溶けかけ。
2025-04-28 22:36:54
3474文字
Public ほぼ日刊
 

合縁奇縁

綾乙(@amaotooo)さんとの雑談から生まれた、えちち音声のASMR投稿するヌヴィレットとリスナーフリーナのお話です。
現パロ。

「あ、時間だ」
 フリーナはいそいそと携帯端末を充電器から取り上げるとイヤホンを耳に差し込んだ。慣れた手付きで成人向けのゲームや漫画などのデータが売買出来るサイトに遷移し、ログイン画面でIDとパスワードを打ち込んで、フォローと書かれた部分をタップする。登録されているのはたったの一人。ASMRと呼ばれる音声データの一覧が表れ、一番上に踊るNEW! という文字。フリーナは成人向け、と書かれた文字に臆することもなく、操作を続けていく。静かな部屋で画面を叩くぱたぱたという小さな音がやけに大きく聞こえてきて、それがまた、フリーナの羞恥心を煽っていく。
 購入ボタンを押し、予め登録されていたクレジットカード情報を読み飛ばすと決定ボタンを押す。くるくると円が回り、暫くして、画面に浮かぶ「購入しました」の文字にフリーナの頬が紅潮する。
 フリーナはどきどきと高鳴る心臓を抑えながら、辺りを見回す。勿論、ここはフリーナの部屋で一人暮らしな以上、誰かが聞き耳を立てる、ということはないのだが要は気持ちの問題である。
 フリーナはもう一度、イヤホンへ手を伸ばし、位置を調整する。それから、ふう、と息を吐き出すと再生ボタンを押した。

「どうかしたのか?」
 カチャ……という音が後ろから聞こえる。どうやら鍵をかけられたようだ。
「ああ……別に必要はないだろう? 君は私とここにいれば良いのだから……
 近づいてくる足音にフリーナの背筋がぞくぞくと粟立った。ただの音声。それなのに瞳を閉じるだけで架空の人物に囚われているように思えてくるのだから不思議なものだ。衣擦れの音がして、男性の声が耳元に聞こえる。囁きに混ざる吐息から、抱きしめられているのだと理解が出来た。
「君は私のものだ……。婚約者にも両親にも二度と会えない身体にしてしまおう……
 何か重いものを落とした音に、スプリングの軋む音。衣擦れの音がして、はあ、という熱っぽい息が聞こえてくる。ちゅ、とリップ音が幾度となく聞こえ、フリーナも男性の音声と同じように熱い吐息を吐き出した。
「軽い前戯だけでこれほどまでとは……淫乱だな……
 くちゅ……と嫌らしい水音が響く。妙にリアルな音にフリーナは膝を擦り合わせた。
「違う……? こんなに濡らしておきながら……?」
 どこか愉快そうな男性の声に大きくなった水音。フリーナは羞恥に身体を震わせる。
「今更、気づいても遅い……これから君は完全に私のものになるのだから」
 手足をばたつかせる音に、次いで聞こえるずちゅ……という卑猥な音。暫くその二つの音だけがイヤホンから聞こえ、やがて静かになった。
「全て入った……。君はもう、私の元から離れることなど出来まい?」
「あっ……んっ……
 フリーナが思わず、と言ったふうに声を出す。転び出た自身の甘い声音に恥ずかしさを感じて思わず口を塞いだ。
 ぱちゅ、ぱちゅ、と水音と肌を重ね合わせる音がイヤホンからよく響く。フリーナはおずおずとスカートの裾から利き手を忍ばせるとショーツから秘所へと指を差し込んだ。
 イヤホンから聞こえる水音と自身の秘所から聞こえる水音が二重奏を奏でる。きゅう、とフリーナの指に絡みつく熱い内側の感触が生々しい。イヤホンからは今も交わる音が聞こえてきていて、それがより、興奮を齎す材料となっていた。

「またやってしまった……
 フリーナは脱衣所でぐっしょりと濡れたショーツを片手に項垂れた。新人女優として、引っ張りだこのフリーナの数少ない楽しみ──それが少しエッチな同人音声を聞きながら致すという大人の一人遊びであった。
 先輩女優から教えてもらった当初は嫌悪感すらあった行為であったが、今では違和感すら覚えなくなっていた。たった数百円を払うだけでノーリスクでストレスの発散になるのだ、これを活用しない手はない。
「でも、流石に頻度が高すぎるかも……
 ほぼ、毎日のように仕事から帰ってきては享楽に耽るようになった自身の姿を脳裏に思い浮かべて、フリーナはため息をついた。
 フリーナの贔屓にしている同人声優──水の龍王様──の演技は然程上手くない。寧ろ、素人だと言ってもいいだろう。それでも彼はフリーナにとっては推し声優であるし、彼の演じたシリーズは全て持っているという筋金入りである。
「声がいいんだよなぁ……
 そう。素人同然でありながらフリーナが彼に嵌っている理由──それは単に声に他ならない。男性にしては少し高めな声は攻めているときの声が色っぽく、腰が砕けてしまいそうなほどだ。
「あとはそう! 効果音! あれはもうプロの仕事だね! だから、僕は後学のために聴いているのであって、ただのストレス発散というわけじゃなくてだね……!」
 誰にでもなく言い訳をする。そのなんと虚しいことか。
「はぁ……僕、何してるんだろう……。お風呂に入ろう……
 ようやく我に返ったフリーナは頭を掻きながら、浴室のドアを開ける。ふわっと立ち上る蒸気にほっと息を吐き出した。

 ぴこん、という音をさせた携帯端末にヌヴィレットが飛びついた。ポップアップ画面に映るのはメッセージを受信しました、という短い文字列。メッセージの出どころはヌヴィレットが投稿している成人向けのコンテンツを売買するサイト、そのサイトが作った携帯端末向けのアプリだ。
 ヌヴィレットは指紋認証をするとアプリを開く。メッセージボックスには数字の一が付いていた。
 メッセージボックスをタップすれば、「今回の新作も凝っていて良かった」という賛辞の文字。送り主には青の女王と書かれていた。
 ふ、とヌヴィレットの頬が緩む。大学時代、仲間内の賭けに負けて始めた同人音声の販売。棒読みのヌヴィレットの音声は一切売れなかった。特に気にもしていなかったのだが、これにむきになったのは寧ろ、仲間たちの方で。一人でもいいから売るまでは退会することも許さない、と言われてしまえば、ヌヴィレットとしても成すすべはなく。
 消すに消せず、かといって売れることもない素人のASMR。試聴した人から寄せられるメッセージはどれも心ないものばかりで。
 そんな折、悪意に満ちたメッセージの中で「初めて買ったけど悪くなかった。他の音声も試聴したけど、これが僕には一番合っていたみたい」と優しいメッセージを送ってくれたのがこの青の女王というアカウントだったのだ。
 彼女はそれ以来、新しい音声を出すたびにいの一番に購入し、感想をくれる常連としてヌヴィレットの記憶に刻まれている。
「私は顔も知らない君に恋をしているのかもしれない……
 ただの文字列でしかないそれを撫で、これを送っているのはどんな人なのだろうか、と思いを馳せる。
 君を喜ばせたい──それだけがヌヴィレットのモチベーションであり、目的であった。
 それは、ヌヴィレットが名が知られ、フォロワーが増えた今も変わらない、たった一つの縁であった。

「はいはーい。どちらさま?」
 インターホンのカメラから見えた見知らぬ長身の男性にフリーナは僅かに警戒心を強めた。もしかしたら、厄介なファンかもしれないからだ。
……隣に越してきたヌヴィレットという。引っ越しの挨拶に来た」
 そう言うと、男性は粗品と書かれた薄い箱をカメラに見せる。それだけで警戒を緩めるほど、フリーナは甘くない。
……
 無言のフリーナに何を思ったのか、男性は少し考え込む仕草をした。それから顔を上げ、口を開く。
「君のことは大家から聞いている。簡単に姿を見せぬのも防犯上の理由なら致し方ないことだろう。ならば、せめて、これを置いていくことを許してくれないだろうか?」
 男性の言葉にフリーナは熟考する。それから、それくらいなら……と小さく返した。
 ややあって、ポストに物が入れられる音がして、画面向こうの男性が会釈をする。引っ越しの挨拶の定型文を述べたあと、男性は帰っていった。どうやら本当に隣人らしく、隣の空室だった部屋から扉が閉まる音がした。
「ふぅ……
 フリーナはその場にしゃがみ込む。背中には嫌な汗が伝い、手は小刻みに震えていた。
「はは……いい加減、忘れなくてはね……
 自身の身体を掻き抱き、フリーナは自らに言い聞かせるように呟いた。脳裏に浮かぶのは見知らぬ男の欲に満ちた顔──頭を振ってその幻想を打ち消す。
「大丈夫」
 大丈夫。彼は塀の中にいるし、あそこは既に引き払ったのだから。