喫煙室へ向かう足取りは重かった。明らかに裏のある任務。大深度地下施設、その深度3の調査とはいえ、隊長格が単機で赴く必要はない。だというのに、隊員が全て出払い、俺が行くしかない状況になっていた。長年追われた身だからこそわかる。これは、罠に違いない。
しかも、そんな明らかに裏のある任務を与えられたのは俺だけではなかった。
俺より先に喫煙室で煙草をふかしている男の背中を窓ガラス越しに見て、一瞬、足が止まる。自分と同じく、死地に向かう同僚――そして、密かに思いを寄せる相手に、どう声を掛けて良いのか、俺にはわからない。しかし長年の習い性は否応なしにそれらしく振る舞わせてくれるのだから……全く、うんざりする。
一つ、すうと息を吸って、止める。喫煙室のドアノブに手をかけて、足を踏み入れる。先客だったそいつは、人好きのする懐っこい笑みで俺を見た。
「やあ、オキーフ長官」
同僚らしく、別部隊の隊長らしく。俺は片手を挙げ、口を開いた。
「お互い苦労するな、ラスティ」
俺の言葉にラスティは苦笑して、はは、全くだ、と、いつもと同じ調子で軽口を叩いた。これが最後になるなんて欠片も思っていないような、否、いつ死んだって仕方ないと諦めているような、そんな掴みどころのない笑み。
そんなラスティの隣に陣取って、胸ポケットから煙草とライターを取り出す。いつも通りに火を点け、ゆっくりと煙を吐き出した。この、最後の時間が少しでも長く続くように。
ラスティが俺のことをただの同僚としてしか見ていないことはわかっていた。俺の密かな献身も気遣いも、こいつは知らない。気付かれないように立ち回っていたのだから当然だった。それを責める気はなく、ただ、それを洗いざらいぶちまけてやったら、俺はどんなに死にたくなるだろうと、そう思うだけだった。
お前が解放戦線の人間だということも、始めから知っていた。お前が残した迂闊な痕跡を隠し、もみ消した回数なんて、もう覚えていない。何も気付かれていないと、お前は腹の底で俺たちを嗤っていただろうか。それでもいい。しかし、お前はずっと俺の手のひらの上だった。俺が何もせず、手のひらの上のお前をただ愛でていただけ。
全てを明らかにしてやったら、こいつは躊躇いなく俺を縊り殺すだろう。俺の知っているラスティはそういう男だ。それもいい。それもきっと悪くない終わりだ。なのに、同僚らしさ、隊長らしさを保とうとする俺は、何も言わずにこの時間を終わらせようとする。
「全く、無茶な作戦ばかりだ」
そう言って煙草をふかすラスティは、やれやれとおどけて見せた。そんな様子に、どんな顔をして良いのかわからなくなる。お前を庇いきれなくなったから、こんな無茶な作戦に駆り出されることになったのだ。たった一人、ミシガンを含むレッドガンの大部隊を相手にするなど、無茶どころの話ではない。
「お前ならやり遂げられるさ」
「当然だ。私にはまだ……成すべきことがある」
このルビコンのために、か。うんざりすることばかりの惑星だが、こいつにとっては替えのきかない、守るべき大事なもの。そのために身を削り、心を削り、走り続けて来たのだ、こいつは。美しい瞳の先に見据える、理想の惑星を目指して。
「……ラスティ」
「ん?」
最後に何か気の利いた言葉をかけてやれたら良かったが、そうもいかなかった。俺はお前の同僚で、上司で、片思いをしているだけの、つまらない男だったから。
「気を付けてな、ラスティ」
「ああ。君もな」
生きてまた出会えたら、こうしてなんてことのない喫煙室でのひとときを過ごしたい。我ながら、なんて慎ましい願いだろう。だが、そんなことを思えるだけで、僅かな希望を尊いものだと思えるだけで、手術を受けた甲斐があったと素直に思えた。
煙草を消して、俺より先に喫煙室を出ていくラスティの背中に、聞こえるかどうかもわからない大きさで声をかけた。
「またな」
返事代わりにひらりと手を振って、ラスティは扉を閉めた。きっと、届いていただろう。たった三文字に込めた、俺の小さな願い。
短くなった煙草を消して、もう一本、火を点ける。ふわりと漂う紫煙の向こうには、もう、誰もいなかった。
※※※
シュナイダーから出向してくる新たな第四隊長の身辺を探るのは、第三隊長として、そして特殊情報局長官として当然の仕事だった。新入社員の出自は必ず第三部隊が精査している。入社してすぐ隊長格に抜擢される程の人間なら、余計に念入りに探る必要があり、それを担当するのは長官である俺でなければならない。
なにも問題がないように見える経歴でも、巧妙にカモフラージュされていることは調べればすぐにわかった。過酷な環境の中、ACの操作技術を鍛え上げてきた、実力あるルビコニアン。そんな人物がわざわざシュナイダーを経由してアーキバスに潜り込む……ということは、つまり。アーキバスを利用して、何かを企んでいる――。そう考えるのが自然だった。
あいつの素性を洗いざらいぶちまけたって良かった。いや、立場上、そうするべきだった。調査結果をそのまま報告し、身柄を拘束して引き渡すよう手配して、後は悪趣味な再教育センターなり、上官殿たち肝入のファクトリーなりにぶち込めばいい。
しかし、俺はそうしなかった。途方もない時間をかけてかき集めた調査結果を、同じだけの時間をかけて全く不自然なところがないように改竄し、上層部に提出した。素性に問題なしという特殊情報局長官のお墨付きがあれば、多少のことは誤魔化せるはずだった。
たった一人、牙を研ぎ、故郷を侵略しようとする企業の喉笛を噛み千切ろうとする狼。顔を合わせたことさえ無いそいつを庇った理由は、自分でも良くわからない。あの行き詰まった惑星の中、必死に足掻こうとする男の姿に、忘れていた何かが呼び起こされるような、そんな感覚があったからかも知れなかった。憧れ、羨望、一欠片の恋心――そんな、青臭いものを。
自分が強化人間になった時のことは、良く覚えていない。第二世代型強化人間。第一世代の低すぎる生存率に比べればマシになったとはいえ、その生存率の低さも、後遺症の重さも酷いものだった。過去も何もかもを消され、記憶も情動も何もかも失った俺は、都合良く誰かに使われるだけの人生を送っていた。疲れを感じる感覚も失われていたから、倒れるまで働かされることもよくあった。
どんな扱いをされてもなんとも思わなかったし、本当の自分がどんなものだったかもわからなくなっていたから、そういう風に振る舞えと言われればそうしたし、元々そういった才能があったのかどうかは知らないが、飲み込みも早かったように思う。おかげで自分というものが何なのかは、よくわからなくなってしまっていた。
何も感じない、というのは今思い返せば厄介なことだった。何を言われても何を命じられても、それをそのまま受け取って、実行することに何の疑問も抱かなかった。それの良し悪しも、倫理観さえ考えようと思わなかった。暇な時間を延々と潰していくような感覚。仕事を与えられていなければスリープモードに切り替えて、こんこんと眠り続けていたに違いない。
してきたことは本当に多岐に渡った。強化人間らしい、ACに乗っての仕事もあれば、生身での仕事も。人殺し、護衛、詐欺、運び屋、窃盗、体を使っての情報収集。極稀に慈善事業も。どんな仕事も、暇潰し以上に感じることは無かった。
そんな日々を何年続けていただろう。その間、雇い主は何度か変わった。雇い主は老若男女様々で、俺に飽きて誰かに安く譲ったり、前の雇い主が死んで引き取られたり、その経緯はどれも違った。雇い主が誰であっても、俺がすることは変わらない。だから、雇い主なんて誰でも良かった。
そんな中、一通の暗号メッセージが俺の元に直接届いた。建前は独立傭兵となっていた俺に、傭兵支援システムからの案内が届くのは珍しいことではない。ただ、暗号化されたメッセージが届いたことは、今までに無いことだった。
そこに記されていたのは、コーラルリリース――コーラルと人類の融合、その協力者となって欲しいという、突拍子のない誘い。
人生とさえ呼べないような自分の生活にもうんざりしていた。その企みに乗って、〝普通〟の人間たちをめちゃめちゃにするのも悪くない――そう思った。俺も若かったし、鈍くなった感情と情動なりに、世界に意趣返しをしてやりたかった。
表面上は今まで通りに雇われ仕事をし、裏では今までの生活で得てきた経験を基に〝彼女〟の厄介な依頼をこなしていった。今思えば無茶に過ぎる依頼も多かったが、旧世代型強化人間らしい鈍さのおかげで、さほど不快にも思わなかった。何人かいるらしい〝彼女〟の協力者も、似たような感覚で使われていたに違いない。
だが、そんな生活にも唐突に終わりが来ることになる。
俺の最後の雇い主は、一番長く俺を使っていた男だった。いくつも汚れ仕事を任され、それをただこなしていくだけの日々。
雇い主は金の匂いにつられて、率いていた傭兵集団を連れて木星へ渡った。俺たちは木星での動乱に巻き込まれ、雇い主はあっさりと死んだ。そしてその瞬間から、俺の人生――人生と呼べるほど意思を持って生きていた訳では無かったが――は動き出した。
面倒なことに、いつの間にか雇い主の右腕のように扱われていたおかげで、俺と同じく雇い主を失った連中は全員が俺を頼った。どんなに無茶な命令だろうと、言われたことを全て淡々と完璧にこなしてきたせいだ。何も考えずに生きていただけなのに。だが、このまま誰かの命令を待っていては死ぬだけだ。それも全員が。
仕方なく、俺は目の前の連中を雇い主だと思うことにした。彼らが生きて帰りたい、ここから脱出したいと願うなら、そのために出来ることをやるまでだ。
僅かな生存の道を探り、出来る限り多くの仲間たちを守るために奔走し――結果として、半分は死に、残り半分は生き延びて、俺と共に木星を脱した。半分しか帰してやれなかった。死んだ中には妻子がいた奴もいたし、老いた父を一人で養っていた奴もいた。即死した奴もそうでない奴も。しかし、彼らは一様に俺に恨み言一つ言わずに死んでいった。無茶な作戦の中、大怪我を負って帰還して、得意げに笑って死んだ奴さえいた。どうして、そうやって笑えるんだ。どうして。
雇い主が溜め込んだ金の七割は死んだ奴の遺族に送金し、残りは生き延びた俺たちで分け合うことにした。それでも、それぞれが新たな人生を歩むのに何の問題もない程度には法外な金額だった。だから、次に会う時は敵同士かも知れないな、そう漏らした俺に、全員がきょとんとした顔を向けたのが、あまりにも意外なことだった。
「何言ってんだよ、わざわざあんたの下から離れる必要がどこにあるんだ?」
「これからも頼りにしてるぜ」
「……お前ら、どうして……」
俺を見つめる視線はまっすぐで、嘘はないのは明らかだった。彼らは純粋に俺を慕い、頼ってくれている。手術のせいで鈍った感情や情動は長い時間をかけて少しずつ取り戻しつつあったが、それでも、〝普通〟の人間から見れば、機械か何かと変わらない程度。それが、ぐらりと揺らいだのが自分でもわかった。蔑まれ、使われるだけだった自分へ向けられた信頼の情。このままではいたくない。そして、こんなにもあたたかいものを壊してはいけない――そう思った。
幸か不幸か、木星での俺たちの働きはすっかり有名になっていた。いくつかの企業からのオファーがあり、その中には、俺たちのせいで多大な損害を被ったはずの企業の名もあった。強かなことだと思いつつ、俺はその中でもっともいい条件を出してきた企業とコンタクトを取った。金額に文句はない。ただし、こちらから追加で二つの条件を提示した。仲間たち全員をまとめて預かってくれること、そして、俺にコーラルの焼き付きを緩和する手術を受けさせてくれること。アーキバスはその条件を呑んだ。仲間たちはそのまま俺と同じ部隊に配属となり、俺の手術も無事に成功、その後ヴェスパーの番号付きになった。
手術を終えた後、仲間たちと飲んだ酷い味の酒は今でも覚えている。キツいアルコールの匂い、雑味だらけの毒のような味。それでも、人生で一番の、美味い酒だった。
それから数年後、当時の仲間たちはもう、アーキバスにはいなくなっていた。半分は死に、半分は仕事が出来ない体になり、故郷へと帰った。そして俺は、新たな部下たちと共に、辺境惑星ルビコンⅢでのうんざりする仕事へ向かうことになる。
※※※
かつて俺の脳を灼いたコーラル、その源泉たるルビコンⅢからやって来た男――ラスティが、ルビコンをその手に取り戻した果てに、どんな世界を目指しているのかはわからない。おそらく、あれがルビコンの外に出てしまったらどうなるか、そこまでは知らないはずだ。今はただ、ルビコニアンが正しくルビコンの中で生きていける世界を目指して駆けているだけ。我々侵略者を排除し、この惑星をルビコニアンの手に取り戻す――自身の駆ける道が正しいと、そう信じて。ある意味では幸せな男と言えた。けれど、その青臭さが、がむしゃらさが、ただ眩しかった。俺にはもう取り戻せない、愚直なまでの素直さが、どうしようもなく羨ましかった。お前が拓くルビコンの未来を見てみたいと、そう願ってしまう程に。
お前はあの戦いを乗り切ることが出来ただろうか。生きて帰って来られたとしても、その先に待ち受けるのは、きっと、もっと碌でもない任務に違いない。
独立傭兵レイヴン――その名を何度、お前の口から聞いただろう。お前が、戦友、と楽しげに語った相手が、かつての俺が願った世界をもたらそうと、目の前に立っている。
そいつがどんな姿をしているのか、俺にはわからない。第四世代の、コーラルに脳を灼かれた強化人間。そいつは何を見て、どんな思いでコーラルリリースを決意したのだろう。だが、相応の思いがあったとしても、譲る訳にはいかなかった。どれだけ変わってしまっても、俺たちは〝人間〟だ。自分自身が、そうであろうとする限り。
だが、俺の言葉も、銃弾も、そいつに届くことは無かった。装甲を削り取られ、少しずつ動かなくなる長年の相棒と共に、俺の体にも終わりが近づいている。
「先に行くぞ、ラスティ……」
お前との再会は、地獄でか、それとも――。コーラルと人類が混ざり合った、新しい世界か。そんな世界でも、お前ともう一度会えたなら、その時は……。
息が止まる。心臓が止まる。脳が冷えて、目の前は何もない闇に包まれ、そして。
ああ、死んだんだ。そう思った瞬間、目の前に広がったのは、涙が溢れるくらい、蒼く澄んだ空。その先に向かって飛んでいく、彗星のように眩しい一つの星。スティールヘイズ。
俺の手のひらの上にいたはずのお前が、俺の手を離れて、高く高く、どこまでも飛んでいく。ああそうか、俺はそれが見たかったんだ。
スティールヘイズは、俺の手の届かない遥か遠くへ飛んで、すぐに見えなくなった。そうだ、それでいい。再会なんて贅沢はもう言わない。だからどうか、お前が自由でありますように。
俺の最期の願いが叶ったかどうかは、知る由もない。冷たくなった相棒の中、それに守られるように、俺の人としての生は終わりを告げた。
おしまい
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