tonami
2025-05-02 16:13:24
7005文字
Public 怪異撲滅ツアー
 

Spot.1 食堂、壁際の奥の席

prtn怪異撲滅ツアーする🐯⚔️





「今夜は定期巡回だから外に出るなよ」
 ハートの海賊団の船長からそんなお達しが出たのは、朝食の時間だった。遅番と早番の交代も兼ねているので、必然的にその時刻は食堂にほぼ全員が揃う。そのため連絡事項を伝える時間としても活用されていて、食事を終えた船長が朝礼を行う様子を麦わらの一味と侍達は興味津々に眺めていた。不寝番や計器類の見張りで持ち場を離れられないクルーへは誰かしらから通達されることになっている。細々とした伝達事項や週の当番表がある掲示板にも同じ内容が貼られるので、万が一忘れても随時確認できるようになっていた。つくづく、海賊の名を冠しているのに海賊らしくない団体だ。
「定期巡回?」
 カレーをスプーンですくいながら、ウソップが首を傾げる。言葉の意味はわかるが、定期と称して巡回を行う理由がわからなかった。毎日決まった時間に不寝番が船内を見回っているの知っている。夜中に催して部屋を出るとたまに担当のクルーと顔を合わせることもあった。基本サニーではゾロが不寝番担当のようなものだから、毎回違う人間に当たるハートはしっかりしてるなあと感心したのはほんの数日前のことだ。
「ポーラータングは潜水艦だからな。海の中にいるといろいろ引き寄せちまうから、半年に一度おれが巡回することにしてる」
「引き寄せる……
「なにをかしら」
「おれ達も何か手伝うか?」
 フランキーが問えば、ローは首を横に振った。荷物の搬入や掃除の手伝いはしているが、潜水艦が初めての居候達には手を出せない領域が多い。船大工であるフランキーと手先が器用なウソップなどは設備の簡単な修繕に駆り出されることもあるものの、基本は借りてきた猫よろしく宛がわれた自室だったり食堂で過ごすことが多かった。特に戦闘員のゾロなどは不寝番をすることもなく、鍛錬もサニー号で行っていた時のような大掛かりなこともできず、時間を持て余していることが多いように見えた。
「お前達は何もしなくていい。というか、するな。邪魔になる」
「お、おう。そうか」
「その代わり、ゾロ屋に巡回に同行してもらう」
「そりゃ構わねェが」
 なんでゾロを、と言いたげな麦わらの一味に、今度はローが首を傾げる番だった。ゾロから何も聞いていないのだろうか。他船のローでさえ、酒のあてに話を聞いたのに。
「あいつから何も聞いてねェのか」
「ええっと、なにを?」
……いや、聞いてねェならいい。とにかくゾロ屋を今晩借りる。お前らは消灯したら何があっても部屋から出るな」
 言うだけ言い置いて、ローはさっさと食堂を出ていく。何が何だかわかっていない麦わら組は、ただ頭上にクエスチョンマークを飛ばすばかりだった。






 船長室は居住区の最奥にある。対して麦わらや侍達に用意された部屋は比較的入口へ上がる梯子に近い。単純に他船の人間を計器類がある深部に近づけられないというのもあるが、一番の理由は必ず迷子になる人間が一人いるからだ。といってもまだ近ければ迷いにくいだろうという配慮は、残念ながら意味がなかったのだけれど。あの短い距離でも迷う驚異的なファンタジスタは、しかし船長室へ来る時はいっさい迷わなかった。
「ゾロ屋」
 ベッドの空いたスペースに腰掛け、毛布にくるまったままの恋人の頭を撫でる。目元が赤い。ゾロの要望でずっとキスをしていたから唇もふっくらと腫れてしまっている。昨夜はだいぶ無理をさせてしまった。歳下の恋人があまりに可愛らしいものだから、ついついはりきってしまう。
「ゾロ屋、起きれそうか」
 形の良い額に唇を落とし、頬に手のひらを滑らせた。長い睫毛が震え、むずがるように声が上がる。ゆるりと持ち上げられた目蓋から、けぶった色の瞳が覗く。一つきりの目が一度宙へ流れて、それからローに焦点が合わさった。ずいぶん気が抜けている。サニー号では人の気配を感じるとすぐに目を覚ましていたから、ゾロがここまで深く眠っているのは稀有だった。それだけ傍にいることを許されているのだと思えばまったく悪い気はしない。
「おはよう。体は大丈夫か」
「ん、……
 おはようと返そうとしたのだろう。口を開くも、出てきたのはけほ、という咳ひとつ。そのまま何度か空咳をするゾロに、テーブルに置いたままのボトルを手に取る。最後のほうは声が出ていなかったから喉を痛めてしまっているのだろう。ボトルを傾け、水を含む。身を屈めて唇を重ねると、おとなしく弾力のあるそれが開かれる。こく、こくと喉仏が上下するのを観察しながら、もう一度水を口移しで飲ませた。二度目も飲み込んだのを確認して、隙間から舌を侵入させ上顎をくすぐる。ぴくりと鍛え上げられた体が震える。奥に逃げようとするローのより肉厚の舌を絡め取れば、髪と同じ色をした睫毛が、ふるりと羽ばたく前の翼の動きを模した。いつの間にか背に回った腕がローのシャツに皺を作る。ゾロはキスが好きだった。
「ん、とら、お、くち」
「ああ……悪い、痛かったか」
「ん」
 散々貪った唇は常よりもずっと赤い。異常な回復力を持つゾロのことだから、少し時間が経てばいつもと変わりない薄さと濃さに戻るのだろうが。鬱血や歯形の治りも早いのでいくら痕を残しても足りない。
 せめて触れるだけと柔く口づければ、それだけでとろりと一つきりの灰色が蕩ける。恋人はローの目を飴玉だ蜂蜜だなんだと言うが、こちらに言わせてもらえばゾロもたいがいだ。故郷ノースの雪が降る前のような重たい空の色が、甘さを孕むと柔く解けていく。激昂すれば稲妻が走り、良いことがあった時は星が瞬いている。刀身のように鈍色に光ることもあれば、冴え冴えとした真冬の月のように透き通ることもあった。沈着でいるようで、ゾロの瞳はひどく雄弁だ。ローはそのたった一つだけの目を覗くのが好きだった。一番近くで感情で彩られた隻眼を何の理由もなく覗いて、ただただ見つめる権利が、ずっと欲しかった。すべてを真正面から見据えて逸らさないその瞳で、心臓を射抜かれてしまったあの日から、ずっと。
「飯は食えそうか」
「いらね。あんまり食欲ねェ」
「ちょっとは腹に入れとけよ。何か軽く食えるもんでも持ってくるか?」
「いい。お前の、一晩中入れてたから、まだなんか入ってる感じすんだよ」
 何でもないように言ってのけたくせに、下っ腹を撫でた指は昨夜そこにいたローのものを辿っていた。無意識であろうその仕草に押し倒さなかったことを褒めてほしい。昨夜のゾロはやけに積極的でひたすらにキスをねだってきたし、いつもならぐちゃぐちゃにならないと言わない奥を望む言葉だって口にした。それにさんざん煽られた結果がいまのゾロの有様なわけだが。
 恋人の痴態を脳裏に呼び起こしながら、ローはクローゼットからシャツを取り出し、ゾロに差し出した。麦わら用の部屋ではなくほぼここで過ごしているので、すっかりクローゼットはゾロと共用になっている。
……とりあえず、動けそうなら食堂に行くぞ」
 仕事の話もあるしな。続けられた言葉に、隻眼がぱちりと瞬いた。






 先月の話なんだけど、とシャチは言う。
「たまたま夜中に目が覚めちゃったんですよね。で、喉乾いたから水飲もうと思ったらボトル空っぽでさ。仕方ないから食堂で汲んでくるかあって、行ったわけですよ。時間も時間だったから当然誰もいなかった。たまに遅番が夜食の片づけとかしてる時はあるけど、その日は誰もいなかったんですよ。いつものことだから気にせず入って、キッチンで水汲んでたら人影が見えたんですよね。誰か来たのかななんてホール見ても誰もいないんですよ。たまにあるじゃないですか、ちょっとした木とか柱が人に見えたりするの。あんな感じで見間違えかなーて思って戻ろうとしたら、隅のほうに影が見えたんですね。一番隅っこの席。──そっす、あそこ。まさかおんなじように起きた奴が脅かそうとでもしてんのか?って、思ってたんですけど。誰かわからないんですよね。確かにいるのに、顔が判別できねェ。でもウチの奴じゃないことはわかるんですよ。ここが海の上だったら能力者とか疑ったんですけど、その時いたの深海だったから。念のため近くに不審な船がないかも確認したけど、ソナーには何も引っ掛からなかった。てことは、まあ、キャプテンの管轄だなあって」




Spot.1 食堂、壁際の奥の席




 ニーヨンマルマル、ポーラータング号。
 愛刀である大太刀を抱えた潜水艦の長と、一時乗り合わせた同盟船の二番手は揃って食堂にいた。消灯時刻を過ぎているので、二人以外の姿はない。普段は時々水を汲みにきたり、なかなか寝つけず気分転換をするクルーがいるが、今日に限っては誰もいなかった。それもそのはずで今夜は外出禁止のお触れが出ている。生理現象以外で自室から出るなと船長に言われれば、行儀のいいハートのクルーは言われた通り外に出ない。
「どこだって?」
「食堂の隅の席って話だったが」
 入口とは対面の隅を見る。当たり前だが、そこは空席だ。しかし持ち込まれた話によると、夜中その席に誰かが座っているのだという。クルーではなく、乗り合わせた麦わらの一味でも侍達でもない。顔はぼやけて判別できないのに、そのどれでもないことはわかるのだと。
「条件が違ェのかもな」
「あ?」
「一人じゃないと現れないかもなってことだ」
 ふうん、と気のない返事をしたゾロをちらりと見下ろした。さきほどから隣に立っていても隻眼はローに向けられず、ずっと隅の席を映している。再び目を向けてもローには、誰もいないように見える。いつも通りの食堂の一席だ。
「ゾロ屋」
 身長差を埋めるように上体を屈め、顎をすくい取って顔を上げさせた。曇天に薄く墨を刷いたような色に、ローの姿が映り込む。
「お前、何を視てる?」
 まるで佩いた三振りの刀のように、ゾロの右目が鋼色に透けた。──ああこれは、得体の知れないものを視ている時の目だ。ゾロの隻眼を何度も覗いて、覗きたくて見つめ続けてきたからわかる。刀のような色合いをする時のゾロは、ローが見えないものを、視界に映していた。いまもそうだ。目の前にいる恋人ではなく、何かわからないものを視ている。同行させたのはローだけれど、こうも易々と自分以外を映されては少し気分がささくれ立っても致し方のないことだった。
「トラ男は、視えねェのか」
「あいにく、おれには死んだ人間と交流することはできねェな」
「妖刀持ってっからてっきり視えるもんだと思ってた。そうか、視えねェのか……
 そんなにローがこの世のものではないものを視ないことが意外だったのだろうか。それとも、自分と同じものを見る相手がいることを期待していたのだろうか。後者であれば嬉しいが、ローでは簡単にゾロと同じものを見られないことが悔しい。
「存在が強けりゃ別だがな。おれが視えねェってことは、ここのは弱いんだろう」
「そういう判別の仕方もあんのか。確かに存在は弱いな。放っといたらこのまま消えるんじゃねェ?」
「そうなりゃいいがな。……ここは密室だ」
「? そうだな」
 いまさらなにをと言わんばかりに、ゾロが胡乱にローを見上げる。深夜にもかかわらず明るい白色灯が頬に睫毛の影を落とした。これが太陽の下であれば長く密度が濃い緑色が透けて、木漏れ日のように柔くきらめく様が見られたのだけれど。ここには人工的な明かりしかないことが惜しい。瞬きに合わせて揺れる影に、人差し指の背で触れる。
「お前らの船は密室になることなんてないだろうが、海に潜る以上、ポーラータングは逃げ場がない。ここにいる奴らも同じことだ。出ていく先もなくここにいることになる。そうなりゃ、餌はここで調達するだろう」
 説明にゾロは得心がいったようで、ああ、と頷いた。
「食い合うって言いてェのか」
「そうなるんじゃないのかって仮定だな。さすがに試したことはねェよ。んなことしたら、ポーラタングをバラさなきゃならねェからな」
「潜水艦ってのも大変だな」
「お前らの船じゃ到底起きないことだろうがな」
「まあな。そもそもうちにはルフィがいるしよ。あいつがいるぶん、おれもだいぶ楽できてる」
 ああ、とローはここにはいない麦わら帽子を思い出した。一度乗せた時は瀕死の治療時だったのでともかく、万全な状態の時に乗せたくはない。何かと頑丈なサニー号と違い、ポーラータングは繊細だ。海中を進むための計器類もあるし、穴など空けられては堪ったものじゃない。それはそれとして、特異な性質は少しだけ羨ましくもあった。少しだけ。ほんの少しだ。
「そんで、どうすんだよ」
「視えるんなら、お前なんとかできるか」
「斬りゃいいのか?」
「いや、それは最終手段だ」
 逸るゾロの手を三代鬼徹の柄から離して緩く指を絡める。無抵抗にされるがままのゾロに気分が良い。呆れたような視線は痛いけれども。
「話ができりゃしてほしい。食堂ってのは人が集まる場所だ。わざわざそんなとこを選んでるなら、何か聞いてほしいことがあるのかもしれねェ」
「それでできたら説得するってわけか」
「できたらっつーか、できるだけそうしてェな」
「あっちが聞き耳持たなかったら?」
「その時は構わねェ。斬れ」
「了解」
 手を離して、ゾロが食堂の奥へ向かっていく。一番奥のテーブル、壁際の席。その正面に立ったゾロの視線は確かに座っている人間に向けられている高さにある。
「よォ、あんた、こんな時間に一人で何してんだ? ──海を見てる? へえ、わざわざ海中からか? ──海王類? 魚じゃなくてか。変わった奴だな」
 二人以外誰もいないのでゾロの声はよく響いた。誰かと話しているようだが、ローには一人分の声しか聞こえない。相手が本当に友好的か姿が見えないので不明だが、少なくとも敵意はないようだ。
「──ああ、確かにな。潜水艦なんてそう見ねェもんな。あっても海軍くれェか。──窓? そんなに多いのか? ──あー、ちょっと待て」
 ゾロが一旦相手を抑えるように手を前へ突き出した。次いで、ローのほうを振り返り、その手で手招く。呼ばれるがままそちらへ向かうと着席を促された。ゾロと隣り合って腰を下ろし、斜め前の誰かがいるらしい席を見やる。
「この潜水艦の船長だ。設備的なもんはこいつのほうが詳しい。ただ、こいつはわかんねェから少し不便だが訊きたいことがありゃ、おれを通してくれ。……そんで、この奥に座ってる奴。海王類の研究者らしい」
「へェ。そんな奴がなんでまたうちの船に」
「ここがうってつけなんだと。海中で間近で海王類が観察できて、しかもあちこちに窓があっから観察しやすいって。海軍じゃこうもいかねェらしい」
「なるほど。それでうちにいんのか。ということは、悪さをする気はねェってことだな?」
 視えないものの、相手がいるであろう場所を見据えて問いかける。ここで肯定するのであればローとしては所見なしの判を押すが、頷かないのであれば話は別だ。このままゾロに斬ってもらうしかない。どうだ、と隣に視線をやると、ゾロはローの顔を見てひとつ頷いた。
「──大丈夫みたいだぜ。海王類にしか興味ねェらしい」
「そうか。ならここにいてもらって構わない。ただ、うちのクルーに不必要に接触したり怖がらせたりはするな。おれ達の仕事の邪魔もだ。もしこれが守られなかった場合。ただちにてめェを斬る」
「だ、そうだ。──“わかった、約束は守る”ってよ」
「よし。今夜は無理だが、必要なら今度設備の説明くらいはしてやる」
「“頼む”って」
「わかった。じゃあ、ここはこれで解決だな」
 邪魔したな、と立ち上がり揃って食堂を出る。一度振り返ってみたが、やはりローには誰もいない食堂しか見えない。次の場所に向かいながら、隣を歩くゾロの腰に片腕を回した。こんな時に逸れられては困る。
「どんな様子だった」
「おとなしい奴だったぜ。おれが話しかけてもずっと窓の外見てた」
「本当に海王類にしか興味ねェらしいな」
「あの手の奴はしばらく放っておいても大丈夫だ。……食われないって保証はねェが」
 他の場所にいる、いわゆる怪異が力を増せば食堂にも食指を伸ばすだろう。そうなった時、ローに視えないほど弱い彼もしくは彼女が抵抗できるとは思えない。あっさり食われることは想像に難くない。クルーから持ち込まれた話はまだまだある。つまりそれだけの数、この船には怪異がいるのだ。今回のように話し合いで解決できるような怪異ばかりではない。
「一つ目がここでよかったかもな」
「だな。まァ、なんかあってもおれがいるし、三代鬼徹と鬼哭もついてる。油断はよくねェが、あんまり身構えすぎると保たねえぞ。まだ夜は長いんだ。適度に力抜いてけよ」
 足を止めたかと思うとローの首に頭を擦り寄せ、ゾロはにんまりと笑った。白色灯に照らされる薄墨色の隻眼には二人きりの際にしか現れない、甘やかな色。反射的にローは恋人の口を塞いでいた。普段は自分から接触してこないくせに、不意に好意を隠さず触れてくるのだから、この男は心臓に悪い。