来羅
2025-04-19 16:54:31
2955文字
Public トワウォ
 

境界(若龍×信)

時勢に乗った呟きが思いのほか反応してもらえたので、調子に乗った!

 街の喧騒を避けるように辿りついた夜市は、それでも賑わっていた。
 盂蘭勝會の始まりとなる今日ばかりは、あちこちで焚かれる線香と衣紙を燃やす匂いが街を覆っていて、数えきれない人数をその向こうへと送ってきた自分にはいささか居心地が悪い。そうかといって城砦にひとり静かに過ごす場所もなく、こうして出てきた少祖はあてどなく街中を歩いて夜市の比較的人の少ない屋台へと足を向けた。
 空いている、といってもまばらに席が空いているだけだ。
 酒を注文して、そのうちのひとつに陣取れば、近くの路地を子供たちが歓声をあげて駆け抜けていった。思わず顔を上げて見送った少祖と同様、隣の席の男もまた子供たちの姿を見送ったらしく、振り返った男と目が合う。日頃は寝ている時間でも、今日は許されるのだろう。それが微笑ましく、僅かに軽くなった気分で男にも軽く会釈した、つもりだった。
 男が、ひゅっと息を呑んで目を見開くまでは。
――――――っ」
 動揺する男の腕が空の茶碗に当たって転げる。
 反射的に臨戦態勢を取った少祖に、けれども男は気づかないのか微動だにしない。
 年の頃は四十前後、黒社会特有の空気をまとった、それはえらく顔の整った男だった。少祖もまた昔から見目の良さは言われ続けてきたものの、それを上回る顔立ちだと思う。こんな一目見たら忘れられない男は、少祖の記憶にはない。
「なにか?」
 攻撃されればすぐにでも反撃できるように僅かに腰を上げた少祖に、男ははっとした顔で目を瞬いた。
「あ、……いや、すまない、」
 謝る声まで良い。
 天は二物を与えるのだなと、どこか他人事のように思って、少祖は座り直す。
「あなたが、あまりに知人に似ていたもので」
「俺が?」
「ああ、その声も、たぶん、似てる」
「世の中には同じ顔が三人はいると言われているが」
「似てる。正確には、あの人が若返ったら、あなたのようだったんだろうと思って」
 何か眩しいものでも見るように目を細めた男に敵意はない。
 本当に、ただ似ていただけなのかもしれない。
 それはそれで、今のこの時分にあまり気分の良い話でもない。
 少祖は顔に出る性質ではなかったが、男はその思いを汲み取ったのか、詫びにここは奢ろうと、軽く肩を竦めて笑った。
 そんな仕草ひとつもまた、人目を惹く色がある。
「はは、本当に似てる……あまりに似てて、なんだか夢でも見てるみたいだ……
 ただ懐かしむには、そこに情と悲しみがありすぎた。
 たかが知人ではないことは確かだ。
 それは少祖を見つめる眼差しからも察せられる。
 甘さの滲む、焦がれるような、縋るような色。
 なぜか胸の内をざわつかせるその瞳に、少祖はわざとらしく眉を上げた。
「それは随分とイイ男なんだろうな?」
 面食らった男はからからと笑った。そうすると、とても年上の男には見えない幼さが垣間見えて、人好きのする顔になる。
「自分で言うんだ? ま、あの人ほどイイ男はいないけど。世界一の男だから」
「そんな男に似ていると言われると面映ゆいな」
「あんたも悪くないかもよ」
 砕けた口調になった男は、空になっていて転げた茶碗にてずから酒を注ぐ。それを二本しかない指で軽く掲げて乾杯と言うと、いっきに飲み干した。
 酒に濡れた唇は赤い。薄っすらと朱を刷いた頬。多少は酔いが回っているのか、熱に倦んだ瞳が少祖を射抜く。
…………そういうつもりはないんだが」
「それは残念」
 本気なのか冗談なのかわからない言葉に隠して、男が笑う。
 実際、不自由はしないだろう。
 こんな極上の男に誘われて否を言える人間などそうはいない。
 それなのに、男は少祖を通して、その似ている男だけを見ている。それが、少しばかり癇に障ったのは否めない。
「前言撤回しよう。あんたにそんな顔をさせる男はとんだロクデナシだ」
「どんな顔してる?」
「物欲しげで、傷つきたいと言わんばかりだ」
「じゃ、あんたも俺のロクデナシになってみる?」
「冗談だろう」
……残念」
 この男は触れてはいけないナイフのような男だ。
 その表面の美しさにふらふらと惑えば、鋭い刃でずたずたに切り裂かれ、また自らも切り裂く諸刃を秘めている。
 一瞬、泣くのかと思った。気のせいだ。
 男は立ち上がると、ふらつきながら少祖に背を向ける。
 放っておくのも気が引けて、酒を飲み干すとその背を追った。
「家はどこだ?」
「んん、今日はどこに泊まるかな」
 黒社会の人間だ。隠れ家はいくつもあるだろう。それを見ず知らずの他人に教えるわけがない。そんな当たり前のことにも思い当たらなかったことに、僅かに戸惑う。
 男は何がおかしいのか、くつくつと笑って振り返った。
「いい人って言われない?」
「あいにく、俺とは対極にある言葉だ」
「放っておけばいいのに」
「そうだな」
 わかっているのに、それができない。
 その理由もわからず、ただ苛立ちだけが募っていく。
 近くでまた歓声があがった。
 理由があったとすれば、だから、だ。
 先を行く男の腕を掴んで引く。たたらを踏んだ男を土塀に押し付けて、その惚けたことばかりを口にする小憎らしい唇を奪う。
……ん、っ、ふ」
 最初から遠慮はなかった。
 舌先でこじ開け、ざらりとした表皮を舐める。びくりと揺れた腰を引き寄せ、頭の後ろに回した手で固定すれば、男が躊躇したのは一瞬だった。
 絡めた舌に乗せた唾液を啜る男の喉が鳴り、上顎を擽るたびに甲高い声が鼻から抜ける。酒の甘さに煙草の苦みが加わった。熱い吐息を交わして、舌先を擦り合わせる。そうして名残惜し気に舌を食んで口を離した少祖を、男は呆然と見つめていた。
……大佬……
 ほろりと、見開く瞳から涙がこぼれ落ちる。
…………龍捲風………?」
 瞬きひとつもしない。その瞳からほろほろとこぼれる涙は、頬を伝い、顎の先からぽとぽとと落ちる。
「名乗ったか?」
 まだその名を知る者は少ない。
 知っているとすれば、少祖が潰した組の周辺にいる人間か、青天會の生き残りだ。
 今度こそ男に殺気を向けた少祖だったが、男は「うそだろ」と呟いたきり俯いてしまった。
………お前は誰だ」
 決して、知った顔じゃない。
 しかしこうまでしても、男は少祖に対して警戒はない。
 濡れた唇を拭うこともなく、涙の跡もそのままに、男は強張る口角をなんとか上げた。
「俺も、前言撤回。あんたはもっと、イイ男になるよ、保証する」
 そして、とん、と胸を突かれて距離を取られた。
「今夜は盂蘭勝會だからかな?」
「どういう意味だ」
 思わず眉を顰めた少祖に、男はダメだよ、と首を振る。
「俺のロクデナシはあの人だけだから」
 それでも。
 そうであっても。
「俺は、何度だってあなたに恋するんだ」
 涙に潤む瞳を眇め、やはり懐かしむように、傷ついたように笑う美しい男に、少祖は動くことができない。
 またどこかから歓声が聞こえた。
 衣紙の燃える煙が漂い、線香の匂いが立ち込める。
 盂蘭勝會は名を呼ばれても振り返ってはいけない。
「大佬」
 その声は、少祖の耳の奥にこびりついて離れなかった。