芹沢亀吉
2025-04-29 10:35:08
6803文字
Public 菊タブー
 

延期終了

暴虐な軍国主義者の楠木武が恥をかく物語の通算115話目。何が延期終了なのかは最後まで読めばわかる。

 軍国主義、国粋主義を信奉する楠木くすのきたけし一等陸佐は毎日缶コーヒーをグビグビ飲みダラダラ過ごしているものだから、ここ数年太るばかり。その癖部下には毎日無茶な訓練を強要し虫の居所が悪いとすぐ怒鳴り暴力を振るう。
 
「貴様らこんな簡単なことも出来んのか!この楠木が若かった頃はこれぐらい簡単にこなしていたぞ!」
 
「帝国軍人なら自転車漕ぎ1000回ぐらいでへたばるな!よし、あと1000回やれ!この楠木がやれと言ったんだから絶対やれ!」
 
「さぁ、詫びろ!この小銃に詫びるんだ!20式小銃殿申し訳ございませんでした、と言え!言うんだ!」
 
「そうか、許すと言ったか。嘘をつくな!銃が喋る筈無いだろ!」
 
 楠木は「軍人精神注入棒」と書かれた棒で部下の全身をめった打ちにするのを好み、この外道が持つ木製の棒は至る所に赤黒い染みと化した血痕が目立つ。
 
 そんなある日、楠木はネット通販にて「ダビデの秘薬」なる注射薬を購入した。日ユ同祖論を真に受け己をダビデ王の生まれ変わりと信じ込んでいるだけに、「すぐに貴方もミケランジェロのダビデ像のように優雅でセクシーな体型に!」という胡散臭さ全開の宣伝文句にコロリと乗せられたのだ。
 
「す、素晴らしい、素晴らしいぞ、グハハハハ!」
 
 怪しげな注射薬により引き締まった肉体を簡単に手に入れ、浴室内の鏡に映る己の裸体を見た楠木は笑いが止まらない。このナルシストの中年男が浮かれた時の笑い声はやかましく下品そのもの。笑い声が余りにもやかまし過ぎたのか鏡に無数の亀裂が入るも、有頂天の楠木は気にもかけない。
 
 昨年まで日本国首相だった広池ひろいけ一雄かずおは視察と称して楠木がいる信太山駐屯地に赴き、低支持率の憂さ晴らしのため裸踊り強要等楠木いびりを楽しんでいた。しかしいよいよ支持率の好転は無いと悟ると政権を投げ出し、昨年10月の解散総選挙では自身が属する保守第一党が衆議院の議席を激減させ広池本人は地盤にもの言わせ議席を守ったとはいえ今では事実上隠居の身。そんな中わざわざ楠木を永田町の議員会館に呼んだのは久々に楠木いびりがしたくなったからだ。
 
「広池総理、ご無沙汰しております!おっと失礼、前総理でしたか!」
 
 この嫌味な発言に内心立腹した広池ではあるものの、久々の楠木いびりを楽しめと己に言い聞かせ平静を装う。
 
「楠木君、相変わらず元気だね。君を見ていると総理をやっていた頃を思い出すよ。ところでもう暖かいのに何故そんな長いコートを着込んでいるのかね?」
 
 その言葉を待っていたと言わんばかりに楠木はコートを過ぎ捨て、己の全裸姿を広池に見せつけた。楠木の引き締まった裸体には信太山駐屯地にて裸踊りをさせられた頃のブヨブヨ体型の面影さえ無く、また裸踊りをさせ弛みきった裸体を嗤おうと考えていた広池は出鼻を挫かれる格好に。
 
「思う存分ご覧下さい、ミケランジェロのダビデ像に勝るとも劣らぬこの楠木の肉体美を!おっとあっちは冷たい大理石、一方この楠木の肢体は毎日太陽を浴び続けた小麦色故温かみがありましたか!広池前総理、もうミケランジェロのダビデ像を見るためルーブル美術館に行く必要はございません!何故なら貴方様は今ダビデ像よりも美しいこの楠木の裸体をご覧になられたのですから!」
 
 たとえルーブル美術館に行ってもミケランジェロのダビデ像を見ることなど到底出来ない。何故ならそのダビデ像を収蔵しているのはルーブル美術館ではなくフィレンツェのアカデミア博物館だからだ。読者の皆様も楠木の発言を真に受け「ミケランジェロのダビデ像はルーブル美術館にある」と言えば恥をかくのでくれぐれもご注意を。
 
「く、楠木君、見違えたねぇ。去年までの君とは完全に別人じゃないか。」
 
「何を仰いますか!この楠木は防大に入学して以来30年間この体型を保ち続けております!」
 
 急激過ぎる体型の変化を見せつけられた上強引さ、声のやかましさに圧倒され、広池は「嘘はいかんよ。去年までの君は弛みきった体型だったじゃないか。」と楠木に言う機会を逃してしまった。
 
「広池前総理!貴方様もこの楠木同様全裸になられては如何ですか!?」
 
 全裸男楠木に詰め寄られた広池の顔からどんどん血の気が失せていく。楠木がやかましく怒鳴るのと連動するかのように広池がいる部屋の窓ガラス、そして広池がかけている眼鏡のレンズに無数の亀裂が。
 
「わ、わかった、楠木君!わっ、私も全裸になろう!いやぁ!最近急に暑くなってきたから全部脱ぐと気持ち良いねぇ!愉快、愉快!ギャハハハ!」
 
 急にスーツも下着も全て脱ぎ捨てた広池は大笑いし、秘書達が唖然とする中廊下に飛び出し全速力で駆け出した。どうやら楠木に詰め寄られ恐怖の余り自暴自棄になった様子。この全裸疾走により完全に政治生命を絶たれた広池ではあるものの、日本国首相だった頃増税、軍拡、社会保障改悪等庶民いじめ政策を連発し支持率が低下しても反省などせず楠木いびりに現を抜かしていた世襲政治屋に同情の余地など一切無い。
 
 去年まで自分をいびり倒した広池の醜態に笑いを堪えつつ、再びコートを身に纏った楠木は靖国神社へと向かう。近年靖国神社の境内には日本兵の格好をした輩が目立ち、皆楠木同様軍国主義、国粋主義に毒されている。
 
「英霊達よ!ダビデ王の生まれ変わりにして楠木正成公の末裔であるこの楠木の全裸をご覧あれ!」
 
 そう叫ぶや否や楠木はコートを脱ぎ捨てまたもや全裸姿に。広池への「復讐」を果たした充足感からか楠木の怒鳴り声のやかましさは議員会館にいた頃の比では無く、日本兵の格好をした連中がバタバタ倒れた上何と地震が発生したわけでもないのに靖国神社の境内全体がグラグラ揺れた。
 
「何故だ!?何故だ!?何故だぁあああっ!」
 
 本殿、遊就館をはじめ靖国神社境内の建物が次々倒壊するのを目の当たりにし、つい先程まで有頂天だった全裸男楠木の絶叫する表情はムンクの『叫び』そのもの。そもそも日本兵の戦死者を英霊と持ち上げ時の天皇が詔勅を出し始めた侵略戦争を正当化する靖国神社など1945年8月の敗戦直後に取り壊しておくべきだったのだが。
 
 どこからともなく黒猫が現れ、その場にへたり込み魂の抜けた表情の全裸男楠木を凝視した。
 
「楠木武よ、靖国神社を取り壊した貴様の行いは完全に正しい。日本が始めた戦争を正当化するため日本兵の死者を英霊などと持ち上げる欺瞞の施設などこの世に存在してはならないからな。さて、取り壊してくれた礼をしないと。」
 
 この黒猫の言葉に逆上した全裸男楠木は石を拾い投げつけるも、黒猫の姿がフッと消え石は瓦礫の山と化した遊就館に命中、乾いた音が鳴り響く。
 
 己の怒鳴り声が境内を全壊は余りにも非科学的故逮捕も懲戒免職も免れたとはいえ、軍国主義者楠木にとって靖国全壊は相当辛いこと。陸自を休職した楠木は自宅でゴロゴロするようになり髪の毛はボサボサに、幹部自衛官になった記念に生やした口髭も口の周囲を覆う無精髭に埋もれてしまった。今までなら自宅にいる時は配偶者久代ひさよを罵倒し暴力を振るうのが常だったこの軍国主義者が家庭内暴力に走る気力を喪失、やはり靖国神社は全壊して正解だったのだ。その全壊の要因が靖国神社を愛してやまない楠木の怒鳴り声というのも皮肉極まりない。
 
「久代、お前がスマホの待ち受け画面にしているその可愛らしいぬいぐるみみたいな生き物は何だ?」
 
「ウォンバットというオーストラリアに棲息する有袋類の一種です。高校時代の修学旅行でオーストラリアに行った時に保護されたウォンバットを見ました。日本では例のお菓子のイメージからコアラが可愛いといわれていますけど実物のコアラは何だか怖い顔をしていて、ウォンバットの方がずっと可愛らしく見えました。」
 
 久代の話に聞き入る武は瞳を輝かせ、ボサボサの髭が覆う口から漏れたのは満面の笑み。
 
「そのウォンバットというのは日本の動物園では見れないのか?」
 
「府内だと池田市にある五月山動物園で見ることが出来ます。」
 
「よし!近いうちにその五月山動物園に行こう、一緒にだ!そういえば結婚以来夫婦で出かけたこと自体無かったな。」
 
「はい、一緒に行きましょう。あそこの職員には私の知り合いもいるんですよ。」
 
 3ヶ月ぶりに家の外に出る決意をした武を目の当たりにし、久代の両頬を涙が伝う。この3ヶ月間自宅に籠り続けた配偶者を世話し続けた彼女の献身ぶりは涙無しでは語れない。ただそれは家庭内暴力を止めた後も武は久代に違う形で迷惑をかけ続けたということでもあるのだが。
 
 翌日、阪急池田駅にて下車した楠木夫妻は五月山動物園を目指し商店街の中を歩く。武は陸自に復職の話が決まり、昨日のうちに美容院に行き髪型も口髭も綺麗に整えた。
 
「あんなところにウォンバットの銅像があるぞ。」
 
「ウォンバットはこの町のマスコットなんですよ。」
 
 アーケードの下を歩く楠木夫妻は何とも微笑ましく、3ヶ月以上前の家庭内暴力は面影さえ無い。
 
 阪急池田駅から15分ほど歩き、2人は五月山動物園に到着した。
 
「久代いたぞ、あれがウォンバットか。走る時身体をゆするのが本当に可愛らしくなぁ。よし、もっと近くで見よう。」
 
 ここで武を止めればまた暴力を振るわれるという恐怖に駆られたのか、久代は知り合いの飼育員に無理を言い夫婦揃って飼育小屋の中に入れてもらうことに。
 
「おぉ、近くで見るとこんなにも可愛いのか!おいで、おいで、おじちゃんが撫でてあげよう!」
 
 身体をゆすり楠木の傍に駆け寄るウォンバットはそのまま彼に甘えると思いきや、いきなり右手中指に嚙みついた。基本的に臆病なウォンバットではあるものの、動物的勘を働かせこの口髭男の心の奥底に横たわる軍国主義者特有の邪悪さを読み取った模様。
 
「痛い!貴様よくもこの楠木に嚙みついたな!よぉし、軍人精神注入だ!」
 
 激高し鞄から伸縮式の金属棒を取り出した楠木の姿は部下や配偶者に暴力を振るっていた時と全く同じ。結局この口髭男の粗暴な性質は元のまま。
 
 武がウォンバットめがけて棒を振り下ろそうとしたその時、久代の姿が黒猫へと変化した。
 
「き、貴様、あ、あの時の!ひ、久代はどうした!?」
 
「楠木武、貴様罪の意識から逃れたい一心で家庭内暴力の挙句配偶者を殺め遺体を大阪湾に沈めた己の行いの記憶を無意識のうちに抹消していたようだな。私が楠木久代に成り代わっていたのは貴様が自分の罪をきちんと悔い改めるかどうか確かめるためだ。臆病な絶滅危惧種の有袋類に暴力を振るうようでは全く反省していないのは自明。結局貴様は何の反省もしていなかった。実に残念だ。」
 
 黒猫の姿が久代のままに見え、黒猫の言葉も全く聞こえない飼育員達が武の罵声に怯える中、その武が着ている衣服も下着もビリビリ破り捨て性懲りも無く全裸姿に。
 
「見ろ、化け猫!この楠木の聖なる全裸を!陰湿な広池一雄もこの全裸にビビって逃げ出した!さぁ、貴様もビビれ!」
 
 この3ヶ月間楠木は「ダビデの秘薬」を打ち続け左腕には無数の注射の跡が。自慢の髭を整える気力さえ失いボサボサのまま放置したにも拘らず注射は止めなかったあたり薬物の強い依存性が伺える。ウォンバット達が寝床に隠れ飼育員も客も最早露出魔同然の楠木に怯え退散するも、黒猫だけは全裸男の威圧などどこ吹く風。
 
「靖国神社を全壊させた時の破壊力はもう無いが、それでも十分やかましい声だ。さて楠木武、本来貴様は3ヶ月前に死んでいた。貴様が打ち続けたあの注射薬には心臓発作を誘発する副作用があり、その心臓発作が貴様の死因。だが靖国神社を全壊させてくれた礼としてその心臓発作が起きるのを3ヶ月延期した。楠木久代を殺した件で自首したならもっと延期するつもりだったが、自首する素振りさえ見せず絶滅危惧種の有袋類に暴力を振るおうとしたから延期終了だ。くたばれ、楠木武。」
 
 途端に全裸男楠木は白目を剥きそのまま仰向けに倒れ、徐々に身体が冷たくなっていく。
 
 同じ頃皇居地下の秘密工廠では今上天皇の清仁きよひと、日本国首相の花村はなむらいわおら日本政府要人が集い船首のドリルが目を引く潜水艦状の艦体を眺めている。この艦、轟天号ごうてんごうは水中も地中も移動可能かつ飛行能力を持つ万能戦艦として旧日本海軍が秘密裏に建造を進めるも、敗戦を機に建造中止を余儀なくされ半世紀以上この秘密工廠共々放置されていた。政界随一の軍事オタクとして名高い花村は首相就任前から轟天号の建造再開を訴え続け、6年前即位した直後の清仁の鶴の一声により建造が再開された轟天号は漸く完成した次第である。
 
「やっと完成したか。船首に輝く菊の紋が実に美しい。花村、そなたの進言通り轟天号の建造を再開して正解だったな。」
 
「この花村、この日が来るのをずっと待ち望んでおりました。靖国神社の再建も年内には終わるかと。」
 
 多額の税金を私物化した贅沢暮らしに飽き足らず祖父同様現人神として君臨したい野心を持つ清仁は邪悪な俗物そのもの。日本国憲法施行後にも拘らず内閣の助言も承認も得ずアメリカ軍の沖縄占領継続をアメリカ政府高官に訴えた祖父に倣い、清仁は轟天号の建造再開を防衛省に命じたのを皮切りに即位後の6年間事あるごとに国政に口出ししてきた。そして今上天皇が憲法を無視し国政に口出しし続けたと世間が知れば皇室廃止の声が広まりかねないとの懸念から、清仁の所業は厳重に秘匿され表向き閣議決定ということに。
 
「この轟天号で米国に攻め込みホワイトハウスを陥落させる。それが朕の夢ぞ。」
 
「へ、陛下、いくら何でもそれはお言葉が過ぎます。」
 
「何を言うか、花村!この地球はそもそも現人神である朕のもの!あんな白人国家がのさばるなど胸糞悪いにも程がある!朕は現人神として当然のことを言ったまで!そなたに咎められる謂れなど無い!」
 
 TVカメラの前では温和な人格者を気取る清仁も裏では傲慢な振る舞いが目立つ。清仁に限らず皇族連中は皆TVに映らないところでは横暴かつ傲慢に振る舞い、とどのつまりTVに映る皇室は実態とかけ離れた虚像に過ぎない。その虚像を真に受け勝手に皇室に親近感を持つ日本国民の愚かなことよ。
 
 清仁に怒鳴られ花村が縮こまる中、秘密工廠にあの黒猫が現れた。
 
「この地球はそもそも現人神である自分のもの、か。清仁貴様何様のつもりだ?」
 
「黒猫、貴様朕に盾突くつもりか!誰かあの無礼な黒猫を撃て!射殺しろ!これは現人神である朕の命令だ!早く殺れ!殺れぇ!」
 
 清仁を除きこの場にいる者は皆黒猫の鳴き声しか聞こえないため、唐突過ぎる射殺命令に戸惑うばかり。
 
「もういい!貴様ら役立たず共に頼った朕が愚かだった!朕が直々に射殺する!」
 
 皇宮警察官から奪い取ったP230JP自動拳銃を撃つ清仁ではあるものの、弾丸は黒猫の身体をすり抜けた後弧を描いて戻り、清仁本人の眉間に食い込んだ。
 
「陛下!天皇陛下ぁ!」
 
 花村をはじめこの場にいる者達の大多数が今上天皇の即死に衝撃を受けるも、清仁の実弟、義仁よしひとは目障りな兄がいなくなり己の即位が早まったと天に昇る心地である。
 
「清仁がくたばり自分の即位が早まったのがそんなに嬉しいか?だが貴様の世など永遠に来ない。あの轟天号には原子炉が勝手に爆発する欠陥があり、本来昨日爆発する筈だった。私の力でその爆発は延期したがな。貴様の兄は折角全壊した靖国神社の再建を企てている上、轟天号で戦争を始めようとしていた危険人物。貴様だって清仁と全く同じことを考えているのは心を読み把握済み。よって延期終了とする。時は来た。皇室が、そして日本が滅ぶ時が。」
 
 途端に轟天号の原子炉が大爆発し義仁をはじめその場にいた者が全員消し飛んだ。この地下核爆発は東京23区全てを飲み込む大規模な地盤沈下を発生させ、関東の広範囲を高濃度の放射能が覆う。旧日本海軍が設計した轟天号が皇室と日本をまとめて滅ぼす格好に。ちなみに野生動物達は昨晩までに都心から姿を消し本能的に危険を察知した模様。
 
「結局この国は最後まで変わらなかった。最期まで変わらなかった楠木武は悪い意味でこの国を象徴していたのかもしれない。」
 
 そう呟く黒猫の足元の瓦礫の山には皇居だった頃の面影さえ無い。(終)