私は今でこそ劇作家を名乗っているが、その昔は宮廷詩人だった。当時はまだ姫殿下であらせられた王太后様のお側で楽器を奏で、詩を歌っていた。あの頃の王太后様は常に思い詰めた顔をされており、私は己の音楽がかの御方の慰めになるならばと、日々研鑽を続けていた。
起こるかに見えた大厄災が不発に終わり、その後成し遂げられた魔王討伐を期に、当時即位されたばかりの国王は『暗中の日々を耐え忍んだ民に娯楽を』と城下町に劇場を作られた。そして息女である姫殿下は『あなたの音楽をもっと多くの人に知ってほしいのです』と、私をその劇場専任の音楽家に任命してくださった。
最初は不服であった。姫殿下の御為に磨き上げた手腕を、何処の誰かもわからぬ不特定多数に振る舞いたくなどなかったのである。
しかし私の作り上げた楽曲を聴いた多くの人々は、笑い、涙し、拍手を送った。そんな民の喜ぶ顔を、姫殿下はどんな宝石やドレスよりも好まれる。私は姫殿下の笑顔のため、民が楽しめるものを作ろうと思うようになったのだ。
気がつけば、私は音楽だけでなく脚本や振り付け、衣装、大道具小道具までに目を配る劇作家である。これまで数々の芝居を手掛けてきたが、そろそろ引退する歳となった。ここらでひとつ大きな作品を作りたいものだと思っていたところ、王太后様から会いたいとのお手紙をいただいた。
もうじき到着するはず。
窓を見やれば、飾り気のない馬車が玄関前に到着していた。既に政治の第一線から退いた王太后様だが、その栄誉と名声は未だ広く王国中で知られている。豪奢な馬車での移動は、乗っている人間の写し絵を貼っているようなものだ。
私は五線譜とのにらめっこを中断して、階下へと向かう。玄関の扉を開けると、聖なる空気を纏った御方が凛とした様子で立っておられた。
「久しぶりですね、カーラン」
「お久しゅう御座います、王太后様」
「そう堅くならなくて良いのですよ。昔のように、ゼルダと呼んでください」
にこやかなゼルダ様を古臭いこの館にお通しするのは、どうも気が進まない。しかしゼルダ様は『私が貴方に用件があるので』と、こちらへの訪問を希望されたのだ。私はゼルダ様を客間へ案内した。
「日当たりの良い、素敵なお部屋ですね」
「恐縮にございます。ゼルダ様、紅茶でよろしいでしょうか?」
はい、とゼルダ様は微笑んで、花柄のクッションが敷かれた椅子に座る。紅茶を淹れているところを見つめられている。その柔らかな視線を背中に感じて、この歳になっても心が舞い上がりそうになった。
差し出したのは愛らしい姫しずかが描かれた陶器のティーカップ。温かな琥珀色のさざ波が揺らめく様をご覧になり、「まあ」と更に顔を綻ばせた。
「アッカレ産の良質な茶葉を使った紅茶です。どうぞ」
「ありがとう」
私はゼルダ様と対面する形で座り、「それで」と本題を切り出した。
「此度は、一体如何されたのでしょうか」
ゼルダ様は紅茶を一口啜り、穏やかな春の陽射しに照らされた館の庭に目を向けた。
「……私も、もう随分歳を取りました。そろそろ女神様からのお迎えが来ることでしょう」
「そんな! 悲しいことを仰らないでください!」
私は批難するように勢いづいて立ち上がった。しかしゼルダ様は冷静さを失わず、空を見上げるばかり。
「いいえ、仕方ないことなのですよカーラン。私たちは皆、いつか終わりを迎えるのです」
否定できない。ゼルダ様の仰ることは、生命の理。生まれた以上は死なねばならないのだから。反論できずにいたら「……けれど」とゼルダ様は私を見る。
「後世に語り継がれれば、終わりは無く、永遠になる。そうは思いませんか?」
劇作家である私は、その考えに同感だ。頷いて答える。私は埃を被った多くの神話や古典を引っ張り出し、当世流にアレンジを加えながらもあらゆる舞台に仕立て上げた。長い歴史と文化を、次の時代に伝えることができるであろう。
「そうですね。……では、ゼルダ様は芝居にしたい物語があるのですか?」
「えぇ……忘れてはならない、実話です」
翡翠色の瞳が鋭くなった一瞬、赤い光が鈍く輝いた。見間違いかと思い、瞳を覗き込むとそこには何も無い。老いたこの眼が、ゼルダ様の瞳へ勝手に補色を継ぎ足したのだろう。
「どういった実話でしょうか?」
「……貴方は、大厄災の不発と魔王討伐を覚えています?」
「勿論にございます。しかし私は非戦闘員故、カカリコに下がるよう命がくだりました。王城で何が起こったのか、仔細は何も」
「そういえば、そうでしたね。……やはり、『彼』に頼むべきかと」
ゼルダ様がお声を小さくされた。まるで私以外の誰かと会話をしておられるよう。けれどこの部屋にいるのは、二人だけ。
では、一体誰と話を?
「あぁ、お前の見立ては間違いなさそうだ」
ゼルダ様の口から、どう考えても女性の声ではないものが流れてくる。それは低く地を這うようで恐ろしい。しかし堂々とした確固たる自信を感じた。言うならば、王の貫禄。
「小娘、やはりお前は見る目がある」
燃えるような長く赤い剛毛。濃厚な茶を思わせる肌色。私やゼルダ様を遥かに凌ぐ長駆。獅子の鬣が如く凛々しい眉、その下にある爛々とした金色の瞳。身に付けた藍色の鎧と、その下に隠れているであろう隆々の肉体。勇ましい益荒男、そんな印象を受ける人物。
それが、ゼルダ様の背中から、脱皮する蟹の如く伸びやかに姿を現した。
ゼルダ様は優雅な姿勢のまま椅子の上で目を閉じている。まさかと思い、私は思わず立ち上がる。そんな私に、靄のように浮遊している男は「案ずることはない」と声をかけてきた。
「少しばかり休ませてやってくれ。我をここまで運んだ故、疲れておるのだ」
「……貴方は、一体」
男は両腕を組むと、躊躇なく空気に背をもたれる姿勢になった。その横柄な態度にやや苛立ったが、それすら掻き消してしまうほどの覇気も同時に備えている。
「我が名はガノン。元『厄災』だ」
「厄ッ……!?」
厄災。太古の昔から、復活する度にハイラル王国を危機に陥れてきた怪物。そんな危ないものが、何故ゼルダ様と一緒にいるのか。私は目の前の男を睨みつける。すると彼は鼻で笑った。
「そんなに警戒するな、『元』だと言っただろう。それに、大厄災が不発に終わったことを、お前も知っておるではないか」
「……確かに」
思いの外、厄災が冷静な語り口だったもので、私はつられてしまった。だが、彼の言葉は間違っていない。
数十年前。予言されていた大厄災が起きなかったため、復活すると目されていた厄災ガノンは消滅したと考えられていた。しかし彼はここにいる。その間、災いを振り撒かずにいたということになり……何より、ゼルダ様と知り合いの関係にあるのだ。
「お前に、大厄災の不発とその後の魔王討伐における秘密の話を伝えたい。そしてそれを、芝居という形で後世に残してほしいのだ」
「秘密の話?」
「そうだ。誰もが知っている事件の、誰も知るはずのない秘密の話を」
世界とは、多角的だ。それこそ人の数だけ世界があり、人の数だけ真実がある。これよりこの元厄災が口にする物語は、きっとその中の一つだ。
それが舞台となった時、一体どれほどの人の心にどんな形で『新しい真実』が投影されるのだろう。私は、大いに興味を唆られた。
「面白い、聞かせてくれ」
私は前のめりになってテーブルの上に両肘を乗せ、組んだ手指の上に顎を乗せる。彼は満足そうに微笑み、どこか安堵したように語り始めた。
✽✽
「頼む、私を殺してはくれぬか」
深い深い地下の、がらんどうの空間に、震えがちな声がこだまする。声の主は、爪先まで覆い隠すローブを纏い、それに縫い付けられた頭巾で顔を隠していた。姿形はわからないが、怯えながらも頑なに真っ直ぐな声は男のもの。
彼は、がらんどうの地下空間に巣食う、巨大な肉塊を前にしていた。自分の背丈を遥かに凌駕する、不気味に脈動を繰り返す『其れ』は、意思のある生物には見えない。彼は息を呑み、もう一度声を張り上げた。
「厄災ガノン、どうか、私を殺してくれ!」
反響するのは自分の声だけ。目の前で叫んでいるのに届いてすらいないのか。彼は不甲斐なさから、歯ぎしりした。
「聞こえておる」
ひどく気怠そうに、肉塊の中からスルリと一人の男が抜け出してきた。まるで幽霊のように、通り抜けて現れたのである。顔も身体も隠した彼は、自分よりも背丈のある亡霊と似た男を前に、やや後ずさった。しかしそのあとは、食いつくような勢いでズイッと迫る。
「聞こえていたならば、さっさと返事をせぬか!」
「人にモノを頼む時は顔を見せよ」
大柄なその男が腕を組んで正論を突きつけてきたので、顔を隠す頭巾から歯ぎしりの音を漏らしてしまった。仕方なさげに、彼は素顔を晒す。
色白な、ともすれば不健康に見える顔の肌艶。夜明け前の西の空に似た色の髪は長く、一本のおさげに結われている。更に前髪の生え際からは三つ編が、鼻筋を通り、痩けた頬を通過して、左耳の下に向かっている。髪と同じ色をした二つの眉は、その間に悩ましげ溝を作る。そして何より特徴的なのが、トパーズのように黄色い瞳だった。瞼の上に引かれた紅色のアイラインですら、宝玉の思わせる双眸の引き立て役に過ぎない。
「……して、何故我に殺されることを望む? 死にたければ、勝手に死ねば良いではないか」
「自ら死ぬより、厄災たるお前に殺されて大厄災を防ごうと思ったまでだ。それが唯一の、私に出来る奉仕だと……」
厄災は片眉を吊り上げる。地上ではいつからそんな話になったのか。自分が人っ子ひとり手にかけるだけで、満足するとでも思われているのが笑えてくる。
「ハッ、我がお前のような貧相な人間を殺して、国を狙う欲が満たされるとでも? 馬鹿も休み休み言え」
彼に背を向けると、悔しそうに息を噛み殺す音がした。だが次の瞬間、出任せとしか思えない一言が、厄災の広い背中に刺さる。
「良いのか? 私は、王家の血を引く人間だぞ」
続く
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