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かなざわ
2025-04-26 09:21:15
6907文字
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伝書鳩はスケートリンクの夢を見るか・頁裏
よだつか。海外在住の夜鷹の元へ司が慎一郎から預かった手紙を届けに行っている数年後if。同タイトルの夜鷹視点。個人的副題は『目指せ!🦅情緒五歳児からの脱却』
膝に置いた便箋を前に、何を書くでもなくペンを指先で弄んでいたその矢先。
鼓膜を震わせた物音に気づいた純は、不審げに眉を寄せていた。
忍ばせた足音や微かな物音は、極力音を立てないようにと注意を払っているのだと分かるほどひそやかだった。ドアの向こうで、司が動き回っているらしい。
眠っていれば気づかなかったかもしれないが、生憎純は起きていた。
正確な時間は分からないが、深夜といって差し支えないだろう。この時間まで司が起きているのは珍しかった。
純から見た司は如何にも健康優良児然としていて、日本から離れた土地に訪れていても時差に悩まされる様子は今まで見受けられなかった。
規則正しい生活とやらを心がけているらしく夜更かしもそこそこで、朝も早い時間に起き出して活動している。その司がこの時間に活動しているということは、おそらく眠れていないのだろう。
とは言えお互い子供というわけでもないし、過干渉するような間柄でもない。
彼が眠れていないのは珍しいな、と考えていた純が驚きに軽く瞠目したのは、司の足音が玄関に向かっていくと気づいた時だ。
そっと扉が開く音、それから。
ひどく遠慮がちに差し入れられた「行ってきます」の言葉。
鍵が閉められる音を聞きながら、純は立ち上がり部屋を出ていた。膝に置いていた便箋が床に滑り落ちたが、拾うこともしなかった。
司の行動を止める気も諌める気もない。純は彼に宿泊場所として部屋の一部を提供しているだけで、司の行動を制限するような立場ではないのだから。
分かっているのに、何故か気にかかった。
ふと思い出したのは、司と初めて言葉を交わした日のことだ。階段から落ちかけた子供を助けて、それが縁で顔を合わせた。彼の顔を見て、アイスダンスの演技が記憶の端に引っ掛かっていた相手だと分かった。
純はこの時初めて、司は自身の胸中に何かしらを残していくのだと気づいた。アイスダンスの演技も。絶対はないと言いきった時も。唐突にかかってきた通話で、語るのなら氷の上でと告げてきた時も。慎一郎からの手紙をわざわざ持ってきて手渡してきた時も。貸した鍵に勝手にカラフルな紐を着けられていた時も。
一つ一つは気にも留めない出来事だ。日常の諸々にすぐに埋もれて、意識しなくなっていくほど些細なものでしかない。それでも、軽く爪で引っ掻いただけのようなそれが積み重ねられ、やがて無視できないものになっていく。
部屋を出た純は、リビングの窓へ向かって歩みを進めていた。ここから外出するのなら、リビングの窓から姿が見えるだろうと判断してのことだった。
途中、司が寝床として使っていたソファーベッドに置かれている紙が目に入る。摘み上げればそこには『走ってきます。気が済んだら戻ります。』と書かれていた。
名前もない、用件だけが記されたメモだ。
片手にメモを持ったまま、窓際に歩み寄った。しばし経ってから、司が夜の街灯の下をゆっくり走っていくのが見えた。純が起きているとは思ってもいないからだろう、司は振り向くことなく遠ざかっていく。
眠れないから走る、というのは司の性格を考えると納得のいく話だった。気が済んだら、と記されているところからすると、何かしら考え込んでしまい眠れなくなったのだろうか。
純は司の背を見送りながら、窓にもたれかかった。
ここは日本とは違い、二十四時間営業しているコンビニなどはない。観光客が訪れるような土地でもないからか、治安はそう悪くはなかった。
日本人の平均からすれば大柄な成人男性、それもそこそこに体格のいい相手にわざわざ絡みにいく酔狂な相手がいる可能性は低いだろう。
子供ではないのだし、帰ってくるとメモも残してある。
放っておけばいい。このまま自室に戻って寝てしまえばいい。
そう考えていたのに、部屋に戻った純はタバコを片手に司を追って玄関を出ていた。
司は行き先を決めて出たわけではないだろう。
当て所なく歩を進める相手を追い掛けるのは骨が折れる。とは言え、ある程度絞れそうではあった。この辺りは日本とは違い、街灯のない場所へ足を踏み入れれば本当に真っ暗になる。土地勘のない司がそういう場所に足を向けるとは考えにくかった。
街灯沿いに探して、ある程度歩いて見つからなかったら戻ればいい。
咥えた煙草に火を付けながら、ゆっくりと歩いた。夜の街は静かで、遠くから微かに波音が聞こえてくるくらいだ。
深夜営業のバーでもあれば人影も見られたかもしれないが、この辺りは民家ばかりだ。こんな時間に出歩くような奇特な人物はどうやらいないようだった。
夜の中、道標のように光を灯す街灯を辿って歩く。
放っておけばいいのに。そう呟く自身の心の声を感じながらも、振り切るように歩いた。
君が引っ掛かる理由を、君に聞いたら。どうしてなのか分かるのかな。
それを聞いて、その答えがどんなものだったら納得するだろう。
自身でも正解が分からないまま、ただ歩いた。短くなった煙草を捨て、新たな煙草に火を付ける。司が見ていたら眉をしかめそうな行為だったが、今は純しかいないのだから咎める声もなかった。
そうして司を見つけたのは、海辺でだった。浜へ続く階段の途中に、さきほど窓辺から見送った背中が座り込んでいる。こんな夜中に見に来るほど海が好きだったのだろうか。
膝を抱えて座り込んだ姿勢のせいか、その背中がやけに頼りなさげに見えた。
海を眺める司は動かない。顔が見えないから、今どんな表情をしているのかも分からなかった。
特に足音をひそめて歩いているわけではなかったが、司は近づく純にまったく気づかないようだった。
鈍いな、と舌打ちをしかけて、波音が邪魔をしているのだと思い至った。
端的に言うと面白くない。彼が目を向けるのは、スケートに関わるものだけでいいのに。
「司」
声をかけたのは、大分距離が近くなってからだった。
司の背が微かに震え、ゆっくりと純の方へ振り返る。
何してるの、だとか。眠れないの、とか。その辺りの言葉を告げようとしていた純の喉から、声が音として放たれることはなかった。
振り向いた司の表情は、まるで迷子の子供のように心許ないものだった。
いつもの司なら、純の来訪に目を丸くして驚いているだろうに。驚いて、それから気まずそうにするか、恥ずかしそうにするか、苦笑いでもするか。
そうだろうと思っていた予想は裏切られ、司は近づいていく純をぼんやりとした顔で見上げているだけだった。
司との付き合いはそう長くはなかったが、明らかに様子がいつもと違うのは分かる。
純は司のすぐ傍まで付くと、顔の前でひらりと手を振った。
「起きてる?」
「起きてます
……
煙草の火が、ホタルに見えて。ちょっと、驚いて」
ぱち、と瞬きをした司が、小さく首を傾ける。その受け答えもどこか歯切れが悪かった。
見上げてくる眼差しが、純の煙草の先端を追っている。
ホタルと言われて頭を過ぎったのは、いつかの会食の際に光がホタルを見つけた際のことだった。明滅する小さな光を、そっと手のひらに乗せられた。野生動物のように鋭い眼差しを持ちながら、それでも繊細さを失わない。そういう光だったから、一度はその手を取ったのだ。
「
……
この辺りでホタルは見たことないな」
別に、特に見たいと思ったこともないけれど。
回想を振り切るように、そっけなく言った。
純の言葉に答えようとしたのだろう、口を開きかけた司がひゅっと息を呑む音がした。
「ぁ、れ」
唐突に司の目から涙が溢れていた。ぼたぼたと音でも聞こえてきそうな勢いで泣いている。
なんで急に、と驚いた純だったが、それは司の方でも同様だったらしい。
慌てたように涙を拭い、それでも止まらないことになんで、と途方に暮れた調子で呟くのが聞こえてきた。
こういう時にどうすればいいのか、純には分からない。声をかけた方がいいのか、背中でも撫でればいいのか。
迷いながら、それでも純の指が司に向けて伸ばされようとした時。
司は純に背を向け、立てた膝に顔を埋めてしまった。
ぐすぐすとしゃくり上げるたびに背中が揺れている。寄る辺のない幼子のようだった。
「ご、め
……
な、さぃ」
泣く合間から、謝罪の言葉が聞こえてきた。
こんな時にまで謝らなくていいのに。
そう思ったけれど、純は司が他者を気にかけ、切り捨てられない性格だと知っていた。
慰めの言葉なんて知らない。触れていいのかも分からない。
ここに居た方がいいのか、立ち去った方がいいのかも。
分からないことばかりで、けれど不思議と苛立ちは沸き上がらなかった。
「べつに」
一言だけそう告げて、純は司の傍らで紫煙をくゆらすことを決めたのだった。
泣き止んだ司の手を引いたのは、早く海から遠ざかりたかったからだ。
波の音は途切れることなく潮騒を響かせ続け、それがうるさかった。拍手のような、人のざわめきのような、そんな音に苛立ちを覚えた。
司が泣いた理由は分からなかったが、こんな場所にいるからだ、とさえ思った。
君がいるべきだったのは氷の上で、それが叶わないのならせめて氷の傍にいるべきだ、と。
本人に告げたら絶句しそうなことを、純は本気で考えていた。
司は純の手を振り払うことなく、大人しく着いてきていた。そんな様子も迷子のようで、落ち着かない心地になる。
握った手は、純に比べるとずいぶんと熱かった。
純に手を引かれている司は黙り込んだままだった。いつもなら純が返事をしようとしまいと、あれがこれがと勝手に話しかけてくるのに。
夜中だから周囲に配慮して、というのも司の性格なら十分にあり得たが、唐突に泣いた様子を見てしまうとそれだけではないのだろうと察せられた。
そうこうしているうちに部屋に着く。鍵を開ける為には、繋いでいる手を離さなければならない。ここまで来ておいて今さら司がどこかへ行くことも、迷子になることもないと分かっている。なのに何故か、その手を離すことを躊躇した。
握った手、その指先に一瞬だけ力を込める。それから、ゆっくりと離した。
ドアを開けて中に入る。純に続いて室内に足を踏み入れた司が、ためらいがちに口にした言葉は。
「お邪魔、します」
聞いた瞬間純の思考に浮かんできたのは、違う、という言葉だった。
その言葉じゃない。
君は、出ていく時に何て言ったか。
「ねえ」
「はい」
「覚えてないの?」
振り向き、問いかける。
司は純の言葉の意味が分からないようで、戸惑いの表情を浮かべていた。数歩分の距離を詰め、司の顔を覗き込む。
なんで分からないんだ、と焦れて、それが顔にも出たのだろう。司がきゅっと眉を下げるのが見えた。
手を伸ばし、司の手首を掴む。逃がさない、と告げる代わりに。
「ここ出る時、なんて言ってたか」
純は自身がおよそ世間の一般常識と呼ばれるものから解離した生活を送っているのは自覚している。それについては半ば諦めているし、今さらどうにかしたいわけでもない。
その純ですら知っている、挨拶の言葉。
「は
……
」
「挨拶くらいちゃんとしなよ」
「た、だいま」
司にとって純の追求は予想外だったらしく、目を白黒させながらの帰宅の挨拶は随分としどろもどろだった。
言わせたも同然ではあったが、望む言葉を聞けて満足した純はうん、と頷く。
「おかえり、司」
些細なやり取りだ。特別でもなんでもない、ありふれた挨拶。
けれど、その言葉を告げた瞬間。純は自分の放った言葉が司の内側に浸透していくのが分かった。
純のおかえり、を聞いた司が、驚いたらしく目を丸くした。何を言われたのか咀嚼しているように、何度か瞬きをして。
驚きに満ちていた目の中に、じわりと別の色が浮かび上がっていく。躊躇い、安堵、歓喜、それから。抑えきれない埋み火めいた、熱。
言葉も表情も雄弁な彼は、当然のごとくその目にも感情が乗る。覗き込んだ司の瞳は、くるくると様々な感情を湛えていた。
万華鏡のように、星が瞬くように、火花が散るように。
ぱちぱちと感情が爆ぜるその目から、抱え込みきれなくなった想いが溢れる。感情が濃縮された雫が、涙になって落ちた。
「あ
……
」
流れた涙に気づいた司が、吐息めいた声を洩らす。その間も、瞳から溢れた涙ははらはらと散っていた。
司はどこか呆然とした顔で、床に落ちた涙を目で追った。僅かに俯いた頬を伝い、顎の先から二つ、三つと雫が床に散っていく。
海辺で流されたそれはどこか痛々しいものだった。けれど今溢れているものは、抑えきれない司の感情がただ発露しているだけのようで。
喜びでも悲しみでも苦しみでもない、ただ静かな表情で涙を流す司を見て、触れたいな、と思った。
海辺では手を伸ばせなかったけれど、今なら、と。
行動に移そうとして、しかしふと純は思い止まった。泣いている相手にはどう接するのが正しいのだろうか、と。
考えた末に思い出したのは、友人である鴗鳥慎一郎のことだった。正確には、彼の家で見かけた日常の一コマだ。
純にとって、鴗鳥家で過ごした時間は数少ない「人並みの団欒」というものに触れた経験だった。自身では作れなかった、暖かなもの。
慎一郎は、息子の理凰が幼い頃にどうしていたか。泣きじゃくる理凰に、母であるエイヴァがどんな言葉をかけていたか。
「来て」
掴んだままだった司の手首を引く。リビングに辿り着き、ソファーベッドに司を座らせると純もその隣に腰を下ろした。
司ははらはらと涙を溢し続けている。手首を掴んでいた手を、そっと司の背に回した。ゆっくりとぎこちなく、その背を撫でる。
「なんで泣くの」
純の問いかけに、司はわずかに首を傾げた。問いの答えを探すように、少し長めに瞬きをする。涙の粒がその睫毛を滑り落ちていった。
泣きながら、それでも司は純とまっすぐ目を合わせた。静かな表情とは裏腹に、その瞳は感情を目一杯に湛えている。
火花が散るように、その感情の一端が純の心にまで降りかかってくる。質量のないはずのそれが、ひどく熱く感じられた。
「ここに、ただいまって帰ってきてもいいのかって、そう思ったら。胸がいっぱいになってしまって」
「うん」
「貴方が俺を探しに来てくれたのも、驚いたけど、嬉しくて」
「うん」
「俺の名前、呼んでくれたのも。名前、ちゃんと覚えててくれたんだなって」
そんなことで、と。
言いかけたのを不用意に口から吐き出さなかったのは、純にしてみれば快挙と言えた。
泣いている相手に責めるような言い方をするのが得策ではないことくらい、流石に分かる。
それから胸中に込み上げてきたのは、面白くないな、という感情だった。
「名前も知らない相手を泊めるほど、お人好しじゃないよ」
「そうです、ね」
名前を知らないと思われていたのも。
「司」
君が僕の名前を呼ばないのも。
面白くない。
優しくしたいと思った反動か、不満を抑えきれなかった。両手で司の頬を挟み、顔を寄せる。
頬に伝っていた涙が手のひらを濡らしたけれど、気にもならなかった。
「な、に」
「ねえ、司。僕は誰?」
「え、っと。夜鷹さん
……
?」
「司」
繰り返し、呼ぶ。
気づくまで何度でもその名前を告げてやろうという気持ちだった。
「ぁ、の」
「なに、司」
「待って、ください」
とは言え、司は純に比べれば人の気持ちにはずっと聡い。
純の意図になどすぐ気づいたようで、戸惑いにその目を揺らした。
司が身動きかけるが、逃がしてやる気はない。
「司」
「っ」
反らすな。逃げるな。
言葉で告げる代わりに、近かった顔を更に寄せた。額同士を触れ合わせれば、司の頬がかあっと熱くなるのが手のひらに伝わってくる。
いっそ発熱でもしているのかと疑わしいほどの熱さだったが、不快ではなかった。その熱を呼び起こしたのが自分だというのが、どこか面白くもあった。
「呼んで」
「う
……
」
「まだ足りない? ねえ、司」
「うう
……
純、さん」
観念しました、と言いたげな様子なのは些か気にくわない。
けれど、一度呼ばせたなら後はなし崩しで押しきれるだろう。
ひとまず満足した純は、近づいた距離はそのままに司の頭をくしゃりと撫でた。
「司、熱ある?」
「平熱37度あるんで
……
」
「そう。熱いね」
平然としている純を、司が物言いたげに見つめてくる。離してください、もしくは距離が近いです、辺りだろうか。
分かっていて、しれっと無視したまま司の髪を梳く。
「次から名前で呼ばなかったら返事しないから」
「え」
無理ですあと近いです、と小声で訴えられたのには、気づかなかったフリをした。
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