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千代里
2025-04-25 08:13:53
10959文字
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リーブラ14話
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リーブラの針は問う・14話・その65
――
夢を見ているのかと思った。
(だって、ついさっきまで、一緒におしゃべりしていたんです)
目の前にあるものが現実のことだと、理解できなかった。
(だって、昨日までは一緒の部屋にいて、今までと同じ通りの明日が来ると思っていたんです)
「
……
さん、オデットさん」
咆哮をあげるソレが、友人の変じたものだと受け入れることを拒んでいた。
(数日前は、ゲルダに似合うドレスをって。そんな話をしてたのに)
「オデットさん、ここから離れますよ。早く!」
ぐいと体を引かれる感覚に引きずられて、漸くオデットはハッと我に帰る。
瞬間、今まで無意識に己の耳から切り離していた音の大群がオデットの鼓膜を殴りつけた。ぐわんと頭を殴られたような衝撃に、一瞬眩暈すら覚える。
しかし、オデットの頭が安寧を得るより早く、オデットの手を引いている誰かが彼女を瓦礫の影に引き摺り込んだ。
「オデットさん、大丈夫ですか」
「ヒューイ
……
さん?」
度重なる衝撃の余韻が漸く束の間の落ち着きを見せ、代わりにオデットは目の前の人物を凝視する。座り込んでしまったオデットに目線を合わせるように膝を折っているその人物は、間違いない。囚われの身の時にも世話になった青年
――
ヒューイだ。
普段はかっちりと着こなしている錬金術師としての白のローブも、今はところどころに破れや汚れが付着しており、くたびれて見える。この騒乱の只中を潜り抜けてきたのだろう。
しかし、オデットはヒューイの無事を素直に喜んではいられなかった。
「ヒューイさん、ゲルダが
……
ゲルダが、竜になってしまって!!」
「ええ、見ていました。あれは確かにゲルトルーデです。やはり、私の推測は正しかったのですね」
咆哮をあげる一体の竜を前にして、ヒューイは何故か嬉しそうに顔を綻ばせていた。まるで、長らく会っていなかった友人に再会できたかのように、懐かしさを帯びた笑みすら浮かべている。
しかし、その表情もまたオデットに混乱を与えるものにしかならなかった。
「どういうことですか。ヒューイさんは、ゲルダがあんな姿になることを知っていたんですか!?」
そこで、オデットはつい先ほど聞いたばかりの言葉を思い返す。ゲルダ本人が口にしていた、自分はヒューイに作られたのだという言葉を。
「ゲルダは、自分の体はヒューイさんが作ったと言っていました。あれは、本当なんですか
……
?」
自分でも己の言葉が信じられなかった。ゲルダが作りものの存在であるなどと、趣味の悪い冗談にしか聞こえない。
しかし、他ならぬゲルダ自身がそう言ったのだ。それに、彼女が剣で斬りつけられても平然としている様子をオデットは目の当たりにしている。ならばこそ、友人が最後に残した言葉を、オデットは信じるしかなかった。
果たして、ヒューイは頷いた。
「確かに、私はあの少女の肉体を錬金術で作りました。しかし、どれだけ人の姿に似せた器をつくっても、本来ならそこに意思は宿りません。魂と呼んでもいいでしょう。そのようなものは、ただの人形には宿りようがないのです」
「では、ゲルダが竜になったのはヒューイさんのせい、なのですか」
「私も少なからず関与していることではあります」
ヒューイはオデットの手を引き、ゲルダが変じた赤い竜からさらに距離を取る。
「知りたいですか。ゲルダのことを」
「それは
……
」
「私は、あなたに全てを話すことができます。ですが、あなたは、何も知らずに過ごすこともできます。ゲルダの思い出だけを抱えて、あの竜のことを忘れて、彼女が消えるまでの日々だけを覚えておくのも、そんなに悪い選択ではないのでしょう」
それも一つの生き方なのだとオデットは悟る。ヒューイの言うように、ゲルダとの日々の中たから暖かな思い出だけを選びとることもできる。少し離れた先にいる竜と化した存在からは目を瞑ってしまえば、オデットは友人を失っただけの悲劇の少女でいられる。
瓦礫と瓦礫の合間に隠れるようにして、オデットは瞬時逡巡した。
いまだはっきりとした形を得られていないのか、瓦礫の隙間から見える竜は目立った動きはしていない。あれをゲルダではないと見做して、忘れ去ってしまうか。
(
……
でも、ゲルダは選んだんです。怖い人たちからわたしを逃すために、あの姿になることを)
一番のともだちと言って笑いかけてくれた彼女を思い出した瞬間、オデットは決めていた。
「教えてください、ヒューイさん。ゲルダがどうしてあんな姿になっているのかを」
決然とした言葉の調子から、ヒューイもオデットの心情を察してくれたのだろう。念押しのような無駄な言葉は挟まずに、「わかりました」と頷いてくれた。
「ゲルダは、どうして竜の姿になってしまったのですか。あれは
……
竜の血を飲んだから、竜に変化してしまったのですか」
先だって、ノエが手にかけた少年のことを思い出し、オデットは問いかける。ヒューイはゆっくりと首を横に振り、
「まず、一つ誤解を正しておく必要がありそうですね。オデットさんは何か勘違いしているのかもしれませんが、ゲルダは人から竜になったのではありません。彼女自身が最初から竜だったのです」
ヒューイの言葉に、オデットは瞠目した。だが、同時に思い出してもいた。
ゲルダは、自分が竜になった夢を見たと語っていた。あれがただの夢ではなく、人の形に収まる前のゲルダが過ごしてきた記憶なのだとしたら、ヒューイの発言は筋が通る。どうして竜が人の形をしたものの中に宿っていたのかは、疑問の外に一度置いておく。
「じゃあ、竜だった頃のゲルダは
……
どうなったのですか」
「竜であった彼女
――
当時はゲルトルーデと名乗っていた竜は、人の手によって殺されました」
「でも、ゲルダはわたしと話をしていました。普通に生きているみたいに。死んでいたなんて、そんな
……
」
ありえない、とオデットの喉が最後の音を漏らす前に、竜の咆哮が轟いた。さながら、オデットの言葉に相槌を打つかのような声だった。
「ええ。ですから、私は彼女の体の一部を使い、そこに宿る魔力とも魂とも呼べるものを引き出すことにしたのです」
「体の一部を
……
使う? そんなことで、人が蘇るのですか」
「普通の人間ではまず無理でしょう。ですが、竜はその体そのものが人間と違う。体を巡るエーテルもより高濃度であり、特に一部の部位にはとりわけ濃いエーテルが宿る
……
私はそう考えています」
そう言われて、オデットはグリダニアで受けた依頼の一つを思い出していた。
とある廃屋敷にて生じたクリスタルの結晶のような魔物。魔物が放った魔力のせいか、それとも魔力が溜まったせいで魔物が生まれたのか、どちらが先かはわからないが、オデットは廃屋敷にて魔力が残した記憶の残滓に触れた。
過去を繰り返すばかりの記録じみた記憶だが、あれも死してなお残る一つの魂の形と言えるのかもしれない。
「ゲルトルーデを討伐した神殿騎士団の部隊は、勝利の証として彼女の『眼』を抉り出し、保管していました。本来ならいくら成果を確認するためとはいえ、そのような所業をするのは、騎士団内部でもあまり良い顔はされません。竜の一部を取りだし、己のもとで保管するというのは、竜の血を飲む異端者と同様だと考える者もいますからね」
「竜の眼
……
。それが、竜だったゲルダを
……
ゲルトルーデさんを蘇らせるために使ったものなのですか」
「ええ。私は保管されていた竜の眼を盗み出しました。そのせいで無用な疑いを招き、神殿騎士団のお抱え錬金術師の称号を捨てる必要はありましたが、私には関係なかった。そもそも、ゲルトルーデの一部がそのように他人の所有物になっていることが、私には
……
我慢ならなかったようなのです」
淡々と語り続けるヒューイの声音が、その時だけ微かに熱を帯びた。しかし、怒りと表せるようなその声音に気がついたのは聞き手であるオデットだけだったようだ。
「竜の眼については、単なる竜の体の一部ではありません。実際に竜と戦う者に授けられる宝珠でもあるのです。竜の力を引き出すことで、竜を討つのに役立てているというわけです」
「竜と戦うのに、竜の体の一部を使うのですか」
その因縁めいた因果に、オデットは反射的に眉を寄せてしまった。だが、ヒューイはすんなりと首を縦に振る。
「騎士団の中でも竜と真っ向に立ち向かえる、もっとも力を持つ竜騎士
――
蒼の竜騎士の称号を得たものに、『竜の眼』は授けられます。しかも、その眼は並の竜のものではない。建国神話にも出てくる騎士が、邪竜から抉り出したものと言われています」
告げられた内容に、オデットは目を丸くした。邪竜の名は、これまでにも何度か耳にしている。だが、その眼すらも武器として戦うというのは、竜と人の間に生まれた因縁の深さを象徴しているように思えたのだ。
「しかし、竜の眼を持った竜騎士には、より強い力が与えられる反面、邪竜の憎悪にその精神を蝕まれることになるという噂があるのです」
それは、オデットにとっては、邪竜の持つ並々ならぬ憎悪や、竜が人の手に御し切れる存在ではないことを強調する逸話の一つに聞こえた。
しかし、ヒューイは全く違う形でこの話を受け止めていた。
「邪竜の憎悪がその眼に残っているのなら、それは邪竜の意思が
――
魂が眼に宿っていると言えるのではないか。ならば、邪竜と同じく、竜のゲルトルーデでも同様のことが言えないか。私はその推論を確かめるためにも、人にに似せた人形の体に竜の眼を埋め込んで、彼女の魂が目覚めないかを試したのです」
「それが、ゲルダだったのですか?」
しかし、それならヒューイの側にずっとゲルダはいたことになってしまう。予想通り、ヒューイは首を横に振った。
「私が埋め込んだのは、竜の片眼でした。いきなり両眼を埋めて、予期せぬ事態が起きたら、取り返しがつかなくなると考えたのです。そのせいか、人形は
……
ゲルダは、目を覚ましはしたものの、周囲の物音に反応する程度の非常に弱い自我しか持っていなかったのです」
だからこそ、ヒューイがゲルダに再会したときに驚いたのだとオデットは理解した。
ヒューイにとっては、文字通り人形のように物静かなゲルダの印象が強かったのだろう。
「たとえ眼が一つでも、邪竜は人間の精神を蝕むほどの影響を与えました。ならば、同じような変化が見られるはずだと考え、私は思案の日々を過ごしていたのですが
……
私が休んでいる隙に、ゲルダが姿を消してしまったのです」
今まで、ゲルダは寝台から起き上がることすらも、自発的にしようとしなかった存在だった。だからこそ、目を覚ましたときにゲルダが姿を消していたことに、ヒューイは大層驚いた。
鍵を壊して出ていった彼女の足跡を追いかけたものの、その足取りは近くの山麓の半ばで途切れ、追跡は困難だった。
「その後の足取りについて、私は知りませんでした。てっきり、野山のどこかで魔物に襲われて壊されてしまったのではないかと思っていたのです。しかし、実態は違った」
そのことは、オデットも知っている。ゲルダは服すら着ていない状態で彷徨っていたところを、一頭の竜に保護されたのだ。
「ゲルダから聴取して、私はあの後に何があったかを知りました。おそらくですが、ゲルダは無意識のうちに、竜だった頃の自分と最も親しかった竜の元に向かおうとしていたようです。そして、実際に彼女と再会したことで、あやふやだった自我をはっきりさせた」
「それが、ゲルダのお母さん
……
?」
「ええ。エレオノーラは彼女に自らをそう呼ばせていたようですね。エレオノーラはゲルトルーデと同じ時に、同じ竜の卵から生まれたのだそうです。謂わば姉妹竜であり、互いに契りを交わした番いでもあったと聞いています。最も近しい家族の存在が、彼女の中に宿っていた眼の覚醒を促したのでしょう」
ゲルダの中に芽生えた意思は、しかしそれでも、あくまでエレオノーラに
――
母親に従順なものであった。だが、無関係な人間たちが傷つくさまを見て、ゲルダの芽吹いたばかりの情緒にも変化がもたらされた。
「ゲルダは、異端者を無理矢理作ろうとする意見に反対していました。それも、竜だった頃のゲルダと同じ考えだったのですか」
「厳密には違うでしょう。ゲルトルーデは異端者という存在を意識していなかったようですから。ですが、彼女は親しい人が傷つく姿を見るのを嫌がり、無益な争いにも忌避感を示していました。その心が、異端者たちの思想と噛み合わなかったのだと推測できます」
オデットが連れてきたゲルダを見て、自分の推論は間違いではなかったとヒューイは確信を得た。だが、人形の中に芽生えた感情は、あくまで記憶を白紙に戻した上で生み出されたものに過ぎなかった。
「私は、もう一度完全な形でゲルトルーデに会いたかった。あなたの知るゲルダではなく。ですから、私は再会の機会を最大限利用することにしました」
「
……
そうだったのですね」
それは、オデットにとっては『余計なお世話』ではあった。だが、実情を聞けば聞くほど、たとえヒューイが何もしなかったとしても、これまでのような穏やかな日々を過ごすことは難しかっただろうとオデットも薄々理解していた。竜の眼などというものは、一介の魔道士にすぎないオデットが到底扱えるものではない。
「ゲルダにもう片方の竜の眼を与えるにしても、準備が必要であると考えました。私は、以前の時よりも、より慎重に、彼女の肉体を竜に近づけることにしました」
「竜に近づける
……
」
オデットの目から見て、ゲルダの肉体に顕著な変化はなかった。ならば、ヒューイは何を以てゲルダを竜へと近づけさせたのか。ゲルダがヒューイから与えられたものといえば、一つだけだ。
「
……
もしかして、ゲルダが飲んでいた薬は」
「ええ。私がこの集落の住民から採血していた、竜の血が混ざった人間の血です。私は、人間に限りなく近い形で器を作成しましたが、結局それは人間を模したものでしかありません。竜の眼を完全な形で入れるには、より竜に近い状態にする必要があると考えたのです」
そのために、ヒューイは竜の血を取り込んだ人間
――
異端者に接触した。最初こそ偶然が導いた縁ではあったが、ヒューイは自分が得た絆すら、己の目的のために最大限活用することにした。
少しずつ、しかし確実に。人に近い形をしていたゲルダは、竜の一部を帯びた肉体へと変化させられていった。その身に、自分自身でもあった竜の一部を受け入れるために。
「私の元に姿を見せたエレオノーラも、私の理論を聞いて、一旦は静観することを受け入れてくれました。彼女は、どうやらゲルトルーデの眼を回収したかったようですが」
「ゲルダのお母さんは、ヒューイさんの元には会いにきていたんですか!?」
「彼女にとって、ゲルダはあくまで『眼』を運ぶ箱であり、もう片方の
――
私が持っていた眼を探り出すための探査をさせていただけに過ぎませんでした。二つの眼は惹かれ合うと、彼女はそう考えていたようです」
エレオノーラの考えを聞き、オデットは衝動的にかの竜への反感を覚えた。あれほどゲルダが母親として慕っていたのに、まるで物のようにゲルダを扱っていたとは。
「エレオノーラの意見も、竜としては当然なのでしょう。人の元に愛する片割れの一部が留め置かれているのは我慢ならないと、彼女はそう言っていましたから」
しかし、ゲルトルーデが本当に復活するのならば、今しばらくはヒューイの元に眼を預けておくことをエレオノーラは許した。かつて、ゲルトルーデと交流があったことが、エレオノーラの許しを得るのに一役買ってくれたのかもしれないとヒューイは語った。
「計画の最終段階では、眼を少しずつ彼女の体に入れたいと考えていた私は、エレオノーラに眼を更に細かく分けられないかと頼みました。彼女は、竜の力を用いて、片割れの眼を一時的に砕くことを許してくれました」
「
……
わたしが、ゲルダの薬を見て嫌な感じになったのは、竜の眼の一部が入っていたから、ですか」
「そうでしょうね。あれは高濃度のエーテルの塊であると同時に、竜の魂が収まっているものでもありますから」
ゲルダは、砕かれた己自身の一部をそうとは知らずに受け入れた。一時的に倒れて意識を失ったのは、眼を摂取したことを器が受け入れるまでの時間が必要だったからだろう。
片割れの眼に引き寄せられるように、一度は分たれた眼はあるべき形に戻り
――
そして、今に至る。
「では、ヒューイさんの願いは
……
叶ったのですか。ゲルダは、昔のことをすっかり思い出して、昔と同じように竜の姿になったということですか?」
だが、それならあの禍々しい怒りの気配は何なのだろう。
周囲を全て呪うかのような怨嗟の咆哮は、朗らかなゲルダの性格とも、争いを拒むゲルトルーデという竜の話とも一致しない。
「ゲルトルーデは、確かに眼に残っていた記憶を一番強く引き出して、あのような形で蘇ったのでしょう。ただ、ゲルトルーデがかつてのような穏やかな竜として目覚めないだろうということも、私の予測の中にはありました」
「え
……
?」
「オデットさん。仮にあなたが惨たらしく殺されたとして、今際の際に願うことは何でしょうか」
なぜそんなことを聞くのかと、オデットは疑問に思う。
それでも、ヒューイに言われるがままに彼女は自分なりに考えてみる。仮に、異端者に拉致されたまま、ノエにも再会することができず、無惨に殺されたのだとしたら。最期に願うのは何だろうか。
(兄さんに会いたい。もう一度話をしたい。それに
……
)
――
許さない。
ぷかりと、腹の奥からそんな声が浮かび上がる。
「
……
許さない、許したくない、と思って
……
しまうかもしれません。わたしを殺した人のことを、絶対に許せないって」
「普通は、そう思うもののようですね。そして、おそらく、ゲルトルーデもそう感じたことでしょう。だとしたら、竜の眼に最も濃く残った感情が、彼女が絶命する前の嘆きと絶望、怒りであったなら
――
蘇ったときの形があのようなものであっても、不思議ではありません」
眼が不完全な状態だったら、断末魔の記憶を忘れられたままでいられたかもしれない。本来の朗らかな性格のまま、オデットの友人の位置に収まっていることもできた。
しかし、眼は戻ってしまったのだ。ゲルトルーデは思い出してしまった。自分を傷つけ、苦しめ、殺めた人間たちの存在を。
「ヒューイさんは、それを知っていて、ゲルダを竜として蘇らせたのですか」
「ええ」
「どうして
……
どうして、そんなことを。蘇っても、悲しいことしか、苦しいことしか思い出せないなら、そんなのゲルトルーデにとって辛いだけじゃないですか!!」
「ですが、私は会いたかったのです。ゲルトルーデに会いたかった。私を友人と言ってくれた、あの竜に」
彼の言葉に、オデットのような激情はなかった。まるで昆虫観察でもしているかのように無機質な言葉に、瞬時オデットはヒューイにも怒りを覚えかける。
だが、すぐに彼の反応は興味がないからが原因ではないと悟った。その目には、オデットすらたじろぐほどの強い執着がゆらめいている。ただ彼は知らないのだ。自分の感情を声として、表情として、外に出す術を。
「ですが、それではゲルダの意思は
……
どうなるのですか。ゲルダが何を思ってここにいるのか、ヒューイさんは気にならなかったのですか」
「私には、これが常人の『正しい』感覚に合致するものかは分かりません。たとえ正気を失っていたとしても、いなくなった者にもう一度会いたいとは、『普通』は思わないものなのですか」
ヒューイに問われ、オデットは言葉をなくしてしまった。
もし、ノエが死ぬようなことがあれば。この先、竜に襲われ、魔物の襲撃を受け、あるいは悪意ある誰かに殺されて、はたまた病で命を落としたとして。
その時、自分は彼にもう一度会いたいと願わないではいられるか。
たとえ、その瞳に自分が映っていなかったとしても。
たとえ、その心が捻じ曲がっていたとしても。
この世界に最愛の人がいるという事実を取り戻せるのなら、どんな状態であっても構わないと言い切れてしまうのではないか。
「
……
わたしは、ヒューイさんがゲルトルーデさんに会いたかった気持ちは、おかしいとか間違ってるとか、そういう風に思うことはできません」
ヒューイの切望を、オデットは肯定する。
「でも、わたしは
……
ゲルダにあんな姿になってまで、わたしを守ってほしいとは思っていないのです」
瓦礫から顔を覗かせ、オデットは怒りに狂う竜を見つめる。
竜
――
ゲルトルーデは自分にむかって果敢にも突進してくる騎兵を、さながら目障りな羽虫を前にしたかのように無造作に爪のひとなぎで追い払った。さらに、続けざまに、背後に隠れていた騎兵を尻尾で打ち据える。
幸い、辛うじて、二人の兵士は命を落とさずに済んだようだ。よろよろとした足取りで退却していったが、微かに見える赤い痕跡は負傷の跡に違いない。
「わたしは、ゲルダの友人として、ゲルダが誰かを傷つける姿を見たくない」
ヒューイの自分勝手とも言える願望からゲルトルーデが蘇ったのなら。
オデットもまた、自分勝手な希望でゲルトルーデを止めたいと願っていた。
「私はこのままあなたを連れて、この場から逃げるつもりです。ゲルダは、私にあなたを頼むと言っていましたから」
「ゲルダが、そんなことを頼んだのですか」
「ええ。彼女には、ゲルダという存在が何者であるかを全て伝えていました。彼女自身、己がどのような存在かを自覚した上で、もしもの時はあなたを守ってほしいと私に託したのです」
「
――――
」
それがゲルダの願いならばと、オデットの心が揺れかける。それを知ってか知らずか、ヒューイは続ける。
「あなたと共にいられて楽しかったと思った日々は、たとえ自分が何者であったしても本当だと。彼女はそう言っていました」
その言葉を聞いて、オデットは俯きかけていた顔を上げた。
ゲルダがオデットの無事を願っていたのなら、オデットは大人しくこの場から立ち去るべきだ。ゲルトルーデが討たれようとも、彼女が騎兵をどれだけ殺そうとも、目を閉じて耳を塞ぎ、背を向けて仕舞えば全てを無かったことにできる。
しかし、ゲルダはオデットと共に過ごした時間を、目覚めるまでの虚構とはしなかった。それもまた、自分にとってかけがえのないものだと思ってくれていた。それを知って、俯いたままではいられない。
「
……
わたしは」
ゲルトルーデが咆哮する。自分はここにいると世界に刻むような声。近寄る人間は容赦なく爪で引き裂き、吐き出した炎が家屋を一つ焼いたのが見える。
それだけで、十分だった。
「わたしは、ゲルトルーデを
――
止めます」
「それは、ゲルトルーデを殺すということですか」
「
……
わかりません。ただ、ヒューイさんにとっては、望ましくない結果になるかもしれません」
オデットは曖昧な言い回しで回答を拒んだ。だが、オデットの意思はヒューイにも伝わったはずだ。
ヒューイが反抗したら場合はどうしようかと、オデットは体に緊張を走らせる。しかし、ヒューイは相変わらず大きな変化のない瞳で少女を見つめ、
「そうですか。では、私も同行しましょう」
すぐそこの店に買い出しに行くのについていく、とでも言っているかのように、気軽な調子だった。予想外の反応にオデットが呆気に取られていると、
「なぜ、そのように驚いているのですか」
「わたしは、ヒューイさんが、その
……
苦労して蘇らせたゲルトルーデさんを、どうにかしたいって言っているんですよ」
殺す、とは言いたくなかった。だが、オデットがゲルトルーデに対して危害を加える覚悟を決めたことはヒューイにも伝わったようだ。だというのに、ヒューイは表情ひとつ変えようとしない。
「ええ。そうですね」
「わたしを、止めようとは思わないのですか」
「ゲルトルーデの活動を停止させられるのは拒みたい、と思う気持ちは、恐らく私の中にはあるのだと思います。ですが、もし、あなたの働きかけで今と違う形にゲルトルーデがなるというのなら」
ヒューイは目を細めて、憎悪の化身のように荒れ狂う竜を見つめる。
「私は、その瞬間にも立ち会いたい。そう願う気持ちが、私にもあるようなのです」
「ヒューイさん
……
」
竜が暴れ回る足元に行きたいなどと、どれだけ竜そのものに思い入れがあったとしても、早々決意できるものではない。しかし、ヒューイは決意を示したのならあとは迷う必要はないと言わんばかりに、すでに立ち上がっていた。
「ヒューイさんにとって、ゲルトルーデさんはそんなにも大事な方なのですか」
当たり前のことではあったが、聞かずにはいられなかった。果たして、ヒューイは「どうでしょう」と曖昧な返事を挟んだあと、
「
……
友達、と。そう呼べる相手でしたから」
先ほどとは異なる、遠い記憶のかけらを愛おしむような視線でヒューイはゲルトルーデを見つめている。
暴れ狂う竜に向ける視線としては、あまりに不釣り合いではあった。ゲルトルーデがヒューイの眼差しに気がつくこともない。それでも、彼の物言わぬ瞳には、万の言葉では語り尽くせない想いがあることは、オデットにも伝わっていた。
「オデットさん。ゲルトルーデを止めると言っても、魔法を扱うための道具は持っているのですか?」
「いえ、手元にはないのですけれど
……
.でも、無くても魔法は使えますから」
「では、これを」
ヒューイは懐を探ると、一本の瓶を渡した。中には、薄青い液体がゆらゆらと揺れている。ゲルダのことを思い出し、オデットがつい身構えていると、
「毒などではありません。体内のエーテル循環の効率を上げる薬です。効果は長続きしませんが」
「魔法を使いやすくなると言うことですか」
「簡単に言えばそうですね」
オデットは薬瓶を受け取り、一瞬の躊躇を挟んでからそれを一息で飲み干した。
変化はすぐに訪れた。ヒューイの言うように、体の内側を巡るエーテルに働きかける時、わずかな抵抗がなく、違和感なく己の魔力に触れられる。それは、オデットが今まで感じたことのない感覚だった。
「これなら、天球儀がなくても同じくらいの規模の魔法が使えそうです」
「それはよかった。では、行きますか」
ヒューイの促しに、オデットは小さく頷く。ゲルトルーデの元に向かう準備はできた。あとは己の気持ちだけだ。
「
……
待ってて、ゲルダ」
しかし、果たして竜の足元に向かったところで自分に何ができると言うのか。その答えを、オデットはまだ見つけられずにいた。
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