ノックノックの通知がきたのは、ちょうど、身の程知らずにもシーザーに喧嘩をふっかけてきたならず者を二人でのしたときだった。拳をたたき込んで相手を地面に沈めた後、端末が震えた。事後処理を野次馬たちに任せてアプリを開くと、六分街のビデオ屋店長でありプロキシのリンからだった。
《ライトさんにお願いがあるの》
《お兄ちゃんが風邪引いちゃって》
《夕方にわたしはニコたちとホロウに入らなくちゃいけなくて》
《お兄ちゃん、絶対ベッドで寝ないから、縛り付けてほしくて!》
お願いのスタンプがポン、と飛んでくる。
「大将、夜いなくてもいいか」
「いいぜ」
シーザーは即答である。
もう少し事情を聞かないのかと苦笑しながら、補足した。
「六分街に行ってくる。プロキシからの依頼だ」
「ホロウか? こっちの助けは?」
「なに、野暮用だ。店番みたいなもんだな」
「夜間警備?」
シーザーが首をかしげる。プロキシの頼みで店番をすることが多いが夜に頼まれたことはない。
さあな、と肩をすくめると、シーザーは快く送り出してくれた。
バイクを飛ばして店に到着する頃には日が傾き始めていた。店に入るとリンが階段から降りてくるところだった。
「いらっしゃい、ライトさん。ごめんね、急に」
「アキラの調子は?」
「今、ベッドに寝かせたところ。お兄ちゃんたら、なんでもないって言って休まないんだもん。ライトさん、見張りをしっかり、よろしくね」
リンから店の鍵を渡される。
「戸締まりだけ手伝ってほしいな。あとのことは18ちゃんがやってくれるから」
「心得た」
「お兄ちゃんがH.D.D.を触ろうとしたら殴ってでも止めてね。あ、でも、ほんとに殴ったらわたしは怒っちゃうかも……」
「殴らない」
「Fairyにも言い聞かせてるから大丈夫だと思う」
「ああ。プロキシも気をつけろ」
「うん、行ってきます。何かあったら連絡してね。わたしも終わったらすぐに帰ってくるから」
邪兎屋の銀髪の少女が迎えに来て、リンは仕事へ向かった。
ビリーと会えるかと思ったが、彼は先にホロウの入り口にいるらしい。よろしくとだけ伝えて、二人の背を見送る。
店の鍵をかけて、ライトはボンプの18に「二階に上がる」と告げた。18は「ンナ!」と元気よく小さな手を上げた。
アキラの部屋のドアは開いていた。リンが、ライトが入りやすいよう開けっぱなしにしたものとみられる。部屋の外から様子をうかがうと、ベッドの中でアキラが寝返りを打っていた。
「アキラ」
「……ライトさんか」
アキラの声はかすれていた。億劫そうにこちらを見て、目をつむる。
顔が赤く、汗ばんでいて、熱があるのが傍目にもわかった。
「リンが強力な助っ人を呼んだっていうから、誰かと思ったら」
「期待外れだったか」
「看病がうまいようには見えない」
ふふ、とアキラは笑って言った。
本調子とは言えないが、軽口を叩く元気はあるようだった。
「リンからは、あんたが起き出さないように見張れと仰せつかっている」
「心配しなくても、起き上がれないよ。こんなに熱を出したのは久しぶりだ。身体の節々が痛い」
「薬は?」
「まだ」
「腹に何か入れた方がいいな」
「冷蔵庫にゼリーがある」
「持ってこよう」
ライトは勝手知ったるビデオ屋の一階、バックヤードの奥にある狭いキッチンに向かった。この兄妹はあまり自炊をしないので、案の定、冷蔵庫にはゼリーとジュースしかなかった。閉めるときにドアポケットに牛乳と卵を発見する。いつのものか、確認した方がよさそうだった。
水をコップに入れて、ゼリーとスプーンと一緒に持って上がる。
部屋に戻ると、アキラは目を開いた。
「なんだか変な感じだな。階段の響きが違う」
「そりゃあ、そうだろう」
ゆっくりと起き上がるのを介添えしてやる。枕を背にあてて上半身を起こした。ふらりと倒れそうになるのをあわてて支え、ライトはベッドに座って、自分の身体にアキラをもたれさせた。ゼリーの蓋を開いてスプーンですくい、口まで持って行く。アキラはぼんやりとした表情で口を薄く開け、ゼリーを食べた。
「ぶどう味だ」
「これしかなかった」
「リンが残しておいたやつだと思う。勝手に食べたと知ったらお冠だろうな」
「病人のあんたが食べたんだ、怒らないだろう」
「食べ物の恨みはこわいよ。どんな状況であってもね。彼女の許諾があったら別だけれど」
「そのときは俺が一緒に怒られてやる」
「それた頼もしいな」
薬は市販のもので、サイドボードに用意されていた。箱に書いてあるとおり、二錠手のひらに出してアキラに飲み込ませ、コップも口に添えた。ごくりと喉を鳴らして水を飲み、アキラは深いため息をついて、ライトの身体にもっと体重をかけた。
「アキラ?」
「あなたに移したくないから離れなくちゃならないんだけど、こうしてると安心するよ」
「…………」
「自分でもわからなかったけれど、心細かったみたいだ。あなたを呼んでくれたリンに感謝だね。もちろん、あなたにも」
「寝れそうか?」
「うん。でも、その前に着替えたい。汗でびしょびしょだ」
ライトはアキラに教えてもらい、クローゼットから新しいスウェットの上下を出した。引き出しから下着も出す。部屋に備え付けられたシャワーブースからバスタオルを持ち出して、アキラの服を脱がせて、汗を拭いてやった。
「手際がいいね。びっくりだ」
がらがら声でアキラは言う。
「昔は大所帯だったからな。子どもの世話もしたもんだ」
「ライトさんは面倒見がよさそうだもの」
「そうでもなかった。力加減がわからなくて、よく泣かれた」
「今じゃ想像もつかないなあ」
下着をずらすときは少しばかり後ろめたかったが、アキラは熱でもうろうとしているせいか、なんのためらいもなく自分でも動いて脱ぎ捨て、拭かれるままだった。新しい部屋着に着替えさせ、ライトはアキラの背に手を添えて、寝かせた。
「ライトさん、ありがとう」
「もう喋らなくていい。声がしんどいだろう」
「痛みはそうでもない。出にくいけどね。もうちょっとあなたと喋りたい」
ライトの知るアキラは、他人と適度な距離を取り、妹が最優先で、口数は多いがある一定のラインを越えてこない青年だった。
彼とは身体の関係があったが、恋人ではない。付き合いはそれなりに長くなってきて、彼と接するうちに、恋愛感情が希薄なのだと捉えていた。
セックスをする時間にじゃれあいやたわいない会話を交わすことはあるが、彼の方から身体も心も寄りかかられるのは初めてだ。
ライトは勘違いしないように、と内なる自分に釘を刺した。
「あんたが眠りにつくまで付き合おう」
「セックスしたいっていったら、それは?」
「ダメだ」
「即答するね。なぜ?」
「本調子じゃないだろう。弱ってる相手とはできん」
「でもさ、風邪を治す方法って、たくさん汗をかいて栄養をとって寝るしかない。あなたとやったら、すぐ汗だくになる」
「今でもびっしょりしてるぞ、あんた」
ライトは手にしていたタオルで首筋に浮かぶ汗を拭う。
「そうか。じゃあ、諦めよう」
「おしゃべりならいい」
「もう喋りたくなくなった」
「なんだ、拗ねたのか」
「……そうかも」
アキラは目をつむって喋った。
「プロキシになってから寝込むのは初めてだ。こんなにきついんだな、熱を出すって。忘れていたよ」
ライトには「パエトーン」兄妹の過去など想像もつかない。彼らが「罪人の子」であるということ、その罪の潔白を晴らすために奔走していることだけが、共有された素性だった。
ただ、若い彼らが互いを頼りにして生活しているのはわかる。まったく同じとは言わないが、ライトも通ってきた道だ。
きっと、アキラは体調が悪かったとしてもそれを押し隠して妹を守ってきたのだろう。いつも健やかでいなければと、気を張っていたのではないか。そして、これまでも体をこわしたときに無理を通して妹を心配させていたのだ。
「アキラ、手を」
「うん?」
「眠るまで握っていてやる」
「子どもみたいに?」
「ああ」
アキラはのろのろと右手を出して虚空をつかんだ。それをしっかり握る。
「いつもはライトさんの手は熱いんだけど、今日はひんやりしていて気持ちがいい」
「あんたが熱を出してるんだ」
「わかった、わかってるよ」
燃えるように熱い手を握ったままベッドに下ろした。
アキラはなんどか瞬きをしてこちらを見たが、もう何も言わず、うとうととしていた。
しばらくして、すうすうと寝息が聞こえる。薬が効いてきたのだろう。
アキラの寝顔を見守っていたライトだったが、はたと気づいた。
この病人は今やしっかりとライトの手を握って離さない。
ベッドの縁に座ったまま、数時間待機せよということだろうか。
まったくこの後のことを考えていなかった。
手をほどこうとするが、いつもは非力なくせに今日に限って力が強い。
ため息をひとつついて、ライトはアキラが起きるまでこうしていようと覚悟を決める。
早くよくなれ、と願って、ライトは一晩中、アキラの手を握っていたのだった。
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