筒条
2025-04-07 00:43:56
4584文字
Public SB69
 

ひまわり畑のはなし【ヤスハチ】

ハッチンて桜に攫われることはないけどひまわり畑に消えることはありそうよね、ていうヤスハチのメモです。ヤスハチなのかこれ?

「ファ〜見ろよヤス!すっげーひまわり!!でけー!!」

すげーとでけーしか言わねえ馬鹿の背中を冷めた目で見る。
たまには違う道から行こうぜ!北門から出た方にドラストあんじゃん、そこの裏にわりとでっけぇ花畑あんの!蜜もうまいしさ、ヤスにも見せてやんよ!
花とか興味ねえ。蜜も吸わん。暑い。ひとりで行け。言っても聞きやしねえこいつに反論するのも面倒になり、着いてきてやればこのザマだ。
興味関心がころころ移りかわるハッチンの性質は、並んで歩く身としてはたまったものではない。俺はさっさと冷房のきいた場所に向かいたいのに。
夏休み真っ最中の8月なかばの正午すぎ。わざわざ早朝に設定されたうざってぇ補習を経てすっかり疲弊した頭を、今度は物理的に太陽が灼いてくる。俺とおなじ補習を受けていたはずのハッチンはさっさと脳の切り替えを済ませたのか、もうすっかり寄り道モードだ。
今日のスタジオ練習は16時からなので、時間までかなり余裕がある。飯は一度家に帰ってもよかったが、そのあと改めて外に出るのもなんだか億劫になりそうだったので、ファミレス行こーぜ!というこいつの誘いに付き合うことにしたのだ。
まぁたまには、なんて絆されるんじゃなかった。この調子では店に着くのは何時になるかわかったもんじゃない。なおこのひまわり畑は前述した花畑とは一切関係がないらしい。

「ちょっと前はただの空き地だったと思うんだけどなー。誰か育ててたんかな。あとでドラストのおっちゃんに聞いてみよ」
言いながらひまわり畑のなかに吸い込まれていくハッチンを慌てて止める。
「おい、勝手に入っていいのかよ!」
「ちょっとだけー!」
ヤスもこいよー!ひまわりの群れから声だけが響いてくる。
癪なことにハッチンの身長は決して低くはない。それを完全に覆うほどの背丈のひまわりだ。誰かが管理していなければここまで立派には育たないのではないか。もし誰かに見つかって俺まで怒られてもうぜえし、もう無視して置いていってしまおうか。暑いし。バカに付き合った俺が馬鹿だった。帰ってうちの弁当食おう。
それでも数分はその場で待ってやった俺はかなり優しいと思う。一向に出てくる気配のないバカにイラつき結局放って帰ることに決めたが。
いつのまにか蝉の声が止んでいる。あまりにも暑いと蝉も鳴かなくなるってマジなんだな。ますますダルい。
「おい、先行ってるからな」
適当に声をかけて、歩きだす。返事はない。無視かよいい度胸じゃねえか。もう知らん。
ひまわり畑を完全に背にしたころに、ようやく後ろから声が返ってきた。
「あ、待てってヤス、オレも行く!!」
たかたかと俺の横に追いついてきたハッチンは「じゃ、ファミレスだっけ?行こーぜ!」なんて気の抜けたことを言う。だっけ?じゃねえ。お前が行くって言ったんだろうが。
本当にこいつに付き合うと碌なことがない。


ファミレスに向かう途中に通りがかった駄菓子屋でハッチンが足をとめた。おい、またかよ。
こめかみがヒクつく心地がしたが、古びたショーケースのうえでひらひらと揺れる「ラムネ冷えてます」のポップに、自身も喉の渇きを思い出した。
「な、これ飲みてぇ!」騒ぐ声に、好きにしろよとだけ返し、冷蔵ショーケースからガラス瓶を一本取り出した。
「あれ、ヤスも飲む?」
「‥‥まぁ、たまには」
駄菓子屋に寄り道してラムネ買うとか、小学生みてえだ。こいつといると、精神年齢が引っ張られる気がする。
「じゃ、ひとくちちょーだい」
「は?自分で買え」
「飲んでみてーだけだから、ひとくちでいい」
「味知ってんだろてめえ」
妙な嘘をつくハッチンに付き合うよりも、喉の渇きが勝った。店のばあちゃんに100サウンドルを渡し、ラムネのラベルを剥がしてビー玉を落とした。久々だけど案外やり方覚えてるもんだな、なんて軽い懐かしさを覚えていたら、ハッチンが興味深そうにこちらの手元を見つめていた。だから飲みてえなら自分で買えっつーの。こいつのひとくちは当てにならないので、先に勢いよく瓶をあおった。冷えた炭酸水が喉を潤す感覚を十分に味わったあと、すっかり軽くなった瓶をハッチンに手渡した。少ねえとか文句言ってきたら殴るつもりだったが、意外にもただ素直に受け取ったハッチンは、さんきゅ、とだけ言い、最後の一滴を飲み干した。「へぇー!うめー!」なんて、まるで初めて飲んだかのような喜色で笑うから、いちいち大袈裟なやつだな、とつくづく思う。

「なーやっぱこのあとヤスんち行っていい?」
飲み終わったラムネ瓶を揺らしながら、ハッチンが言う。相変わらず蝉は鳴き止んだままで、からんからんとビー玉の軽快な音が耳によく響く。
「ファミレスじゃねーのかよ」
「ん、行ってみたくて」
「‥‥‥」

‥‥さすがに違和感を無視できなくなってきた。さっきのラムネの件といい、なぜいちいち初めてのような言い方をする?
ふと、胸の奥のメロディシアンがガラスをひっかいた時のようにキィと軋む感覚がした。
――やっぱりおかしい。何か決定的な違和感がある。
なにが?なんでだ。だいたいいつも通りのはず、だった。俺が聞こうが聞くまいがおかまいなしでこいつが勝手にひとりで喋って、笑って―――このあとはどうせ家まで着いてきて、母ちゃんに図々しくおまけの惣菜もらったりして、そんでスタジオに着いたときには言うんだ、いつもみたいに、そう、「勝負しろ」―――――――

―――おまえ、ギターは」

学校を出たときには背負っていた。当然だ。たとえスタジオ練習がない日だろうと、ハッチンが相棒を持ち歩かない日はない。
きょとん、と、目の前の「こいつ」が目を丸くした。虚をつかれたように一瞬だけすべての動きを止めたあと「あれ、置いてきちまったかな」なんて、笑う。
そんなわけ、あるか。あるわけが、ないだろう。
苛立ちを覚えると同時に、さきほどまでのあらゆる虚構に気付き、怖気に尾羽が震えた。
駄菓子屋のばあちゃんは、常連のはずのこいつになにも話しかけていなかった。
いつもの鳴き声のような口癖が、出ていない。いつだ、いつから―――

『ちょっと前はただの空き地だったと思うんだけどなー』

―――まさか。
じゃあそれなら、本物のあいつは。言及しようとして、声を出そうとして、口を開こうとして、失敗した。
金縛りに固まる無様な俺を見つめる青空の瞳が、夕暮れのような紫を経て、ほとんど赤に近い橙に変わる。
そうして、なーんだ、とつまらなそうに呟いた。
つい先日のスタ練で、記憶の片隅に追いやっていた夏休みの宿題を、ジョウに指摘された時のような顔。けれど。
「あとすこしだったのに」
目を細めて片側の口端だけを釣り上げて笑う顔は、ハッチンが絶対にしないそれだった。

「オレの負けかぁ。じゃーな、『ヤス』」

なんでもないように軽く手を振った目の前の男は、その場に溶けるように姿を消した。
残されたラムネの瓶が、ただ静かにアスファルトの上を転がっている。ドッドッと叩きつけるように鼓動する心臓がおさまらない。宥めるために深く息を吸う。
指先、腕、両足。解凍される肉のような心地で、徐々に動きだした身体を確かめ、来た道を振り返る。
「ハッチン」
考えるよりも先に、地面を蹴った。


----------------------


たった数十分前にはそこに広がっていたはずのひまわり畑は、まばらに雑草が生えるだけの空き地になっていた。
想察が確信に変わる。逸る心を抑えて巡らせた視線が、空き地の奥でどしりと佇む大木で止まった。その根元に見慣れたしましま頭が座り込んでいるのを捉え、ただ無心で駆け寄った。
「ハッチン」
絞り出すように漏らした声に、反応はない。普段のこいつからは想像もつかないほど静かに目を閉じ、くたりと大木に背を預けていた。その左肩には、馴染みのステッカーまみれのギターケースが寄り添っている。
左手のグローブを外してハッチンの頬に触れる。しっとりと汗ばんだ肌に、ぬるめの体温。そのまま触れた指を口元に滑らせ、湿った呼吸の感触を確認する。規則的に繰り返されるそれにようやく安堵し、自身もその場にへたりこんだ。こっちの気も知らねえで、呑気に寝てんじゃねえ。
スマホで時刻を確認する。13時27分。数えてみれば1時間にも満たない間の出来事だった。‥‥なんだか俺だけがどたばたしたようで非常に納得がいかない。この後こいつにドリンクバー奢らせよう。だから。

「さっさと起きろ、バカ」

几帳面に切り揃えられた前髪の下、ゆっくりと瞬きながら開いた瞳は、いつもの見慣れたスカイブルーだった。
じわわんじわわん―――
いつもは耳障りな蝉の合唱が、今はライブ後の観客の歓声のように心地よかった。


----------------------


「おっせーーーーよ!!バカヤス!!気づけよ!!すぐ!!」
「‥‥はぁ?」

ハッチンいわく。
ひまわり畑のなかで、突然声が聞こえてきたのだという。すわ幽霊かとはじめは大いにビビったが、声の主が律儀にも自身はひまわりにまつわる怪異の概念をあつめた妖怪族の一種なのだと丁寧に自己紹介してきたので、恐怖は好奇心にすっかり塗り替えられた。とはいえその「彼」は妖怪としての実体を得るにはまだまだ年月が足らず、ひまわりが咲く夏の限られた期間にしか自我を持てないため、毎年この時期になると他種族の身体を借りて外の世界を見ながら体験を重ねているのだとか。

「スタ練あっから丸一日は無理だけど、ちょっとくらいならいいぜ〜って。ヤスが気づくまでとかおもしれーんじゃね!?スタ練までにヤスをだましきれたら『おまえ』の勝ち、ヤスが気づいたらオレの勝ち。ま〜オレとヤスにはつえーキズナがあっから?オレの勝ち確だけどな〜なんつー話になってさ。勝負っつっても罰ゲームとか決めたわけじゃねえんだけど。せっかくやるなら楽しいほうがいいしな゛っ‥‥!?ってーな!?いきなり殴んなバ「バカはてめぇだ大馬鹿野郎!!!!!」

何でもないようにつらつら経緯を話すバカに目眩を通り越して頭痛がした。もはやどこからつっこめばいい。
なに短時間で怪異のダチつくってんだ。ていうか気安く自分の身体を貸すな。だいたい俺が気づくまでってなんだ。勝手に俺を勝敗の条件にするな。
‥‥俺が気づかなかったら、どうするつもりだったんだ。

「あいつ来年もまた会えっかな〜。まぁ『会って』はいねぇんだけどさ。妖怪族って何年でミューモンの姿になれんだろなぁ。がしがしのやつなら知ってっかな」
こちらの相槌など一切求めずにひとりでいつまでも喋り続けるハッチンは、数分前までどこかに意識を飛ばしていたとは思えないほどに普段通りだ。
――わかっている。どうするもなにも、考えもしなかったんだろう、こいつは。あぁ、本当にバカだ。

「‥‥もういい。飯行くんだろうが。てめえのせいで腹減ってんだこっちは、ドリンクバー奢れよ」
「ファ!?カンケーなくね!?」

今度こそふたりぶんの足をファミレスに向けて歩き出した。
じゃーな、また来年。もう誰もいない空き地から声が聞こえた気がした。