煤逃
2025-04-30 00:38:54
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水木京太「『不完全な家』にて」

水木京太「『不完全な家』にて」のテキストデータです。


【底本】
『中央公論』41(1), 1926, pp.119-141.

【テキスト中に現れる記号について】
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)しかしもと/\猫ぎらひを標榜してゐた妻が
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」

【その他】
■水木京太の著作権保護期間は満了しています
■旧字を新字にあらためています。俗字や異体字はそのままとしています。
■誤字脱字などと思われる箇所についてもそのままとしています。
■今後、青空文庫への収録申請を予定しています。青空文庫へ収録された場合、このページでの公開は停止します。

「あなた、見て?」
 夜店あるきの帰りみちなどで、此頃は逆にかう聞かれることがある。
「なんだい。」
 私が問ひ返すと、それには答へずに、毛糸の襟巻に頰を埋めたまゝ悪戯らしい流し目だけは後ろへ投げる。で、その方を注視すると、道ばたの薄暗がりか塀の上かに、私を悦ばせる者の姿を見出すのである。
「あ、さうかさうか。気がつかなかつた。」
「ちいさくつて──あれ位なら可愛いわ。」
「うん。でも虎はいけないね、なんだかぼやけてゐるやうぢやないか。──あれはそこの貸本屋のさ。いつも店さきに坐つてるんだ。まだあの隣りのお米屋にも一匹、まつ黒な奴がゐるんだよ───」
 だがもうそれから先のはなしには容易に乗つて来さうもない。歩みを早めて、ほんのお座なりの応答をするのがおきまりである。しかしもと/\猫ぎらひを標榜してゐた妻が、路傍の猫を私に知らせるまでになつたのは、考へるとこの二年間に余程の改宗をした証拠である。
 勿論それはひやかし半分のことにちがひなく、到るところに目ざとく猫を見つけ出して「ほら、あれはどうだい、可愛ぢやないか」などと礼讃する私が、不注意からふと見過ごしたのに対して揶揄的に一本参らせたわけであらう。それにしても、近所の猫が喧嘩を始めたり台所へ野良猫が忍びこんだりすれば、「雛壇の猫鵺ほどに嫁さわぎ」を実行する妻ではあるが、少くとも街頭では他所の猫を鑑賞的に眺め得るやうになつたのは大した進歩と云はなければならない。この分で行くなら案外早く望みが叶ふかも知れないぞと、思はずほゝ笑まれる気がして、私も勇み立つて急ぎ足になる………
 ──自慢にはならないが、私は生れつき非常な猫好きである。物心ついてから、自分の家庭といふものを空想する場合、その和楽の画図中に常に一二匹の猫を描き入れることを忘れなかつた人間である。学生ならびに学生類似の生活をつゞけた十年余といふもの、不自由で荒涼たる下宿の二階にあつて望んだのは、立身出世の事よりもまづ小さくても一軒の家を持つて猫を飼ふことだつた。ノラとナナ──その名前まできめてゐた。
 ところがやつと家を持つことになつて、家婦たる妻が明に猫ぎらひなことを発見したのにはひどく消気ざるを得なかつた。私の期待する家庭愉楽の一部分が、一生味へないのかと思ふと全く情なくなつて了つたのである。年少にして旺盛期の自然主義文学を耽読した影響で、人生の現実暴露の悲哀とやらをいやになるほど教へこまれただけに、大抵のものには事新しく失望しなかつたが、何にしても妻の猫ぎらひは私の結婚生活に於ける最初の幻滅にちがひなかつた。
 その頃ペギイ・ベエコンと云ふ人の「王妃の猫」と題する小品を手にしたが、これが私には誠に意味深く読まれた。――或国に若い王様がゐて文武にすぐれた名君だつたが、どうしたものか大の猫嫌ひで、尻尾を見た丈でも王冠を取り落すといふ怖がり様だつた。それが良縁あつて王妃を迎へると相手が不幸にも大の猫好きだつたのである。
 婚礼の行列がお城に着いて花嫁が飾馬車から降り立つとその美しい胸に一匹の三毛猫を抱いてゐる。王様は見るなりあつと叫んで気絶して了ふ。さあお城は大騒動、王妃は面喰つてうろ/\する。
 気附薬でやつと息を吹き返した王様が王妃の部屋へ行くと、王妃は一切の事情を聞き知つてしく/\泣いてゐる。「妾は猫が居なくては生きて居られません。」「でも俺は猫が居ては生きてゐられない。」しかし王妃は「あゝ猫の居ない世の中なら、もう生きてゐる甲斐がない」と泣くので王様も妥協案を案じて「塔の中に閉ぢこめて置いたらどうだ。」「不自由で可哀相ですわ」「ひろい金網の囲ひでも拵へたら。」「身軽だからすぐ飛び越えます。」「それを家根の上にこさへて逃路を塞いだらよからう。」「それなら。」となつて早速実行して、王妃は毎日屋根へ出張愛撫の段取になつた。
 ところが猫は或日枝を垂れた樫の木を伝つて下界を馳けまはり、序に王様にも敬意を表したからたまらない。卒倒──樫の木は切倒された。次には雨樋を伝つて降りる――卒倒――樋の取り除き。今度は古い葡萄の樹から降りる――卒倒――御殿の名物が切り取られる。更に玄関の露台を足場にして降りる――卒倒。かくの如く卒倒また卒倒で王様は重い神経病になつた。
 侍医の診断に依ると猫の接近が致命的な障害とあるので、王様の命には代へ難く、王妃も泣く/\猫を他へ預けて専心看護の任に当ることになつた。が、王様が漸次よくなるのとは反対に王妃が病人になつて一日益しに重態になる。薬餌を取る気もなく「妾がこゝへ来たばりに御迷惑をかけて……やつぱり里へ帰つた方がいゝのですわ。」と泣く。床を並べた王様も「まあまあ」と計り慰めの言葉がない。
 これを気の毒に思つた侍医は見かねて或晩妙薬の匙を試した。お妃様は猫らしい猫でなくてはお厭ですか。」「いえいえ妾どんなのでも好き。」「それでは王様、猫らしくない猫でもお嫌ひですか。」「猫らしくさへなければいゝ。」そこで翌朝世界一珍妙な猫が献上された。
 無闇にひよろ長い胴体で而も尻尾がない。八角形の平顔に尖つた鼻、帆みたいに耳を立ててゐる。荒毛が焼野のやうによごれ、目なんぞ小さい上に凹んでゐて探さなければわからない。それがポオポオと汽笛に擬ふ声で鳴く。――しかし王妃はこれでも描だといふので飛びついて悦ぶし、王様も珍妙な恰好に思はず吹き出す。お二人とも病気が全快したのは云ふまでもない──
 この小品を私はたゞ面白がつて計りはゐられなかつた。珍妙不可思議な猫が出現でもしない限り、私が猫を飼ふことに依つてお城の悲劇を実現するかも知れないからである。
 しかし私が王妃程も猫を好んでゐるとしても妻が王様程に猫を嫌つてゐないのは事実だつた。私が少々並外れの猫好きなら、妻は普通の猫嫌ひ――いはゞ猫を好んでゐないといふ丈だつた。これが私に希望を抱かせた。
「病的な猫嫌ひでない限り、猫の可愛いところがわからない筈がない。段々それがわかりさへすればもうこつちのものだ。」
 それがいつの事かと思ふと淋しかつたが、とにかく「鳴くまで待たう杜鵑」の態度を執ることにした。マアク・トヱンに従へば「本当に完全な家庭」とは云はれない即ち猫なき家庭で、当分我慢することに心をきめたのである。
 私の猫好きの宿癖を苦が苦がしく思つて反感を持つてゐる友達連は、妻が猫嫌ひで猫が飼へない事を知ると一斉に「ざまあ見ろ」と痛快がつた。私は脣を噛んで「今に見ろ」と酬ゐるだけだつた。自分の趣味嗜好を抂げないと共に妻のそれをも尊重しようと心掛けてゐる私は、夫婦喧嘩の種を播くために無理に猫を飼ふ気は起らなかつた。私だけが相恰をくづして可愛がつたところで家婦に好かれなかつたら、その猫は仕合せな生活が出来ないにちがひない。だから第一猫の立場から考へても、私の家はまだ「本当に完全な家庭」になつてゐないからである。
 しかし私の猫好きを知り更に「家を持つたら二疋位飼ひますよ」といふ宣言まで聞いた人達は、猫の姿を見出さない私の家庭を不思議がつた。
「奥さんが来たので猫なんぞいらなくなつたんでせう。へへへ、それではあんまり不人情ぢやありませんか。」
 こんな風にひやかす人もあつた。私はたゞ苦笑を以て答へる外なかつた。
 そのうち第二の幻減に襲はれた。といふのは、一緒になつて二十日と経たないうちに妻が病気になつたのである。披露の後仕末や何かの雑務を手一つで片づけて、これから所謂新婚生活といふ濃厚な気分を味はふべく長火鉢の前に腰を下ろさうとする矢先き、新女房にうん/\呻り出されたのだからたまらない。私と妻は、白棒式のラブ・レターを取り交した結果成長して結婚した仲でないので、この新婚時代の二三ケ月に恋愛の真似事をしたり旁旁相互の理解融合につとめる予定てあつたが、何もかも滅茶/\になつて、花嫁も花婿もない。たゞの病人と看護人とに成り下らなければならなかつた。
 私は結婚して以来其時ほど暗い気持になつた事がない、妻とても同様であらう。楽しさを期待して苦しみが来た。妻の病気は結婚した為に出て来たものではあるが、私から云へばまた結婚に依つて病人を背負ひこんだ形でもあつた。夫婦の親しみも覚悟も身につかないうちに来たので、この病気は全くつらい重荷だつた。「こんなことなら結婚なんぞしなければよかつた」といふ後悔をお互に口にこそ出さないが感じ出してゐた。
 妻はなり振りを構ふ気力もなく、馴染のない部屋にたゞ子供のやうに頼りなく寝てゐた。私は看護の用事に身を動かしながらも重苦しい心配で抑へられてゐた。二十日一月二月と永びくにつれて生活の窮迫がきびしくなつたが、とても仕事なんぞ出来なかつた。私は氷囊を代へるために台所へ立つて、この情態がもつと続いたらどうしようと、何度暗い溜息をついたかわからない。──それが私達の新婚生活だつた。
 二人は慰め合ふにもまだ結び付きが十分出来てゐなかつた。別々の苦しさに悩んで、慰め合ふ言葉も知らずに目をそらすやうな気持だつた。
「こんな時、共通の慰めでもあつたらどんなに助かるだらう。」
 私は必然的に猫のことを思つた。仮りに妻も好きでこゝに一疋猫でもゐるとしたら、それを媒体に二人の心が容易く通ふと共に、可愛い生き物を見てゐるだけでもどんなに明るい慰めになるか知れない。束ね髪で肩寒気に床に坐つてゐる妻が、もし膝に猫を抱いてゞもゐたら、自分の親身の妻だといふ感じがもつともつと強く胸を打つて来るにちがひない。さうしたら同じ心配をするにしても、後悔などの少しも伴はない、充実し緊張した気持にすぐなれる事だらう。──こんな風に趣味嗜向の一致しない夫婦の生活は、やがて救ふべからざる不幸になるのではあるまいかと、前途のことまで果敢なく考へられた。
 私はゆくりなくもポオに就いての挿話を思び浮べた。彼は怪奇な名篇「黒猫」ではいふ所の猫好きを描いてはゐないが、作中猫の描写のすぐれてゐるのでも知れるやうに、彼自身本当の猫好きであつた。「悪の華」の詩人ボオドレエルは彼に私淑し翻訳までしてゐるが、同じく描好きの性情をもポオから伝襲したと伝へられる程である。そして更に説をなすものは、これまで猫を単なる鼠取り動物として功利的にのみ見てゐた英国文壇などが、猫を一個神秘的な存在として注目するやうになつたは偏にこの仏蘭西詩宗の作品に教へられた故だとする。それが真実ならば近代文学に於ける猫好きの系統は、まづ亜米利加のポオに始まると断じなければならない。
 それ程のポオだから、貧苦な生活を送つた晩年にあつても常に猫を離さずにゐた。ことに彼の死ぬ三年前の冬の日にフオオドハムの住居を訪ねた者の記述に依ると、彼一家の生活には猫が文字通りに必要品にまでなつてゐる。――堀立小屋のやうな破ら家には、一つの寝台以外に家具らしいものもない。その寝台にも布団などはなく、藁を散らしたのに真白い敷布を敷いただけで、その上に瀕死のポオ夫人が横はつてゐる。折抦の寒さで夫人は悪寒に身を震はせるが、それと交互に肺病末期の消耗熱が発作する。かけものとてはポオのだぶだぶした外套一枚ぎりなので、ポオは神秘な物語を書いた彼の手を以て痩せ細つた妻の手を、夫人の母親はまたその足を交々さすつて、只管病人の身を温めようとしてゐる。それでは寒さが凌ぎ難いので、夫人は寝ながら大きい三毛猫を胸に抱きかゝへる。と猫も自分の貴重な役目を知るものゝやうに、熱心に身をすり寄せて暖い毛皮を女主人に捧げてゐる――
 さういふ光景を想像すると、ポオの悲惨な生活のいたましさを痛感すると共に、愛する猫に夫人の肌を暖めさせてゐることが、猫の同好者としては羨しくも思はれた。自分が妻と共に同じ悲惨な境遇に落ちたとしても、そこには目を慰める一疋の猫の姿もなく、妻の肌に温を加へる柔い毛並もないとしたら更に悲惨であるにちがひない。──梅雨に閉ぢられた陰気な部屋に、蒼白い妻の寝顔を見ながら本気でそんな事を考へた。そして金策などに出かけると、たつた一人の留守居をひどく頼りながるので、半ば真面目にかう云つた。
「猫でも飼つてれば淋しくなくつていゝんだがな。」
 妻は返事をまぎらして僅に微笑を沈ませた目で睨んだ。



 それでも秋に入る前には、三月越しの妻の病気もやつと癒つた。その間は家政も何もあつたものではなく、御医者通ひがつづいたところへ、私は何も稼げなかつたから、たゞたゞ無理が重なるばかりだつた。
 こんな風に私達の悪夢のやうな新婚時代が過ぎたが、二人とも婦人雑誌によく出る蜜のやうな甘い楽しい語らひなるものをしなかつた代りに、一足飛びに協力生活にはひることが出来た。病気で倒れた時はまだ花嫁だつた妻も、床を離れるともう世話女房に早変りして、婚礼の晴衣を売つて米代にする始末だつた。それからが姙娠で出産で赤ん坊で、家事多端で結婚と共に飼ふつもりだつた猫の飼養を、改めて問題にするキツカケを失つて、つひ今日に到つた。
 たゞ初めに書いたやうに、此頃では妻も時々は猫の可愛いらしさを認めるやうになつたらしく、本物はともかく、玩具の猫などはいくらならべたところで別段眉を顰めるやうな事はしない。現に台所の棚には夜店で買つて来た土製の招き猫を威張らせてゐ、その肩口から屑屋に売つた新聞代を入れて、大掃除の時の人夫料を捻出したのでも知れるのである。
 しかし私がひどく強ひることなしに、我家に猫が飼へるのはまだ先のことであらう。それを知つてゐるので、此頃は何事でも出来ない相談の場合それを逆に持ち出すことにしてゐる。即ち自分だつて好きで好きでたまらないものを我慢してゐるのだから、他の者も相応に慾望を抑へて暮さなければいけないといふ事を暗示するのである。
「ねえ、伶子ちやんに他所行きのおちんちやんをもう一つ買つてやりませうよ。」
「下の六畳があんまりひどいんだから、暮のうちに畳代へをしたいわ──まだ裏返しが利きませう。」
 この類ひの要求があつても私は承知が出来ない。
「まだおしめをしてる赤ん坊に着物なんぞいらないよ。――他所行きだつて、縮緬のが一揃あれば沢山だ。」
「よせよ、家賃をためてゐる奴が畳代へでもないぢやないか。」
 かゝる明白な理由に承服せずに猶も妻が交渉をつゞけると、私は遂に奥の手を出す――
「そんなら猫を飼ふかい。」
「いやなひと。」
 これで至極円満にしかも見事に私の云ひ分が通るわけである。
 家を持つた当座は「さあ猫を飼ふぞ」と一時に意気込んだだけに、飼へなくなつて失望が大きかつたが、一度その望が挫折すると今日では是が非でもといふ程でなくなつた。無論猫好きの性情が衰頽したのではなく、それに親しむ機会が与へられないため反つて変態的に助長された気味ではある。しかし十年余の下宿生活以来私が猫に対する愛慕は次第にプラトニツク・ラヴの傾向を帯びて来たことは否まれない。
 まだやつと匍ひ匍ひが出来るやうになつた計りだが、うちの赤ん坊の遊び相手としてもやがては是非猫を飼ひたいと思ふ。でも、たゞ無闇に猫を飼ふことには少しく不安を覚えるやうになつた。妻さへ承知ならと考へてゐたが、自分の住んでゐる狭い家で、しかも隣の近い路次の中で果して猫を仕合せに育てゝ行けるかどうか、此頃その点を考慮するまでに余裕が出来て来た。
 この間もふと気がつくと、セルロイドのキユーピーさんとお話をしてゐた赤ん坊が、それにも飽きたか、頭を押すと台座でピイピイ鳴く招き猫をおもちやにしてしきりに悦んでゐた。
「どうだい、この子も猫が好きなんだよ。」
「いゝとこが似ないものねえ。」
「冗談いつちやいけない。――それにしても何だね、伶子ちやんのお相手に一つ猫を飼はうぢやないか――男の子なら犬でもいゝんだが、女の子は家の中にゐるんだから。」
 いつもならすぐに反対するのだが、妻はしばらくして真顔で云つた。
「だつて、お隣りのジヨンさんにいぢめられてよ、きつと。」
 自分もそれを考へないでもなかつたので、何とも言葉が継げなかつた。──四軒の家がまるでぎし/\に立つてゐる路次の中で、お隣りとは台所まで向き合つてゐるから、いつ我家の猫が訪はないと限らない。それに路次の警護役を以て自ら任じてゐる隣家の犬は、私の所へ稀に来る女客さへ撃退しようと吠えつき、時々玄関に寝てゐるので我家の飼犬だと思はれることもある。隣家の甚だしき怒りに触れる事があるか、ジヨン公に噛みつかれたりすることがあつても、お互表面笑つて詑びるより外なからう。これが更に近所の散歩区域で一服盛られるやうな事があつても後の祭りで、どう保護しようもない。――田舎のだだつ広い生家で猫を飼つた経験しか持たない私が、路次の陋宅に身を置いてゐるのを考へずに闇雲に猫を飼ふ事ばかり願つたのは、確に不覚と云へば不覚だつた。
 われ/\人間の生命や財産は法律が保護してくれる。その人間の造つた法律では、猫をどんな風に保護してゐるか一寸知りたくなつて書斎に上つたが、日本の現行法規に関する本がないので、とりあへずお馴染になつてゐる猫の文猷をあれこれと改めてぬき読みして見た。
 それに従へば猫が法律に依つて保護された例は沢山ある。古代埃及では猫が神格の扱ひを受けてゐたので、これを殺したものは其身も極刑を以て殺されたばかりでなく、飼猫の死に遭つた者は眉毛を刷つて其喪に服さなければならなかつた。死猫の傍にゐるとよく下手人の嫌疑を受けるので、埃及人はびくびくもので道を歩いたといふから、宛然犬公方治下の江戸の制度と同じものであつたらしい。
 それは多分に迷信から来てゐるものだが、十世紀ウヱールズで行はれた法律では、有用動物として猫が非常な保護を受けてゐる。当時のウヱールズは広漠たる地域だつたので、ヹネドチアン、ヂメチアン、グヱンチアンと三つの法典でそれ/″\の地方を治めてゐたが、いづれも猫を甚だしく尊重してゐる。
 そのヹネドチアン法典では、生れてまだ目を開かない仔猫を殺すか盗むかした者は法定貨幣一片、目を開いても鼠を取る前の猫なら二片、ちやんと鼠捕のれる猫になれば四片といふ罰金刑に処されることになつてゐる。しかも当時のお金で一片は仔羊や仔山羊鵞鳥牝鶏の値であり二片あれば雄鶏や雄鵞が買へ四片といへば立派な山羊や羊の相場だつたさうである。
 ヂメチアン法典やグヱンチアン法典はもつと奇抜な刑の執行になつてゐる。即ち第一のものでは猫を殺したり盗んだりした者は、猫の頭を平な床の上につけ尻尾を釣し上げたまゝ、小麦をざら/″\落として尻尾の先が隠れるまで粒を積ませ、それ丈の量を償ひとさせる。穀物を以てしない場合には、王様の畑を守る猫ならまだ毛を刈らぬまゝの羊の母子、普通の猫なら四片の貨幣を之に代へる。第二の者は尻尾で釣り下げる芸当は王様の猫に限り其他は四片の罰金ときめてゐる。
 この奇抜な刑量法は、しかし実施頗る困難だつたやうだ。と云ふのは殺した現場に下手人がゐたのならすぐにも出来るが、盗人も盗まれた猫も容易く同時に官憲の手には捕へ難い。更に自尊心強い猫は尻尾を持つてぶら下げられてさうおとなしくしてゐる筈がない、裁判官の髭なんぞは怖がらずに遠慮なく引つ掻いたり噛みついたりしたらしい。それから生れつき尻尾のないマンクス猫では、いかな名奉行でも全く手のつけやうがなかつたらう。その為か、一疋の猫の資格を法律で定める条項には、完全な耳目と共に完全な尾を持つことも必要とされてゐる。この法典でも一つ興味あることは、夫婦の離別に際しては「物件動産は二者これを等分すべし、但し猫一疋の場合は夫の所有たるべきこと」とある。これならよしんばむかしのウヱールズに生れて猫を飼つたお蔭で夫婦喧嘩をするやうなことがあつても、私にとつては誠に気が強かつたらう。
 これら伝説的なウヱールズの法典は明に猫を一の財産とする見方から制定されたものだらうがこれがひどくまめに動く上に自由意志を発揮する動物なので、近代に到つて種々な異論も出て問題になつてゐる由である。それに就いて特に完全な条文が作られてゐないためか、多くの判決もいはゞ出たとこ勝負で、偏に判官の思慮ある適用に任されてゐる様子だが、「屋内の虎」の著者ヷン・ヹクテンの言に聞けば、現代の裁判官は概ね猫好きださうだからまあまあ安心なわけである。
 こゝに模範的な判決例を挙げて見る。――千八百六十五年仏蘭西のフオンテンブロウの一市民がその庭園を多くの猫が暴れまはるのを憎んで係蹄をかけ、十五匹つかまへて私刑に処した。そこで飼主連は怒つてその不法を訴へ出たのである。これに対して同地の治安裁判所の名判事リシヤアル氏は、まづ最初に「法律ハ個人ガ自身ノタメニ自ラ裁判刑罰ヲ行フヲ許サズ」ときめつけた。以下がその論告の摘要である――
「刑法第四百七拾九条及ビなぽれおん法典第千三百八拾五条ハ、数種ノ猫、主トシテ野猫ヲ有害動物ト認メ、之ガ撲滅ヲ奨励スルモノナリ。但シ是等ノ条文ハ家猫ニ適用セザルモノトス。
「家猫ハ無主物ナラズシテ飼養主ノ所有ニカカルモノナレバ、正ニ法律ノ保護ヲ受クベキモノナリ。
「有害ナル齧歯動物ノ駆除者トシテ猫ノ利用ハ欠クベカラザルモノナレバ、法律ニ依ツテ認許サレタル動物ニハ広ク恩典ヲ施スベキコトヲ、公道正義ノ上ヨリ要求ス。
「家猫卜云ヘドモ常ニ半バ野性ヲ帯ブル復雑ナル性質ヲ有スレドモ、ソレニ依ツテ所期ノ奉仕ヲナスモノナレバ、宿命ニシテ且意義アルニヨリ之ヲ持続セシムベシ。
「一千八百九拾年ノ法令第拾二条、即チ家禽ヲ殺スコトヲ得ル法律アレドモ、之ト猫ノソレトヲ同一視スルハ甚ダ謬レルモノトス。何トナレバ禽類ハ早晩殺サルベキ運命ノ下ニアルノミナラズ、所有主ノ支配下ニ置キ得ルモノ、換言スレバ完全ニ隔離シ得ベキモノナリ。然ルニ猫ニアツテハ然ラズ、ソノ天性ニ従ヘバヨク檻禁シ能ハザルモノナレバナリ。
「犬ヲ殺セル場合ニ擁護セラレシ権利タリトモ、猫ニ対シテハ同様ニ意味シ得ザルモノトス。前者ハ危険ナル動物ニシテ狂犬病ナラザルモノト云へドモ往々襲ヒカカル事アレド、後者ハ恐怖ヲ催サシムル動物ニモ非ズ且スグ逃ゲ去ルモノナレバナリ。
「更ニ法律ハ、悪猫ト共ニ全区ノ無辜ノ猫ヲモ餌ヲ以テ誘フガゴトキ係蹄ノ架設ヲ、市民ニ許サザルモノナリ。
「何人ト云ヘドモ他人ノ所有物ニ対シテ、所有主ガ欲セザル行為ヲ施スベカラズ。
「なぽれおん法典第五百拾六条ニ従ヘバ、スベテノ財物ハ不動産及ビ動産ナルニ依リ、同法典第百二拾八条ニハ違背スレドモ、本件ノ猫ガ法律ノ保護ヲ受クベキ動産タルコトハ確実ナリ。故ニ殺サレタル猫ノ飼養者ニハ、故意ニ自己ノ動産ヲ損傷サレタルモノトシテ、刑法第四百七拾九条第一項ノ適用ヲ請求スル十分ノ権利アルモノト認ム。
 これは猫が害された場合のことであるが、逆に猫が隣家の鶏を害したり台所の肴を啣へたりした時はどんな事になるか。中世錬金道士の幅を利かした頃は猫もその相棒として尊敬され、当時生き物は彼自らの罪を人間に依つて裁かれる法律が行はれたにも拘はらず、猫だけはどんな事をしても治外法権で、単に証人として召喚されるに過ぎなかつた。
 ところが此頃そんな特権は剝がれて、良かれ悪かれ皆飼主の責任にされて了ふのである。例へば千八百七十年代にスコツトランドで鳩を殺したために訴へられた時、州執行官はこんな風に裁いた――「原告が鳩を飼ひ被告が猫を養つてゐること、これはいづれも正当なことである。但し猫は鳩以上に家庭的動物ではあるが、その飼主がこれを屋内に拘束して置くべき責任はない。原告の申条には猫は鼠同様に鳥類をも捕へる天性があるから、さうしないやうに馴らすのが飼主の義務だとあるが、しかしこれと同じやうに鳩の飼主もそれを防ぐやうに鳩を訓練することも心要な筈である。もし被告の猫が原告の家乃至鳩小屋に闖入したものなら今度の事は大体被告に責任があるものと見なければならない。同じ理由で鳩が猫の地域に侵入して殺されたものなら、鳩の逸出を防がねばならぬ筈故原告に求償権を認めない。さて今回の場合は、両者が他人の土地に闖入してゐる。それほど大切な鳥なら原告は注意して保護する義務があるべきだから、原告被告共に非難を免れない。だがこの事件は自然の法則通りに行はれたものと見るべきもの故、責を問はないのが至当である。」
 加奈太でカナリヤを取つた猫が訴へられた時飼主は、「猫はまだ或程度までは家畜化されてゐないから、生物を捕つて食ふ事も其野性の余習と見做す」とて許されたさうである。
 亜米利加のメーン州では猫が法定家畜表中に加へられてゐるが、飼猫を追ひつめて噛みついたので、高価な猟犬を殺したが罪にならなかつた。ところがバルチモア市では猫好きにとつては致命的な判決例が下されてゐる。それは或者が奇麗なマルタ種の猫を盗んだので、飼主は直ちに訴へた。いよ/\裁判になると被告側の弁護士は立つて論じて曰く「抑々人が猫を盗むなどとはあり得べからざる事であります。如何となれば動物は所有品ではないからです。ですから、今まで誰が可愛いがつてゐたところで、またしるしのリボンをつけてゐたとて、或はまた名を呼べば返事をしたことろで、其猫を勝手に自分のところへ連れて来ることは何等違法行為を構成しないのであります。」
 ところが驚くべきとにこの暴論は判官の容るゝところとなつた。そんな訳があるものかと控訴したら、上には上があつて「猫は単なる野獣に過ぎないし人間にとつて無用のものである。だから飼主の承諾なくして連れて行ても構はない」といふ理由で却下された。それからが大騒動で、猫好きの市民は手ん手に愛猫を入れたバスケツトを下げ此法文の圏外に逃れ去る為に、バルチモア駅発の列車は一時どれも之も満員だつたさうである。──かうなるとヹクテンの保証も甚だ当てにならない事になる。
 日本の法規のことは何も知らないが、バルチモア式の乱暴なことは決してない事を信ずる。われ/\自身の身の上さへまだ完全に保護されてゐない今日、猫に対する損傷のことには手が届かないまでも、せめて盗んだり殺したりする者には相当の制裁を与へて貰ひたい。一たん愛猫を失つた人にとつて何のたしにもならなくとも、有用動物として役立つ一面を社会が認めるといふ意味で、その程度の保護は当然であらう。
 ──さていろ/\判決などを読めば読むほど、自分で四囲の情況が顧られて猫を飼ふことが反つて躊躇される気持になる。私はこれまでに場末の小路を歩いて、せゝこましく建て連る長屋の窓などに人なつつこい目を挙げる猫の幾疋かを見た。それに依つて、やぶれ障子の蔭にも温い家庭生活が営まれてゐることがうかゞはれ、羨しく通りすぎたものである。それから大震災の後では、隣りとの仕切りも十分でない日比谷公園のバラツクにさへ、長閑に居睡る猫の姿を見た。路次の中ではあるが、その長屋やバラツク小屋よりは稍ましな家に住んでゐながら、猶愛する者を飼ふ決心が不安のために鈍るのは、私が心配性で臆病なせゐであらうか。或は中年まで独身生活をつゞけると容易に結婚出来ないやうに、実物の猫と永く疎隔して来たので気持がこぢれたせゐか。または猫といふものに惚れすぎて飼育の条件に余り多くを求めるのか。即ち私があまりに理想家なのか。――省みるにそのいづれかであるやうだし、或はそのすべてであるのかも知れない。



 そこへ行くと郷里の生家で送つた少年時代は、猫に就いて丈でも勿体ない程幸福だつた。祖父が好きだつたし父も好きなお蔭で、私の回憶にはいつも猫が顔を出してゐる。それは飼ふなどゝいふ言葉の適はない程で、猫も必須の一家族として大きい囲炉裡の団欒に常に座席を持つてゐた。私にしてもいはゞ猫との関係では飽和状態にあつて、改つた気持もせずに、一緒に生活するのを当り前の事として育つて来た。だから東京の下宿生活を始めるまでは、自分の猫好きが稍特別だといふ事さへはつきり悟らなかつたのである。
 其処で私が親しんだ猫の数はみんなでどれほどだつたか、いろ/\顔形は思ひだすが正確には云へない。たゞ原則としていつも家付きの女猫がゐる外に不綺量でお嫁に行けないのやお尻の癖がわるくて出戻りになつたのやが加はる事があつて、一時に三疋位はゐた事もある。祖父や父もいゝ猫を貰ひ集めるといふやうな好奇的な嗜好はなかつた。静に家付の猫をいたはり可愛がるだけだつた。そのせゐか私も至極平凡な猫好きであるに過ぎない。
 猫に就いての最初の記憶は、祖父母の夜食の場面である。幼い私は寝床にはひる前に、乳母に伴はれてよくその食膳に待した。玉子焼の類ひを割愛してもらう下心があるために、くすぐつたい感じのラプムの光に面を晒らしてせいぜいおとなしくお坐りをした。するとラプムの台脚のうすくらがりに、すでに老猫になつてゐた白黒の斑猫がうづくまつて、祖父の箸の動きに目を細めたり、ラムプの玉ホヤをまぶしそうに見上げたり、残肴あさり競争者たる私に警戒するやうな目付をしたりしてゐた。祖父と祖母と二つならべた高脚膳の間に小皿が用意されて、それに入れられた残りものがこの「坊やよりもおとなしい」斑猫の所得となつた。食後に与へられるのが待ち切れずに、彼女は膳が運ばれると同時にそこへ居催促に出張するのである。
 これが私にとつて初代の「斑」である。目に馴染んだ最初の猫が黒斑のせゐか、或はその後引きつゞいて其種のものと親んだせゐか、私には今でも白と黒との斑が一番猫らしく思はれる。しかしこの初代の「斑」の印象はまことに稀薄で、ことに触覚の上の記憶は全然ない。それも道理で当時の私は猫を抱くよりも、自身が一の寵物として家人の膝から膝へと甘えまはつてゐたのである。──たゞ町学者であり詩を草し和歌を詠じた祖父の、まぶたのたるんだ長者風の面影を偲ぶとき、いつもこの斑猫がぼやけた姿で頭に浮んで来る。
 私の十一の時祖父母相次いで逝き翌年は母が亡くなつた。第二の母を迎へるまでの一年間といふもの、北国風の庇の深い広い家は頼りない寂寥の棲家だつた。「葬式を三つ出せば破産する」と云ふが、事実重ねて葬式を三つも出した父は悲みや淋しさだけでなく、また多くの外的な苦患にも直面しなければならなかつた。私もこの引きつゞく不幸から妙にこましやくれた而も感傷癖の強い子供になつて了つた。
 その頃うちには二匹の猫がゐた。二代目の黒斑の女猫とその子の真黒な男猫とだつた。夕方になると、父は自ら戸締まりをするために提灯を手に土蔵をまはる習慣だつたが、ごろ/\と重苦しい奥戸の音が籠つて聞こえると、やがてまつくらになつた内土蔵から、まつはりつく斑猫を先にして、物思ひに沈んだ父の顔が現れる。夕飯の膳の上で食物のことでも愚図つてゐたらう私も、その父の顔を見るとぞつと陰気な感じに打たれて、すぐと黙つて了ふのだつた。子供心にも其頃の父は孤独地獄といふものに墜ちた人のやうに思はれた。
 当時の父にとつて、斑猫がどんなに貴重な存在だつたらう。父の牛乳のお余りは斑が貰ふのだが、瀬戸のコツプを持つて「斑、斑」と呼ぶ声音は、淋しい家に或る暖い気持を起こした。父が黙座して考へに沈んでゐる時、いつも斑猫が慰め顔にそばにゐたことを思ひ出す。――彼女は誠に理想的な家猫だつた。黒斑が半分ほど鼻の先を染めてゐるのが可笑しい感じを与へる丈で、中肉中背の形の整つた姿をしてゐた。それに温順で悪ふざけや空騒ぎなどせずに、邪魔にならずにしかも求むる時そばにゐた。まめに鼠も取つたが、割合に薄い肌毛を奇麗に保つことも怠らなかつた。一家の空気が雇人たちをも淋しがらせ、助け合ふ心を持たせた時ではあつたが、私の知る限りでは台所の方でも一番評判のいゝ猫だつた。父に馴れてお傍去らずで、便所にまで後を追つて行くのだつた。
 斑猫が父の従者だとすれば黒猫は私のお相手だつた。尨犬と云ふべきほど肥え太つて当才ですでに一貫目あつた。目が毒々しく青く実際「暗闇を目ばかり歩く烏猫」だつた。これが母親とは似もつかず、だらしがなくて仕様のない奴だつた。ところがどういふものか私は無闇にこのクロが好きで、寝るから起きるから傍を離したがらなかつた。
「兄ちやんの猫」といふので特別扱ひにはされたが、蔭ではみんなにいぢめられた。それにも懲りずに、特に私に対しは我儘の態度を改めなかつた。見てゐる前で膳の上の肴まで引くやうになつたし、呼んでもきつと来るわけでもなかつた。かと思ふと御飯をたべてゐる膝へ乗つてくどく追ふと私の手に爪まで立てた。
 たしなみが悪いから毛色の黒が赤茶けて耳にはよくごみを入れて来た。これが夜になると悠々として私の寝床にはひつて来て一緒に寝るのである。また夜中にうなされて気がつくと、夜具の上にどしり重く寝そべつてゐたりした。私の命令をよく聞くでもなければ、容姿が可愛いといふのでもない、まるで私を無視したやうに勝手な振舞をするのである。そしてその厭迫的な態度に魅せられたと云はうか、益々このクロが可愛くなるのであつた。
 冬の夜、ふと冷いものを感じて目を醒ますと、雪国の習慣で裸で寝てゐる私の肩口ヘクロが鼻先を入れて無理に寝床にもぐり込まうとして、角顎の顔に青目を輝かしてゐる。
「クロ、いやだよ、つめたい。」
 私が拒むと猶ふん張つて前脚まで入れて押し入らうとする。仕方なく夜具を上げると、安心してもうごろ/\咽喉を鳴らしてぬつと体を入れる。戸外をうろついて来たのだから、毛がぬれた上に冷えきつてゐる。胸や腹にそれを遠慮もなくくつゝけて、安易な寝様を作るために矢鱈に動く。その度に私は息を噛んで殉教者の気持で我慢するが、それこそ氷のやうに冷い蹠をぺたりとお腹に当てられると思はず身を縮める。しかしごろごろの音が一層高くなりクロの体の暖さを毛を通して感ずるやうになり、抱いた手をお世辞に嘗でもすれば、私は外でどんなに吹雪が荒れようと怖いとも思はず、満足してクロと共に眠つたのである。
 しかも床の中があまりうつたうしいか息苦しくなると、彼は乱暴に起き上つて私の眠りなどには関はずに枕頭に飛び出す。ところがいつからか、頭だけを夜具から出して体はぬく/\暖まつてゐようといふ横着な方法まで考へ出した。つまり私と首をならべて人間式に朝まで一緒に寝てゐるのである。私は二代目の斑もその後の斑もよく抱寝したが、いづれもこんな横着な寝方は教へても敢てしなかつた。
 甘えるといふには度が過ぎるこの態度が、しかも私の愛着を深くしたのは一寸妙でもあるが、動物を愛する者には共通の心理だと見えて、故二葉亭四迷氏は嘗て同じやうな経験を語つて居られる。それは「平凡」の中でモデルにした愛犬に就いてゞある。もと/\塵溜から拾ひ上げた仔犬を育てたのだが、これがどうして主人には大変乱暴を働く。家人ならばおとなしくだに、、を取らせるのに、主人では厭がつて首を振る、足掻いた上が手でも顔でもかまはず噛みつくといふ有様である。更に毎朝、奥の間で主人の起きた音でもすれば、いきなり玄関から跳り上つて障子も突破つて飛びこむ。それからが乱暴な朝の挨拶で、いくら止めてもべろ/\主人の顔を嘗めなければ承知しないといふのである。――この主人だけには遠慮なく荒れて我儘のありつたけを尽すのが、四迷氏には結局一番嬉しかつたのである。
 私に於けるクロもそれにちがひないが、長男坊主の我儘息子だつたので、特にサデイズム的態度が珍らしくてうれしかつたかも知れない。たゞ初冬に入つて郷里特産の鰰の気節になると、猫は魚片を拾ひ食ひしてきつと下痢を起こすが、度々夜具布団をよごされるのには困つた。またどこから伝染したかひどい皮膚病にかゝつて、お尻の毛が落ち赤禿の肌からじく/\汁が出るやうになつても、寝床に押しかけて来るのに閉口したことがある。
 それにこのクロはさしづめ人間ならロイド眼鏡の不良少年といふところか、放肆無頼でさかり時となつたら十日も二十日も帰つて来なかつた。其度毎に私は心配でもあれば淋しくあり、町内の氏神様へ帰宅祈願のお詣りに出かけたものである。しかし考へると猫の世界では立派な大人なのだから、子供の膝になんぞ乗つてゐるよりは近所の守つ子猫にでも騒がれて浮かれ廻る方が寧ろ自然だつたらう。彼は段々の不行跡を重ねた末、遂に行衛不明になつて了つた。
 三代目の斑は其次の私の寵物となつた。震災の年に十五才の老猫として死んだが、これは実に綺量のいゝ猫だつた。痩せぎすのどつか意気で利口で、それ者上りの世話女房といふ感じだつた。私は初めの五年間を彼女と一緒に暮らすことが出来、大方はいゝ印象ばかり残つてゐる。丁度私は思春期にあつて愛情の捌け口を求めてゐたところだから、或時はあてのない恋の仮想敵としてもこの猫を愛したのであらう。また猫の性情特質習慣などといふものを稍知り得たのはこの斑のお蔭である。これまではほんの子供で、たゞ猫可愛がりに可愛がつた丈だが、年が少しばかり進んだので鑑賞や観察が少しづつ出来るやうになつた。それは自分の身に対しても同様で、おとなしく膝に眠つてゐる斑が、さかり時のどら猫の呼び出しに応じてしやにむに出て行く浅猿しさには、云ひ様のない腹立たしい情なさを感じたが、自分も色恋に狂つて家を捨てるやうな事でもしたら、親たちに同じ思ひをさせるわけだと省みて身を警める気になつた。
 この斑に依る実験で公言したいのは、勿論猫はその住む家を愛する者であるが、世上で信ずるやうに人を忘れはしないと云ふことである。上京以後毎年夏休に帰省すると、父母に挨拶の言葉を述べてゐる間にこの猫はきまつて傍に寄つて来た。膝を叩くとすぐ抱かれた。そして久濶を舒するやうにまたなつかし気に、私の顔をのぞきこみ乍ら最も優しい声でニヤア/\鳴いた。そしてすつかり前通りに馴れ親んで夏を送つたのである。私はまたその楽しみを十年も続けることが出来た──年毎に目に見えて老ひ衰へて行くことは情なかつたけれど。



 仏蘭西の文人エルネスト・ラ・ジユネスは故郷ナンシイから愛猫五匹を引き連れて堂々と巴里入りをしたさうだが、そんな自由の利かない私が下宿生活をするやうになつてどんな思ひをしたか。私は対手になる者がゐないと云ふ心の空虚と、目や耳それから触覚の淋しさを一時に感じた。当座は机に向ふと柔い毛並を愛撫するに馴れた手も、猫の軽やかな重みを失つた膝も、妙に物足りなくなつて落付かなかつた。猫の姿を見ず猫の鳴音を耳にせずに過ごすことは、南京米の御飯をたべるよりもつらかつた。そこで近所の店屋に目をつけて、煙草でもお菓子でも買物はなんでも猫のゐる家にきめて、おとくゐ顔で猫をほめて頭の一遍も撫で得る僥倖を狙つた。町を歩いても猫を垣間見るために家々をのぞきこみ、見つけると無精によろこんで立ち止るので、連の友達にいやがられたがとにかくそんな事で辛うじて少しの慰に満足したのである。
 三田の下宿屋にゐる頃、洗湯から帰ると門口に女中と近所の娘とが立話をしてゐた。ところがその娘の肩に前脚をのせて大きい虎猫が後向きにだらりと抱かれてゐる。私は思はず近寄つて、うれしさににや/\し乍ら縞目のせいで口をきゆつと引き締めたやうに見える事や、不揃の髭が可笑いのやらを暢気に鑑賞して楽しんだ。と女中が目顔で知らせたか娘は振り返つて、真赤になつて話をよして了つた。私も不躾な行為に気がついて急いで部屋に帰つたが、あとで女中がやつて来てその娘を賞めちぎつた揚句、飲み込み顔で遊びに連れて来ませうかとまで云ふのである。とんだ感違なのできつぱり申出を断ると女中は意外な面持だつた。それで済むならいゝが、例の娘である。道で逢ふ度に変に堅くなつて、写真屋へ行つた時のやうな顔で明に惚れられたいゝ女のつもりでゐる。私は憤慨した。
「へん自惚れるない。お前よりはお前のとこの猫の方がよつぽど面白い顔をしてゐらあ。」
 と怒鳴るわけにも行かず、猫に見とれた計りに三田に居る間中不快な思ひをしつゞけた事がある──
 友人知己が猫を飼つてゐるなら、上りこんで相当渇を医すことも出来たらうが、合憎そんな都合には行かなかつた。反つて多くは犬党で、私の好愛に同情してくれる者さへなかつた。
「ちえ、よせやい、猫なんて。」
 いつも一蹴されるので、口惜しいまぎれに「家を持つたら、猫をうんと飼つて見せるぞ」と、希望を籠めた示威的宣言をして自ら気をまぎらすのが常だつた。するとかう云つて私をおどかす友達も出て来た。
「いくらでも飼へよ──そしたら君のとこへは行かないから。」
 まさかとは思ふが少々不気味でもあつた。そんな中で馬場孤蝶先生をお訪ねすると、私にはうれしい景物が恵まれた。先生の書斎には、主人の風格を享けて大人味ある愛猫がゐて、それを抱かせて貰へるからである。或日の私の日記には、馬場先生訪問の項に「猫交迭す」と特別に記載してある位で、馬場家の猫は知己の中に数へてゐた。ことに膝に抱き乍ら気遣ひなく煙革が吸へるのは私に初めての経験だつた──大抵の猫は煙草の煙が大嫌ひで、匂ふだけでも逃げ出すが、先生の愛猫は少し位の煙が顔にかゝつても更に意としない。
「はは、でも真ともに吹つかければ逃げ出しますよ。」
 私がこれを奇とすると先生は笑つて答へた。尤も先生に飼はれたら猫だつて煙には馴れるかも知れない。さもなければ一刻だつて君側に侍してはゐられまい──主人が寸時も烟草の煙を絶たないのだから。
 三田の学校の先生では、戸川秋骨氏が愛猫家たることを知つてゐたので、いつか猫ばなしを伺つたことがある。
「今はゐませんよ、金沢では沢山飼ひましたが。」
「何疋ぐらい?」
「さうね、一頃は十疋もゐましたか……
「え、十疋――」私は目を丸くした。
「それがね、面白いんですよ。みんな顔が違つてるやうに、それぞれ性質が違つてるんだから。」
 これを聞いて、やがては二疋飼はうなどと威張つてゐた私の理想が、甚だしく矮小であることを思つた。
 しかしその小さい理想の半分たるたゞ一疋の猫を飼ふ事さへ叶はずに、十年余り下宿を転々して歩くうち、たつた一度、思ひがけなく三月程猫と親しみ得た。それは赤坂の或る素人下宿に於てゞある。物静かな袋地に在るので読書生には至極有り難い家だつたが、正直に云つて了へば更に有り難いのは、そこの娘がいろ/\居まはりの世話をしてくれる事だつた。十人並の綺量で下町風の娘といふに過ぎないが、異性の情味といふものに飢えてゐた折柄でもあつたし、また私の近接し得る唯一の若い女性でもあつたから、私はこの娘の存在を貴重視してそこに三年近くも落付いた。
 結ひ綿から銀呆返しの似合ふ年頃になると、娘は妙に私に好意を示すやうになつた。遊蕩もせず不景気に本ばかり読んでゐるのも金がないためと知る由もなく、勉強家で堅い頼母しい人間だと思つたかも知れない。それに他の同宿者が皆勤人なので昼間二階に籠居するのは私丈だつたから、接近比率の多い為でもあつたらう。何しても女にやさしくされて私に不服な訳はない。その好意に酬ゐるやうな感情的態度を執つた。一緒に金春館へ出かけて、帰りは銀ブラの、若松へはひつてお汁粉のお椀を嘗めたのだから、下宿文学の定石から見て正に「出来」かかつてゐたと称してもいゝ筈である。
 梅雨明けの午近く、宵張りで朝寝坊の私が朝飯をたべてゐると階下で猫の鳴声がする。お膳を下げに来た娘に聞くと、鼠が暴れるので近所から借りて来たと云ふ。私の猫好きを知つてすぐ連れて来たのを見ると半年位の小柄な虎猫だつた。私は相恰を崩してよろこんで、受け取るなり懐へ入れて頰摺りした。娘は「まあ」と受口の脣で笑つて、「そんなにお可愛いの」と表情をした。
 その後猫は二三度娘に連れて来られたが私が障子に猫口をこしらへてからはもうだまつてゐてもひとりで部屋へはひりこんで、客椅子を勝手に自分の席にきめ香箱を作るやうになつた。反つて階下から「一寸猫を貸して下さいな」と娘が来るやうになつた。私は自分で猫を飼つてゐるのと同じことなので、この幸福を与へてくれた家の娘に非常な恩恵を感じた。従つて娘との交情は更に一段親密の度を加へるやうになつた。
 二月ばかりで猫を返すといふ事だつた。先方の愛猫なら仕方もないと諦めてゐると、近所なのですぐに戻つて来た。また返しに行く、すぐ帰つて来る。そこで向ふでは「お宅に馴れて了つたのだから」とて仕舞には受取らなかつた。もともと猫を捕鼠器扱ひにして貸すの借れるのと云ふのを不都合だと思つてゐた私は、これで事落着だとよろこんだ。
 それから間もない夏の或夕方、日の昝つたのにほつとして猫を抱いて窓ぶちに腰かけてゐると、郵便を届けに来た娘は帰らずにならんで腰を下ろした。だらしなく手足を投げて私の膝に横になつてゐる猫を見ながら、娘はいやに甘つたれた声で話しかけた。わざとらしい無邪気で、猫について愚にもつかない事柄を聞いた末に、流石に少し赤くなりながら、目を伏せて云つた。
「それで、あのう何ですか。猫もやつぱり月々……あのう、   のがあるんでせう?」
 それは明に作為的だつた。話をどういふ所へ落して相手をどう云ふ気持にさせるつもりか、汗の香と体臭を伴つた体を懶さうに寄せかけて来たのでも知れる。その上綿ボイルの浴衣の裾を殊更に乱して、桃色のゆもじを見せながら足を私の前へ延ばしてゐた。私は誘引と反撥とを同時に感じた。暑さに抑へられてゐた情欲が一時に呼び醒されたのは事実だつたが、好餌を以つて釣るといつたやうな態度がひどく自尊心を傷けたので、じつと身を堅くして、相手の上気した横顔と癖のある長い揉上げを黙つて見つめた。促すやうな媚びの目付に答へてたゞ苦笑すると、娘も極まり悪気で照れつ隠しに猫にいたづらをし始めた。
 ところが夏の終りに一週間海へ行つて帰ると、虎猫の影が見えなかつた。聞いてもすぐに白状しなかつたが、追及すると桜田門の原つぱへ捨てにやつたことがわかつた。私はかつとなつた。勿論自分の飼猫ではないからどう処分されたつて文句はない。しかし今迄宛も私の持物の如く取扱つてくれたのに、しかも私が夢中で可愛がつたことを十分承知の上で、黙つて捨てたのが腹が立つた。三年越の馴染なら、何か一言断つてくれてもよからうし、娘に於ては猶の事である。捨てたといふ不人情な行為と共に私を無視したことが疳に触つて、その事あつて以来私ははつきり自分の態度を変へて、用向以外には口をきかないことに決心した。娘はこの急な不機嫌に驚いてうるさくなだめにかゝつたが、曽つて虎猫の寝床だつた客椅子を前にして、私は頑として節を抂げなかつた。それに最早其処の何もかもが嫌になつて神輿を上げることにした。――「出来」かゝつてゐた娘との交渉も、自然の成熟に俟てば何とか実を結んだかも知れないのに、虎猫が顔を出したばかりで変な事になつて、到頭「出来」ず了ひに終つたのである。



 猫に対さずに猫に接し得る他の方法は、これに関する文献を読むことであつた。書斎に籠る私はひとりでにこの途を選むやうになつた。猫の形態表情心理を美しく描いた文学が脳裏に可愛い者の姿を投じて呉れるのは勿論だが、愛猫家の筆に成る感懐は同好の心をよろこびに躍らせまたその逸話に依つて相手の猫の面影も偲ぶことが出来た。諸方面での研究録や観察記は個々のそれでなくとも全体としての猫の神髄や生活を教へられる点で興味があつた。――期するところ、文字に依つて可愛い映像を描く機縁を与へられ、之を肆に楽しむことの出来るのがうれしい、これらは私にとつて劇評を読むと同じわけだつた。しかも戯曲も俳優も両方知つてゐる舞台の劇評なのだから、興味が一倍加はるのである。だから新聞記事でも雑誌小説でも猫が出さへすれば特殊な価値となつた。
 石田孫太郎氏の「猫のはなし」は斯種の著書として最も早く愛読したものである。これは愛猫平太郎虎次郎久子藤子の日常生活を主として猫の一般に観察を及ぼしたもので、猫かいかに愛らしき家畜であるかを理解させるに務めてゐる。私はこれを猫なき下宿で読んで、書中を漫歩する諸猫の姿に見とれると共に著者の周到親切な観察に敬服し、郷里に在つて何故もつと細かに猫を味はなかつたらうと後悔した。後年駿河台の夜店にこの貴重な文献が一山積まれてゐるのをふと発見したので、蟇口の底をはたいてありだけ十七冊買つて来た。そして猫飼養宣伝の目的から無理強ひに知友の家庭へ頒布した。其効果は未だ十分に挙がらないけれども、これを読んだ者が必ずよく猫を理解するに到る事丈は信じて疑はない。
 亜米利加で音楽批評家として名あるヷン・ヹクテンの「屋内の虎」は、輓近の著作だけに先達の業積をもすべて網維してゐるから、猫文献の権与たるシヤンフルウリイの古き「猫」などよりも、今日「是丈は心得置くべし」としては尊重されていい本だらう。世人の誤解偏見を説破する事から始めて音楽美術に現れる猫までも述べ、材料の豊富なことは驚くほどで我が「枕草紙」「今昔物語」「古今著聞集」さては随筆集「耳袋」中の記述さへ紹介してある。其上巻末には四十頁に汎り二十項目に種別された参考書目が載せてある。──私は初め一かどの文献通にならうと志した者だが、それを見ては亡羊の歎どころではなく、これあ駄目だと野心を翻さざるを得なかつた。
 石田氏やヹクテンの著書の啓示を得てから猫の行動の種々相を憶ひ起すと、その見解の一々が確に真実であることが認められ、自分が誘引を感ずる所以も明になつた。しかもかくの如き猫の心理や本体を学んだ結果は、更に一層私の愛慕の情を高めて行くことであつた。
 私は猫の姿形手触りや声音を夢中で愛して来たが、気がつくとそれ以上に愛して来たものがあつた。それは即ち猫の性情である。お太福でもひよつとこ面でも猫でさへあれば愛し得たといふのは、彼等のどの一疋でも共通な猫の性情を蔵してゐたせゐである。動物心理の探求が深く行はれなかつた時代には、猫が本来の性情を堅く持したばかりに謎の動物とされ魔物化物扱ひされたのだが私が猫を愛すると云ふのも大半はその特有の性情のためだつたと語ることが出来た。――その性情とは独立自尊の個人主義者たることで、彼等はこれを本拠としてすべての行動を執るわけである。
 その生ひ立ちを調べたものに依ると、猫は四千年もの前始めて姿を見せた時から、すでにこの性情に生きてゐた由である。猫と共に今日私達の家畜となつてゐる犬は、野獣時代には集団を成して獲物を狩り歩き其首領の命に聞いて行動した動物であるが、家畜となつても首領と飼主とを代へたに過ぎない。だから原始生活に於ても柔順の性質を具へて模範的家畜たり得たと云つてよからう。然るに猫に到つてはそれと違つて、野生時代にも独住独猟の生活を営んだのだから、その性質が家畜となつても消える事なく今日に到つた。いはゞ孤高独立の精神は猫の宿命的存在理拠なのである。
 従つて犬が家庭に這入つて以来人間の感情心理の支配影響を受け次第に人間化したに対して、猫はいつまでも人間の奴隷となるを肯ぜずして原始の情性を固執し、利害に屈せず好悪に従つてたゞ人間の友人となつてゐるのである。ところがその行動が人間本位の心理感情計りから読まれて奸佞邪悪の徒として迫害もされたが、彼等は遂に尊い特性を保守して掌大の仔猫にさへ之を伝へてゐる。自ら欲して親しむ者には深情を注ぐと共に、憎めば威武ある者とも命がけで戦ふ。この意気の徹底した行動を平常生活の上にも見せるので、私はぞつこん惚れこんだわけである。そして炯眼な諸家の観察記を読むと、猫の特異微妙な心理が一々闡明されるので、形而上の猫といふものに弥々心を惹かれて行つた。
 それでも猫の肉身と心理の動きとを同時に示してくれるものは文学作品である。そこで少しづつ手に入れて繙読し出したが、犬とは較べものにならない程の不人気で、猫を主題とした作品を別として、一般の小説や戯曲の中に点景的に用ひられる事が甚だ稀である。チエエホフやゴルキイの芝居では犬の声を度々聞いたが、猫を鳴かせる舞台にはまだ接した事がない、日本の旧劇では猫が出て来ても皆ろくでもない怪猫ばかりで、騒動を起こした揚句の果が退治られて了ふのだから情ない。また序に云へばメエテルリンクの「青い鳥」にも猫が出て来るが、作者がこれを悪玉にしたのはたゞ単に犬と仲が悪いと云ふ理由からである。犬が人間の忠僕で満足してゐるのは事実であるが、どうして猫を人間の友人として認めなかつたらう叡智と神秘の詩人ならば、幼き観客への影響をも考慮してかういふ不合理な取扱ひはすべきでなかつたと思ふ。
 作品の中に何故猫が少く犬が多く使はれるかと云ふに、後者は人間化されて人間心理と同じ帰趨を執るので、筋の展開に借りて来ても簡便に役立つが、前者は人間と違つた特異復雑な性情なので之を知つて巧に利用することが困難である。例へばオールバツクと七三のラヴ・シーンでは活動でも犬は尾を振るが、猫は基督が降誕しても棚の上から冷視するといふ工合である。しかしアンドルウ・ラングの所説の通り、作品の材料になるならないは其物本来の価値如何に依るのではないのだから、結局猫がツマに使はれないのも憂ふるに足らぬのかも知れない。
 それから猫を主題にした作品も数は沢山ないかも知れないが、いづれ多くは同好の士の手に成るのだから詩文共に猫好きをたんのうさせる類のものである。ピエエル・ロチの猫を主題とした諸篇のごとき、この愛すべき動物の姿態や動行が巧に描かれてゐると共に、人間と動物との愛と信頼の交流がみな心にくきまで微妙に語られてゐる。一体に近代仏蘭西文壇には猫好きが多く、巴里に於ける第一回愛猫展覧会の審査員としてフランソワ・コペヱ、カチユウル・マンデ、アンドレ・シユリエ、オクタヴ・ミルボオなどのお歴々が挙げられ、文士連の飼猫を常顧客にプウレルといふ医者が居た位だから、此種の作品が相応に生れてゐる。英米作家のそれを例のヷン・ヹクテンが十二ほど集め「屋上の王者」と題した本を出して紹介してゐる。
 客観的に描写したものを常道だとすれば、こゝに作者が猫になり切るもの、即ち擬人法を用ひた者を猫文学の変種と云つてよからう。それ丈に就いて少しくを語れば、誰も知る故夏目漱石先生の「吾輩は猫である」が第一であるが、これは猫中心に批判すればすぐれた作とは云ひ難い。漱石氏が猫に化けきらずにゐるところがある。
 バルザツクの「英吉利猫の苦悩」は猫の交渉を主とした丈にずつと成功してゐる。聖書を読まされて欲制の教育受けた英古利猫の処女ビユーテーは柔弱なアンゴラ猫に接すると異性に就いての経験の乏しさからすぐぽうとなつて陥落して了ひたうとう結婚する。ところが夫は夜は疲れてすぐ眠るので西鶴も喝破した通り「男の弱造は女泣かせぞかし」で妻のビユウテイをして悶々の情堪えがたきものを覚しめる。思ひ余つて一夜屋根へ上るとそこで女たらしの無頼な俳蘭西猫ブリスケに逢ひきわどい誘惑を受けるが、駆落を約して其場は帰る。しかし情人の面影がどうしても忘られずつひ囈言に俳蘭西語で「可愛い方」と呼んで夫に怪まれ、またブリスケが無思慮から夫の甥猫パツクに秘密を明す。その告げ口に依つて遂に夫に知れ、裁判で離婚になる。ところが間もなく復讐を怖れたパツクがブリスケを刺殺したので、もうこの世の光を失つたビユテイは孤独に生きるより外なくなつた。─これが筋であるが、簡明な力強い筆致で感銘を与へる作品である。たゞ諷刺の意が先立つのが難だと云へよう。
 私の一番好きな猫文学の作品は同じ仏蘭西のマグム・コレツト・ウヰリイの「七つの動物対話」で、フランシス・ジャムの興味ある序文がついてゐる。主人夫婦がほんのツマにされて、キキといふ女猫が相棒たる飼犬トビイとの会話をするのである。猫と犬との性情が共にはつきり出て、微笑されるやうな七つの一幕物が描き出されてゐる。中でも第二章の「汽車の中」の場面があらゆる意味で一番面白い。其他片山孤村が古い新小説に書かれた「猫と女学」の一文で、ホフマンの「牡猫ムル」やケルレルの「小猫シユピーゲル」の面白さを教はつたが、現物を読み得ないのを残念に思つてゐる。だん/\さういふものを読むにつれて猫の性情を愛する心が募るが、いくら猫を描いた文献を漁つても、また昔馴染んだ猫を憶つても、所詮生きた猫を膝に抱くほど充実した幸福に酔ふことは出来ない。やつぱり現在猫を持たぬ淋しさに心が帰つて行つて、猫に親炙したい願が強められるばかりである。
 それにしても妻が嫌悪の情も次第に和んで来たし赤ん坊とても満更でないらしい。これで二三年も経つて子供が「にやあにやあが欲しい」とでも云ひ出したら、妻も厭応ないだらう。其時こそ私の家庭は初めてマアク・トヱンの所謂「完全」なものになる。さうなつたら私は、それが当り前だといふ顔をしながら鬱積した愛撫心を存分に傾け尽すことが出来る。──だから、赤ん坊よ、早く大きくなれ。そして猫好きになれ。