聞き慣れない流行りの曲が騒がしいくらいの音量で流れる居酒屋の店内で、それに負けないくらいの大きな声で話す大学生の集団の中に自分が入っているというのはどうにも違和感があった。うるさいのは好きじゃないし、大人数と関わり合うことも得意じゃない。今日はゼミの飲み会と聞いていたのに、明らかにうちのゼミじゃない人が何人もいる。始まってすぐに帰ろうかなと思ったのにまだそこにい続ける理由はただ一つだった。
まだお酒が飲めない未成年の僕はソフトドリンクの飲み放題でウーロン茶とコーラをひたすらおかわりして、お酒を飲んでばかりいる人たちが全然手を付けない料理を食べまくっていた。隣に座っていた何度か話したことのある先輩が楽しそうに周りと話しながら、時々僕にも話を振ってくるのが少し面倒だけれど、最低限の社交性でなんとかその場をやり過ごす。
飲み会が始まって一時間半。飲み放題は二時間だけだからそろそろラストオーダーになって、その後は行きたい人だけで二次会に移動するだろう。
あの人は、どうするのかな。僕はあの人が二次会に行くと分かったら行くのだろうか。
飲み終わったウーロン茶のグラスを隅に寄せて、最後にもう一杯コーラを頼もうと思って店員さんを探すため顔を上げた。暖色の照明と空白を埋めるように貼られたポスターの色合いが音もなく騒がしさを演出する空間で、席を立つその人だけが僕の視線を惹きつけた。
「兵助、もう帰んの?」
「トイレ。すぐ戻るよ」
「あ、店員呼んじゃった、飲み物ラストオーダー、なんかいる?」
「んー、じゃあハイボール。ありがと、いってきます」
「いってらっしゃーい」
離れた席だから話すどころか声を聞くこともできないだろうなと思っていたのに、決して大きくはない久々知先輩の声が他の雑音にも紛れず僕のところまで届いた。驚いて目を離せないうちに、久々知先輩が僕の方へ視線を向ける。目が合ったのはほんの一瞬だった。
すぐに身を翻してトイレに行った久々知先輩の背中を見つめ、僕はそっと席を立った。
「綾部? どうした?」
「お手洗いに」
ぽつりとそれだけを返して、混んでいる店内の隙間を縫うようにしてトイレの方へ進む。角を曲がると奥に女子トイレ、手前に男子トイレがあった。男子トイレの扉に手をかけたところで向こう側から扉が引かれる。
「っ!」
「わ、すみません……って、あれ、綾部だ」
「……お疲れ様です、久々知先輩」
「今日来てたんだな。飲み会にいるの、珍しい?」
「まぁ、はい。……久々知先輩、あの」
「あ、トイレ行くんだっけ。引き止めて悪い」
「……」
「ここで待ってていい? なんか話したいんだろ?」
「……うん」
「ん、じゃあ待ってる」
本当はトイレに行きたくて来たんじゃなくてあなたを追いかけて来ただけなんだけど、なんて、にこっと笑う久々知先輩に言い出せなくて、僕は先輩と入れ替わりで入ったトイレでさっさと用を済ませてすぐに外へ出た。端に寄って邪魔にならないように立っている久々知先輩の隣に行き、心拍数が高くなるのを感じながら先輩を見上げる。
「飲んだ?」
「え? お酒は、飲んでないですよ。まだ二十歳じゃないですから」
「えらいえらい。ここのゼミは無理矢理飲ませるようなタイプもいなくて平和だよな」
「久々知先輩、どうしているんですか? 他にも何人か関係ない人いましたよね?」
「人数多い方が楽しいからって誘われて、暇だったから。それに綾部のいるゼミだって聞いたから」
「……そうですか」
「うん、そうなんです。ふふ、ごめん、ちょっと酔ってるかも。からかってるわけじゃないよ。綾部と会えたらいいなとは思ってたけど、まあ来ないだろうなとも思ってて、だから綾部がいて、いま話せて嬉しいんだ。トイレに来ただけなのに捕まえちゃってごめんね?」
「……先輩がトイレに行くのが見えたから、追いかけて来た、って言ったら、困りますか?」
酔っているらしい久々知先輩がいつも通りの優しい声でいつもは言わないような甘いことを言うから、僕もつい口が滑って言うつもりのなかったことを言ってしまう。僕を見つめる久々知先輩はほんの少し目を丸くした後、とろけるように笑みを浮かべた。
「もう抜けちゃおっか? 二次会行きたい?」
「……久々知先輩が行くなら、行こうかなって」
「じゃあ俺は行かないから綾部も行かないで。二人で飲み直したい。だめ?」
「ぼく、飲めないですよ」
「コーラ買ってあげる。お菓子もアイスも、好きなだけ」
「……強引なナンパですね」
「必死なだけだよ。先に出てるね、ちょっと酔い醒ましたいから」
「わかりました。あの、久々知先輩」
「うん?」
「……お持ち帰りに慣れている感じが嫌です。もっと下手くそにやってください」
「……ふ、あははっ。ごめんごめん、綾部にしかしてないよ。でもご希望ならそうしよう。えっと、あなたのことが気になるのでこの後二人でお茶でもしませんか? 居酒屋はもう閉まる頃なので、よかったら俺の部屋で?」
「……あなただったらそんな誘い文句でも成功してしまいそうですが。まあ、いいです」
くすくす笑う久々知先輩は僕の頭をぽんと撫でて席へ戻って行った。その場で立ったまま頬の熱を下げてから、僕も自分の席へ戻る。隣の席の先輩が頼んでおいてくれたらしいウーロン茶をごくごくと飲めば火照っていた体も少し落ち着く気がした。
「あれ、兵助まじで帰んの?」
「やりかけの課題思い出しちゃった。悪いな」
「ハイボール頼んじゃったよー」
「あぁごめん、誰か代わりに飲んでおいて。またいつでも誘ってね。あ、明日、一限あるやつは遅刻しないように」
「うわあ、最後に嫌なこと言っていく〜」
「俺ハイボール飲みたい、ちょうだいちょうだい」
「また明日なー、おつかれー」
仲の良い先輩たちに手を振って、後輩にもまたねと声を掛けて、最後に僕のことを一瞬だけ見て先輩は店を出て行った。一人減ってもすぐにさっきまでと同じ騒がしさを取り戻すから、きっと二人減ったところで変わらない。
「僕も帰ります。お金、何円でしたっけ?」
「あ、綾部ももう帰る? いいよいいよ、おまえ飲んでないし。酔ってるやつらから適当に集めるから。来てくれてありがと、また時間合う時にでも参加して!」
「……ありがとうございます。また声かけてください」
ぺこりと頭を下げ、荷物を持って席を立つ。上着を着ながら押した重い扉は途中から勝手に開いて、顔を上げたらすぐ横に久々知先輩が立っていた。
「荷物持とうか?」
「いえ、大丈夫です」
「そう? じゃあ行こうか。コンビニどこが好き?」
「え? なんで?」
「俺の部屋食べるもの全然ないよ。デザートも食べたいしコンビニ寄って帰ろ」
「あ、そっか。……どこでもいいです。通ったところで」
「綾部は俺がいればそれでいいってこと?」
「……そこのコンビニで水買ってさっさと酔い醒ましたらどうですか」
「あはは、ごめんって。待ち合わせして会うのとは違うから楽しくなっちゃって。付き合う前にこういうことしてたら、綾部は俺と付き合ってくれなかった?」
「……どうでしょうね」
初めて久々知先輩と会った時から、何を話したわけでもないのになぜか良いなと思っていた。それが一目惚れとかいうものだとしたら、なんの関係性がなくてもこんなふうに誘われたらついて行ってしまったのかも。
考えたことを声に出すことはなく、春のまだ冷たい夜風を言い訳に久々知先輩の方に少しだけ体を寄せた。あの騒がしい中で一人だけ静かでいたつもりだったけど、久々知先輩の隣では僕の心臓だけがバカみたいに騒がしかった。
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