スタンドに勢いよく固定されたスマートフォンが、ガタンと音を立てた。今日は生憎ノートパソコンを星奏館に置いてきたままだった。人差し指で画面に触れればピッと鳴る音。それは映像を映し出す合図。始まるカウントダウンは、三秒前、二秒前、一秒前を刻む。
「こんばんはぁ。ちゃんと見えとるかな、カメラこんな感じでええやろか」
画面を覗き込んだこはくは柔らかく笑って言った。途端に溢れるコメントに、それよりもっと顔を緩ませる。
「見えとるんやね、おおきに。今日は思いつきで告知も適当やったのに来てくれてありがとうなぁ」
こはくは喋りながら、少し照れたような顔で前髪をそっと弄った。その桜色からぽとりと一粒雨が降り、
『お風呂あがり!?』
『サービスショットすぎる』
『かっこいいけど刺激強すぎる〜!』
同時に乱舞する悲鳴じみたコメントたち。
「そうそう、今お風呂入ってな。髪乾かすまで配信や
……って
……あ!? ドライヤー音入ってまうね!? その前までや! タオルで乾かすとこまで!」
慌てたこはくの姿に、今度乱舞するのは『可愛い』の文字。それに少しだけ苦笑して、
「えーっと
……なにしよか。見切り発車なんやけど
……なんか質問とかある?」
最近少し低くなった声で問いかけた。
途端に上がる歓喜のコメント。ひとつひとつ目で追うことができる速さではあるが、徐々にその速度も上がってきた。
『今どこいるのー?』
『こはくちゃん模様替えした?』
『ジュンくんは?』
『いつもと違うね、遠征先かな?』
『どこー?』
『藍良くんの部屋?』
「わ、みんな鋭いなぁ? 他人様の部屋借りてるのは当たりや! 惜しいで」
わからんやろ、と自信を見せたこはく。その時だ。
『もしかして』
「こはくさああああん?」
その空を割くような、しかし歌うような大声がこはくの背後から飛来した。
『わーーーー!』
『ママ!?』
『ママの部屋!?』
『斑くん!?』
『まさかのDF!!』
『待ってた!!』
その瞬間から、ついに追い切れないだけの文字が画面に溢れ出て、
「ちっと待ち」
後ろを振り返るこはく。その間もコメントは止まない。
「人の部屋で勝手に始めないでくれないかなあ!? 俺が裸で上がってきたらどうするつもりだあ?」
「声がでかい! 音割れるわ!」
そう咎める声までまるでコメントにかき消されるように、画面の向こうからの興奮は二人に伝わる。
「セクシーな姿のみならず放送したらいけない格好を晒す羽目になるところだったぞお!?」
「ははは! ぬしはんいつもジャージ着とるやろが、知ってるで」
相変わらず後ろを向いたまま斑に話しかけるこはくの耳が画面に映し出される。少しだけ赤いのは、彼も風呂上がりだからだろうか。タオルドライが終わるまでの配信であることは、誰も彼もが忘れ去っている。
「あっはっは! 冗談冗談! こはくさん、水もしたたるいい男だなあ!」
「そらおおきに
……でええんか? あっ、みんな見とるから! ほら! 斑はんもなんか言えや。堪忍な、後ろ向いてて」
そうして二人の意識が配信へ戻るやいなや、
「ではでは! やっほおおおおお! ママだよおおおおおお!」
斑の大声がこはくと画面越しのファンの耳を勢いよく割いた。
「今日はこはくさんに押しかけられてこうして賑やかにすごしてるんだが、まさか人の入浴中に配信始めてるなんて思わなくてなあ! この押しかけ女房をどうにかしてくれないかあ?」
その声が画面の向こうのスピーカーを揺らしているのだろう頃。驚きのコメントや、Double Faceへの好意的なコメントが次から次へと上へと上がっていく。
「ごぉら! 誰が押しかけ女房や」
「いや、だってそうだろう
……まあ言葉が古いし不適切なら改めるが
……けど、思うが君のやってることはまさにそれだよなあ」
「やかましい、今日空いてるかっち聞いて呼び出したんはぬしはんやで。忘れたとは言わせへんわ」
『ええええ!?』
『仲良し! いいなー!』
『我々は何を見せられている
……?』
そのコメントを目に留めて、ふとこはくは首を捻った。
「ん? 〝何を〟
……って? 普通の相棒との会話と違うんか? Crazy:Bの連中やラブはんとした配信もこんなもんやろ」
『こはくくん、綺麗なままでいて
……』
「まあ、解散したのに飛び入り参加させてくれるのは太っ腹だと思ったが、かねがねそういうものだろうなあ?」
首を捻り続けるこはくに助け舟を出すようにして斑の声が割り込んだ。
〝ほんならここ座り?〟とこはくが促せば、いつも編まれている髪を下ろした無防備な姿の斑が隣に座る。〝お邪魔しまあす〟と甘い声で呟いて。
『いや違う違う!!』
『違う、そうじゃない
……』
『どうしたの距離感』
『仲良し嬉しいけど!』
『びっくりした』
『距離近いよぉぉ!!』
もはやコメントが途切れることはない。こはくの今までしてきた個人配信でも当然好意的なコメントは多いが、ここまで流れが速いのは初めてのことだ。こはくは目を丸くして画面を覗き込む。
「ほっほう
……みんな、わしと斑はんが仲良くしてるのが以外なんや?」
『ほっほう
……』
『ほっほう』
『口癖ぇぇぇ
……』
流れるコメントに割り込むようにして、再び斑の声がする。
「ほっほう?」
『わーーーー! きた!!』
『絶対わざとwww』
『ありがとうママー!』
「あれだなあ? メンバー同士の距離が近いと〝結婚した〟ってやつだなあ! ははは!」
「そうなん ほな、まぁ
……めでたいなぁ?」
こはくは再び首を捻ってから画面に向き直る。斑は隣で面白そうに笑ってから、少し歪んだスタンドの角度を直した。
『えっ』
『え!?』
『否定しない!?』
『ウケる』
『いや嬉しいけどおおおお!』
『おめでとう!』
『Double Face、結婚!!』
『こはくくん、斑くん、病める時も健やかなる時もその命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?』
「えっ
……ああ、誓いま、す?」
『えええ!?』
「誓うわ。そらそうや、大切なお人やし。斑はんは?」
「ええ
……いやあ
……まあ
……誓っておこうか。こはくさん、愛してるぞお☆」
今度こそスマートフォンは故障したのではないだろうか。そう錯覚するぐらいのコメントとハートが画面を埋めつくし、まるで事態を飲み込めないという顔で、こはくは笑みを浮かべた。
隣の斑の耳が赤いのは、そう。風呂上がりだからだ。きっとそう。こはくの頬が赤いのも同じだ。同じなのだ。
「ほ、ほんなら、今日はこんな感じでええかな。髪全然乾かしてないし
……質問も
……なんや全部がぐたぐだになってもうて堪忍な。けどDouble Faceのこと好きな子がこんなにおって嬉しいわ! これからもよろしゅうに♪」
こはくが告げればハートが増え、
「ほら、斑はんも最後なんか言い?」
隣を見やれば再び増える。
「みんなああああ!! ありがとう!!」
赤い顔で斑が叫ぶ。顔の前で大きく両手を振りながら。あまりに元気なその声で。
「こはくさんと愛し合って助け合って比翼連理で生きていくぞおおお!! では! おやすみなさああああい!」
「
……ん、そういうことじゃ。ほな、またな。みんな、おやすみなさぁい!」
こはくも右手を降って、五秒ほど経った頃に画面は暗転した。
熱かった部屋に静寂が訪れる。少しだけひやりとした斑の声が、隣のこはくの耳を射った。
「
……君、ちょっとサービスが過ぎるんじゃないかあ? わかっててやってただろう、あれ」
「言えた義理か」
斑につられたように温度を下げたこはくの声。
「ああでも言わないとこの場が落ち着かないだろうからなあ」
そして流れた少しの無音の時間。こはくの唇が迷い、それが徐々に音を形作る。
「
…………不仲っち、思われたままよりええやろ。そんなこと、思われたないし」
それきり下を向いたまま、こはくは唇を噛んだ。こはくには珍しい表情だった。斑も黙り、こはくの隣で神妙な面持ちで固まったまま。然る後、その手でこはくの熱い耳に斑の指が触れる。顔を上げるこはく。そしてまだ火照った斑の頬にこはくの指が触れる。
切なくて寂しくて、うら悲しくて、それなのにあたたかくて優しい沈黙。
「俺も、
……くやしくないわけじゃない」
顔をくしゃくしゃにして斑が漏らした言葉。唇を噛み締めたこはくの顎に独特の凹凸ができる。寄せた眉間の皺は二人とも。泣いてしまいたいぐらい切なくて寂しくて、うら悲しくて、それなのに確かにここにある、あたたかくて優しい。その感情と、その表情。
「
……斑はんがそう言ってくれるだけでも、ほんまは充分なはずなのにな。
……欲張りになってもうたわ。あかんな、子供の駄々やわ」
こはくはそう零して笑った。微かに瞳を潤ませて。
成長するために、誠実であるために、誰かの愛に応えるために、そうして一人ひとりで立つことを望んだのは事実だ。しかし離れたかったわけではない。両立する相反した感情を抱えて蓋をした。その気持ちを、誰かが知ってくれたら。重荷になる、しかし互いの勇気でもあるそれを、誰かが、例えばファンが
――一緒に背負ってくれたら。
「もう
……ファンの子ら、みんな不仲なんて思ってないっち信じとる。それに、わしらのこと、信じてくれてるっち思いたい。申し訳ないとも思う。
……ほんまは、ほんまは重荷なんぞ背負わせなくないけど
……その分、なにか、返したい。やり方は、
……ぜんぶ、間違っとるかもしれんけど」
こはくの切々とした声を耳に、斑の瞳も水をたたえ、悔しさとやりきれない気持ちと共に滲み出た。
「少しでも、わしと斑はんのことを知ってほしいっち願うんは、わがままやろか。許してほしいなんて言わん。
……今更やけど、ファンの、子らと
……わしらと、
……もっと話したかった」
「
……こはくさん」
「堪忍な。勝手に、
……わしのわがままで、ぬしはんは
……斑はんはわしの相棒で、わしのもんで、Double Faceは大切な居場所で、相棒は世界で一番大切なお人やっち叫びたくなったんよ」
子供のわがままのようでいて半人前の決意のようなその真っ直ぐな言葉は、少しずつ二人の体温を上げる。
どうしていいかわからない。
そのまま不器用に、噛みつくように唇が重なって、瞳には悲しみの色と情欲の色が同居する。
悔しい、悲しい、好き、大切
――言葉にすれば陳腐なそれを胸につかえさせたまま、二人の隙間がないぐらい、きつくきつく強く強く抱き合った。抱きしめる力と想いの強さがイコールであるなんて、子供じみた思考が、今は正しかった。
悲しみも罪も愛も業もなにもかもを貪って、抱き合って、泣いて、弱いところをぶつけ合って、やがて二人で泥のように眠る。
朝起きたら、楽しい、あの配信のコメントやSNSの感想を見るのだ。二人を歓迎してくれるこの瞬間を確かめるのだ。喜んで迎えてくれた、その笑顔を想像できるほどの熱量を
――本当はライブで浴びたかったけれど。
楽しい、楽しい、煌びやかで眩しくて尊い、何物にも変え難いあの瞬間を、ふたり、夢に見た気がする。
またいつかを願う、その夢を抱いて。
fin.
こは斑ワンドロワンライ
【癖】【お風呂】【配信】
60min+20min
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