リとヌと御仔と要塞の幽霊の話、もしくはリ殿が執務室直通の小部屋を造るに至るきっかけになった話。以前書いた『その日廷内に~』で御仔がいたのはこの部屋でした。やっと前提イベント回収できてよかった
ここメロピデ要塞は、過去『罪人の吹き溜まり』であった。厳密には今もそれは変わらないのだが、その頃のここはもっと、非常によろしくない意味で『吹き溜まり』だったのだ。
血と暴力、苦痛と絶望。ここは「水の上」が捨てたゴミの溜まり場なのだとゴミ達が嗤う、そんな場所だ。
『管理者』がいるにはいたがそいつは管理とは名ばかりの私腹を肥やすことにしか頭にない屑で、そんな屑が統べるゴミ溜めの治安など、言葉ごとないようなものだった。
そんな場所であったから、「水の上」では口に出すことも憚られるような心無い扱いを受ける女性も多かったと聞く。そんな女性達が海へ還した子の幽霊が、時々要塞に現れるらしい――現管理者、『公爵』リオセスリの差配の元一定の秩序を保ち、住めば都、などと笑う囚人たちの声が特別許可食堂や鉄拳闘技場で響くメロピデ要塞に、ある日を境にそんな噂が囁かれ始めた。
『幽霊』が要塞にやってくるのは決まって昼。水の滴る音を供に、ずっと『パパ』を呼んでいるのだという。『幽霊』は、ここに住む者に危害を加えることはない。語りかけてくることもない。銀や蒼の光を見たと言う者はいるが、その姿を見た者も今のところ皆無だった。『幽霊』が通ったと思しき場所に残った水痕とぺたりぺたりと響く足音、そして『パパ』を呼ぶ寂しそうな、途方に暮れたような頼りない泣き声。それらは気づけば消えていて、出遭った者達は「あれが『幽霊』だったのだ」と、しばらくのちに気づくのだ。
子どもにとって暗闇は恐ろしいものだ。だから明るい時分に、『パパ』を探しにこの要塞へやってきているのだろう――『目撃情報』はいつの間にかそれなりの数になって、データ集計に明るい囚人が手慰みに纏めた『調査レポート』がまあまあ良い出来だったのと、それを元に記者崩れの囚人が書いた『特報』のせいで噂は瞬く間に要塞内に広がった。
“何かが這ったような跡、小さな足音、「パパ」を呼ぶ泣き声――メロピデ要塞には昼にだけ出る幽霊がいる。”…そんな書き出しで始まる件の記事は、『幽霊』について語りつつ過去と現在のメロピデ要塞を比較してしれっと『公爵』を持ち上げるのも忘れない、まあ何というかそこそこ出来のいい記事だった。記事に目を通した公爵が出所後の活躍が楽しみだよ、なんて言ったとか言ってないとかそんな話も相まって、『昼の幽霊』はメロピデ要塞の雑談のネタ筆頭に躍り出たのである。
そもそもなぜ今になってここに現れるようになったのか。――『幽霊』もここの雰囲気が変わったことに気づいたのでは?
繰り返し現れていることから、彼(『幽霊』の泣き声は少年の声をしていたと皆が口を揃える)の目的は今だに達成されていないと思われる。――何か手を貸してやれはしないか。
好奇心や探究心で『幽霊』探しを始める者や何か心をくすぐられるものがあったのか『幽霊』の手助けを試みる者が現れ始めて、ここ最近のメロピデ要塞は何処となく浮ついた空気になっている。近いうちに母親の方から情報を当たるべく資料閲覧の申請が上がるかもしれない――
「…以上が、これまでの報告になります」
「……なるほど、よくわかった。報告ありがとう、アルバートくん」
朗々と報告を終えたアルバートにうなずきを返したリオセスリはやれやれとため息をついて膝の上のちいさな頭に手を置いた。
「思ったより大事になってるぞ、『幽霊』さん」
『幽霊』はリオセスリの胸に顔を埋めたままその身体を震わせている。時折すん、と鼻をすする『幽霊』の背中をタオルの上から撫でてやりながら苦笑した。
「怖いおじさんたちに見つからないように頑張って隠れたのは偉かった。困った時は“じい”と同じ服の人間に声をかけるって約束もちゃんと守れていたな。ただなぁ…いつも「知らない道」から入って来られちまうと、パパもおまえを迎えに行けないんだ」
リオセスリとしても可愛い息子が『幽霊』になるのは望むところではない。ないのだが、どうも探知力が鋭いらしい息子はその探知力を持て余しているようで、毎回別のパイプから入ってきては(都度現場は目視確認しているが今のところ子どもか動物くらいしか抜けられないだろう穴なのは幸いだ)迷子になり、囚人たちの目を避けつつ要塞内を彷徨っては泣きながら看守に声をかけ、慌てた看守に保護されてリオセスリの元まで送り届けられる、というサイクルが確立されつつある。幽霊の正体見たり、という慣用句が稲妻にはあるそうだがまさかそれを息子が再現するとは思わなかったなぁ、などと考えつつ手を動かしていると、落ち着いたらしい『幽霊』――レヴィがぽそぽそと言葉を紡ぐ。
「ここ、いろんなにおいがして、パパのにおい、わかんなくて」
「うーん…まず内緒じゃなくて、普通に遊びに来てくれたらいいんだが」
そう、そもそも行くよと言ってから来てくれればこんなことにはならないのだ。「行くよ」を許可するかどうかは時と場合によるけれども、愛息子が遊びに来たいと言ったならこんにちはからさようならまで完璧なエスコートを約束するというのに何故だか息子は高確率でその段階をすっ飛ばし、『そうだ、メロピデ、行こう』なんてどこかの旅行会社のキャッチコピーのノリでふらっと遊びに来るのである。なおその際歌劇場裏を経由することはまずない。絶対追い返されるから――というのが理由なのではなく、単純に海中を移動する方がこの仔にとって速く容易であるからだ。そもそもレヴィが一人で廷内を歩くことはないので、経由できない、の方が表現としては近いのかもしれない。
いつもがんばってパパのこと探すんだよ、と眉を寄せて話してくれるレヴィに二度目の苦笑を浮かべて首を傾げると、レヴィはむうと唇を尖らせて。
「…だって、きゅうにパパにあいたくなっちゃうんだもん」
朝はちゃんと、パパが帰って来るのとうさまとおうちで待ってようと思ってるんだよ――そんな風に言われては。
「…かわいいかよ…………」
そっと目頭を押さえるしかないのだ。ここに伴侶がいたならば珍しい言葉遣いをすると笑ってくれただろうが、愛しの君は水の上で絶賛業務中である。本日はレヴィを連れて帰宅することになるのだろうから、迎えてくれた伴侶はきっと、少しだけ困ったように、溢れるような慈愛のこもった声音で息子をやんわりと嗜めるのだろう。「やはりパパのところに行っていたのだな。困った仔だ」と。
あのひとのあのトーン、耳心地いいんだよな…なんてそれこそ嗜められそうなことを考えつつ、手慰みに小さな背中を撫でながら思案する。愛息子が毎朝毎夜顔を合わせている自分を恋しがって訪ねてきてくれるのはそれはもう物凄く嬉しいけれども、ここに至った以上何かしらの対策は打たねばなるまい。今はまだ『幽霊』で済んでいるが、『幽霊』が『公爵の息子』と繋がれば危害を加えたり取引材料にしようとする輩も出てくるだろう。息子には伴侶の加護がついている。物理的に滅多なことにはならないだろうが怖い思いはさせたくない。
「よし、『除霊』するか」
ひとつ実現可能性が限りなく高い方法を思いついてそう口にしたリオセスリに、レヴィとアルバートは首を傾げたのだった。
◇
「…というわけで、造った」
「つくった」
二人掛けのソファとふかふかのクッション、小さなチェストと小ぶりの冷蔵用マシナリー。それらが並ぶ空間で首をめぐらせながらヌヴィレットがリオセスリの言葉を反芻する。一通り部屋の探検を終えたレヴィは今は丸窓から見える海中の様子に夢中だ。
「いつまでもレヴィを『幽霊』にしておくわけにはいかないからな。このドアが、」
入ってきた水路の対角線上にあるこの部屋唯一のドアを開けると、見慣れた風景が広がっている。
「執務室に繋がってる」
「なるほど、外から君の執務室に直通のルートを造ったのか」
「そういうことだ。ああ、費用は俺の懐から出てるから安心してくれ」
「元より不審など抱いていないが…君に負担をかけてしまったな」
私がもう少しこの仔を構ってやれていれば、と肩を落とすヌヴィレットの頬をくすぐって。
「俺がそうしたかったんだ。わざわざ会いに来てくれるレヴィを毎回泣かせるのは父親としてどうなんだってずっと思ってたしな」
にっ、と笑んで見せれば、伴侶はゆるりと首を振る。
「…そもそもレヴィが非正規の方法で要塞を訪れる方が問題で、んむ」
「それは言わぬが花、だろ?」
珊瑚の唇に人差し指を当てて言葉を封じると、舌先でちろりと指の腹を撫でて半歩身を引いたヌヴィレットはやれやれとばかりにため息をついた。
「…君はレヴィに甘い」
「勿論あんたのことも含めてだが、堂々と甘やかせる立場なんでね。最大限利用させてもらってるよ」
「そんな君から利を得ている私が言えた立場ではなかったな」
目じりに口づけて囁けば、思い当たる節があるらしいヌヴィレットは温もりの触れた場所を淡く染めて頬を寄せてくる。くすくすとさざ波のように耳元で響く笑い声が心地良かった。
「さて、レヴィ。『約束』、覚えてるかい?」
おさらいだ、と声をかけた息子は、くるりと身を返して大きくうなずく。
「あい! おへやにきたらちゃんとおきがえする!」
伴侶のように水分を瞬時に引き剥がす権能など只人のリオセスリにはない。水龍としては只今成長中のレヴィもそれは同じだ。であるから、只人のリオセスリは小さなチェストを用意した。中身はタオルとレヴィの着替え一式だ。どんなに水が温かく感じても、風邪をひかないように必ず髪と身体を拭いて着替えをすること。これがひとつ。
「それから?」
「あそこがあかくピカピカしてたらおへやでないで、しずかにする!」
レヴィが指さしたのはドアの横に灯るランプだ。今のように青く光っている時は部屋を出てもいい。赤ならリオセスリは何かで手を離せないか、そもそも執務室に不在であることを示す。その場合は静かに――レヴィのそれは世間一般の子供のような『元気さ』ではないので不要かと思ったが一応条件とした――リオセスリを待つこと。鍵も開けないこと。これがひとつ。
合計ふたつの『約束』を元気に復唱してくれた息子の頭をよしよしと撫でて微笑む。
「よし、ちゃんと覚えてるな。偉いぞ」
「パパとやくそくしたから!」
「もしレヴィがこの『約束』を守れなかったら、とうさまに入り口を使えなくしてもらうからな」
くふんと誇らしげに笑っていたレヴィは、リオセスリが真面目な顔で続けた言葉にぴゃっと触角を跳ね上げてから頭を振った。
「ぼく、ちゃんとまもる」
それからちいさな両手で握り拳を作って重々しく決意宣言をしてくれるのに、ヌヴィレットもいい仔だと微笑みその頭を撫でた。
この部屋への海中側の扉はプネウムシアエネルギーに触れることで開くようになっている。防犯対策と、最もここを利用するだろうレヴィの利便性を考えてのことだ。機構を見たヌヴィレットは、機構の上に一つ、元素を使った仕掛けを施してくれていた。家族以外がプネウムシアエネルギーを使用しても機構が作動しないように、と(外から君の一番近くに入れる場所なのだから、私の安寧のためにもと告げられて思わず抱きしめてしまった)。
つまりレヴィがこれを作動させられないようにすることもヌヴィレットであれば可能で、“とうさま”の力をよく知っているレヴィにはこれ以上ない抑止力になるだろう。『約束』はきちんと守れる仔だがそれはそれとして。
「これからはこっちから会いに来てくれ。事前に教えてくれたらもっといいが」
「あい!」
くしゃくしゃと頭を撫でたリオセスリに元気にうなずいてくれるレヴィは、きっと「事前に教えてくれる」ことはないのだろう。同じことを考えているらしいヌヴィレットも仕方のないと言わんばかりの苦笑を浮かべている。そこも加味した『除霊』なので問題はないのだけれど。
かくして『昼の幽霊』は姿を消した。常の秩序を取り戻した要塞で本日もペンを執るリオセスリの唯一の『予想外』は、愛息子だけでなく伴侶も比較的頻繁に小部屋を訪れるようになったことだった。
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