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ぷの
2025-04-22 18:55:08
5674文字
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レイチュリ
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レイチュリワンウィーク - コーヒー
「好き」の一言が言えなくてなんとかかんとかする話。
「年に何度か、会心の一杯を淹れられることがある」
今朝のコーヒーは、いつもの豆屋のいつものブレンドである。特別な一杯ではないけれど、少量加えられた非常に香り高いブランド豆が効いていて、コストパフォーマンスが高い。レイシオの家に来ると一番頻繁に淹れてくれるもので、アベンチュリンもこの味と香りを大変気に入っている。電動ミルであっという間に挽かれた粉から甘くて力強い香りが立った。
レイシオの家で朝を迎えるのは今日が初めてじゃない。けれど、この家で同じベッドで過ごしたのは初めてだった。明け方まで仲良くして、一つのパジャマの上下を分け合って着ている。
「君のコーヒーはいつも美味しいけど、それ以上ってこと? 毎日のように淹れてても滅多にないんだね」
「化学の世界において、人の手で行う作業などクリフォトのハンマーも同然だ。残念ながら君がいるときに会心の一杯が入ったことはまだない」
使令の力を分け与えられた十の石心に向かって、琥珀の王を大雑把の代名詞のように言うとは、いい度胸だ。
レイシオは粉をドリッパーにセットすると、沸かしているやかんの音に耳を傾け始めた。やかんには取り外しできる温度計がついているけれど、それを見ずとも音と湯気の上がり方でざっくり温度がわかるらしい。アベンチュリンにはできない芸当である。
そんなレイシオのコーヒーを飲むようになってから、アベンチュリンの舌も順当に肥えてきた。自分で淹れるコーヒーは手間のわりに物足りなくて、レイシオから豆を分けようかと言われても断っている。豆だって、せっかくなら拘りのある人に淹れてもらいたいだろう。アベンチュリンは家ではもっぱらインスタントを飲んでいて、それなりに満足している。なにより手がかからないし、作業に没頭してほったらかしにして冷えきってしまっても罪悪感が少ない。
カン、カン、とやかんの底から泡が立ち始める。沸くときの音と注ぎ口のフォルムが良いと、このレトロなやかんはコーヒーのためだけに存在し愛用されている。銀色のボディに少々の傷はあるものの、こまめに磨かれて曇りも錆びもない。相手は物だというのに、少し羨ましいのは内緒だ。
「一杯のコーヒーが出来るまでには数多くの工程を経ていて、風味を左右する様々な要素がある」
レイシオ先生のプチ講座が始まった。コーヒー豆の品種、産地、年毎の天候の話から始まり、さまざまな方法での精製、焙煎、ブレンドと工程の説明が続く。何度かの選別と薄皮を取り除く地道な作業を経て、やっと抽出までたどり着いた。生産者から消費者の手に届くまで、手間暇がかかっているのだとよくわかった。
「どの工程が一番味に影響するんだい?」
「僕は焙煎だと思っている。淹れ方でも変わるが、全体からすれば一割ほどの影響でしかないだろう」
焙煎を自分でやらないのかとレイシオに問えば、興味はあるけれど手間と管理を考えて見送っていると答えた。幸いなことに好みの焙煎をする豆屋に出会ったので、十分満足だと。
「淹れ方って味が変わるほど複雑? 上手に淹れられない僕が言うのもなんだけど」
「使う道具、豆の挽き加減と量、水の硬さ、沸かす温度、蒸らし時間、湯の注ぎ方と速さと量
……
」
「うわ、そんなこと考えながらやってるのかい? 横で見てても気づかなかった」
「もちろん実験のようになどやっていられない。おおまかに感覚で変えているだけだ」
「それで、クリフォトのハンマーね」
一琥珀紀の年数は決まっていない。その間隔の差を大きいと感じるのは、あくまで人間の尺度だ。かの星神は二千回以上も鎚を振るっている。微妙に間隔や力加減を変えて試行錯誤しているのかもしれないし、たまには飽きたり疲れたりして気の抜けた一打があるかもしれない。
「味の振れ幅を小さくしたいなら自動化するといい。僕が電動ミルを使う理由は、豆に余分な熱を加えずなるべく均一に挽くためだ。時間もかからない。同様に、コーヒーメーカーで淹れれば、ハンドドリップより味が安定する」
「コーヒーメーカーは手抜きなのかと思ってた」
「機械に任せるだけで工程を省くわけではない。人の手間を省き、人より正確に作業をする。合理的だ」
レイシオに肯定されると、良いものに思えてくる。オフィスのスナックコーナーに設置したコーヒーメーカーを奮発したのは正解だったと嬉しくなった。
「でも君は自分の手で淹れてる」
「機械ではおおまかに湯温を調節できる程度で、カスタマイズの自由度が低い。常に高得点の味を出すが、満点ではない。僕は、人間の手仕事の不正確さとセオリーから踏み出す試みに、運を引き寄せる余地があると期待している
――
と言うと聞こえが良すぎるな。単純に、淹れる作業を楽しんでいるんだ、味の揺らぎを含めて」
「ふうん」
レイシオはやかんの蓋を開けて湯気の立ち具合を見た。加熱を弱めて、アベンチュリンをじっと見つめる。やかんから抜き取って隠していた温度計を見せると、レイシオは面白そうに目を細めて言った。
「九十度」
アベンチュリンはマジックショーで人の入った箱にナイフを刺すように、大仰な仕草でそっと温度計を戻した。急上昇した数字は八十九とコンマいくつかで止まった。お見事。
温度計でチェックしながら差し水をして目標の温度にすると、レイシオは少量をコーヒー豆に優しく注いだ。ふっくらと膨らんだ豆から香気が弾ける。いい声で秒数をカウントしながら蒸らしたのち、抽出のためのお湯を注いでいく。蒸らしの数十秒、家で一緒にいるときは声に出してカウントしてほしいと頼んだのはアベンチュリンだ。淡々と数字を読み上げるレイシオの声がどれほど人の心を落ち着かせるか、きっと本人は知らない。録音してとっておきたいくらいだ。十秒もあればいい、そのうち頼んでみよう。
「人間もそうだ。人種や故郷が同じだからといって均一ではない。どんな経験をしてきたかによって人となりは千差万別。さらに、体調やどんな状況に置かれているかなど様々な要因によって表に出てくるものが刻々と変わる」
話しながら、落ちきる前に追加のお湯を注いでやかんを置く。レイシオの目は耐熱ガラスのポットの中に色づいて落ちていく液体を見つめている。
コーヒーの話から離れて、やっと着地点が見えた。アベンチュリンは焦れてきた。コーヒーはもうすぐ淹れ終わる。このまま続けるには先生の話は長すぎる。途中を省いて、ゴールに向かって急ぎ足でジャンプしよう。
「君は、コーヒーを淹れるみたいに人にも接するかい?」
レイシオがコーヒーからアベンチュリンに目を向けた。
「特別な相手になら、そうする」
「会心の一杯を求めて、セオリーを外れてもいいと思ってる?」
「許されるなら」
昨夜は、家の外で幾度も重ねた試行錯誤の集大成だったとレイシオは言った。隅々まで体温を分け与えるように触れ、耳に注ぎ込まれたのは言葉ではなく抑えこんだ吐息だけ。時間をかけてじっくりとくつろげてから、たっぷりと熱を注がれた。優しいだけでなく、けれど乱暴なところはまるでなかった。レイシオの微調整は功を奏して、アベンチュリンが秘めていた想いはほぐれてみんな引き出された。
明けて今、一睡もしていない頭をコーヒーの香りで無理矢理起こしながら、回りくどい話をしている。この関係がなんなのか、芯を通すために。
アベンチュリンは昨晩まで、レイシオの恋人になるつもりなんてなかった。だから、なあなあにして続けてきた関係の中で、シンプルに気持ちを伝える言葉たちを軽はずみに使い尽くしてしまった。「好き」なんて信用ボイントをばらまくが如くポンポン口にしたし、レイシオにもねだって言わせた。主に気分を盛り上げるための睦言として。そのせいで薄っぺらくなってしまった言葉では、心の奥まで届かない。なんて面倒なことをしてしまったんだろう。
一言で済む「好き」の代わりに、レイシオは無言でアベンチュリンを甘やかし尽くし、アベンチュリンはレイシオの手で美味しく仕上がった自分を素直に開いて見せた。これまでの甘くなりすぎた夜を中和するほろ苦い朝はもうおしまい。今朝は、前夜の特別な一皿の余韻に浸る、芳醇な後朝だ。
レイシオの葡萄酒色の瞳がアベンチュリンを捉える。その瞳に焼きつけと、今の気持ちを詰め込めるだけ詰めて笑い返す。笑顔は得意だ。でもそれは仕事の話で、外交用のツールとしてのもの。果たして作れただろうか、裸の心を明け渡す会心の笑顔ってやつを。君が好きだと、一目で伝わるだろうか。
「今朝の僕はどうかな?」
「僕の自惚れでないなら、会心の出来のようだ」
「そのとおり!」
足されたお湯が落ちてちょうど予定の量になった。ポットからドリッパーを外して、レイシオは二つのカップに一杯分のコーヒーを半分ずつ注いだ。お菓子のような甘さが鼻を掠める。アベンチュリンがどうしても飲みたいとせがんだから淹れてくれたけど、夜を明かした二人はこれからおやすみの時間だ。カフェインは極力避けたいとレイシオの顔に書いてある。差し出されたカップに口をつける前に、アベンチュリンはレイシオを見上げていた目を伏せた。
「ひとつ君に謝らなくちゃならない」
「何を?」
コーヒーカップを持ち上げて、中の液体をくるりと回す。湯気とともにふわりふわりと香りがそよいで、その素晴らしさがアベンチュリンの口を重くする。
「君の楽しみを奪うつもりはなかったんだ。ただ、今の僕はちょっと浮かれてて、どうやって君に思いの丈を伝えようかと、ずっと考えてた」
「つまり?」
「このコーヒーは会心の一杯だよ、レイシオ。ゆっくり味わうといい
……
と言いたいところだけど」
レイシオの背中に片腕を回して素肌の胸に頬を寄せ、自分の素足の太ももをレイシオの両足の間に潜り込ませた。
「会心の僕のおかわりと天秤にかけて」
すり寄せながら持ち上げた太ももにレイシオの足の間の熱が触れて、思わずひくりと身じろぎした。上目使いで見上げたレイシオの眉間にぐっと深い皺が寄る。ひどい渋面だ。間違っても気持ちを確かめたばかりの特別な相手に見せていい顔じゃない。相手は年に数度の奇跡、圧勝とは思っていなかったけど、ここまで僅差だと自信をなくす。
「妬けるなあ」
「今のは
……
ハァ、急ぐからこれだけ飲ませてくれ」
「いいよ」
レイシオの眠気を遠ざけるためのコーヒーだ、少しは飲んでもらわなければ困る。アベンチュリンもカップを傾けると、ふくよかな香りに包まれた。お菓子のような甘さをベースに、木の実のような香ばしさが奥行きを作って、わずかにほろ苦い柑橘類の酸味が引き締める。それぞれが個性を持ちながらバランスよく互いを引き立てる。このブレンドは、こうなるべく設計されている。なるほど、今までで一番美味しい。たった一割の影響でこんなに差が出るなら、探し求めるのもわかる気がする。
「
……
なぜよりによって今」
うなだれたレイシオの嘆きをつむじに受けて、アベンチュリンは声をあげて笑った。急かされず味わって飲みたいよね。正直でよろしい。
「そりゃあ、僕が会心の一杯をふるまいたくなったからさ。君があの話をした瞬間、そうなると決まった」
「本当に?」
「まさか信じた? ただの偶然だってば。それか、僕の言葉で暗示にかかって美味しく感じただけじゃないかな。ほら、たいした量じゃないんだし早く飲んで。冷めたらもったいないよ」
アベンチュリンの分もあげると言ったら断られた。この一杯は滅多にないから君にも味わってほしいと嬉しそうに笑って。ありがとうと笑い返した顔がひきつっていないといい。
本当の本当は偶然なんかじゃない。もちろん暗示でもない。これからこの家でレイシオが淹れるコーヒーは、アベンチュリンが隣で願えば会心の出来になる。その証明の一杯だった。
レイシオを喜ばせて気を引きたいと願う浅ましい気持ちが奇跡を引き寄せる。つまらないケンカが長引かないように。寂しくなったとき家を訪ねる言い訳になるように。そして万が一別れを考えたとき、手放すのが惜しくなるように。
でも、そんなことを探求者に言えるわけがない。努力も計算もなしに狂った幸運で軽々しく与えられる奇跡なんて、あっという間に色褪せてしまうじゃないか。祝福の皮をかぶった呪いにうんざりさせられるのはアベンチュリンだけでいい。どうか、神様のありがた迷惑な介入はこの一度きりでありますように。
「ふむ」
レイシオは空のカップをシンクに置いた。アベンチュリンのカップも空になるなり取り上げてしまう。大きな手のひらがアベンチュリンの後ろに回って、丈が余っているパジャマの裾でお尻を包み、軽々と抱き上げた。
「会心の君は、偶然や暗示のせいではないな?」
問われて、もう一度、レイシオへの想いをありったけ笑顔に乗せた。ふくよかに、色鮮やかに、まっすぐに。笑顔は得意だ。さっきの一回で、プライベート用の出来映えにも自信がついた。
「おかわりをあげるって言ったよね。君が望むだけ、何度でも見せるよ。僕はコーヒーよりずっとちょろいんだ」
ベッドに運ばれて優しく下ろされ、寝る支度のために並べられていた枕たちがアベンチュリンから遠ざけられた。レイシオは、最中にアベンチュリンが枕にすがりついて顔を隠そうとするのを嫌がる。つまり、やる気ってこと。
レイシオの手がアベンチュリンの頬を撫でる。むにむにと揉まれて顔が崩れる。温かい手のひらが気持ちいい。繊細に動く指も好き。へらへらとゆるみ、鼻を摘ままれてひときわ不細工になったところで、レイシオはアベンチュリンの唇を美味しそうに食べた。味の揺らぎを楽しむって、そういうこと?
くふくふ笑って、かぷりと唇を噛み返した。ふんわりと、幸せな記憶と結び付いたコーヒーの香りが一瞬漂って、二人の口の中に閉じこめられた。
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