ホテルに着いて、スーツケースで皮膚を挟んだりした。2階で受付して、部屋に入る。バカ広い。布団二つある。椅子がすごく座り心地良い。浴槽で横になれる。革命だった。
とりあえず風呂入って顔面工事して、ありえん速度で飯を食う。少なめ。サワーをグビグビして出て、撮影会のためにどこに居ればいいかなと思っていたら名前を呼ばれる。行ったらもう人がいて、林家木久扇師匠みたいな楽しいおじさんが喋ってた。聞いた話によるとアキラは来年もやる気らしい。若い人がいる、嬉しいね、俺と撮るのはイヤでしょ、なんて話をしたり、30代のカップルだろうか、マイトガイうちわを持つ女性、昭和スターの格好をした男性がいたり。そうして撮影会が始まって、さっさっさと撮っていく。順番になるまで手がガタガタ。
呼ばれて部屋に入ると娘さんがお手伝いしてるよう。しきいを超えるとアキラが立ってる。話もなし、とりあえず一枚目、離れすぎてたみたいでもうちょっと寄ってください!との声。(いやいやいやいやいやいや寄れるかそんな)と思いつつちょっと寄ってみる。2枚撮って終わり。何らかのオーラ、覇気にやられアキラの目も見れず、とりあえずありえんカクカクでお手紙を渡し、超絶掠れ声で応援していますと言って(聞こえたのかなあ)逃げ去った。手紙を渡した時の引っ張られる感じだけ覚えている。あとすぐ娘さんに回収された。
負けました。リベンジさせてください。次は目を見たいです。
まあ、とりあえず、逃げ去るように部屋を出るとサインを渡される。右上に熱き心に、下に小林旭、左上にすしざんまいアキラの写真。
手というか足がガクガク、俺もうちょっとやれよ!という思いを抱きながら玄関に行って写真撮ったり。
そうして会場に行きましたね。結構40分とか、隣の人と話したりして待った。いつからハマったの、何で知ったの、どこからきたの、まあ気になりますよね、こんなのいたら。
ここからメモ見てやった殴り書き
座ってる時間の方が多かったか。
風邪で声が掠れてます、9月の骨折も治らないで、立ってると背中が丸まっちゃう。
ご飯は食べましたか。飯食べて眠くなったところで聞いてね。なんて掴み。
日活に入ったのは昭和30年4月?
よくやってこられたなあと思います、裕次郎は男一生の仕事じゃないとか言ってた、50で死ぬのがわかってたからじゃないか?
80過ぎて歌ってるのも贅沢で、
最初は無責任に歌ってましたね、あることで(さすらいのやつだろうか)ちゃんと歌うようになった
歌が歌えて良かったと思います、歌があるからステージに立ててる。かったるいな、と思う時もありますけれど(笑)。
「女を忘れろ」
前奏で昭和31年云々と言ってた。いい調子で歌ってたね、と。
船村徹さんの話。
無口な人ですけれど、それは栃木弁で語尾が上がるんですね、それが嫌で無口だった。その船村さんが棺桶にまで持ってって、北島三郎とかにも歌わせた曲。当時は同録(歌と伴奏を同時に流して録音していた)で、入りでダイナマイトの爆発音を入れようと悪戦苦闘。シュ〜〜〜〜〜……
「ダイナマイトが150屯」2番まで?
👉🤨 👆🤨(音上げろの意)
NGを何度も出したらしい。
ひばりさんの歌をちょっと歌ってた。風に舞う〜?
作詞家作曲家、いろんな人と付き合った。みんなあの世行っちゃった。1人もいなくなったね。90まで生きて本出すよ、て言ってたジョーも死んじゃった。
高橋英樹のお母ちゃんが電話してきて、「高原児」とやらが50周年だ、アルバムを出そうってんで見てたら、旭さんにだいぶお世話になっていた。ってことで、写真出していいかって聞いてきた。当たり前だこのヤローって言ったよ。
高橋英樹のお母ちゃんは宝塚出身で、いいね。俺の女房は厚かましく物を頼める女じゃなかった(笑)。とまあ、これがここ1週間の話ですよ。
あの頃はギター持って馬乗ってなんやかんやした。
「ギターを持った渡り鳥」
ここでお客さんが「金一封」とかかれた贈り物を直接手渡す。娘さんが出てきて受け取って、びっくりしたな、ふ〜ん。何か金一封で面白いこと言おうとしたのに、わかんなくなっちゃった。
ともかくあの頃は芸能界が輝いてた。大したもんですよねえ、あんなチンドン屋みたいなのできるかって。
原健三郎?議員の話。淡路で選挙の応援に出た。その人が駅前で土下座して、旭も土下座を頼まれる。小林旭ですけど、土下座しました、なんてやってたら1人が見にきて、そして演説が始まった。すごいねえだかなんだか。
民謡を流行歌にして歌ってた。馬渕さんのこと。
「ダンチョネ節(1番のみ)」
年齢で音が聞こえないんですよ。頼みますよって言って、
「ズンドコ節(1番のみ)」
ウインク、失敗してたらしい。とりあえずなかったです。かなしみ。
「ツーレロ節(1番のみ)」
ライトっていうメモがある。多分ビカビカしてた。
ご当地ソングを渡り鳥とかで歌って、あの頃は山積みのレコードが映画終わったら全部売れてたとか。
「アキラの会津磐梯山」
朝寝〜でなんか心に残るジェスチャーをしてたらしい。メモに「あさね」とだけ書いてある。
コロムビアはいけすかない?民謡歌謡、アキラが歌えば売れた。良かったもんですね。
星野哲郎のこと。面白い詩を書く人でした。
叶弦大さん。歌歌ってたけど上手くなくて、親父が絵描きとか?で、馬渕さんが作曲してみな、アキラに歌わせるからみたいなことでやったらしい。
「自動車ショー歌」(星野-叶コンビの曲。1,2,4番目)
初めて見た時はなんだこれって歌詞。NHKにはいろんなメーカーがあってコマーシャルになっちゃうから、歌わせないって触れ込みだった。
馬に乗って磐梯山の尾根を登りましたね、磐梯スカイラインとか。手伝った?らしい。
確か、色々行って云々って話して、
「さすらい」(1,2?)
平成に入って上皇が云々……町が変わってった。日本はいいところあるのになあ、なんて思ったり。
まつむらせいこ?お父さんだかが台風?で亡くなって、せいこ?さんが泣く演技の時に全然泣かないでNGだすからお父さんが亡くなったこと思い出せよ、と言ったら今度は泣き止まなくなっちゃった。今だったらパワハラだよね。
あの頃はいい歌がありました。
「北帰行」
口に出せばなんでもやらせてもらえた。今なら毎週週刊誌に載っちゃうね。そうやって賑わしちゃって。そんな小林旭も昔の名前で出ています
「昔の名前で出ています」(1,3)
ひろみ を空中に書いてた。
キャバレーたくさんありました。一曲でウン百万稼ぎましたよ。大阪の方で、夕方の三時から5か所を回って、またUターンして戻る。すると時間が夜中の12時とかになってちょうどいい。最初は500人入るホールがガラガラだったこともあった、昔ので人気が爆発して、1000人入るとこも玄関開けてギチギチ。
歌の力のこと。
人生は浮き沈みがあるけれど。
何がいいんだか。
しあわせ
(メモわからん)
「落日」(1,3)
「惚れた女が死んだ夜は」
一番声出てた。ライトが斜めの窓みたいな感じ。椅子移動させてた。酒よ——!って本当死ぬまでに一回リアルで聞いた方がいい。
もう少しやりようあったかも?
人生苦しいこともあるから甘いのも許されるのかもね。
こわい。
「あれから」(フル)
合図で音が出ず、アキラバチギレ。
「どこ見てんだよー❗️💢、(なんか怒ってるけど聞こえない)」
こわい。
完の心はガクガク。乾杯したけどネ。
平成に入って、最近は空気が乱気流だよね。新曲聞いても、「ン゛!」と納得いかない。昭和はいい曲がたくさんありました。
「昭和舟唄」(フル)
メモが少ない。
「遠き昭和の…」(フル)
遠きじゃなくて、遠い〜って歌ってた。
昭和30年とかの生まれの人もいるんじゃないですか。昭和13年生まれ、俺は戦中派。タバコの配給の席取りした。
「昭和恋唄」(フル)
かなりキツそう。あの子も→あなたも
「腕に虹だけ」(フル)
苦しいです、座ってるだけで痛い。声出そうと腰に力入れると痛む。だから腹で歌ってるんだけどね。声が出るようになるんじゃないか、と思いながらやってたけど。
「熱き心に」(フル)
お客さんが7人くらいプレゼントあげて握手してた。ずる〜い。その度に歌は途切れるし、なんなら最初も唇に〜まで歌なかったし。むう。
ふう。も一回写真撮らない?だめ?
ともかく風邪と骨折、早く治ってほしいね。ほさんがおっしゃってたけど、少し痩せたかもしれない……困る。かなり。俺の寿命あげれないかな。
そんなこんなで、もう寝ます。ありがとうアキラ。ありがとう娘さん。ありがとう裏磐梯レイクリゾート。ありがとうスタッフ。音響さんがんばれ。
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