Nagisa_burn
2025-05-04 15:22:13
2350文字
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他愛ない夜をきみに

『遥かな家路』頒布時に先着でつけていたペーパーです。本編より十年くらい前の時間軸の、パラレルワールド世界の浦原さんと一護くんの話です。

自宅の近くまで戻ってきたところで、浦原は扉のそばで膝を抱える子どもの影に気づいた。自然と小走りになりながら、巻いていたマフラーを外す。吐いた息が白く染まり、街灯に照らされてうすく凍った。
「一護サン」
オレンジ髪に積もった雪を払い、マフラーを巻いた。声をかけて頬を包むと、白んだまつ毛がふるりと震えて持ち上がる。大きな琥珀色の瞳が現れて、何度かぱちぱちとまばたきを繰り返した。
「鍵、持ってるでしょ。なんで使わないの」
……帰ってくるの、待ってようと思って」
「ったく、こんなに冷えて。風邪引きますよ。斬月サンは?」
…………いない。今日も白とどっか行ってる」
…………まったく、揃いも揃って」
託児所じゃないんだけどなァ、と独りごちながら子どもの手を引いて立ち上がる。小さな手のひらは真っ赤だった。ぎゅっと握りしめると弱い力で返される。片手で鍵を開けて家の中に入れば、何度も来ているというのに一護は玄関で立ち尽くした。相変わらず、言われなければ靴も脱がない。
「ほら、シャワーでも浴びてあったまってきてください。温かいものを用意しますから」
……うん」
「甘いのがありますよ。期待しておいで」
うなずいた子どもが脱衣所に向かうのを見届けてから、浦原はコートを脱いで息を吐いた。首を掻き、冷蔵庫を開ける。ミルクと蜂蜜、それからチョコレートがあるのを確かめてからエプロンを取り出した。


子ども用のパジャマは脱衣所の戸棚に常備されている。必要かもしれないな、と思ってから、必要だな、に変わるまでさほど時間はかからなかった。月に一度のお泊まりならまだしも、最近では週に一度、多ければ三度の時もある。それに伴い、掃除洗濯の頻度も増えた。これについては、友人からは「いい傾向やんけ」と言われている。
「あったまりました?」
「うん」
「ご飯は? もう食べました?」
「食べた。冷蔵庫に、作りおきがあったから」
「そッスか。それじゃあ、ハイ」
耐熱のプラスチックカップを渡す。タイミングを見て作ったのでまだ湯気を立てるそれを覗き込んだ目がきらきら輝いた。今日のホットチョコレートは、ほんの少し豪華に焼きマシュマロ付きだ。といっても、普段使いのライターで炙っただけのものだが。
「座って飲みなさい。気をつけて」
「うん。ありがとう」
両手でカップを持ち、ソファに座った一護がふうふうと息を吹きかけながら口をつける。頬には血色が戻り、震えている様子もない。大人しく飲む一護を横目に、浦原は手早く洗い物を片付けてゴミをまとめた。あんまり放置すると、頼んでもいないのに一護がやってしまうのだ。まるで、そうしないとここに居られないと思っているかのように。
「ボクも飲んじゃおっかなァ。ね、そっち寄ってください」
「喜助さん、甘いの好き?」
「そこそこですかね。たまに口にしたくなるくらいで、常飲はしませんけど」
「じょういん」
「いつも飲むわけじゃない、ってこと。煙草のほうが好きなんで」
「体に悪いよ」
「アハハ、お気になさらず。今更ですし」
まだ湿り気の残る髪を撫でる。くすぐったそうに笑って、一護はホットチョコレートをスプーンでぐるぐるかき回した。マシュマロが溶けて伸び、見えなくなる。
「あのね、今日、これ持ってきたの」
「うん?」
「ちょっと、しなしなになっちゃったけど……
外にいた時から抱えていたカバンの中から取り出されたのは、小さな切り花でつくられたブーケだった。無理に押し込まれていたせいか、花びらが萎びている。カラフルなパンジーとアネモネが、紫を基調としてまとめられていた。
「へえ、綺麗ッスね」
「喜助さんにあげる。ここ殺風景だし」
「モノは多いでしょ」
「散らかってるって言うんだよ。俺あとで片付けるからね」
「一護サンはそんなことしなくていいんスよ。……ウチに花瓶なんてあったかなァ」
仕事で多少扱うとはいえ、浦原は花には疎い。葬儀の時に使うものはただの備品としか思っていないし、ましてや思い入れなんてものはなかった。けれど流石に、これには心を割くべきだろう。
切り口が少しがたついたブーケを一旦置き、手頃な瓶を探す。あったかな、と言いつつも、花瓶なんて洒落たものがこの家にないことはわかっていた。唯一目についた、インスタントコーヒーの空き瓶の丈夫さを確かめてこれでいいかと水洗いする。
「完成。一護サン、上手ッスねえ」
……ほんと?」
「ほんとほんと。真白サンと斬月サンが帰ってきたらおふたりにも見せてやってください、きっと大喜びしますよ」
……そうかな。そうだといいな」
「ええ」
ちいさく笑って、一護はホットチョコに口をつけた。照れているのか耳が赤いが、指摘するのは野暮だろう。もう一度頭を撫でる。こぼれるよ、と弱く抗議する一護の声音は弾んでいた。
「花があるだけで文字通り華やかッスねえ。この調子で成長して、ボクの葬式でも腕を振るってくださいね」
「お葬式にはこういうの使わないんじゃない?」
「じゃあ、ボクのは特別製ってことで。約束ね」
……じゃあ、俺がつくるけど、長生きしてよ」
「え〜? うーん、じゃあ善処します」
細い小指と、己の指を絡める。ゆびきりげんまん、とぎこちなく歌う一護にその旋律を教えたのは、浦原でも斬月でもなく今はもういない両親だ。確かに残る情のかたちをぼんやり眺め、ふやけた口もとを引き結ぶ。
「指きった! 嘘ついたら針千本ね」
「お任せッスよォ。一護サンもちゃんと長生きしてくださいね」
「うん!」
甘い香り、花の匂い、雪の静けさとぬくい体温。それらを抱え、冬の夜が更けていく。
いつか彼方に至るまでの、なんでもない一日のことだった。