水晶氷山
2025-05-03 00:37:39
2849文字
Public おやさい鬼9先生作品
 

どうして

ベンチの自分が清に何したか知って怒ったり悲しんだりするべんち真さん(本編後)の話
暗いけど思いついて頭から離れなかったので
ブラさんが色々キツいこと言われてても許せる人向け

 近くて遠い世界の物語を見せられていた。
 僕や僕の知る皆と似ているようでいて、やっぱりどこか違う誰かさんたちの物語を。
 過去を暴かれて裁かれて、それでもその心を救われて、愛したひとと共に夢の中で終わりを迎える、そんな物語を。

……どうして」

 最後まで見て、無意識のうちにそう口から零れ落ちていた。
 メリーバッドエンドとはまさにああいったことを言うんだろう。きっと彼にとっては、夢から覚めるよりも彼女と共に終わることこそが幸せな結末だったんだ。
 だからこの疑問は彼がそんな最期を迎えたことへの悲しみからじゃない。僕が現実の彼らと生きることを選んだのと同じように、彼はあの夢の中にいた彼女を愛し抜くことを選んだだけの話。
 僕はそんな結末よりも、彼の罪に、その過去に強く心を揺さぶられていた。

「どうして、そんなことをしたんだ」

 自分の見せられたものを信じたくなかった。そちらの世界で何があったのかを知りたくなかった。
 彼が大切な人たちを置いていってしまったことはまだ呑み込める。置いていかれたそちらの原くんの心情を考えると思うところがないわけじゃないけど、だとしても彼はあれで幸せだったろうから。
 それに僕もあの夢が終わるまではそうするつもりでいたんだ。彼の選択について、あまり強くは言えない。

「どうして、その子を傷付けた」

 許せないのは、彼がそちらの清に対して何をしたのかだった。
 ……まさかそちらの黒川清の死に、そちらの世界の井上真が深く関わっていたなんて。
 それも僕のようにその子が苦しんでいたことに気付けず助けられなかったというわけじゃない。
 よりにもよって彼の―――そちらの井上真の浅ましさゆえに、黒川清が命を絶つことになっただなんて!

「どうして、その子の気持ちを裏切った」

 届かない問いだけが虚しく響く。
 その子はお前のことを心から慕っていただろうに。小説家としての才能なんて関係なしに、一人の人間としてお前を尊敬していただろうに。
 どうしてその信頼を裏切るような真似をしたんだ。その子がどんな気持ちでその小説を書いたと思っているんだ。その子がどんな気持ちで首を括ったと思っているんだ。
 お前はその子の、黒川清の『先生』じゃなかったのか、井上真。
 別の世界の自分だという彼の所業が受け入れられなかった。小説家でありながら弟子の渾身の作品を剽窃したことも、先生でありながら教え子の想いを踏み躙ったことも、とても褒められたことではない。
 何よりその結果、彼がそちらの清を死へと追いやることになったというのが許せない。その子はあくまでその子であってこちらの清とは別人なのはわかっているけれど、それでも彼のせいで黒川清が死を選んでしまうほど傷付いたと思うといい気はしない。
 それにたとえ違う世界の出来事だとしても他ならない井上真が黒川清を死なせただなんて、そんなのまるで僕が清を救えなかったことが運命だったみたいじゃないか。ふざけるなよ。僕は清を助けたかったんだ。清に生きていてほしかった、死んでほしくなんてなかった。それなのにどうしてお前はそんな簡単にその子を傷付けるような真似ができたんだ!

「どうして、お前が僕なんだ」

 ……こちらとそちらの清が別人であるように、僕と彼は別の人間だというのはわかっている。辿った過去も辿り着いた結末も違う。僕は小説家じゃなかったし、彼は結局あの夢から覚めることはなかった。それにもし僕が彼の立場だったとしても、あんな小説家としても先生としても教え子を裏切るような真似は絶対にしない。
 けれど彼が黒川清に先生と呼ばれたことが、黒川清の死後にハイチーズに狂わされたことが、自分をねずみだと思いこもうとしたことが、夢の中で造花に縋ったことが、彼の名前が、彼を取り巻く彼らの名前が、彼の傍にいた彼女の名前が――そんないっそ必然とさえ思えるほどの共通点たちが、彼と僕との間にある確かな繋がりを見せつけてくるようで、それが余計に彼への嫌悪感を掻き立てていた。
 たとえ彼が過去を悔いていたとしても、突きつけられた己の過ちと向き合い救われたとしても、愛したひとと共に最期を過ごすことができたとしても、それが彼にとってのハッピーエンドだったとしても、彼がそちらの清の紡いだそれを自分の作品と偽って世に出したという事実は変わらない。
 彼が許せなかった。井上真でありながら、黒川清を自分の都合でひどく傷付けた彼が。
 許せない、のに――

「どうして、その子の優しい先生のままでいてやれなかったんだ……

 彼を許せないだけじゃない、彼を憐れんでいる自分もいた。
 弟子の才能を妬み、紡がれたそれを自分のものとして世に放ち、その子が抱いていた想いを踏み躙った三流小説家。たとえ他の誰かが彼の過去についてまた違ったことを感じたとしても、僕は彼がそちらの清にしたことを許すことはできない。
 けれど、嫉妬に狂う前の彼がその子に対して良い先生として振る舞っていたことも僕は見せられていた。教師と生徒じゃなくて師匠と弟子なんていう僕らとは違う形の関係だったけれど、彼は確かに黒川清の優しい先生だった。
 ……そんな優しかった彼が、自分を敬愛してくれていた教え子をあんなになるまで妬んでしまったことがとても悲しかった。
 言ってしまえば、彼は気付けなかっただけなんだろう。たとえ求めていたものに恵まれなかったとしても、持ち合わせていた他のものに惚れ込んで心から慕ってくれる誰かがいたことに。まさにそちらの清がそうだったことに。
 もしも彼がそれに気付くことが、その子の想いを知ることができていれば……知ったうえでそれをその子の偽りのない本心だと受け止めることができていれば、何かが変わったんじゃないか。仮にそれでまた違った衝突が起こったとしても、少なくともこの師弟がこんな最悪の結末を迎えることはなかったんじゃないかと、そんな気がしてならないほどに彼らが師弟として過ごした日々は、笑い合った思い出は温かなもので。

「どうして、――

 ……だとしても、僕が彼を許せないことに変わりはない。
 先生失格の三流小説家、弟子を傷付け死なせたもう1人の井上真。彼が別の世界に生きた別の誰かだとしても、どうしても僕らと重ね合わせて考えてしまって、彼のことが嫌いでたまらなくなっていく。
 なのに彼がずっと教え子の想いに気付けなかったことが可哀想なのも、彼が優しい先生であり続けられなかったことが悲しいのも本当で。
 それでも許せなくて、悲しくて、板挟みになった頭の中はぐちゃぐちゃで、言葉にならないくらいつらくて、泣きそうだと思ったそばからもう視界が滲んでいた。

――どうして、そんなことをしてしまったんだ

 終わってしまった物語に嘆いたところで今更何も変わらないとしても、僕はただ涙を流すことしかできなかった。