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らい
2025-04-20 21:00:40
4218文字
Public
レオいず
レオいず30days⑳「いただきますはハーフサイズで」
フィレンツェ編⑩ お題「喧嘩」
「おまえなんかもう知らん! 別居だ別居!」
「勝手にすれば?」
作曲の締め切りに追われて、徹夜を余儀なくされている男。オーディションの落選が続いて、人生の岐路に立たされている男。ただでさえ正反対の性格であるのに、心の余裕を失くしたふたりが平和に暮らせるはずもない。
朝から「ねえ、どうしてお皿の一枚も満足に洗えないの?」と食器の汚れを指摘したら、「セナだって、たまにシンクに皿を置きっぱなしにしてるだろ」と論点のずれた言い訳で殴ってきたことからはじまった。皿の汚れが落ちていないというただ一点の事実を指摘しているのに、過去の粗を探しだして対等に渡り合おうとする根性に腹が立つ。寝不足とストレスに侵されているふたりの言い争いは加速して、いよいよレオは家を飛び出した。毎朝、ふたり一緒にテーブルでパンを食べる時間帯に、泉はひとりぼっちになった。
日課のマラソンを済ませてシャワーを浴びたあと、泉は朝食もとらずにソファーで待った。寂しがり屋のレオのことだから、「セナぁ~」と涙目の状態でとんぼ返りするだろうと踏んだのだ。ところが、待てど暮らせどレオは帰ってこない。朝九時半を過ぎたところで、泉は掃除機を掛けることにした。
どう考えてもあいつが悪い。泉は舌打ちを響かせて、ふたたび湧き上がってくる苛立ちを必死に嚙み潰す。ひとり暮らしなら好きにすればいいけれど、他人と住んでいるのだ。最低限のルールぐらいは守るのが礼儀ではないのか。ましてや恋人が嫌がっているのに。それすら意識してもらえないということは、本当にひとりで暮らしているのと変わらない。
ふたりで住んでいるのには、それなりの意味がある。最初からひとりで暮らしていれば、こんな空虚に苛まれずに済んだはずだ。いつのまにか勝手に上がり込んで、「今度の日曜日さ、ちょっと遠出して美味しいもんでも食べに行こう!」と最初から家主だったみたいに提案したりして───泉は「あぁ、もう!」と叫びながら掃除機を進める。先端のノズルがレオの机にぶつかって、一枚の紙がはらりと落ちた。
「スケジュール
……
」
サインペンで書かれたそれは、今日の日付が記載してある。時間の管理なんて苦手なくせに、めずらしい。きっと可視化でもしなければ見通しを立てられないぐらい、締め切りに追われていたんだろう。
〇〇時にオンライン打ち合わせ、△△時に作業、××時に納品───合間に、セナと朝ごはん。セナとお昼ごはん。セナの充電。セナと夜ごはん。セナの寝顔チェック
……
。
「
……
いきなり守れてないじゃん」
泉が用意したフレッシュサラダと焼きたてのパンを頬張って、コーヒーを飲む。朝食後のキスはいつも苦いけれど、「セナ、だぁい好き」とふにゃふにゃに笑う姿は、きっとチョコレートよりも甘かった。
あいつ今頃どこかのカフェで、モーニングセットでも頼んでるのかな。
人懐こい八重歯が浮かんで、泉はぶんぶんと首を振る。あんなやつ、勝手にどこかに家出すればいい。さっさと掃除を済ませてパンを焼こうとしたら、賞味期限が切れていた。普段だったら、もっと早くに気づいているのに。仕事がうまくいかないからって、駄目だ。家の管理はがさつで、心も不細工になっている。ちっとも美しくない。
「買ってくるかあ
……
」
日課のマラソンついでに、寄り道すればよかった。まぁ過去を振り返っても仕方ない。泉はジャケットを羽織って、妙に広くなったアパートを出た。
フィレンツェの市場は、食の宝庫である。一般的な食材から希少な調味料まで、この場所にさえ来れば大体のレシピは調理できた。ファッションストリートほど長居をすることはないけれど、ぐるりと一周するだけで充分に楽しめる。日本暮らしが長いから物珍しいというだけで、そのうち慣れてしまうかもしれないが───当分ないだろう。正直に認めたくはないが、外国での稼ぎはまだまだ少ない。気軽に買える食材もそう多くはないからだ。
広い市場のなかでも泉が気に入っているのは、最近オープンしたばかりのパン屋である。店主は気さくで、拙いイタリア語の泉にも丁寧に接してくれた。泉がショーケースの前に姿を立つと、ふくよかな主人はチャオ、と挨拶をしてくれる。泉がにこりと笑って会釈すれば、喋りたがりの主人は不思議そうに首をかしげた。
「彼は、一緒じゃないんだね」
そういえば店を訪れるときは、大抵レオも同行していることが多かった。あれでいて古き良き男の役割を担いたがるから、荷物持ちとして「おれに任せろ!」と得意げに仕事するのだ。だが、怒った彼が家を出ていった出来事をつつかれたくなくて、泉はあいまいに笑う。話上手の主人も察したのか、それ以上は尋ねてこなかった。
店頭には、豊富な焼きたてパンが並んでいる。初めてイタリアを訪れた際に面食らった塩なしパンに辟易しつつ、泉は一つひとつの商品を眺めた。煮込んだモツがよく合うロゼッタ、新鮮なレタスと厚切りベーコンの乗ったスキアッチャータ、濃厚なクリームが添えられたコルネット───食パンさえ買えたら、それで構わないのに。「いただきます!」と幸せそうにパンを頬張って、「セナもひとくち食べるか?」と無邪気に差し出す男の姿が浮かんでしまう。
セナだって、たまにシンクに皿を置きっぱなしにしてるだろ! そんな言い訳をされて、腹が立った。しかし思い返してみれば、夜通し仕事で化粧も落とさずに寝てしまったあの日。レオは放ったらかしの皿を洗ってくれて、おまえは寝てていいぞ~なんて笑いながら、慣れない料理を振る舞ってくれた。バスタオルを頭に巻いて「ナマステ~」とカレーを提供するレオに、「まぁ~た形から入ってる!」と笑って───だからといって、皿の洗浄をおろそかにしたことを許したわけではないけれど。自らスケジュールを設定するほどに切羽詰まっているのだとしたら、皿の一枚だって綺麗にする余裕がなかったのかもしれない。
喧嘩はろくなもんじゃない。些細なやさしさを忘れてしまう。与えることも、受け取ったことも。
「食パンと
……
ロゼッタと、スキアッチャータ。コルネットも、ひとつずつ」
今日はもう家に帰ってこないかもしれないけれど。それでも朝ごはんのために戻ってくるかもしれないから、レオの好きなパンを三つ。主人にパンを切ってもらっているあいだ、泉は店を出たあとの予定を考えた。夕飯の食材はあるけど、野菜ジュースでも作ろうかな。久しぶりに飲みたいし───なんだこれ! 苦い! 思ってたのと違う! と梅干し顔になるレオの愛らしい反応が再生されて、泉はため息をつく。
思い出してばっかりだ。記憶の片隅どころが大部分に居座るぐらい、レオを愛してしまっている。
「おじさん! いつものパンちょうだい!」
だから、勢いよく扉を開けて登場したレオの姿は幻覚かと思った。泉は唖然としながら、レオを振り返る。当の本人も想定外であるのか、「えっ!」と唇を半開きにして驚いている。
数秒間の沈黙を経て、レオは遠慮がちに問いかけた。
「セナ、奇遇だな
……
」
「
……
うん」
「どうして、パン屋さんに居るんだよ」
「いや
……
朝ごはん、買って帰ろうと思って」
「
……
そっか」
「
……
うん」
「
……
セナぁ~」
落っことした紙袋から、にんじんが転がる。レオがわぁんと泣き喚いて、泉の上半身に飛び込んだ。
「セナぁ、ごめん! おれ、納期が迫って余裕なくて、自分のことしか考えてなかった! ちゃんと注意してくれるおまえに、ひどいこと言っちゃった!」
「れおくん
……
」
「だから嫌いにならないで~っ! これからはお皿をちゃんと洗うから! 洗剤で泡まみれにして、水でドバーッと綺麗にして、ピカピカに拭くから! 放ったらかしにせずに、棚にきちんと片付けるから! 棚の戸だって、ちゃんと締めるから~っ!」
「わかった、わかったから、頭をグリグリ押しつけないで
……
」
レオの背を優しく叩きながら、濡れた目尻を親指で拭ってやる。せっかくのカッコいい顔がしわくちゃだよ、と教えてやると、レオは腕でまぶたを擦って、目つきをきりっと改めた。甘えん坊、それでいて寂しがり屋のペットは、いつだって男らしく振る舞いたがる。泉はふふ、と破顔して、レオの頭をおもむろに撫でた。
「
……
俺も、ごめん。言い方きつかった。
……
あんた、二日も徹夜するぐらい忙しかったのに」
「いや、言い訳はせん。男は黙って謝罪一択」
なぜか仁王立ちするレオにくすくす笑っていると、主人がパンを詰め終えたらしい。紙袋の封をきゅっと締めて、泉に手渡した。レオは泉の肩にぴったり密着して、封のすきまから中身をのぞく。
「えっ! おれが食べたかったやつ!」
おまえ、エスパータイプか! レオはエメラルドの瞳を輝かせながら、泉にぱっと向き直る。そこまで喜んでくれるとは思わなかったから、気恥ずかしい。泉は床に落ちたにんじんを拾い上げて、ぷいっと視線を反らした。
「朝ご飯はしっかり食べないと、インスピレーションが湧かなくなっちゃうでしょ」
「おれのことまで、ちゃんと考えてくれてたのか!
……
でも、偶然だな」
「え?」
泉が首を傾げると、レオは愛嬌たっぷりに八重歯
を見せつけた。
「おれもさ、お疲れのセナに野菜ジュースを作ってあげようと思って、いろいろ買ったんだ」
にんじんだろ、りんごだろ、バナナだろ
……
。袋の中身を確認する姿が愛おしくて、泉の頬がぽっと熱くなる。ふいにパン屋の店主と目が合った。主人は紙袋をもうひとつ準備すると、にこやかに手渡した。
「フォカッチャ、ふたつ。おまけだよ」
しあわせは、半分ずつシェアしないとね。
チャーミングに頬杖をつく主人に照れながら、泉は「ありがとう」と礼を告げる。「ばいばぁい!」と手を振るレオの手首を引っ張って、パン屋の外に出た。
「荷物、持ってやる!」
「それじゃあ、俺はれおくんの紙袋を持つね」
「なんだそれ。交換しただけじゃん」
レオは不服そうにしていたが、泉は「これでいいの」と上機嫌に笑ってのけた。
愛しさは半分ずつわけあって、怒りと悲しみはごみ箱へ。ずいぶんと遅刻してしまったけれど、いつもの朝ご飯はこれからだ。
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