0079年に始まったジオン独立戦争の影響で人口の半分を失ったのは、結果だけ見れば皮肉な出来事と言えた。なにしろ宇宙に移民を追いやる必要がないくらい人口が減ってしまったのだ。宇宙に点在するコロニーの住人たちは申請が通れば地球へ行くことが許されるようになった。とはいえ一度ゆりかごを出た子供が再びゆりかごを必要とすることはないように、
宇宙に進出した人類もまた、地球への関心を失いつつあった。スペースコロニーと地球の間を往来する旅客機の運賃が庶民には現実的な額ではなかったのもあり、事前に想定されていたほどには人類は地球に戻らなかった。
どの時代にも貧しい人たちがいる一方で豊かな人たちもいる。富裕層であれば、宇宙で暮らし地球にはバカンスに行くという生活も可能だ。観光用に開発されたコロニーも少なくはなかったが、観光を楽しめるような豊かなスペースノイドには地球にいくことそのものがレクレーションでありエンターテイメントだった。
そんなこんなで、シャリア・ブルは休暇を地球で過ごすことになった。
衛星軌道上から地上に移動するための連絡艇を降りてすぐに、シャリアは身を竦ませた。
「大佐。地面が続いてないです」
「続いてるぞ。見えなくなっているんだ」
「
……信じられない」
シャリアは無意識のうちにシャアにしがみついていた。シャアは自分たちの荷物をホテルに持っていくようにポーターたちに指示しながら、ちょっと面白くなっていた。普段の彼ならこんな風に甘えてくることはない。『これだけでも地球行きリゾートの代金の元が取れた』などとシャアは考えていた。
「空に地面が続いていないなんて」
「シャリア、車の動かし方はコロニーと同じだぞ」
シャアが車に乗るようにシャリアを急かす。自動的に開いた後部座席に二人で乗り込んだ。呼んだ時に行き先も伝えていたのだろう。車は自動運転で空港を出発した。戦争でコロニーが落とされた結果地球の地軸は少しずれ、もともとリゾート地だったこの場所は一年中初夏の爽やかな乾燥した気候の土地になったという。季節がなくなったのを嘆くものがいる一方、観光業で潤うものもいる。流れる車窓の景色を見ながら、シャリアはそわそわと落ち着かない様子だ。
「これが海ですか?」
「そうだな。ここは遠浅の浜辺が続いている」
「とおあさ?」
車がホテルにつき、二人で車を降りた。シャアが二人分のチェックインを済ませる。部屋に入るとベランダからも海が一望出来た。
「
……水平線
……でいいんですよね?」
「そうだ。シャリアは海を見るのが初めてなんだな」
「地球自体が初めてです」
シャアは荷物を開け、このリゾート地で過ごすために用意した衣類を取り出した。半袖のシャツ。麻でできたカーゴパンツ。コットンの肌着。円筒のケースからは麦わら帽子が出てくる。
「帽子
……専用のケースですか。こんなもの必要なんですか?」
「地球の日差しを甘くみたら後悔するぞ」
いまいち納得できてないシャリアを着替えさせ、二人は帽子を被って外に出た。その前にシャリアはシャアに「日焼け止め」をたくさん塗りたくられている。
「予報では、夕方にスコールが来るかもしれないとのことだ」
「『かもしれない』?」
長い浜辺を二人で歩いて行った。人気のあるリゾート地なのにも関わらず、浜辺に他の人間の気配はなかった。寄せては返す波の際を進んでいく。確かに日差しは強く、コロニーで浴びる太陽光と同じものとは思えないと、シャリアは思った。白い砂浜からの照り返しもあるのだが、シャリアはそこまでは気がついていない。同じ太陽光にも柔らかいものや鋭いものがあるのだと、ぼんやりと考えていた。コロニーに生まれたシャリアには不思議なことだらけだった。「空」が「明るい青」であることも、「遠浅」の浜辺の海は明るいターコイズグリーンなのに浜から離れるほど深い青に変わっていくことも、天気予報が「決まった情報」でないことも。知識としては知っている。知ってはいても実際に目にしなくては分からないことがこの場所にはいっぱい転がっているのだった。
「シャリア」
シャアが顔を覗き込んでくる。明るい金髪と帽子の麦わらの色が日差しを反射して、その輪郭はぼやけて見えた。
「疲れたか? 少し休もうか」
「疲れてはいません」
「そうか、宿についてすぐ連れ出したものだから。ではもう少しだけ歩こう」
波の音と海鳥の鳴き声だけが聞こえる。太陽が西の空へと傾きかけていたが、まだまだ明るい。
シャリアを振り返ると、彼は麦わら帽子のつばが落とす影の中で海の向こうを眺めている。明るい日差しの中でも彼は美しかった。初めて会った時は
宇宙艦の中で、人口的な抑えた光の中でも、彼の翡翠の色をした瞳は神秘的だった。明るい太陽の下だと、また違った緑色に見える。以前に一度シャリアの瞳の色が如何に美しいか、説明を試みたことがある。だがシャリアはちっともそのことを理解できなかった。彼は『大佐の瞳は誰よりも美しい』といって譲らない。自分の瞳の色がどんなものか話題に上げる価値すらないと思っているようだった。とにかく頑固で、自分の魅力に無自覚。シャアの恋人はそんな男だった。そんなところが好きなのだが、もう少し自覚的になってほしくもある。
そうしてしばらく歩き、シャアのとりあえずの目的地にたどり着いた。シャアが足を止めると、合わせてシャリアも止まる。シャアはシャリアに振り向き、水平線の向こうを指差した。
「あの先に、島がある。崖が見えないか?」
シャアの指が指し示す先に目をやると、確かに海の中に垂直に立った岩肌が見えた。
「島
……陸地があるということですね。そこまで行くのですか?」
「行ったら色々面白いものが見られるだろうな。戦争の時に、ジオンの基地があったのだ。聞いた話によると、脱走兵が逃げ込んで生活していたらしいぞ。もしかしたら戦争が終わった今も暮らしているかもしれない」
口調からして、実際に行くつもりはないのだろう。地球にいるジオン兵は戦後何年もかけて少しずつコロニーに引き上げていったらしい。未だに故郷に戻っていないものもいると聞く。その一方で自分たちのようにリゾートとしてこの地を訪れているものもいる。星の巡り合わせのようなものがあるのかもしれない。もしかしたら、自分だって兵士としてこの地に来ていたかもしれないのだ。
しばらくそうして浜辺で過ごした。特に遊びらしい遊びをしているわけではないのだが、シャリアにとってはシャアとともに地球で過ごすこと自体が楽しい。本当のことを言えば、シャアとともに過ごせるならどんな場所でも構わない。しかし、シャアが自分と過ごすためにこの旅行の手配をしてくれたのだ。こんなに幸せなことがあるだろうか。
太陽が赤く空を染め始めるのを信じられないような目で見ているシャリアを飽きもせず眺めながら、シャアは『
地球に来てよかった』と思っていた。地球は彼にとって楽しい思い出のある場所ではない。父を亡くし、追われるよう故郷を離れ、幼い妹とともに匿われていた土地である。ここに住むほとんどのアースノイドは、未だに地球の重力の軛から自由になれない
旧世紀の遺物だ。しかしそれはそれとして、地球でしか見られない景色というものがある。
シャアが手を差し伸べると、シャリアはその手を取った。何気ない仕草だった。
「そろそろ戻ろう」
「はい」
シャリアがシャアに促されて夕日に背を向けると、東の空はすでに紺色に沈んでいた。
「星が
……」
スペースノイドにとって星は珍しいものではない。木星船団に参加して長い航路を往復したシャリアにとってもだ。だが、地球から見る星空は何かが違う。
「またたいてます。キラキラと」
「そうだな。大気があるから」
当然それも知っている。知識として。
――知識として知ってはいても、実際に目にするのとは話が別だ。
「きれい、ですね」
「ああ」
手をつないだまま、シャアとシャリアは星がキラキラときらめく夜空の下を、ホテルへと帰っていった。
了
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