思惑など知ったことではなかった。他人がどう思おうと、セイバーはセイバーであり、他人が彼を男と扱おうと女と扱おうと、それがセイバー自身になんら影響を与えることはない。ただ、セイバーはセイバーとして相手に接して、そして相手はそれをただ諾々と享受するのみである。

繊細で微弱な力加減で丁寧にセイバーの右手の親指の爪の先を整えた伊織が、まるで彼の彫る仏像の出来栄えを確かめるように、左手の上に乗せたセイバーの手の角度をあちらこちらに傾けては片目を眇めて眺めている。ふ、とほんの軽く吐息を吹きかけてから、人差し指へと取り掛かる。
指先にかかった伊織の冷たいような吐息にくすぐったさと気まずさを覚えながらセイバーが目を逸らす。しょり、とまったく痛みを感じない程度の圧で押し付けられるやすりを指先に感じながら、「きみ、よくわかったな? 私が――男だと」と、恐らくは自分だけが感じているらしい、この逃げ出したくなるようなそわそわとした居心地の悪さを誤魔化すように尋ねた。

セイバーの人差し指に残る削った爪の粉を几帳面に親指で拭き去りながら、手元から目を離さずに伊織が言った。

「なにも不思議なことはなかったよ。あの夜、あの満月の下で、おまえが剣を操る姿を目にした瞬間からわかっていた。俺にとってはごく当たり前のことだったよ。――おまえが、『間違えられる』のだと――俺が気付いたのも、その翌朝にカヤが間違えているのを目にしてからだった」
「それもまた随分と極端な話だな? イオリ」

フフ、と呆気にとられて思わず笑い声を漏らす。その拍子にわずかに身を引いてしまったのか、窘めるように伊織に右手を強く引っ張られて「ああ、すまぬ」と柄にもなく謝ってしまった。――そもそも、これは自分が頼んだことではない。伊織の作業に不都合があったからといって、こちらには謝らなければならない筋合いもなかったな――などとセイバーは思い直した。

「きみ、一体私の何を見ていたのだ。だからどうということはないが、私を見て『どちらか迷わない』までならまだしも、『間違えられるとは思ってもみなかった』――というのは、それはもう、何も見ていないのと同じだぞ」
「何をって――

それでようやく伊織が手許から目線を上げた。やすりの先がセイバーの薬指に触れたまま、伊織の深遠な月夜の色をした双眸が、セイバーの目を覗き込むように見た。

「おまえの剣を操る姿だよ。――その剣捌き、その肉体の動き。あの月光の下で――

長い睫毛がうっとりと閉じられたのは、あるいはただ単に彼の夢見るように重い二重瞼がいつも通りの瞬きをしただけだったのかもしれなかったし、彼がその目に見た何かを思い出しているからかもしれなかった。――やがて、それが閉じられたのと同じようにゆっくりと――まるでそのうっとりとした瞬きに引き摺られて時が止まったかのように――伊織のけぶるような長い睫毛が開いて、ちらちらと濡れたような宇宙そらのような瞳が覗いた。

剣を握るおまえの右手と。――そう、この手を見た。だから知っていたよ。疑問にも思わなかった。――この手、この骨格。――これは、剣を握る男の手だよ。……例えば、誰も宗矩殿を女子おなごとは見間違えないだろう? そのくらい、俺にとっては自明のことだったよ」

長い、けぶるようにすっと下向きに生え揃った睫毛が伏せられて、彼の視線が再びセイバーの右手に落ちるのをセイバーは見る。その視線の先を追って、セイバーも自分の右手を見た。伊織の大きな左手の上に恭しく載せられた、彼の手に比べれば一回りも二回りも小さく見える右手。わずかに――節くれだっているようにも見えないことはないが、明らかに男の手である――とも判断しがたい、その手。

爪を整えるために手の甲を上に向けさせられていたその右手を、伊織が自分の手の上でひっくり返してみせた。そのセイバーの手のひらを、伊織の左手の親指が、つつ、となぞる。手のひらの荒れた部分に伊織の親指の腹が引っ掛かる。やがて、見つけた剣だこに伊織がわざわざ右手の人差し指で触れ、彼の指の腹がその上を何度も往復する。くすぐったさにセイバーの背筋がぞわぞわする。「おい、イオリ」と冗談半分、文句半分で声を荒らげたところで――彼の手のひらを見下ろす伊織の目に気付いた。妖しく底光りするような月夜の瞳の輝きに、「――あ、」とセイバーが言葉を失う。

ふ、と伊織のうっすらと開かれた色素の薄い唇から漏れたかすかな吐息が、熱を帯びているように聞こえた。

「イ、オリ?」
美しい手だな、セイバー」

ぽつり、と呟くように漏らされた伊織の声は、いつもと変わらない。いつもと変わらない、穏やかで優しくてからりとした、特別な感情の伴わない声。

「おまえの剣のわざは美しい。――その剣のわざを生み出すこの手も、美しい」
「き――みは」

からからに喉が渇いていた。声が喉に引っ掛かって咳き込まぬよう、それだけに注意を払いながら、セイバーは――極力声の裏返るようなことのないよう、極めて冗談めかして聞こえるように言った。

「私ではなく、私の右手ばかり見ているのか? なんだ、それはそれで面白くないものだな。なあきみ、自慢できるようなことでは到底ないが、私はかつてこの顔で国ひとつ壊滅させたこともあるのだ――
「爪を整えよう、セイバー」

くるり、と再び恭しく、伊織がセイバーの右手をひっくり返す。上向きになった手の甲を伊織の左手の親指がするりと撫で、そのままやりかけだった薬指の爪の先に再びやすりが当てられた。しょり、しょり――と、まるで精巧で繊細な宝玉でも扱うかのように、微弱な力で丁寧に削られる。
作業に集中したことによって伊織のあの危ういような眼光が和らいだのを見て取って、セイバーの肩からわずかに力が抜ける。ふう、と伊織に聞こえぬように軽く息をついて、揶揄うように言った。

「きみがわざわざ私の右手の爪を整えたいなどと妙なことを言うからこうして付き合ってやっているが、きみはアレだな? 本当に私の手が好きなのだな? それとも『剣を握る手』が好きなのか」
「妙な言い方をしないでくれ。おまえの爪を整えようと言ったのは、おまえの爪がそのうちどこかに引っ掛かって割れそうで怖かったからだよ。怪我をしたら大変だろう」
「サーヴァントがそんなことになるわけないだろう」

敢えて大袈裟にからからと笑い飛ばし、セイバーが伊織を見た。ようやく小指に辿り着いたらしい伊織が、殊更慎重にやすりを当てているのを見て、小さく肩を竦めた。

「しかしきみ、その真剣な目つき。――まるで本当に、いつもの仏像ブツゾウを彫るときのようではないか。……放っておいたら、そのうち私の右手の木像などを彫り出したりしてな」
「莫迦を言わないでくれ」
「ハハ、悪かった。さすがにきみでもそんな気色の悪いこと」
「そんなもの、なんの意味もないだろう?」

はた、とセイバーが笑みを象ったまま言葉を失う。しょり、とやすりの音が沈黙のさなかに響く中、「――え?」とセイバーが掠れた声で問うた。伊織が答える。

「木像になんの意味がある? 木像は剣を握れない。剣を振るえない。そんなものに一体なんの意味がある。――意味があるとしたら」

しょり、とやすりが鳴った。ふ、と伊織が冷たい吐息をそっと吹きかけ、粉を払う。――それから、自分の左手の上に載せたセイバーの手を恭しく掲げ――その手のひらを軽く握り込むようにして、そっと口許に近づけた。
色素の薄い、わずかにも赤みを帯びていない、色を失った艶やかな唇が――まるで死を司る何者かの接吻のように――セイバーの手の甲に触れるか触れないかの距離で、ひそやかに囁く。

おまえが退去した後に――もし、この手だけでも俺の許に遺して逝ってくれるのならば。……であるならば、それにはなんらかの意味があるのかもしれん。おまえの手は、それでもまだきっと剣を握れるだろうから」
……握れないよ、イオリ」

喉が渇く。舌が乾く。それでも、セイバーは言わなければならなかった。

「そうなってしまったら、私の右手でも剣はもう握れない。握らない。握りたくない。――誰の手も、きみの手も、そうなってしまったらもう、剣は握れないよ、イオリ」
「そうだろうか」

伊織の――深淵にぽっかりと浮かぶ望月を写し取ったような双眸が、妖しく底光りしている。ゆっくりと瞬きをして――ちらりとセイバーの右手の手の甲に流し目をくれる。それから、うっとりと瞼を閉じて――名残惜しいように滑らかな白い頬でかすかに触れるだけの頬ずりをする。冷たい頬の体温が、セイバーの手の甲に伝わる。

その冷たい体温に、セイバーは夢想する。――彼が退去した後、彼の遺した右手を後生大事に胸に抱いている伊織を夢想する。

セイバーの手を花瓶に生けている伊織を夢想する。それを長屋の本棚の脇に飾る伊織を夢想する。

あるいは、細長い匣にセイバーの手を納めて、それを肌身離さず持ち歩いている伊織を夢想する。時折茶屋などで腰を降ろしては、匣に耳を当てて中の音を確認する伊織を夢想する。

剥き出しのままで胸に抱いていても、花瓶に生けていても、匣の中に納めていても。――夜な夜なそれを抱き上げては、畳の上で向き合っている伊織を夢想する。



持ち主の肉体のどこにもないままに、ただその右手のみを恭しく左手に載せ――その爪のひとつひとつに、繊細に、几帳面に、丁寧にやすりをかける伊織を夢想する。



ふ、と仕上げに冷たい呼気を吹きつけて粉を飛ばして、その出来栄えを満足げに眺める伊織を夢想する。






――ああ、とセイバーは思った。真っ直ぐに見遣れば、湖面に映り込んだ月の影のように揺らめく瞳と目が合い――それがうっとりと細められるのを見た。






それは存外悪くないな――などと、その手の甲に触れる唇の冷ややかで柔らかな感触に、背筋を震わせながら、思った。






手・了