円環

写真を撮る話 ムロマチから転生を続け、やっと現代で再会した二人です
⚠︎転生中雑さんに家族がいた描写が少しだけあります
⚠︎死後の世界の話があり

円環

 かつてカメラがこんなふうに、小さな機械に収まっていなくて、ネガやフィルムのいるような少々の不便利さがあり、暗室で出来上がりを見上げた時代に私は生きていたことがある。そのとき、暗室の天井はとても湿っぽくて、雨音がザアザアと聞こえる中、これっぽっちも光の届かない場所で私の両目は虚ろしか映さなかった。これが陣左がいない世界というものかと実感した。
 たしかに世の中は楽しく平和ではあった。高度経済成長の止まらぬ中、写真館で笑いあう人々を撮り、衣装を着替えさせ、よく表情を変える子どもを撮るのは一苦労であったりとか、親は叱咤しながらも、自分の衣装の崩れをどうにか保っていたりとか。愛想笑いで次々とシャッターを切る毎日、毎日の連続だった。
 私の死は本当に静かなものであった。たとえ両の目があっても、タソガレドキの誰も見つけられずに輪廻を跨ぐこともあるのだなと思いつつ逝った。体からすっと血が引き、冷たさを帯び、最後に耳元で「ご臨終です」と聞こえ、その当時の妻や、家族が泣いていた。
 たくさんの人を撮った。たくさんの笑顔を見た。けれどそのたびに、今度こそ私の見たい景色が撮れると思うのに、出来上がった写真を見るたび、ほほえみながら、心の片隅で「違う」と呟くばかりの人生だった。
 違うのだ、当たりまえに違う。被写体が違うのだから。けれどそれはもうわがままなのだろうと半ば諦め、何度目かの輪廻を経て蘇る。
 ──流れた年月を渡り、目のまえにやっと現れた陣左は、こともあろうに十五歳の中学生だった。私は今生で、先天的に片目を失明していて、その片目でぐるりと見渡したとき、陣左がはっきりと捉えられた。
 横断歩道の向かい側、黒い髪を短く切り揃え、友人たちと歩いている学生服の男子が、こちらに気づくことなく通り過ぎようとしていた。偶然ここを通っただけかもしれない。この先の中学の在校生なのか、それすらわからない。私は土地勘にまだ詳しくないのだ、転勤してきたばかりだから。
 今回の私は会社員だし、声をかけて覚えていなかったとしたら。不審すぎるし、恐ろしがられる。陣左に限ってまさかそんなことは、と思う気持ちと、この世の仕組みや記憶の回路への疑いが、私の一歩を遅くした。
 ──しかし、やはり陣左は陣左だった。私にちゃんと気がついた。気がついて、しかし声をかけるタイミングがわずかにずれてしまった。どうしようと狼狽うろたえ、青信号が点滅を終えようとしている。人の波に飲まれ、私たちは互いを見失いそうになる。
 そのとき、陣左の形の良い口元が動いた。矢羽音のような、鋭い耳鳴りが届く。こんなの、数度の輪廻の内でも久しく感じることがなかった。あの子は、忘れていなかったのだ。タソガレドキの忍びであったという誇り、そして今の私へ伝える最適の術を瞬時に悟り、
『明日もここを、同じ時間に通ります』
 と、最適の答えを残した。一瞬の隙ののち、もう陣左の頭は人に埋もれてみえなくなってしまった。陣左の友人たちの笑い声も吸い込まれ、雑踏の、がやがやとしたうるささによってそこはあっという間に埋め尽くされた。
 その騒音はまるで、最期に私を看取ったときに陣左のそばで鳴いていた、夏の蝉のようだった。

 だから今、カフェで顔を突き合わせ、なにを話したらいいのか考えあぐねているのはそうした経緯からだ。久しぶりの輪廻で出会った旧知の仲の者というのは、どのような会話をしたら良いものなのか。ましてや相手は現代の十五歳、学生服は知らない学校のもの、校章もわからず、過去にそばにいた知人たちの名を出してもまだ出会っておらず、つまるところ共通の話題は全くない。
 後ろ頭をかり……とかいて、私は重たい口をようやく開いた。
……授業は、楽しい?」
 なんとくだらないことを聞いているのか。けれど陣左は「はい」と言って笑い、少しだけ、学生生活の話を漏らしてくれた。
 十五歳。自分も経験をした、生徒や友人との触れ合い。教師がときどきかもし出す理不尽、社会生活の学習。陣左の時代との多少の違いはあれど、大体捉えているものは等しく、「大変そうだね」と私も話を聞きながらようやく笑えた。
「くみが……雑渡様は、今は、なにを」
「会社員だ、この春転勤になってここへ来た」
「春から」
「うん、二、三年は飛ばされない予定」
 十五歳の少年は困惑している。
……行ってしまわれる可能性があるのですね」
 湯気のたつコーヒーを飲めないまま、私はその言葉の意図と重さを肌身で感じた。十五歳に、転勤の二文字は大きい。この湯気のようには、容易に振り払えない。会えたのに、また遠くなるかもしれないという事実が将来待ち受けている。陣左は複雑な面持ちを隠さなかったし、私も眉間のシワが取れなかった。
 ──ふと暗室で、一枚の写真を持ち上げたときのことを思い出す。カメラマンとして、写真館で多くの子を撮っていた時代。十五歳の子ももちろんいた。思春期の棘を出す子も、案外素直な子も、親と私のまえで表情を変える器用な子もいた。
 今、目のまえにいるのは陣左だ。私が室町で火傷を負い、その間に成長を遂げたころの年齢の陣左だ。馴染みはあるが、幼少期のそれより少し大人びた肌色、骨格をしている。
 私たちは触れ合ってこなかった。この陣左を、抱くことができなかった。そんな時間も暇も、相手の心をたしかめる余裕もなく、しかしただ共にいた。まるで当然のように陣左がいて、最期まで私のそばに仕え、私の死にこぼした涙が落ちるのを耳元で聞きながら、聴覚が途切れるその一瞬まで、私は部下たちと陣左を思っていた。
(もう、泣かせたくはないなぁ)
 気づき出すと、少年を手放すのを惜しむ自分がいて、それは現代においては非常にまずいことで、未成年の犯罪だとかそういうのを当然陣左もわかっているらしく、唇を結んで懸命に考えていた。
「写真を撮る、なら、許されるかな」
「写真……ですか?」
 ぱちりとまばたきをして、陣左は目を合わせた。室町のときよりも幾分和らいだ表情かと思えば、切れ長の目は相変わらず私を魅了したし、手入れのない眉のはずなのに形良く品がある面立ちをしているのは得なことだなとつい感じ入ってしまう。
 この子のこれからの三年を、私は室町時代に目に焼き付けることができなかった。今なら、それを挽回できる。腹の奥底からくらくらと、めまいのごとくその誘惑は私を狂わせた。
「お前の写真を、撮っておきたいんだ」

 ──そうして連絡先を交換して、私の転勤までの間に人知れず会い、写真を撮った。それはただの邂逅であり、うつくしい時間だと決して思わず、いつも二人で気を引き締めていた。そうしなければ、きっと恋をする。もうあのころのように戦もなく、平和な世で、阻むものは年齢くらいしかないのだから、せめてその予防線を超えないように、超えないようにと踏みとどまって、健全な付き合いを続けた。
 アルバムにたまる写真は、十五、十六、十七の年齢を経るごとに増えた。最初、撮られ慣れていない表情は固く、いくら言っても「すみません、一人で撮られるなんて」と顔を背けたまま恥ずかしがるお前を見るのが好きだった。中学校の卒業式を終えて、新しい制服に着替えてしばらく、背が伸びるのにひざが痛いと言っていて、撮り終えたあとソファに横にならせ、冷やしてやった。受験のために勉強を教え、そのペンを持つ姿が新鮮で何枚か撮った中、どれをアルバムに残そうかと選ぶのが難しかった。
 大学生になって友人が一気に増えたお前に、容易に近づくことはしなかった。そのころの陣左はもう、火傷を負ったあとに初めて再会した、室町で見てきた陣左になっていた。写真を撮るなんていう関係は、新しい環境を作る上で当然奇妙なつながりだし、もうそろそろ終わりだろうと踏んでいた私に、お前は必ず歓迎会やサークルに呼ばれた帰りに連絡をくれた。
 最大限の注意を払った私たちの出会いは、四年後に訪れた転勤の辞令まで続き、そのことを陣左に伝えると、とうとう彼に、
「二十歳になったら、そちらへ会いに行っても良いですか」
 と先手を打たれた。私が言うはずだったのに、大人は臆病でずるいものだから、強く射抜くような陣左の視線にあてられるとまぶしくて、けれどもういいのだと、二十歳になれば、お前を独り占めできるのだと嬉しく震える自分がひどく情けない、ただの男なのだとわかった。
 初めて「泊まっていきます」と言われた日、昼も夜も、構わず抱いて、その気だるい雰囲気を残したままの陣左だけは決して写真に収めなかった。抱けばなにかが変わると思ったのに、私たちの関係はちっとも変わらない、室町のころと同じだったからだ。抱くも抱かぬも、今となれば大した差はなかった。戦があるから、忙しい身であるから、組頭と補佐という立場をわきまえていたから──いろんな理由があったが結局のところ、互いに背を預けて戦い続けた日々が、互いを抱き合うような情熱であったのだな、と私もお前もこのとき気づいて、かすかに笑い合った。そのシーツの中の笑顔だけは、撮っておいても良かったかもしれないと今も後悔している。
 日常と、喧騒の中にいるお前と、特別に出かけた場所でのお前を撮り溜めて、しかし数枚ほど、怒った顔をして後ろを向いたままの姿の写真もあった。あまりに新鮮だったからなのだけれど、「怒っているのに写真を撮るなんて」と呆れられた。
 ピントの合わなかった写真が、少しずつ合うようになり、けれどまた、合わなくなっていって、お前とも昔話を多くするようになった。やがて足腰が動かなくなり、車椅子を押してもらう間も、私を見下ろすお前を撮った。最後に撮った写真など、見る影もなくブレていただろう。私の動かなくなった手足の代わりに印刷をしてくれて、
「雑渡様は、なぜこんなに写真を撮るのがお上手なのですか?」
 と今さらのようなことをお前に聞かれたのだ。
 お前に会えない輪廻の内、写真館を営む時代があったんだ。当然タソガレドキの誰にも、会えずじまいでさ。昭和の、古い街の一角で、何枚も何枚も、他人の幸せを撮っていた。いつか自分の幸せを撮るための、練習だったのかもしれない。そのときの私だって、幸せ者だったに違いはないのだけれど……おや陣左、嫉妬をしないでおくれ。お前もどこかの輪廻で、結婚をしたの? 子どももできた? 楽しかった? 私はその世界でのお前だって見たかった。どんなお前も、残しておきたかったよ。
「それでは、あなたに残される私がどう過ごしているか、お知らせしに参りますね」
 死の間際に耳元で囁いた陣左は、場違いにひどく楽しそうだった。私もこのあと自らが火葬のために炎へ投じられるのを、初めて恐怖なく受け入れられた。その中には一冊の分厚いアルバムを添えてくれた。思い出と共に果てることを、許される時代なのだとわかる幸福が私を強くした。

 ここは川の流れが強い。かつてはその深瀬を通ったこともあったが、今はそんなこともなく、私は数年まえに橋を渡ってこの地へ立った。その川を眺めながら、陣左も橋を伝ってやってきた。川から吹く風を気にせず、私の元に駆けてくる。そういえば彼は、逆流や向かい風をものともせず、私の元へやってくるほど苛烈な男であったなぁと思い出す。
 花の咲く小さな丘で、私がずっと待っていたことを喜ぶと、陣左は胸元から数枚の写真を取り出した。
「私が自分で撮ったものなので、到底雑渡様には及びませんが」
 そう言って一枚ずつ、川のほとりで陣左が説明をしてくれるのを、私は繋いだ手を離さないよう、ゆっくり聞いている。