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くさかべ
2025-04-21 01:27:48
10426文字
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準備がまだなので。
ヌヴィリオ/プロポーズとかいうとんでもボールを投げ合ってじゃれている龍と狼と巻き込まれて疲れている旅人の話。
※龍の伴侶云々についてはちゃめちゃ捏造しています。旅人は兄妹どちらか特に決めていませんが書き手は妹でプレイしているので口調はそちらよりかもしれません。
「そりゃちょっとまだ気が早いってもんだろ、ヌヴィレットさん」
涼しげな色の瞳を細め、釘を刺すようにそう言い含めると、彼は低く喉を鳴らすように笑いながらティーカップに唇を寄せて口を噤んだ。
「
――
というわけで、中立的な第三者として意見を聞かせてほしい」
「何がというわけなのかさっぱりなんだけど」
かちゃかちゃと忙しないタイプライターの打音と書類に不備があるだの担当はこの部署ではないだのと言い争う声で常に騒がしいフォンテーヌ廷の事務室をくぐり抜けた先にある、最高審判官の執務室はいつも静かだ。
時間がとれるようなら少し話を聞いてほしいという丁寧な書状を冒険者協会の受付で受け取り、彼ほどの人物からの相談とは何事かと急いでやってきた旅人とパイモンに紅茶を振る舞いながら、手紙の送り主であるヌヴィレットは憂い顔でためいきをついた。
「リオセスリ殿に私の伴侶の座を打診しているのだが」
「
……
はんりょ
……
?」
呆然と単語を繰り返すパイモンの口の端からかじっていたクッキーのかけらがぽろりとこぼれる。
ちょうどカップをソーサーに戻したところで良かったと旅人は思った。とんでもない単語がとんでもないひとの口から飛び出してきた。噴き出さない自信がない。
唖然として言葉を失っているふたりのようすに視線を注ぎ、ふむ、とヌヴィレットはひとつ瞬いた。
「古龍は繁殖を必要としない。君たちの戸惑いももっともなことだったな。説明不足を詫びよう」
いや聞きたいのはそういうことじゃなくて。と旅人たちがツッコミを入れる隙もなく、彼はとうとうと説明を続けた。龍の社会性が云々という教科書でも読み上げているようなそれは旅人の思考に留まることなく右から左へと水のように流れていったが、聞き上手のパイモンがうーん、としかめ面で唸りながらも一言でまとめてくれた。
「つまり、古龍はこどもをうまないけど友達や恋人はほしいってことだな!」
「平易な表現をするとそのとおりだ」
ヌヴィレットはこくりと頷いた。最初からそう言ってくれよとぼやいたパイモンが、突然何かに気が付いてあっと叫ぶ。
「おまえら付き合ってたのか!? ふたりともすんごい忙しそうなのにどうやって!?」
「私とリオセスリ殿の間に一般的にいう交際関係の事実は成立していない」
え、とパイモンが固まり、そのままぽてりとソファの上に落ちた。数々の大事件に巻き込まれてきた旅人としても戸惑いっぱなしの事態である。
「
……
恋人じゃないってこと? それなのに伴侶? もしかして龍の伴侶って人間でいう夫婦とは違う関係なの?」
「現存する同族がいないので私個人の感覚による回答になるが、ほぼ同等の関係といって差し支えないだろう」
「
……
ヌヴィレットって公爵のこと好きなの?」
「それは当然、好ましく思っているが」
そうでなければこのような打診はしない、とのたまう麗人にそうだよねえ、と旅人はようやく事態の全貌の理解に至る端切れを掴んで頷いた。
「最高審判官の地位について五百余年が経つが、彼ほど聡明で視野が広く、また胆力のある者は他にみたことがない」
「おっかないけどすごいやつだよな」
うんうんと同意を示す旅人たちに、ヌヴィレットはかすかに口もとをゆるめた。
「それゆえ彼なら私の伴侶も務まると思って相談を持ちかけたのだが、にべなく断られてしまった」
「「そりゃそうだよ」」
恋愛関係を経ずに結婚する夫婦もいないことはないが、それにはそれなりの理由がある。知人から真意も分からず結婚しようと突然言われて頷く者がどこにいるのか。
掴んだはずの切れ端は本当に切れ端だった。本体はどこだ、と旅人は思わず額を押さえる。ふだん理路整然とした無駄のない話をするはずのヌヴィレットの言うことがまったく分からない。
この暗礁に乗り上げた会話の舵取りができそうな人間
……
と考えて浮かんだ姿に旅人はゆっくりと首を振った。この時たま豪速で自由軌道を描く龍の手綱を握れる可能性があるのは確かに彼くらいだろう。なんなら振り回してすらいるかもしれない。おかげで気ままな龍の尾が旅人たちを宙に高く叩き上げている。
オイラたちを巻き込まないでくれよ
……
とうめくパイモンの頭を撫でてやりながら、旅人は長丁場を覚悟する。そうして、腹が減っては戦はできぬとばかりにまだ手を付けていなかったケーキにフォークを突き刺した。
「ははっ、それで? 紅茶が冷めるまで聞き取り調査か。ご苦労なことで」
「ほんっとーにもー疲れたぞ
……
」
旅人とパイモンは本日二杯目の紅茶を振る舞われていた。今度の相手は話題のお相手、公爵リオセスリである。
フォンテーヌ廷を辞した後、正規ルートを通ってメロピデ要塞に足を踏み入れた旅人たちを受付で彼は待ち受けていた。もちろん、彼に対して訪問の予告はしていない。
既視感のある光景に思わずため息がこぼれる。ただ幸い今回は彼の管理下に置かれる囚人ではないし潜入任務も何もない。胸を張って相対する旅人たちを一瞥すると、彼は物々しい見た目にそぐわぬ優雅なしぐさで自身の執務室にふたりを招き入れた。
「あのひととの仕事の絡まない会話はなかなか楽しいだろう、びっくり箱みたいで」
「あれをそんな風に楽しめるのはおまえくらいだと思うぞ
……
」
「さて、それで俺はこれからあんたらに説得されるというわけかい?」
ティーカップに砂糖を追加しながらリオセスリがゆったりと微笑む。どこか獰猛さの滲むそれに、違う違うとパイモンが慌てて手のひらを見せた。
「ヌヴィレットの話だけじゃ結局よくわかんなかったから、公爵にも話を聞こうと思って来たんだぞ」
「どっちの味方をするとか、それ以前にそもそも関わるべきなのかも微妙なところだし
……
」
求婚を受け入れるだの断るだの、本来はふたりだけの密やかなできごとであるべき話だ。ただ今回はちょっと水の上の御方が迷走しているだけで。
「まあ、ヌヴィレットさんがあれを俺やあんたらが想像するようなプロポーズの類と思っているかは疑問だがなあ」
手元で円を描くように揺らした紅茶の水面を見つめつつ肩を竦めるリオセスリに、旅人は首を傾げた。
「そうなの?」
「
……
最初にその話を持ちかけたときの状況は聞いたかい?」
そう言われて、旅人は先ほどなんとか聞き出した話を思い返す。相談ごとの内容に受ける衝撃はともかく、長年最高審判官を務めるだけあってヌヴィレットの事情の説明は簡潔で明瞭だった。
水神の最期を見届け、己が大権を取り戻した水龍はフォンテーヌ水没の危機が去ったあとにふと気が付いた。
隣に誰もいない。
これまではフリーナがいた。物慣れない水龍を人の世に交わらせ、時たま人間にとても近い
――
今振り返って見れば真実彼女は「人間」であったのだが
――
感性でもって彼をたしなめたり励ましてくれた彼女は、五百年もの長きに渡った舞台の大役を完遂し、彼女自身の人生を歩み出した。
人は散歩をしているとき、頭がよく冴えて良い答えを導き出すことがままあるのだという。それを真似て、ヌヴィレットもしばしば執務室の椅子を離れて外を歩くことにしていた。
不意に自身を襲った寂寥感から逃れるように、あるいはそれを打ち消す術を探すように。歩き慣れたエピクレシス歌劇場の裏手を進み、人気のない夜明けの暗闇に隠れて音もなく高く飛び上がる。
そうして深海のメロピデ要塞に続く門の上、フォンテーヌの建造物の中でも一、二を争う高さの外壁の頂上に降り立った。
水と生命の満ちる大湖、明かりの絶えないフォンテーヌ廷、中空に浮かぶ科学院の残骸、空を切り取る急峻な山脈の影、
……
今はまだ暗闇にまどろんでいるフォンテーヌという国をかたちづくる数々をひとつひとつ見回す。
数百年以上、この地で人の営みを見つめてきた。何を善とし悪とするか、積み重ねてきた経験と知性ではかる天秤は、この龍の手にある限り精度を増すことさえあれ狂うことはないだろう。
本当に? と確信にふと疑問の泡が浮かんだ。ぱちりと弾けるそれを追うように思考の海に沈もうとしたところで
――
ばきん、と水が凍る音が背後から響いた。
眉をひそめて振り返る。は、と息を吐く音や衣擦れの音が小さく響くのを注意深く聞き取っていると、見慣れたナックルを付けた指が外壁のへりを掴むのが目に入った。
「
……
リオセスリ殿?」
音の主に気が付いたヌヴィレットは彼のもとに駆け寄り、体を引き上げようとする腕を引っ張って補助してやる。無事に両足をてっぺんに乗せたリオセスリは、パイプオルガンを模したような装飾の上にどかりと腰かけると、わずかばかり乱れた呼吸を整えるようにふうとため息をついた。
「やあヌヴィレットさん。今はもうおはよう? まだこんばんはかな?」
「日が昇り始めているのだからおはようで良いと思うが。こんな時間になぜここに?」
彼はどうとでもとれそうな曖昧な笑みを浮かべ、なんでもないことのようにひらりと手を振る。
「早朝のうちに片付けたい用があったんで上がってきたんだが、歌劇場からなんとなく後ろを振り返ったらここに人影が見えたんでね。不審者だったら捕まえてマレショーセ・ファントムに朝食のホットサンドと一緒に差し入れでもしようかと思ったところだ」
あんたを連れてくのもそれはそれで喜ばれそうだな、と少しばかり意地悪く唇を歪めるリオセスリからヌヴィレットはそっと目をそらした。気まずさをごまかすように「ここは屋外だ。また、私も君も歌劇場が閉鎖中だろうと出入りする正当な資格がある。建造物侵入罪は適用されない」と小さく呟く。
「そりゃよかった。しょうもない罪状で要塞に送り返されたら俺も立つ瀬がないからな。
――
ヌヴィレットさんこそなんでこんなとこに?」
ふたりきりのときにだけ、ときどき彼は耳をくすぐるようなやわらかい声でこちらの名前を口に乗せる。そのやわらかさを反芻するように睫毛を伏せ、彼にただしく答えを返すために自身のうちを見つめ直す。
「
……
目が冴えていた。見晴らしの良い場所で少し考えごとをしようかと」
見晴らし、と繰り返すリオセスリがぱちりと瞬いて立ち上がる。ヌヴィレットから視線を外した、金環の浮かぶ薄水色が夜明けを迎え始めた地平を見回した。
「なるほど、確かにこりゃ絶景だな。フォンテーヌのほとんどが見えるんじゃないか?」
山肌に遮られていた太陽が全貌をあらわして低くたなびく雲を照らし、陽光を受けた水面がきらきらと輝き始める。その眩しさに目を細めて遠くを見渡す彼から目を離すことがひどく惜しまれ、景色よりもその横顔をじっと見つめた。
「エリナスの向こうのあれはナタかな。いやまだフォンテーヌか?
……
ヌヴィレットさん?」
ヌヴィレットがそそぐ視線に気が付いたのか、リオセスリが少しばかり不思議そうにしながらからだをこちらに向けた。
淡藤と薄水の色が交差する。
華麗な装飾をほどこされた外壁のてっぺんはひどく狭く、おとながふたり並んで立つには肩が触れ合うほどからだを寄せねばならない。
――
こんなに近くで、同じ高さで視線の合うひと。
何を言うつもりなのか自分でも分からないまま、ヌヴィレットは内から溢れる衝動に押されるがまま口を開いた。
「
……
歌劇場の裏手で夜明けに逢い引きしたときに、って聞いたけど」
実際のヌヴィレットの表現はもう少々情熱的だったが、旅人は気恥ずかしい描写を省略しつつざっくりとそうまとめた。リオセスリの眉が小さくひそめられる。
「だいぶ語弊のある表現をしたな、ヌヴィレットさん。まあ夜明けだったのはそのとおりだし伴侶にしたいと言われたのも事実だが、実態は監査役の招聘だぞ?」
「監査役
……
?」
彼は視線を口元に寄せた紅茶の水面に落とした。伏せられた視線は一瞬で上げられ、旅人の明るい色の瞳を見据える。
「ヌヴィレットさん自身も俺を含めた周囲もまあ、あのひとがそう簡単に過ちを犯すとは誰も思ってないだろう。ただ、可能性がないと言い切ることはできない」
だから君には、私のそばで私を見ていて、その万が一のときに止めてもらいたいのだ、と語ったとリオセスリは述べる。
それができるのも私が受け入れられるのも君だけだと思うから、と。
リオセスリは空になったティーカップをソーサーに戻し、両手を広げて大仰なしぐさで肩を竦めた。
「聞けばその伴侶とやら、単語どおりに唯一の相手とやららしいじゃないか。そんなだいじなもの、公正の天秤の見張り相手にくれてやるものじゃないだろう。もう少し慎重に考えた方が良いと丁重に辞退させていただいたさ」
「
……
」
旅人とパイモンは言葉を失って黙り込んだ。ものすごく絶妙に、ものすごく危ういバランスですれ違いが発生しているような気がする。どうしようこれ。
「
……
で、めげずにその後も何度かチャレンジしてるって聞いたけど」
「最高審判官様の粘り強さを遺憾なく発揮してくれているよ。まったく、俺なんかにこだわってどうするんだか。この前は伴侶になることのメリットとデメリットおよびその解消に関する資料を渡された。三十枚ほどだったかな」
「メリットとデメリット」
ヌヴィレットはリオセスリに何かを売りつけるつもりでもいるのだろうか。いや実際に水龍の伴侶の座というこの世にふたつとないだろう代物をなんとかその手に押し込めようとしているのだが。
彼とのやりとりを思い出しているのか、リオセスリは膝の上に肘をついた手の上に自身の顎を乗せ、はあ、とあからさまなため息をついた。
「ちなみに資料にはなんてコメントを
……
?」
そっと伺ってみると、絶賛水龍を袖にし続けている男はうっすらと蠱惑的な微笑みを浮かべた。ほんの少しばかり疲労が滲んでいるのがまた色っぽく、旅人はなんとなくパイモンの目を塞いだ。
「資料は見事だが、あいにくまだ準備が足りないな、と」
「これ以上何を準備しろってんだよ!」
パイモンが興奮してばしばしとソファを叩く。非難されたリオセスリは膝に乗せた肘の上で頬杖をつくとこれみよがしにため息をこぼした。
「俺の方も困ってるんだがな。到底頷けないだろうこんなの」
「どうして?」
「
……
あんたらはヌヴィレットさんの事情をだいたい知ってるな?」
「本人
……
よく考えたら人って言っていいのかあいつ? からいろいろ教えてもらったぞ。伴侶なんてのは今回が初耳だけど」
ふよりふよりと左右に揺れながらパイモンが返答する。
現在の人間社会と比べて途方もないレベルの高度な技術力の遺物なのか、種族としてそのような能力を備えているのか、あるいは龍王の権能のひとつであるのか子細は語られなかったが、ヌヴィレットは生涯でただ一度、ひとりだけ、他者のからだをつくりかえ、自身の寿命に同期させることができると言った。その相手は文字どおり、ヌヴィレットと生死をともにすることになる。数百、数千、あるいは万に至るほどの長い時をともに歩く。
ふつう何の関係もない相手にそのようなことはしない。特にそれについて定められた名称もないらしいが、一生をともに生きたいと思う者、死別を認められないほどの情をそそぐ相手
――
つまりは伴侶、あるいはつがいとでも呼ぶべき存在であろうとの判断でヌヴィレットはそのように呼称することに決めたらしい。
把握している限りを説明する旅人たちを水の深さでもはかるように見据えていたリオセスリは、おおよそ俺の聞いた話と一致するなと頷いた。
「公爵は人間の寿命を超えて生きるのが怖いから断ってるの?」
よく聞く話ではあるが、そればかりはヌヴィレットだけでなく旅人にも分からない感覚だ。
「ふつうの人間として生まれた俺の精神がその途方もない時間に耐えられるのかは知らないが、まあ別にそれはどうでもいい」
ふつう
……
? と小さく呟いて首を傾げるパイモンの頭を押さえ、旅人は至極もっともなツッコミで話の腰を折られないようクッキーをその口に突っ込んだ。ふたりのやりとりを当然見ていたリオセスリが口の端だけで笑う。
「じゃあなんで?」
尋ねると、彼にしてはめずらしく逡巡するように視線をさまよわせ、慎重に、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。
「
……
ヌヴィレットさんがその責任感と市民への配慮でもって俺をその特別な、伴侶という名の監査官に任命したとしよう。たとえば百年後にそれこそ本当に伴侶にしたいと思う大切な相手を見つけたらどうする? 生涯ただひとりの座はもう埋まってる。譲れるもんなら譲ってやるが、そうもいかないらしいじゃないか。起きるとも限らない懸念に対して、切ろうとしているカードが適切なものかどうか、熟考すべきだと俺は思うがね」
熟考とは遠回しな言い方をしているが、辞めるべきだという意見だろう。それを容れないヌヴィレットと平行線でやりあい続けているというわけだ。
この件の擦れ違いというか意思疎通の問題点についてははっきりしている。旅人は挑むようにリオセスリの薄青の、氷塊のような何も伺わせない瞳を見返した。
「
……
じゃあ、たとえばそれはヌヴィレットが公爵のことを愛しているから伴侶にしたいと言うなら、頷くってこと?」
彼は目を細めて唇を吊り上げた。
「まず、そんな事態があり得るのかから議論する必要はあると思うが
……
ま、万が一そんなことが起きたとして、是にしろ否にしろ、その返事を最初に聞かせるべきはあんたらじゃあないな」
リオセスリが軽く手を叩き、そろそろティータイムもおしまいだ、とうそぶいて立ち上がる。緊迫した空気が霧散して、旅人は無意識のうちに強張っていた肩からそっと力を抜いた。その横で、パイモンがまだクッキー残ってるぞ! と叫ぶのに彼はからからと笑い声を上げていた。
執務室から追い出され、要塞に留まる理由もなくなった旅人たちはシグウィンとともに地上につながるリフトに乗っていた。今晩、フォンテーヌ廷で働いているメリュジーヌたちとホテルに部屋を取ってお泊まり会をするのだという彼女は大きなかばんを抱えている。リオセスリに出立を告げに来たシグウィンとちょうど執務室の扉の前で行き会ったのだ。
「公爵とお話をしに来てたの?」
「いつもどおり煙に巻かれたけどね
……
」
本日の主な議題を終えたあとのリオセスリはちょっとした雑談だったと言わんばかりに飄々としていたが、彼の堅牢な牙城を突き崩す試みに挑んでいた旅人たちはもうへとへとだった。ヒルチャール狩りの方がよっぽど楽だよとこぼしながらリフトの内壁にもたれかかるふたりを見てシグウィンはころころと笑う。
「よければまたお話してあげてね。あなたたちが来たあとは公爵の顔色も普段より良いのよ」
「ほんとかあ
……
?」
旅人の頭に乗って脱力していたパイモンが突然はっと飛び上がる。
「そうだ、シグウィンは知ってるのか? ヌヴィレットと公爵のこと」
「ヌヴィレットさん?」
こてり、と首を傾げた彼女にパイモンが身振り手振りを交えて知っている限りの話を伝える。顎に手をやったシグウィンは、ああ、となんでもないことのように頷いた。
「それならウチもヌヴィレットさんからたまに相談を受けてるのよ。今夜のお泊まり会のあとはヌヴィレットさんのところにも遊びに行く予定なんだけど、たぶんまたそのお話も聞けそうね」
「
……
シグウィン的にはどう
……
?」
「ウチはこの件に関しては中立でいるように言われているのよ。ふたりともから」
おとなびた微笑みを浮かべる彼女に旅人はつい訝しげな目を向けてしまった。ヌヴィレットの相談に乗っているのは中立というのだろうか。視線に気付いたシグウィンは、公爵の愚痴も聞いているし、相手から聞いた話は教えない約束だからそこはあいこなのよと笑みを深めた。
「えっと、じゃあ、ふたりには言わないからさ、オイラたちにだけこっそり教えてくれよ。シグウィンから見て今回の件、ヌヴィレットに勝機があると思うか?」
持ち前の野次馬根性が働いたのかすこしばかり元気を取り戻したパイモンがそそそ、とシグウィンの耳元に近寄ってささやく。
「ふたりはヌヴィレットさん寄りなのね」
「いや、だってなんかふたりともお互いのこと好きではありそうだし。好きの種類が違うかも知れないけど」
他者の心理を読むことに長けているリオセスリの反応をみてきた今、旅人としては今度はヌヴィレットの好ましいという発言を疑いたくなってきている。それはどういう意味の「好き」なのか、彼に自覚と確信はあるのだろうか。
そうよね、そこが大事な問題なのにねえ、と深く頷くシグウィンは、頬に指をあててううん、とかわいらしく唸った。
「
……
そうねえ、あと十年くらい必要かしら」
「
……
それって長いのか? 短いのか?」
「何年経っても公爵の結論ぶれなさそうだけど、むしろ変わる可能性あるんだ
……
」
リオセスリの年齢を聞いたことはないが、経歴から考えると三十代にさしかかってはいるだろう。十年後ならおおよそ四十前後。人間としてはまだ寿命を迎えるには早いが、彼が普段から危険の多い職務についていることを考えると何かの拍子に事故や事件で命を落としかねない懸念もある。一方で四桁どころか五桁以上の寿命と推測されるヌヴィレットにとって十年などあっという間のことだろう。
「ふたりとも、公爵の断り文句を聞いてる?」
「おう、聞いたぞ。後悔しないか熟考すべきだ、慎重になった方がいい、えーとあとなんだっけ」
「準備が足りない」
「それだ、それ。
……
てことは、なんかの準備が足りたら頷いてもいいってことか?」
閃いた! とばかりにパイモンが飛び上がる。それを褒めるように、シグウィンがぱちりと両手を合わせた。
「あら、ヌヴィレットさんより先にふたりの方が先に気が付いちゃったかしら」
リオセスリの発言はいずれも遠回しな却下だが、おおよそがヌヴィレットに再考を促すものだ。諾と頷いてこそいないが、逆に彼の伴侶になるのは嫌だとも一言も言っていない。
「ヌヴィレットさんも当事者だけど、求められてる公爵だって当事者なんだから」
そう、今回の件においての当事者はふたりいる。リオセスリのいう準備不足がヌヴィレットのプロポーズの内容に対してではないのだとしたら。
「
……
公爵の側に、何か準備がいるってこと?」
水龍の伴侶の座におさまることでの寿命や心身の変化についての懸念ばかりに視線がいっていたが、そもそも彼らはそれぞれに大きな組織を背負って立っている。旅人たちが見聞きした限りでも、リオセスリは特に最高審判官との癒着や不正を疑われることのないよう非常に慎重に立ち回っている印象がある。そんな彼が、自分たちの立場をそのままに結びつきを深めることを良しとするだろうか?
「まあ、伴侶とか、癒着どころじゃないもんな
……
」
どちらもきっちりと公私の区別は付けるだろうが、旅人たちがそう思えるのは彼らの人となりを直接知っているからだ。水の上の高きにも、水の下の深きにも至らないゴシップ記者たちが話を聞きつけたが最後、面白おかしく書き立てて国中大騒ぎになるだろうことは目に見えている。
「つまり、メロピデ要塞の管理人を辞めるのにあと十年かかるってこと?」
行き着いた結論に旅人は思わず顔をしかめた。相手のために仕事を辞めてついていく。確かに結婚においてはよく聞く話だが、そんな殊勝な考えとリオセスリという男の姿がまったく結びつかなかった。
「あの言い方じゃ絶対ヌヴィレットに伝わってないと思うけど」
「たぶん公爵としてはどっちでもかまわないのよ。気が付くかどうか試してるともいうのかしら。公爵もヌヴィレットさんに遊んでもらうのが楽しいのよね」
仕方のないこどもをみるような遠い目をしてシグウィンがため息をつく。
「まあでも、ヌヴィレットさんが気が付いたところでメロピデ要塞に公爵の手が必要な状況はまだまだ変わらないし、それを放って水の上にいくようなひとじゃないもの。自分がいないと運営が回らないようじゃだめだっていうのはずっと言ってることだしね」
そううそぶいているのは旅人も聞いたことがある。ヌヴィレットからの打診の有無によらず、彼の中ではそれは解決すべき問題であることに変わりはないのだろう。いつかメロピデ要塞を離れたあとに行く先が変わる程度とでも考えているのだろうか。
「気が付かなくても準備が終わるまでヌヴィレットさんが諦めないなら結果は変わらないし、途中で諦めちゃったならまあ、それまでのことだったとでも言うんじゃないかしら」
「水龍の気持ちと自分の去就を使って賭けをするとか肝がちょっと太すぎない?」
世界の摂理の一角を担う龍王相手にいたずらごころを働かせすぎていやしないだろうか。ヌヴィレットがすべてを理解したときには教えてほしいとシグウィンに頼むかどうか旅人は少々本気で考え込んだ。その時のフォンテーヌには絶対に近寄りたくない。
今後を想像して渋い顔をする旅人とパイモンを、いたずらっぽい表情をつくったシグウィンが下からのぞき見る。
「せっかくだし、ふたりはウチと当てっこをしましょうよ。ヌヴィレットさんはいつ気が付くと思う?」
「
……
シグウィンのその度胸もメロピデ要塞仕込みなの?」
ぱちぱちと瞬くシグウィンの赤い瞳が、あら、とどこか妖しく輝いて細められる。
「忘れちゃった? メロピデ要塞の住人として、ウチは公爵よりも先輩なのよ」
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