荒野ハチ
2025-05-03 18:42:40
3420文字
Public 小話
 

その手が開く明日は

二人の結びつきに針は必要なし

風呂を済ませ、宿題を片付け、歯も磨き終えた。
あとは寝るまでの自由な夜の時間
まだ見ぬ物語の続きに期待を膨らませながら、読みかけの本に手を伸ばすいつものルーティン
……の、はずだったが

「あ、忘れてた」

普段のルーティンから外れた僕の行動に違和感を覚えたのだろう
同じ部屋で身体を休めている神造魔人が不思議そうに僕の方を見る

「少年。どうした」
「うん。制服のボタンが取れかけてたんだよ」

上着の一番下のボタン
最も衣擦れしやすく、故にボタンが取れやすい場所である。
引き出しから簡易な裁縫セットを取り出し、迅速に作業に取り掛かる。
早く済ませていつものルーティンに復帰しよう
本の続きが気になって仕方がない

初めて見る僕の行動に興味津々なのだろう
神造魔人が近くに寄ってきた

……気になる?」
「非情に」
「あまり顔を近づけたら危ないよ?」
「気をつけよう」

取れかけていたボタンの糸をプツッと切って一度取り外した後、
小さい針穴にサッと糸を通し、チクチクと改めて縫い付ける。
指先で細々と、だがしっかり着々と進められていく仕事を
神造魔人が横で腕組みをしながら「見事なものだ」と感心した様子で見守っている

「鍵盤の指使いもそうだが、君は手先が器用なのだな」
「ボタン付けくらいなら大したことないよ」

制服は一般的な衣類に比べると布が厚く硬い。
簡単に外れないようしっかり玉結びし、糸を切って仕上げた

「そうか。ならば、私にもできるだろうか」
「うん。きっとアオガミにも……。いやどう、だろう;;」

そこは是非肯定してあげたかったところだが
神造魔人の手を見て、それは難しそうだなと感じた。
手のひらは広く指は太い。非情に男らしく逞しいアオガミの大きな手だが、
そんな彼の手では針を持つことがまず困難かもしれない

「アオガミの手だと針が持ち辛いかも」
「手か
「持ってみる?親指と人差し指で挟むようにしてね」

そーっと、先程まで自分の指先で仕事をさせていた針を神造魔人に渡す。
彼が指で針を摘んだ感覚を確かに感じた上で指を離した……が___

「あっ」

針が二人の指の間をすり抜けてしまった

「っ!」

神造魔人が咄嗟に反応し、床に落ちてしまう既のところで
その針を大きな手の中に収めた

「よかった。落として万が一見失ってしまうと危険だ」
「え……えっ? アオガミ!?手大丈夫!?」

彼がゆっくり拳を開くと
彼の丈夫な外皮装甲と怪力に完全敗北し、
針先が折れてS字状にしっかりひん曲がった縫い針が転がっていた
人間の手だったらこうはいかない

「わ、わぁ……;;;」
「すまない少年 これではもう使い物にならないだろう
「いいよ針なんて予備もあるし!それより、アオガミが怪我してなくてよかった

もはや針とは言えない物体を指で摘む。
まるで見たことないそれの、見事な波形に暫く感心していると
横で神造魔人がじっと自分の手を見つめたまま固まっていることに気が付く。
また真剣に何かを考え込んでいるようだ……

……私のこの手では不可能なのか」
「不可能っていうか、少し難しいだけだよ。やってみたいの?裁縫」
「君の手伝いができればと」
「ボタンなんてそうそう外れないから」

お裁縫するアオガミ。ちょっと見てみたくはあったが、
理由が彼の単なる興味からでなく僕にあるのなら
そのスキルを無理に習得する必要はない。
自分でできることは自分でしていけばいい

……この手は」
「ん?」
「英雄型神造魔人アオガミたる使命を全うするための手。つまり、戦い、傷つけ、標的を殲滅する。
それは私という存在に望まれたものだ」

手元の、針だったものに再び視線を落とす
それは彼の持つ力の凄まじさを音なく伝えてくる

以前、日本支部の研究員から神造魔人の、特にアオガミ型について詳しい話を聞いた。
彼は日本の窮地を武力を以て救うことを目的に造られた型式の神造魔人だということ。
彼が今話した通り、その手もその身も、アオガミという存在そのものが“そうあること”を期待されて造られたのだと
手元のこれは、それがただ素直に発揮された結果だ

アオガミと共にダアトを歩いてきて、その力を最も近くで目の当たりにしてきた僕だ。あの話は素直に納得できた。
けれど、誰よりも近くでアオガミのことを見てきた僕だからこそ、そればかりじゃないってことも知っている。
あの日ダアトに放り出された僕が、今日の今までこうして無事にいられたのは
その力が、戦うことのためだけに使われてきたものではないからだ

「確かに、周囲から期待されているアオガミはそうかもしれないけど」
……
「僕は知ってるよ。アオガミの手は、戦うためだけにあるんじゃないって」
「それは


「この手は、僕を守ってくれるものだから」


神造魔人の大きな手を両手で包む
装甲を通して、人並みの彼の温もりがじんわり伝わってくる……
僕はそのまま彼の手を自分の顔へ導き、頰を擦り寄せた

大きく、強く、逞しく、桁外れの怪力を備えているこの手は、
僕に触れる時だけは温かくてやさしくて、実はほんの少しだけ臆病なこと
これはきっと、僕以外の誰も知らない事実だと思う

「そうでしょう?」

己の手を好き勝手されながら
目を見開いてややキョトンとした表情でこちらを見ていた神造魔人は、ゆっくり目を細めて

「ああ。そうだとも」

低くて厚みのある、優しい声で答えた。
すると、それまで僕に好き勝手されていた大きな手が、
今度は意思を持って僕の頰をそっと撫でる

「ん……

温かくて気持ちがいい……
つい先程、縫い針を握り潰してむちゃくちゃにひん曲げるという怪力を発揮したとはまるで思えない、優しい手使い
もっとと言わんばかりに、僕もその手に頰を寄せる

「君が
「ん?」
「私の手をそのように感じてくれていたのなら、
縫い針一つ満足に扱えなくとも、戦う目的のために造られたものであっても決して悪い手ではないな」
「うん。僕のお墨付きだからね?」
「実に誇らしい」

僕だけが知るアオガミの手のこと。寧ろ僕だけが知っていればいい。
この優しい手は僕だけのものだと、誰に示すわけでもないけれど
頰に添えられた大きな手のひらに口を寄せ
ちゅっと小さくキスを落とした

「僕、大好きだよ。アオガミ……の手」

彼の手を頰から離し、代わりに自分の手を絡める__
自分の片手では十分に包めないほど一回りも二回りも大きな彼の手も
それに応えるようにこちらの手を包み込む

照れくさい気持ちが邪魔して余計な二文字を付け加えてしまったな
やや悶々と考えながら、そうして先程の自分の発言を振り返っていると
だんだんと恥ずかしさがこみ上げ、顔に熱が籠もっていく

「私も好きだ。少年

神造魔人の言葉が追い打ちをかけ、顔だけでなく全身が沸騰したようにカッと熱くなる。
もう何度もその気持ちを確かめ合ったはずなのに、
彼の真っ直ぐな言葉には未だに全くと言っていいほど抵抗力が無い

待って。それって僕の手のこと?それとも僕自身のこと

それこそわざわざ確認する必要なんて無い僕たちの関係だけれど、
彼がくれるこの胸の高鳴りだけは、いつまでも色鮮やかなまま持ち続けていたい。
こうして傍にいられることが当たり前になってしまわないように、
二枚の布が擦れてほつれていく、ボタンのような関係にしてしまわないように。
ずっと、絆という糸で強く結ばれていたい……


神造魔人の顔を見上げ、ゆっくり目を閉じる__
その意図が正しく伝わったのだろう
僕の身体が、彼の大きな手にしっかりと支えられ、そして抱き寄せられていく感覚を拾った
彼もまた、僕と同じ気持ちだと答えるように優しく髪を撫でる

そうしてお互い、その気持ちも願いも改めて確認し合った僕たちは
目の前の愛しき者を繋ぎ留めるように
唇を重ねた


二人が創る静寂の世界の中を キィン…… と
針のようなものが床に落ちた音だけが
小さく響いた____


夜も更け、消灯の時刻が近い
結局いつものルーティンには戻れなかったけど
読みかけの本の続きよりも、今は
このキスの続きを知りたいんだ

🪡