紫輝
2025-05-03 08:42:07
6864文字
Public リオヌヴィ
 

嵐来て 恋の花咲く

秘境で記憶吹っ飛ばしたヌ様に「本能が貴殿をつがいだと言っている」って訪ねてこられてめちゃくちゃに動揺する絶賛片想い中のセスリ殿の話です。
当日セスリ殿から心尽くしの愛の言葉を贈られて食い気味に「ふつつか者だが末永くよろしく頼む」ってうなずくヌ様はいるし「もう「つがい殿」って呼んでくれないのかい?」って笑いながら聞かれて顔覆って呻くヌ様もいますきっと。お幸せに!

 執務室の扉が訪問者の訪いを知らせる。
「入れ」
 来客の予定はない。大方何かしらの報告だろうと手は止めぬまま支給品のブーツが階段を叩く音を待つも一向に訪れないそれに首を傾げた。扉が開く音はしたから来訪者が入室したのは間違いないはずだが、と。
 自慢ではないが、メロピデ要塞は配属後の研修をしっかりと行っている。新人であろうと『公爵』への報告事項がある場合の手順と作法は頭に入っているはずだ。そういえば入室の際に聞こえてくるはずの声もしなかったな――思い至って、リオセスリは腰を上げた。入り口には看守が控えているが、“万が一”はここではいつだって起こり得る。神経を研ぎ澄ませ、いつでもその拳を振るえるよう肩の力を抜いて。
「マナーがなってないようだが、どちら様がお越しだい?」
 螺旋階段を下りて所在なさげに周囲を見回していた『訪問者』をその目に映し、
見つけた……!」
……は?」
 こちらを認めてぱあと表情を輝かせた『そのひと』に、リオセスリは困惑の声を上げることになった。

 嵐来て 恋の花咲く


「貴殿を探していたのだ。ヌヴィレット、という名に覚えはあるだろうか。同行していた少年が私をそう呼んでいたのでこれは私を表す名で間違いないと思う。生憎それ以外の情報が私には不足しているのだが、ひとつだけ確かなことがありこうしてここに来た次第だ。――貴殿は私のつがいなのだろう?」
 本能がそう言っている――自信満々に、何故だか少しばかり嬉しそうに微笑むヌヴィレットから齎された情報の量が多すぎて一瞬脳が動きを止める。このひとはとんでもないことを、というか、とんでもないことしか言っていない。同行していた少年、自らの名への反応、情報が不足している、その辺りから導き出されるのは『地脈異常の影響いつものやつ』もしくは『秘境探索時の副作用いつものやつ』だ。恐らく記憶に何らかの干渉を受けてきたのだろう。あの少年がこの状態のヌヴィレットを放り出すとは思えない。彼と別れてから発症したか、彼を振り切ってここまで来たか、そのどちらかだろう。一時的なものであれば良いが――と、頭の中央へ置くべき考えは残念ながら今現在隅に追いやられている。何故なら一発オーバーヒートも斯くやの爆弾を、ヌヴィレットが口にしてくれたからだ。
 彼の本能が。自分を。彼の。つがいだと言っている。
 冗談も大概にして欲しい。いやヌヴィレットが冗談を――このテのものであれば尚更――口にしないひとであることはよくよく知っている。言い方を変えよう。勘弁して欲しい。ちょっと待ってくれ。
「つがい殿?」
 瞬きも忘れ硬直していたところに心底不思議そうにかけられた五文字に、場合によっては訪問者改め闖入者に振るわれるはずだった右手でとうとう顔を覆った。本当に勘弁して欲しい。自分と彼はそんな間柄ではない。ないのだ。――十数年来、自分は彼に想いを寄せているけれども。
話すことがたくさんありそうだ。とりあえず、上へどうぞ」
 交換すべき情報の多さもそうだが、何よりこの調子のヌヴィレットと顔を突き合わせていては自分の足が駄目になりそうだ。うむ、と嬉しそうな、見たことのない笑みの眩さに目を眇めつつヌヴィレットを伴って上へ戻り、ソファに掛けてもらってポットに触れた手を一旦止める。
「ヌヴィレットさん」
「なんだろうか」
「話の供に紅茶を淹れようかと思うんだが、あんたは水の方が好みかな」
 ヌヴィレットの記憶の混濁がどういう状況なのか、現時点では不明だ。感覚は『龍』に寄っているのか、『人』に寄っているのか。前者であれば紅茶ではなく水を饗するべきだろう。幸いこのひとを迎えるときのために用意していた稲妻産の水が一瓶残っていたはずだ。リオセスリの問いかけに、ヌヴィレットは首を傾げることで答えてきた。
「紅茶、とは?」
 どうやら「そこから」らしい。ポットに触れていた手を横へ滑らせ、缶を持ち上げる。
「乾燥させた植物の葉を湯や水で煎じて飲む、人間の嗜好飲料のひとつだ。茶葉ごとの味の違いを楽しむ。甘さを足したり、ミルクを足したりもするな」
「なるほど。だからつがい殿は同じような缶を多数所持しているのだな」
 胎海を宿した瞳が興味深げに背後の紅茶棚を見つめるのに好物なんだと答えつつ紅茶缶へちらと目をやる。よかった、歪んではいない。
ならば、私もそれを『紅茶』を頂こう」
 急にくる二人称が心臓に悪すぎる、なんて思っていたら、こうぶつ、と四文字を転がしたヌヴィレットから追撃が来た。「貴殿の好むものを私も味わってみたい」、察するまでもなく浮ついた雰囲気でそんなことを口にされて、空気中に描いた『冷静』の文字をゆっくりと吸い込む。
「わかった、用意するよ。少し待っててくれ」
 口角はきちんと上がっているだろうか。どのみち無様ではあるだろうが、自分の動揺でこのひとを不安にさせたくはない。
 紅茶を淹れる行為はいい。茶葉やポットに向き合っていると自然と無心になれる。いや嘘だ。それはもう色々な感情で心の中は荒れ狂っている。一応補足しておくと悪感情はない。ただひたすら動揺していて、ちょっぴり喜んでいるだけだ。懐かれている自覚はあったが、好きな人(勿論恋情という意味で)をすっ飛ばしてつがい判定だったらしい。
 それならそれらしい空気の一つでも出してくれれば、とはなから行動を起こす気もない自分を棚に上げて考えて首を振る。多分昨日までのこのひとに自覚はなかったのだろう。案外わかりやすいひとだ。リオセスリに対する心情に何かしらの変化があれば態度に出るだろうし、真正面から「これは何だろうか」と聞かれる可能性だってある。それがなかったということは、つまりそういうことだ。まさか本能サマが三段くらいステップを飛ばしてくるとは彼も思っていなかったろうが。
「どうぞ。これが紅茶だ」
 癖と渋みの少ない茶葉を選んでみたが、お気に召していただけるだろうか。
 頂こう、と、わくわくしたようにカップに唇を寄せたヌヴィレットは、ぴくりと肩を震わせて紅茶へ目を落とす。
「その私は貴殿の名すら聞いていなかった。差し支えなければ、名を尋ねても?」
 唐突に問われて、口に合わなかっただろうかと思わず膝の上で拳を握っていたリオセスリは首を傾げた。それから思い至る。初めて聞いた二人称が衝撃的すぎてその辺りが全て吹き飛んでいたことに。
「そういえばそうだったな。改めてうーん、今のあんたとは初めましてかな。リオセスリだ」
「リオセスリ殿。そのつかぬことを聞くが、私は貴殿を、貴殿の同意なくつがいとして縛ってしまったのだろうか」
「うん?」
 こくりとうなずいたヌヴィレットから続けて紡がれた問いに瞬く。会話の脈絡がいまだに見えてこない。
「この紅茶から、貴殿の色濃い困惑を感じた。それは私の記憶の混濁だけが因ではないように思う。そもそも本来の我々は、こうして隣り合って『紅茶』を嗜むような間柄ではなかったのではないか?」
 これが私が一方的に結んだえにしで、貴殿がずっと不本意だったのであれば得心がいく――カップの縁を撫でたヌヴィレットがぽつぽつと理由を語ってくれる。のに、望まれるままドキドキとそわそわに若干のいそいそを混ぜ込んだような複雑な心境で腰を落ち着けたヌヴィレットの隣でまず唸ってしまった。『紅茶から感情を感じた』。今日だけでさらっと暴露された情報がまた増えてしまった。しかもその全てが恐らく機密レベルのそれだ。彼はリオセスリを“つがい”だと思っていたから隠す気云々の前に知っていて当然と考えていたのだろう。ヌヴィレットさんが元に戻ったら聞いていい話だったか確認して、必要であれば念書を書こう――そんなことを考えつつ、不安げにこちらを見つめてくる胎海の瞳を覗き込んで笑う。まずはこのひとの憂いをできる限り除くことが最優先だ。
「何から話そうかなまず、ヌヴィレットさんは俺を縛ってはいない。そもそもあんたのつがいなんて高貴な身分じゃないんだ、俺は。昨日までの俺たちの関係を端的に表すなら、そうだなビジネスパートナーが近いかな。あんたは水の上の、俺はここの最高責任者として、このフォンテーヌって国を一緒に回してる」
 ビジネスパートナーとしては良い関係を築いてると思うよ。こうして『紅茶』も飲む仲だ。向かい合わせでだが――語りつつ目を細める。隣に座る夢を見たことがないと言えば嘘になるが、あまりにも分不相応と自分が一番分かっている。この夢は墓まで持っていくともう決めていた。そういえば偶然と幸運の巡り合わせで叶ってしまったな、と密かに喜んでいたリオセスリの耳を打ったヌヴィレットの声はなんだか、何故か、萎れていた。
「つがいではないそうか。つがいでは、ないのか」
 うつくしい瞳を見開きぽそりと落ちた呟きには残念そうな色が滲んでいて、いや流石にこれは思い上がりだろうと思い直して、直後響いた「嬉しかったのに」に取り繕う暇もなく喉でおかしな音を奏でる羽目になった。『最高審判官』を意識していないヌヴィレットの破壊力がここまでとは思わなかった。オンとオフの差が激しすぎて風邪をひきそうだ。
「あーヌヴィレットさん。ちょうどいいから俺からも一つ質問したいんだが、いいかい?」
「構わない。なんだろうか」
 ヌヴィレットがこくりと縦に振った首を傾げるのに、今更と言えば今更な疑問を口に出す。
「あんたは本能に従って俺を尋ねてきたと言ったが、なんだつがいがただの人間で自分には釣り合わないなとか、ガッカリだとかなかったのかい?」
 はたり。深海の色のまつ毛が羽ばたいて、心から不思議そうに「何故?」の二文字を返された。
私たち龍種は魂に惹かれる種族だ。その色、美しさ、強さ。それが自分にとって好ましいかどうかで、つがいを選ぶ。その点において、貴殿のそれは申し分のないものだ。私の感情面いや、好み? と言えばいいだろうか。その観点からも、龍王のつがいとしても。貴殿が人の形をしていたから私もこの形なのだと思ったくらいだ。それと、貴殿の姿を目にした時のこの胸の高鳴りは本能だけが因ではなかったと断言できる。先は危うく心のまま抱擁してしまうところだったが、そうせぬでよかった」
 危うく貴殿を不快にさせてしまうところだった、と肩を落とされて、とりあえず首を振っておく。間違いなく不快にはならない。オーバーヒートはするだろうけれども。
 解釈が間違っていなければ「魂も入れ物身体もめちゃくちゃ好み」と真っ直ぐに告げられていよいよ精神が危うい。さっき「ああ、お帰り」とかなんとか言って抱きしめておけばよかったな、なんて欲が顔を出すのは無言で叩き伏せた、けれども。
「残念ながら俺はあんたのつがいじゃないが、あんたの抱擁で俺が不快になることはないよ。せっかくだし、試してみるかい?」
 これくらいは許されたいと、ここまで来たのだし、なんて、常の彼が聞いたなら因果関係が不明だがと言われそうな言葉を口にして少しだけ腕を広げてみせると、ぱあと顔を輝かせたヌヴィレットがいそいそと身を寄せてくる。また夢が叶ってしまった。明日大きめのトラブルにでも遭うかもしれない。
 抱きしめることだけは辛うじて自制して良きに計らってもらったヌヴィレットは、ぴたりとくっついてはすりりと擦り寄って、合間に小さく声を立てて笑っている。まるで動物のようだ。可愛い。
 早くも数分前の自分の言動を後悔しながらその温もりを心の底に刻んでいると、ヌヴィレットが不意に固まる。音をつけるなら“ビキッ”とか、そんな様子で。
 メンテナンスを怠ったマシナリーのようにぎくしゃくと身を離したヌヴィレットが両手で顔を覆い、唸り、呻く。
…………すまない」
 ややして手のひらの向こう側から聞こえてきた謝罪に苦笑した。記憶が戻ったらしい。
「ごきげんようヌヴィレットさん。さっきまでの記憶はあるかい?」
「ある」
「あるかー
 であれば気まずかろう。この状況を想定しておいてよかった。後先考えずに口を滑らせてうっかり墓まで添い遂げる予定だった想いを吐露していたら今、自分はこんなに平静ではいられなかった。
 そろりと上がった夜明けの瞳と目が合う。朱に染まった目尻が目の毒だ。
「迷惑をかけてすまなかった」
「迷惑はかけられてないさ。物凄く驚かされはしたけどな」
「私も驚いた」
 身の内にこのような感情があるなど。
 心底意外でしたと言わんばかりに胸に手を当てるヌヴィレットになんと答えるのが正解なのか悩んで、あんたのそれをそう・・括っていいのかは判断に迷うが、他者への好意に気づいた時なんてみんなそんなもんだよ、と、返答にもなっていない返答を口にする。そうかとうなずいたヌヴィレットは何やら考え込んで、湯気が消えたカップに手を伸ばした。淹れ直すからと止める間もなくそれを煽り、ふた呼吸ほどの間を置いてリオセスリの名を呼ぶそのひとの顔はまだほのかに赤い。
「まず、君の許可なく君の感情を読み取ってしまった事を謝罪させてほしい。普段は制御しているのだが、その先までの私は、君がそれを知らぬはずがないと考えており」
「ああ、うん。つがいなら知ってるもんだと思うよな」
 予想通りだ。リオセスリの発した“つがい”の三文字にヌヴィレットが小さく肩を跳ね上げる。ふわ、と赤みを増した頬に、このひと俺をどうしたいんだろうなと目が遠くなった。リオセスリの恋心が十数年煮詰まっていなければ襲いかかった上返り討ちにされてお友達ですらいられなくなっていたかもしれない。
「うむ今後このようなことがないよう努めるので、これからも君の紅茶を頂けると嬉しい」
「それは勿論、喜んで」
 不安げな申し出に秒でうなずくと良かったとゆるむ瞳に意識して深く息を吸った。本当に勘弁してほしい。
「実は君の紅茶から読み取ってしまった感情がもう一つあって」
「困惑以外にか。変なことでも考えてたかい?」
 だとしたら今度はこっちが頭を下げる番になりそうだ。正直この紅茶を淹れた時の心境なんて思い出せないくらいにあの時は動揺していたから、何が来るか予想できないし否定もできない。
「高揚」
「高揚かぁ
 ヌヴィレットの答えに苦笑して頬を掻く。確かにあの時はハイテンションではあった。長い間密かに想いを寄せていたひとに恋人をすっ飛ばして伴侶判定されたのだ。普通の人間なら当然の情動だと思う。
「君には手間をかけてしまったが、此度の件で私自身、気づいていなかった感情に気づく事ができたのは幸いだった。そこで、なのだが、」
 リオセスリの反応に背を押されたかのように居住まいを正したヌヴィレットが口を開く。
「もし君が先までの私の振る舞いについて不快に思っておらず、その余地があるのなら――その、一度、改めて検討しては貰えないだろうか」
 君と正式につがいになりたい。本能ではなく、私の意思と希望で。
 これ以上ないストレートな告白を受けた心臓が胸を突き破る勢いで跳ね上がる。予想外の展開だ。少しばかり、いや割とかなり、自分に都合がよすぎる。ここまで目を開けたまま見ている夢、なんて一瞬考えたが、そもそも夢には体験したことのない物事は出てこない。このひとが『水』に共鳴する権能を持っていることなど今日まで知らなかったし、自分はそこまで想像力が豊かでもないし精霊や元素生物に対して造詣も深くない。だからきっとこれは現実だ。少々強引にそう結論づけて、深くゆっくりと息を吸う。この願ってもない申し出に今自分が返すべき言葉を織り上げて、織り上げた言葉を紡ぐ声がひっくり返ってしまわないよう平静を取り戻す時間を稼ぐために。
「なあ、ヌヴィレットさん。俺にとってあんたは「水の上」のたっときひとだ。絶対に手の届かない、手を伸ばしちゃいけないひとだと思ってた。だから俺は、あんたに対する諸々を墓まで持ってくつもりでいた。けど今回のことで気が変わった」
 革手袋に護られた手をそっとすくい上げ、指先に唇を落とす。歓喜にどうしようもなく緩んでしまう口元は取り繕いようがなくて、ならばいっそと笑顔で隠すことにした。
「『前向きに検討させて貰う』よ。あんたのこと、ちゃんと口説きに行く。もしあんたのお眼鏡に適ったら、その時はつがいの席あんたの隣を俺にくれ」
「わ、わかっ、た。待っている」
 指先を震わせて、耳まで真っ赤に染めて、小さくうなずいたそのひとの。
 期待と落胆を語りかけてくる――今ではないのかと声が聞こえそうだ――瞳の輝きに今だけは気づかないふりをして。
 来たる日のための手土産とヌヴィレットへ捧げる言葉たちにリオセスリは思いを巡らせるのだった。