すらっと綺麗な指が煙草を挟み、薄い唇に咥えて静かに息を吸う。数秒で離して、少し開いた口からふぅと吹き出された煙はすぐに空気に溶けて消えた。
Aporiaの入っているビルの裏手、非常階段から降りたところにあるゴミ捨て場の横にはビルの人間だけがこっそり使っている喫煙スペースがあった。喫煙人口が減った今は、一階の店舗の人間が気を抜いて休憩する姿を見かけることの方が多い。
美しい横顔で数回その仕草を繰り返した後、パチッと瞬きをして視線をこちらに向けた由鶴は、非常階段に立つ俺を見つけてこぼれ落ちそうなほどに目を見開いた。すぐに灰皿に煙草を捨て俺の元へ駆け寄ってくる。目の前に立つとふわりといつもと違う匂いが香った。
「お、お疲れ様です、逢さん。今日出勤してたんですね……? ゴミ捨てですか?」
「ああ。……やめてなかったのか?」
「やめてます。今のは、……すみません」
「俺に謝らなくてもいいが、何か吸わなければいけない事情があったなら聞く」
「……」
「吸いたくて吸ったのなら、……もう、吸うな。他のことで発散しろ」
「……ごめんなさい」
「怒ってない」
本当に怒っていないかと聞かれたら、怒っているのだけれど。
Aporiaに連れてきてすぐ、由鶴はそれまでヘビースモーカーだったことが嘘のようにスッパリと禁煙をし、それ以来どんなに忙しい時でも煙草を吸っている姿は見ていなかった。どうして今さら、と、問いただしたくなる。仕事上に置ける煙草の利用価値も分かってはいるけれど、どうしたって体に有害なものだから。
「……煙草はまだ残っているのか」
「はい。もう捨てます」
「出せ」
「……はい」
由鶴がポケットから出した煙草を受け取り、箱から一本取り出す。全く吸ったことがないわけではない。ただ、おいしいとも思わないし他と比べてより頭がスッキリするとか、そういうことも俺は感じなかった。付き合いで仕方なく吸ったことはあるけれど、思えばAporiaに来てからそんな機会もなかったか。
「ライターも貸せ」
「え、逢さん」
「ん」
「吸うんですか……?」
強く言わなくても由鶴は俺の言うことをすぐに叶えてくれる。もらったライターを手の中でくるりと回し、それにまだオイルがたっぷり入っていることに小さく胸を撫で下ろした。本当にたまたま、今日この一本を吸っただけなのかもしれない。少なくとも煙草は箱から一本しか減っていないし、ライターも買ったばかりのほぼ新品だった。
非常階段を降りきって持っていたゴミ袋をゴミ捨て場に放り込んだ後、俺は灰皿の側に立ち独特の匂いに顔を歪めてから煙草を口に咥えた。俺が置いてきた場所で呆気に取られていた由鶴はハッとして俺のところへ飛んで来て、俺がライターの火をつけるより先に咥えた煙草を奪い取った。
「だめ、逢さんは吸わないでください」
「……どうして」
「どうしても。……あなたがわざわざ汚れる必要なんてないです」
「俺はおまえにもそう思うよ、由鶴。抱えきれないストレスがあれば煙草を吸う前に教えてほしかった、口寂しいならいくらでも付き合う。だから、もう吸うな」
「……俺は、汚れたって、べつに」
「いやだ。俺が嫌だから、おまえも汚れるな。健康なまま長生きしてずっと俺のそばにいろ」
「……ずっと?」
煙草を吸っていた時の危険な美しさは幻だったのか、由鶴は迷子の子どものようにあどけない顔でそう呟いた。手を伸ばしてその頬を撫で、ちょんと鼻先を触れさせて「あぁ、ずっと」と囁き声で返す。重ねた唇は苦く、すんと嗅いだ香りもいつもの由鶴ではない。由鶴にほんの少しだって汚れてほしくないと思うのは俺のエゴだけれど、由鶴だって同じ思いを抱えているなら好きに思っていいはずだ。俺は、おまえが自分を傷付けることを許さない。
「ごめんなさい、逢さん。もう吸わないです」
「わかったならいい。もしどうしても吸いたくなったら俺に言え」
「逢さんに?」
「今日みたいにまた吸うフリをして脅してやる。おまえが吸うなら、俺も吸うからな。俺を汚したくないのならおまえも汚れるな。いいな?」
「……もう二度と吸いません。絶対に」
「それと、……うがいをしてきてくれ。ちゃんとキスがしたい」
「あぁ、今すぐに。ごめんなさい、おいしくなかったですよね。本当に煙草っていいことがない……」
ついさっき煙草を吸っていたやつとは思えない口調でそう言って、由鶴は俺の指先にキスをして階段を駆け上って行った。俺も煙草の匂いが染み付いた場所から離れ、ゆっくりと由鶴の後を追う。
由鶴は約束を守ってくれるだろうか。隠れて吸う可能性が全くないわけではない。必要ではないことを俺に言わずに隠し通すことができるやつだから、本気で隠そうと思えばいくらでもやりようがあるだろう。一緒にいない時に吸わないかどうかは由鶴次第だ。
しばらく、顔を合わせるたびにキスを仕掛けてみようか。触れれば吸ったか一発で分かるだろう。事務所で待っていると由鶴が後から戻ってきて、誰もいないことを確認してから俺に近付いた。キスをしたらやっぱりいつもと少し違う味がしたから、このチェックは有効かもしれない。舌は絡めずに唇を離せば由鶴は悲しそうに瞳を潤ませる。
「……今日だけ、許す。後でコーヒーを入れてくれ」
舌先に感じる苦味に目を瞑り、そっと舌を絡ませた。
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