望月 鏡翠
2025-04-21 23:04:57
980文字
Public 日課
 

#1699 「由縁」「柴漬け(ふしづけ)」「ベンゾピレン」

#毎日最低800文字のSSを書く/三題話


 母は己の身に起こった不幸の原因を、ゴミを燃やしたときにでるベンゾピレンであると信じて疑わなかった。
 人は不幸を受け入れるために物語を求める。人は己の身に襲いかかった苦しみを飲み込むために必要なのだ。苦い粉薬をオブラートに包んで飲み込むように、人は困難の受容に別の何かの力を借りなくてはならない。然るべき由縁があったのなら仕方がない。そう諦めることができる。その原因を避ければ二度も同じような目に遭わなくて済むというのなら、これからの人生にも希望が持てる。
 なんの理由も意味もなく、回避方法もない。ただ運が悪かっただけだというのは、あまりにも残酷だからだ。
 母は、生まれた子供が最初の一人を除いてまともに育たなかった。大抵は人の形を保っていなかった。体のどこかが欠けていたり、多かったりした。その原因を自分や伴侶に求めるよりも、怪しい化学物質が原因だと考える方が、彼女にとっては飲み込みやすかったのだろう。
 一番最初に生まれた、つまり唯一の今日まで生きている子供であり、家の期待を一新に背負う俺は、その一部始終を見ていた。
 怪しい宗教にのめり込み、稼いだ金を端から注ぎ込む人だっている。しかし、母親に救いを与えたものは、金を要求してきたりはしなかった。だから、救いを求める人間の中では、良心的な方だったのかもしれない。そう思っているから、父も俺も、あえてそれを糺そうとはしなかった。
 しかし化学物質と彼女が判断したあらゆるものをヒステリックに嫌うものだから、生活は楽ではなかった。家に居づらいから朝から晩まで川にいて、柴漬け漁に励んでいた。昔ながらのこの漁法は、川に枝を束にしたものを差し入れて振ると、散乱場所を探す魚やエビが取れるというものだ。
 子供を生かそうと盲目的に必死になって、人に捕まって食べられてしまう生き物がいる一方で、人間は子供を自ら手放す。不思議な因果だと思う。もし人間が卵を産みっぱなしの種族だったら、母はきっとあんなことで心を悩ませる必要はなかったのだろう。
 母は俺だけはまともに生まれてきたと思っているが、実は違う。
 俺は兄弟になるはずだったものが、こっそりと流されるのを見ていた。
 子供の育て方など知らないし、そんな金もないから、止めも助けもしなかった。
 外から見えない心の中が、決定的に壊れているのだ。