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2022-06-26 14:58:53
3652文字
Public 村荒
 

100回の幸せと、100回からの幸せと

村荒ワンライ
お題:100回目の
*大学四年生設定

『名前を、百回呼んでほしい』
 偶々テレビに映っていたドラマの台詞。見るともなしに映していたテレビは、何というタイトルかも思い出せないドラマを唯々流していて、ヒロインが主人公に向けた言葉を、村上は偶々拾った。
 テレビの中では男女二人がシリアスな雰囲気で見つめ合っている。時間的にそろそろドラマも終わるだろう。特に見ている訳ではなかったので、テレビを消して着替えを持って風呂場へと向かった。
 大学四年の、梅雨に差し掛かろうかという季節。
 長い事一人暮らしをしているが、それでも一人でいる部屋の中の静けさに寂しく感じることがあり、時たまに何かを見るわけでもなくテレビを点けることがあった。大体はニュース番組や友人たちとの会話にのぼるバラエティ番組をチェックしたり、恋人が面白いと太鼓判を押したテレビで流れる映画を観たりするくらいだが、そのまま流しっぱなしにしてよくわからない番組を流すことも珍しくはない。今日も確か何となく点けただけだったな、と思いながら服を脱ぎ、脱いだ服を洗濯機に入れてそのまま操作する。洗剤も入れて蓋をして、風呂場へ足を踏み入れた。
 シャワーのコックを回し水からお湯に変わるのを待つ。徐々に温かくなったお湯を浴び、ふと先程のドラマの台詞を思い出した。
 名前を、百回呼んでほしい。
 同時に思い浮かぶ、恋人の顔。あの、凛とした声で「鋼」と名前を呼ばれるのは嬉しくて、幸せで。それを百回も呼んでもらえるなんて、それはとても心嬉しい事なのではないかと思い至った。
 普通に呼ぶ声も、嬉しそうに呼ぶ声も、あまさをふくんで呼ぶ声も、どれもこれも全部嬉しい。恋人である荒船が、村上鋼という自分を呼ぶ、それだけでこころのなかに多幸感が沸き上がるのだ。
 いいな、と思った。あのヒロインは羨ましい。名前を呼んでもらうことを強請ることができるのだ。
 荒船とは恋人という立場ではあるけれど、お願い事なんて我儘はおいそれと言えるものではない。お願い事が少し恥ずかしいというのもあるが、何より荒船に迷惑をかけたくないからだ。
 仕方ない、普通に呼んで貰えるのだからそれで満足しよう。
 髪も体も洗い終わり、シャワーを止める。お湯は入れてなかったので、そのまま風呂場を後にした。バスタオルで体を拭き、寝間着代わりのシャツとパンツとハーフパンツを履いて髪を乾かす。
 さっぱりとした心地で居間に戻ると、机の上に置いていたスマートフォンが震えた。恋人からのメッセージアプリの通知に、タプタプと操作してアプリを開く。
『何が欲しいか決まったか?』
 何が欲しいか。何のことだろうか。村上は少し首を傾げ、あっと思い出した。そうだ、誕生日。
 あと数日で、村上は誕生日を迎える。毎年お互いの誕生日には何かしら用意して贈りあっているけれど、何を貰うかにはいつも頭を悩ませていた。何か足りないと思えば自分で直ぐに買ってしまうし、そもそもそんなに物欲もない。
 その時頭に過る、あのドラマの台詞。名前を、百回呼んでもらう。それは、プレゼントに入るのだろうか。
 荒船に呼んでもらえることは自分にとっては最高のプレゼントだけれど、荒船はそうは思わないかもしれない。それでも、自分にとってはとても魅力的なのだ。荒船に、いっぱい名前を呼んでほしい。
 よし、と気合を入れて、メッセージにタプタプと返信を打つ。
『明日、直接言いたいんだが、時間あるか?』
 明日の講義は昼までなので、その後本部に行くことは伝えてある。院への進学が決まっている荒船はそれはもう忙しそうに過ごしているけれど、少しくらい会えたりしないだろうかという気持ちも込めて送信した。
 直ぐに付く既読に、『OK』のスタンプ。
『どうせなら昼飯一緒に食うか』
 少し会えるだけでも嬉しいと思っていたのに、お昼のお誘い。思わず顔が綻ぶ。否なんてあるはずもなく、嬉しい気持ちで『勿論』と返事をした。


 ◆


「名前を、百回呼んでほしい」
「名前を百回呼んでほしい?」
 なんだそりゃ。
 それが誕生日プレゼントとして、欲しいものを聞かされた荒船の率直な感想だった。思わず鸚鵡返しをしてしまったではないか。目の前の村上は神妙な面持ちで頷いている。いや頷くなよ。
 誕生日プレゼントを贈るのは毎年のことで、しかし長い事付き合っているとネタ切れもあるし、そもそも荒船も村上も欲しいと思ったものは直ぐに自分で買ってしまう。そこで、被らないように事前に欲しいものを聞くようにしているのだ。それに村上が毎年頭を悩ませているのは知ってはいるが、やはり特別な日には贈り物をしたいので、盛大に悩ませることにしている。
 そして、盛大に悩んだ結果なのだろう。村上が持ってきたプレゼントの内容が『名前を、百回呼んでほしい』だった。
 どうしてそこに辿り着いたのだろうか。そもそも。
「名前とかいっつも呼んでんだろ」
 少し呆れを含ませて告げれば、村上が視線を落として「それは、」と少し顔を赤らめている。少し視線を彷徨わせて、意を決したように村上が顔を上げた。
「荒船に、名前を呼ばれると、嬉しいんだ」
 嬉しくて、幸せになれる。荒船の声は、綺麗で好きだから。
 つたなく伝えられる村上の真摯な言葉は、真っ直ぐ荒船の中に入ってくる。だから、名前を呼ばれれば嬉しくて幸せになれるというのは知っている。名前を呼べば綻ぶ幸せを、いつも荒船に向けているから。
「だから、いっぱい名前を呼んでほしい」
 いっぱい。だから百回と言ったのか。
 顔を赤らめて、真っ直ぐ見つめる村上に、百回ぽっちでいいのか、と思わずにいられない。きっと何か遠慮でもしているのだろう。我儘言って困らせてはいけないと。
 この恋人は、自分がするのは構わないのに、されるとなると気が引けてしまうところがあるのか、急に遠慮がちになることが多い。むしろ恋人なんだから、もっと我儘言ってくれても全然いいと、荒船は思っているくらいだ。対等でいたいから。するもされるも平等でいたい。
 実は、荒船はきちんとプレゼントを用意している。サプライズだ。これに関しては、村上の欲しいものと被ることがないと自信がある。本来なら、ここでその相談もしようと思っていたのだが、思ってもいない願いがやってきたので一旦置いておくことにする。これは、ご褒美にしてやろう。
 少し悩んでいる前で、村上が「いや、今日、全部じゃなくていいんだ……」としどろもどろになりながら言っているのを、「鋼」と呼ぶことで遮る。
「鋼」
 びくり、と跳ねる村上の体。「鋼」もう一度呼ぶ。顔が赤く染まっていくのが楽しい。
「鋼。少し早いけど、俺への誕生日プレゼント決めた」
 顔を赤く染めながら、村上はきちんと視線を合わせてくる。こういった姿は、荒船が村上の好きなところのひとつだ。何を強請られるのか、期待に満ちた深く黒い瞳が映す自分の姿が嬉しくて、思わず口角が上がった。
「鋼、俺の名前を百回呼べ」
「え、」
「いいか。俺の『名前』を、百回呼べ」
 なまえ、村上がぽかんと呟いた後に更に顔を赤らめる。きっと、意図に気が付いたのだろう。顔を赤くさせて戸惑う姿に、譲れない意志を持って笑顔で応える。
「あ、あらふ――
「鋼。『名前』だ」
 重ねて告げると、うぅ、と唸りながら、顔を上げる。
 顔を赤くして、けれど視線はそらさないまま、真剣な表情で、幸せを乗せてその名前を告げた。


 ◆


「百回呼べたら、ご褒美が待ってるからな」
 とりあえず五回呼ばされたところで、荒船が鞄から取り出した封筒を目の前に差し出された。ボーダーのものでも大学のものでもない、見慣れない、厚みのある封筒を首を傾げながら受け取った村上は、封筒に印刷されている文字を目で追っていく。
 そこに書かれている文字は、村上でも知っている不動産会社のもので。
 不動産会社の封筒。中に入っているのはきっと、物件のチラシだろうか。
 家を探しているという話は聞いてなかったが、引っ越しでもするのだろうか。不動産会社の封筒を持っているということは、検討をしているのだろう。しかし、何故?
 荒船は大学院へ進学する。今住んでいる家との往復は変わらない。大学とボーダーまでの立地はそこそこで、不満もなく四年間通ったはずだ。村上は、卒業後はボーダーでの就職が内定している。今の家は、少し大学寄りの物件ではあるが、ボーダーに通うにも申し分ない場所である。
 そこで、これを渡した荒船の言葉を思い出す。ご褒美。
 進学、就職、物件、――ご褒美。その意味するところは、間違いなく。
 目を見開いて村上は顔を上げる。目の前の荒船は楽しそうにその表情を眺めていた。
「百回どころか、これからもずっと名前を呼び続けてやるよ」
 だから、さっさと百回呼び終われ。
 そう告げる荒船は、幸せにあふれた表情をしていた。