紫輝
2025-04-19 08:37:20
5346文字
Public リオヌヴィ
 

喜劇『勘違い』

二人がお付き合いしてることを知ってるシグウィンちゃん「もっと自分を大事にして!公爵一人の身体じゃないのよ!」
ザワつく周囲。頭を抱える公爵。もしかしてご結婚されるのか…?から始まるリオヌヴィ勘違い劇場です。
書き始めたのがハマりたての頃だったのでまだスタイリッシュの片鱗が見える 今のリ殿だと違うアプローチになりそう

 重苦しい空が広がっていた。見上げるだけで息が詰まるような、胸が苦しくなるような。雨のにおいはしないがいつ降り始めてもおかしくない、むしろ降っていないのが奇妙に思える、そんな空だった。
 メロピデ要塞の長リオセスリは、そんな空の下パレ・メルモニアを目指している。『とても大切な話がある。一度尋ねて欲しい』。そんな言伝を書簡で受け取ったからだった。
 まず話の内容への言及がないことと「大切な話」という言葉選びに違和感を覚えた。一瞬偽書の類いも疑ったがこの流麗な筆跡を見間違うはずもないしこれを持ってきたのはメリュジーヌだ。ないな、と結論づければ次は漠然とした不安が顔を出す。「普段とは違う文体の書簡を」「メリュジーヌが直接持ち込んだ」となればヌヴィレットに何かあったかと考えてしまうのは普通だろう。書簡を携えてきたメリュジーヌと共に上がりたいくらいの気持ちだったが、『大切な話』に見当をつける時間くらいは作るべきだと頭を冷やし、立てていたスケジュールの全てを脇に避け、二日後に伺うと伝えてくれるよう頼んでその日はメリュジーヌを帰したのだ。
 結論から言えばヌヴィレットが気にかけるような事件性のある話は出てこなかった。最近やってきた囚人たちも大人しくしているし、古参の囚人達の中に「水の上」と繋がりを持っている人間がいるという調査結果もない。となれば正直お手上げだ。直接話を聞くしかない。手土産を持参するような花の咲く内容でもなさそうだと身一つで上がってきてみれば「水の上」の空模様はこの通りで、いよいよ彼の精神状態が心配になる。
 心持ち足を早め向かった執務室。お待ちしていました、と珍しくも少々前のめりなセドナに挨拶もそこそこにどうぞと扉を示されて予習もできないまま扉を叩き、「どうぞ」の声を聞く。
 常であれば背後の装飾窓から入り込む日光に照らされながらごきげんようと笑ってくれるそのひとの纏う空気は空模様のように重苦しい。一応笑顔を浮かべようとして失敗したような表情にまた焦燥を募らせつつ、せめて話を聞くまで自分はいつも通りであろうと笑顔でごきげんようを口にした。
「呼び立ててしまってすまない」
 面会の際の定位置である執務机の前に足を止めて早々、ヌヴィレットから悄然と謝罪を告げられて首を振る。
「気にしないでくれ。初めての招待方法だったんで驚きはしたけどな。さて、あんたにそんな顔をさせてる懸念事項ってのは一体なんだい? 解決に一役買えると判断したから俺を呼んだんだろ?」
 力の及ぶ範囲であれば力になると首を傾げれば、ヌヴィレットは歯切れ悪く「うん」と答え、逡巡するように両指りょうしを組んで。
「君についてのある噂について確認させて欲しい」
 微かに震える声でそう言った。
「噂?」
 どれだ。というか今更? 新しい何かでも出たか? 
 二度、首を傾げる。名前だけが一人歩きしている『リオセスリ公爵』は、定期的にタブロイド紙の紙面を飾る。その全てが根も葉もない妄想なので一週間経たずに噂は消えるし、リオセスリも、自分よりもネタにされやすいヌヴィレットもそれを気に留めたことすらない。『どこそこの女性』と懇意にしている時間があったらヌヴィレットのためにスープを作って、美味しいと笑ってくれる顔を見ている方がずっと有意義だ、とはいつも思っているけれど。
「どう、言えばいいのか
 視線がうろと彷徨う。
 普段から全てをわかった上で口を開いているのではと思うくらい端的にはっきりと言葉を発するひとだ。そのひとが言い淀むのは珍しい。例えば考えを纏めながら話しているとしても事前にそうと宣言するひとだ。
「ヌヴィレットさん。俺は確かに誠実な生き方ってのをしてきてはいないが、あんたに疑われるのは悲しい。何か杞憂があるなら言ってくれ。良いにせよ悪いにせよ、納得できる返答を約束しよう」
 このひとと禍根を残したくはない。職務上も、プライベートでも。悲しい、辺りでリオセスリの感情を自身に投影したかのように眉を寄せたヌヴィレットが、一度深く息をつく。
……するのか」
「うん? すまん、聞こえなかった」
 覚悟を決めるような呼吸のあとに口にされた言葉は、静まり返った執務室であるというのに聞き取れなかった。本当に珍しい、というか初めてだろう。あの最高審判官様を持ってしてここまで紡ぐのを躊躇わせるほどの疑いが自分にかかっているのだろうか。だとしたらこちらも本気を出して対処に当たらねばなるまい。心持ち背筋を伸ばして、再度紡がれる言葉を待つ。返答の一言目から、弁明は始まっているのだから。
 俯きがちになっていた白皙が持ち上がる。リオセスリを見るアメジストの瞳はゆらゆらと揺れていた。その手を守る革手袋がきしりと音を立て。
「結婚、するのか。リオセスリ殿」
…………は?」
 漸う音にされた言葉の内容は、リオセスリの予想の範囲を超えていた。そもそもこのひとの口から出るには珍しい類いの言葉だったのもあるし、内容そのものも余りにも突拍子がなさ過ぎたのもある。『返答の一言目』にしっかり失敗しながら、リオセスリはその頭脳を回転させる。まずは現状を把握しなければなるまい、と。
「あー、まず聞きたいんだが、その疑念はどっから出てきたやつだい?」
「セドナが、共律官から問い合わせを受けたといや、この言い方は正確ではないな。雑談の中で、そう言う話題が出たと」
「共律官書類を受け取りに来るお嬢さんか? ってことは噂の出所はこっちか。前に書類を提出したのが四日前あー……
 ヌヴィレットへの聞き取りで心当たりが浮上して、まさかと思って、そっと口元を覆った。隠しておかないとそこがだらしなく弛むのがバレてしまう。目元をどうしたものか。眉間に皺でも寄せてみようか。
「リオセスリ殿?」
 窺うようにこちらを見る階調の瞳。上目のそこに不安の色を見てとって気持ちを切り替えた。浮ついている場合ではない、と。
 表情をなんとか取り繕って、ゆっくりと息を吸う。
「いや、うん。状況はわかった。あんたの疑念については否定させてくれ。根はあるが葉はない、ただのゴシップだよ」
「根はあるのか」
「あるさ。出所は看護師長だからな」
「何故彼女が出てくる?」
 す、とヌヴィレットの目が細まる。ついに耐えきれなくなって控えめに肩を振るわせつつソファを示せば、素直なそのひとは首を傾げつつも執務机を離れ、隣り合って腰を下ろしてくれた。
「書類担当の共律官のお嬢さんが降りてくる少し前、彼女にちょっと叱られてな。「一人の身体じゃないんだからもっと自分を労れ」って」
それと今回の『ゴシップ』がどう繋がるのか理解できない」
 彼女に罪を着せる気ならば、とでも言うような気迫に、申し訳ないと思いつつ肩の震えが抑えられなくなるのを止められない。
「俺には何かと忙しい恋人がいるんだが、事情があって公にできないひとでな。その恋人に心配かけるなってさ。看護師長は俺の恋人と仲が良いからな。余計な心労の種は摘んでおきたかったんだろ。まあ本当に心配してくれるかはこの際脇に置くが」
「こ、いびと」
 ぱちん、と深海の色のまつ毛が羽ばたく。淡く染まる白皙にひっそりと胸を撫で下ろした。初耳だと言われたらみっともなく泣いていたかもしれない。
「自覚はおありか。よかった。で、俺もまあ彼女の言うとおりだと思ったんでな。その場は退いたんだが、その時周りに結構な人数がいた。種はそれ。これが真相だな。根があったろ?」
 やけに周囲がざわついているとは思っていたが、まさかこんなトンチキな育ち方をして葉をつけるとは思わなかった。想定とは違う意味ではあるものの結果として彼に心労をかけてしまったので近々看護師長からお説教を頂戴することになるかもしれないなぁ、なんて考えつつヌヴィレットの反応を待っていると、こくりと銀色の頭が傾ぐ。
「納得してもらえたかな」
……
 もう一度声もなく是を返されて、美貌はその繊手の向こう側に隠されてしまった。
「それはなにより。ひとつ聞きたいんだが、この空模様の理由は『これ』って自惚れてもいいやつかい?」
 親指で窓硝子を示してそう問いかけると、ヌヴィレットが繊手の向こうでううと唸る。
「聞かないで欲しい。そもそも私への事実確認は必要だろうか?」
 恨めしげな声がそう口にするのは、窓から陽光が差していることに彼自身も気づいているからなのだろう。うーん、なんて肩を竦めてみる。
「自分の体調が恋びとの心配の種になるかどうかすら確信が持てない男にはちょっと高度すぎるな」
「君は本当に意地が悪い
「褒め言葉として受け取っておこう」
 のろのろと半分上がった顔はまだほんのりと赤い。申し訳ないとは思うけれども、「人の感情については知識としてしか知らない」と口にしていたこのひとが、揺らぎようもない根のある噂話で雨を喚んでくれたことが嬉しかった。
 上機嫌が雰囲気に出たのだろう。諦めたように繊手の覆いを外し顔を見せてくれたヌヴィレットは、躊躇いがちにぽそぽそと言葉を紡ぐ。
この『噂話』を聞いたとき、少なからず衝撃を受けた。私はその、君と恋仲だと思っていたし、このような関係になる前も君に関してそういう噂を聞くことはなかったから」
「うん」
「すぐに君本人に確認するのが最善の行動だと理解はしていたのだが、もしかしたら今の関係に恋仲と名をつけていたのは私だけかもしれないとふと考えてしまって」
うん?」
 雲行きが突然怪しくなった。この話を聞き終えたら紅茶の一杯でも淹れさせてもらおう、なんて考えていた呑気に待ったをかけられて、思わず間抜けな声が漏れる。
「行動しそびれてしまったら、不安だとか羞恥だとか憂虞だとかそういった感情が溢れてきて、尚更動けなくなってしまい」
「ううーん
 流暢に語る間にも、ヌヴィレットの頭と肩はどんどんと萎れていって。
「空はあの有様だし、セドナ達にも顔を合わせるたびに不安そうに気遣われるのでこうして君を呼ぶに至った次第だ。ごく個人的な理由で足を運ばせて申し訳ない。本来ならば私がそちらを訪うべきだったのだが」
 叱られるのがわかっている子どもの如く窺うように上目を向けられて、少しゆっくりと息を吸った。可愛い。いやそんな場合ではないのだけれども。
「うん、まあそれは全く構わないんだけどな」
「それと君が体調を崩したら私は心配するぞ。まず私にはそれを知る術がないし、知ったとして容易に顔を見に行くこともできないからとても気を揉むと思う。私は君を信頼しているが、私のあずかり知らないところで怪我や病を得ていないかは常に気にしている」
……
 どこからレクチャーすべきか。心中頭を抱えて、ひとまずヌヴィレットの目先の憂いを晴らすべく今回の呼び出しについて屈託はない事を口にしたところで趣の異なる二個目の爆弾が飛んできて喉がおかしな音を立てた。今拾うのか、そこを。
「君への弁明は以上だが、不足はあるだろうか」
「いやない支払額以上に釣り銭が来た気分だな
 少し前のように膝の上で両指を組んだヌヴィレットに不安げに問われて今度はリオセスリが顔を覆う羽目になった。このひとほんとこういうところなんだよな、と、一瞬で倍近くに跳ね上がった鼓動を聞きながら思う。これが全部本心から出ているのだから本当に恐ろしいひとだ。リオセスリの心臓は一つしかないというのに。
「まあとりあえず、ヌヴィレットさんの憂いを晴らせてよかったよ。良い機会だし指輪でも贈ろうか?」
 数度の深呼吸でなんとか脈拍を落ち着かせてから軽口を叩いてみる。このひとのことだ、指輪の意味を理解はしていてもそれに安寧を求めることはないだろう。「契約の証だな。だがこれがあっても男女関係の案件は後を絶たない。不思議だな」そんな風に首を傾げる姿が目に浮かぶようだ。
 ぱちりと階調の瞳をまたたいたヌヴィレットが――ふわ、と笑みを咲かせる。
「いいのか。嬉しい」
 そうしてぽつりと落とされた追撃はリオセスリから言葉を奪うに充分で、できたことと言えば平静を装うことくらいだった。装えていたかどうかは別として。
 知らないうちに感情理解の――そんな物この世界には存在しないが便宜上だ――カリキュラムを数段ほどすっ飛ばされた気分だった。今後今以上に気を揉みそうだ。色んな意味で。
「期日は約束できないが、喜んでもらえる物を用立てるよ。必ず」
 とりあえず戻ったらこのひとに一番似合う金属を探すことから始めよう。どの地域にあったとしても採りに行ける。こちらには異邦の旅人という最強の伝手カードがあるのだから。
「では私も君に贈る指輪を仕立てよう」
 楽しみにしているとうなずいてこちらの薬指に唇を寄せてくるヌヴィレットが至極上機嫌なのが手に取るようにわかっ(てしまっ)た段になって、リオセスリは本日の職務を諦めることを決定した。これは戻ってもきっと仕事にならないだろうから。