まそとお

初夏。

 ビトウィーンザシーツのあとにブルームーンが注文される気まずい瞬間を誤魔化すかのように、ゲストから振られた朝食の話題。不規則な生活を送りがちな現代人らしく、抜いてしまうという朝食を手軽に摂れないものかと問われて真朱はそれこそ気まずそうに目を逸らした。
「ふふ、先輩もあんまり朝食摂らないもんね」
「どうにも朝は……起きられず」
 兎織から小さく笑われて真朱は目を瞑りながら緩やかに首を振る。
 そも夜勤務の人間にとって朝は遅くてもおかしくないものだ。日頃の疲れを取るために休日をぐっすりと寝て過ごすのも、決しておかしくなどは。
 もごもごと言い訳をする真朱の背中を兎織が「責めてないって」と軽く叩き、ゲストも笑って終わった会話。深刻に捉えて気にしていたわけではないが、その日の勤務を終えた数時間後、いつもより早い睡眠時間で目を覚ました真朱は時計を見て起きるかどうかを真剣に考えた。
 時計の短針が示すのはしばらく見たことのなかった午前中。二度寝をしても構わないと思える時間だが、脳裏に過ぎる会話にせっかく目を覚ましたのであれば起き上がるべきではないかと真朱は思う。
 ちらり、と視線を向けるのは隣で眠っている兎織。あまり見ていると睡眠の浅い彼は起きてしまうので、真朱は次いで天井へ目を向けてからそうっと身を起こした。
(偶にはちゃんと朝ごはんを作りましょうかね)
 真朱より先に目を覚ますことの多い兎織にも、久しぶりに作りたての朝食を食べてもらいたい。三食三品作るべき、などとは現代ペストにしかならない考え方であるし則るつもりもないが、好きなひとが美味しそうに食事をする姿は見ていて嬉しいものである。
「──そう思ってたんですけどねえ」
「買い物行きそびれてたからねー」
 数十分後、真朱は兎織とスーパーを訪れていた。
 さてなにを作りましょうと開けた冷蔵庫。卵が一つとべったら漬けが入っていた。そうだそうだ、前日に中途半端に残った材料全てを入れた炒飯を作ったのであった。買い物は今日の昼に行けばよろしいと思っていた昨日の自分を思い出し、たははと笑った真朱は潔く兎織が起きるのを待って買い物へ行くことにしたのだ。
「俺、真朱さんの作る全部入れシリーズ好きだけどね。お好み焼きとかさ」
「そう言っていただけると嬉しいですけどね……それにしてもなにもないのは問題でした」
「なに買うの? 野菜の値段落ち着いてきたよね」
「そうですねえ……なにか食べたいものありますか?」
 比較的とはいえ、せっかく早起きしたのだ。ゆっくりと作れる時間もあるし、兎織が食べたいものがあるならば作りたいと思う。
 兎織は「ううん……」と考えるように首を傾げると、ざらりと顎を撫でてからぱちん! と両手を打った。
「あんかけ焼きそば。そろそろ本格的に暑くなるし、いまのうちに食べたいな」
「お、了解です。お野菜いっぱい入れましょうね」
 買い物カートを青果コーナーへ向ければ果物も幾つか目につくが、兎織の好む柑橘類やキウイは旬を外している。真朱一人でメロンを食べても互いに気にはしないが、今回はいいかと兎織とふたりでそのまま野菜を見に行く。
 時間帯のせいかひと気の少ないなかを歩き、兎織とこの野菜はどちらがいいかあちらがいいかと話し合う。今日使ってしまうのだからそこまで気にしなくてもいいのだけど、ささやかでも交わせる会話が楽しいのだ。
 野菜を籠に入れ、肉を見てからそうだ卵と牛乳をと店内をうろつき、会計時にポイントカードを忘れているという失敗はあったものの買い物自体はさくさくと終えて店を出た直後。真朱は兎織と揃って呻いた。
「あっ…………
「日差し強いですねえ……
「去年より暑くない? え、これ夏どうなんの?」
「うだるような暑さでしょうねえ」
「やだなあ……真夏ってさ、俺らが帰るときもアスファルトの熱気あるじゃん」
 夜も更け切った時間帯、ようやく熱せられたアスファルトが落ち着くかという頃に帰宅する真朱と兎織は、毎回のように暑いあついと繰り返している。冷房の効いたRooMから出るのはいつだってつらかった。
「また珈琲氷拵えておきましょうね」
「あ、やった。ありがとう! 俺、あれ好きなんだよねー」
「兎織さん、甘いもの苦手ですからね」
 暑ければ冷たいものを摂取して涼を取るという手段があるけれど、甘いものが苦手な兎織がアイスを食べることは滅多にない。涼を取るのに食べられるものがないのは酷なことだと、真朱は夏になると無糖の珈琲を凍らせて冷凍庫に常備するようになったのだ。初めて作った際に兎織が殊の外喜んでくれたため、夏の風物詩にもなっている。
「我慢して体を壊してもいけませんし、冷房もさっさとつけましょうか」
「流石に早くない? まだ扇風機でいけそうだけど」
「なにもしないならそれで大丈夫ですけど」
 真朱はそっと兎織の耳元に顔を近づける。
「一緒に寝るのには向かないでしょ?」
 じわ、と赤くなる兎織の耳。んー、と曖昧な相槌をする兎織はぶつけるように真朱の肩へ頭を寄せる。
「それは、そうかも……帰ったらフィルターの掃除しとく」
「よろしくお願いします。その間にご飯作っちゃいますね」
 真朱はくすくすと笑って買い物袋を持っていないほうの手で兎織の手を繋ぐ。
「あ、ペットシーツの替えはありましたっけ?」
「それはあるよー」
「よかった」
 アスファルトの熱はまだ穏やかだ。きっとすぐに裸足で歩けないような日々が来るだろう。けれど、冷房の効いた室内だって暑くないわけではない。
 真朱は兎織とぐちゃぐちゃにするであろうベッドのことを考えて彼の横顔をうっとりと見つめ、気づいた彼にごつっと肩をぶつけられて声を上げて笑った。
 晴れ晴れとした初夏のこと。一足早い風鈴が、どこかから聴こえてきた。