千代里
2025-04-17 12:54:37
7991文字
Public リーブラ14話
 

リーブラの針は問う・14話・その62


 ルーシャンを送り出し、さらにその後に少し離れたところでノエと別れた後、ヤルマルたちは山林に隠れながら集落の様子を伺っていた。
 遠見のための望遠鏡を目に押し付けるようにして、集落の気配を探る。一箇所にとどまり続けていないのは、相手に悟られる可能性があるからだ。ノエたちが連絡する間もなく異変に襲われた際、すぐに対処するために、三人は周辺の防衛に力を割いていた。
 だが、当初の目的以外にも、遠目で見ても分かることはある。
「お姫様を誘拐した悪人の隠れ家にしては、随分と……普通だね」
 ヤルマルの呟きに、オランローも渋い顔で頷く。
 オランローたちの説明にもあったように、集落には今まで戦うことを選ばなかった異端者たちが隠れ住んでいた。隠れ潜むのには丁度いいからと、今回の主犯や協力者たちが流入してきたことで、規模に対して人口が多く感じられるが、漂う空気自体は新たな住人が増えてもそこまで大きく変わっていない。盗賊の棲家すら覗いたことがあるヤルマルとしては、随分と牧歌的だと笑ってしまいそうになるほどだ。
「彼らは、もし貴族が自分たちの要求を聞いてくれたときは、この地を本格的に拠点とするつもりだったのかもね」
「どうしてそう思うの」
「知っての通り、この地形は非常に攻めにくいし、人の目にも晒されにくい。もし貴族様が税を納めなくていい特別な地を与えたとしたら、皆がこぞってその土地に集まるだろう。そうしたら、今度は土地の奪い合いで争いになる」
 サルヒの質問に、ヤルマルは迷いなく返答する。
「だけど、この場所なら最初から自分たちが住んでいるから取り合いにもならないし、新しく人が入ってきたらすぐに気がつける……ということ?」
「予想ではあるけれどね。ただ、どのみち楽観的ではあると思うよ」
 望遠鏡を下ろし、ヤルマルはそれをサルヒに渡す。彼女も前髪で隠れていない片目で、集落の様子をそっと伺う。
「連中はノエの父親の領地でも勝利をおさめている。ゲルダが竜との仲立ちをしていたなら、これまで負け知らずだったのだろう」
 ヤルマルを促し、場所を移動しつつオランローは犯人たちの心理を分析していた。
 彼らの活動は、最初は小さな抵抗に過ぎなかったのだろう。理不尽に異端者のレッテルを貼られ、反発心から「それならいっそのこと本当に異端者になってやる」と思ったのかもしれない。
 だが、竜と友誼を結んだ娘を引き入れ、竜に変化する力を得てから、彼らの活動はより過激な方向へと変化したに違いない。
 ノエの父が治めていた、領主直轄の町への奇襲も成功した。あのときは、あわや本当に領主を――ノエの父親を討ち取る寸前だったのだ。
 ランドンという、その土地に生きる因縁のドラゴン族がいたことに加えて、異端者の執拗な嫌がらせめいた行動が、良心的な心を持ち合わせていた領主を苦しめ、追い詰めていた。もし、あの場面にノエがいなかったら、本当に領主は命を落としていたかもしれない。
「ノエたちは上手くやっているようだね。だったら、ボクたちは、あの洞穴以外の脱出経路を探しておこうか」
 首尾よくオデットを奪還できたとしても、逃げるために行きも使った洞穴を使うのは、極力避けたかった。
 他に手がなかったとしても、一度は追っ手を撒くために山中に逃げ込む必要はある。山中に潜伏するにしても、前準備なしでは土地勘のないノエたちには厳しいだろうとヤルマルたちは予想していた。
「ほとぼりが冷めるまで、山暮らしというのも悪くないけれど」
「それはお勧めしない」
「寒いからねえ。外で寝ていたら凍え死んじゃうか」
「それもあるけど、あれを見て」
 サルヒが指さした方角を見つめて、ヤルマルは形の整った眉を持ち上げた。
「ドレイクにドラゴンフライ……向こうにいるのはアルケオーニス……?」
 ヤルマルが並べた魔物の名前は、どれもクルザス地方ではよく見かける種類だ。
 だが、いくらクルザス地方が魔物が跋扈する雪原地帯であったとしても、ここまで複数の種類の魔物が首を並べて佇んでいたら、違和感を覚える。
「随分と、魔物同士の距離が近いな」
 魔物たちに気づかれないように、一際木々が密集している地帯に三人は体を隠した。
 幹からそっと様子を伺いながら、オランローが眉を寄せる。
「普通の魔物は、あそこまで互いに近づかないし、もしうっかり近づいてしまっても互いを牽制するよね」
 ヤルマルの言う通り、同族同士ならまだしも、余程の理由がない限り、魔物は異種族同士で群れることを好まない。
 積極的に争いはしなくても、異物が紛れ込めば争いが起きる。それが分かっているからこそ、互いの縄張りが重ならないように適度に距離を置く。
 だが、オランローたちの眼前にいるドレイク――四つ足の巨大な蜥蜴のような魔物の上空には、ドラゴンフライが塊となって浮遊している。しかも、どちらもその場から動かず、たまに首を左右に振るばかりだ。
「まるで、哨戒をしている兵隊のようだな」
「実際にそうなのかもしれないよ」
 ヤルマルは人差し指を自分の唇に立ててから、外套を目深に被り、雪景色には目立つ深緑の髪を覆い隠す。続けて、足音を殺し、木々の陰から陰を渡り歩くようにしてドレイクたちの監視網を潜り抜けた。
 彼女が軽く手を振るのを確かめてから、オランローたちも同じように彼らの視線を掻い潜って山林の奥へと向かう。
「ほら、あっちにも。ドラゴン族が尖兵に使う魔物が揃い踏みだ」
 ヤルマルの指した先には、アルケオーニスが二体、窮屈そうに山林に鎮座していた。
 普段ならば雪原を悠々と闊歩するはずの巨体は、急峻かつ木々が密集する山林に生息する魔物とは思えない。無理やり森を分け入ったのか、周りの木々は何本か折れていた。
 アルケオーニスのそばには、細身の二つ足の生き物が気忙しげに周りを見渡している。発達した二本足に対して、未発達の手しか持たない生き物であるその魔物も、また竜の尖兵として何らかの指示を受けているようだ。
「それに、空を見て」
 ヤルマルに促され、視線を上へとやる。寒さにも負けない針葉樹林の隙間から見えたのは、悠々と空を飛ぶ竜の巨大な影だ。
「異端者の考えはどうあれ、竜は積極的に連中に手を貸している、ということか」
「そうだね。さて、ボクたちはこれをどうするべきか……
 迂闊に討伐を開始しようものなら、周辺に埋伏させた魔物の集団に袋叩きに遭うのが目に見えている。だが、オデットを連れて山中を踏破するなら、魔物は取り除いておきたい。
 気づかれないように一匹ずつ誘導して、息の根を仕留めていきたいところだが、集団で固まられていると一匹ごとに釣り上げるような狩猟も上手くはいかないだろう。
(まずは、孤立している魔物がいないか探すところからだな。異端者たちめ。どうりで、山中に姿を見ないわけだ)
 彼らは、何も油断しきっていたから、集落に固まっているわけではない。山林を魔物たちに一任しているからこそ、集落でのんびりと構えていられたというわけだ。
 ひとまず、山林に配備された魔物の位置を確かめようと、ヤルマルが結論を出したときだった。
 ――オオォォォ!
 空を割るような竜の咆哮に、ヤルマルは耳を伏せ、オランローとサルヒも咄嗟に角を手で覆う。空気をびりびりと震わせるような振動に、ヴィエラ族としてとりわけ耳のいいヤルマルは、しばし酩酊したような感覚に襲われかけ、
「ヤルマル、こっちだ!」
 オランローに引っ張られ、彼に連れられるままに木立を駆け抜ける。その合間に、激しく雪を踏み荒らす音が後を追ってヤルマルの耳を打った。
「一体、何が起きて……!」
「わからない。だけど、魔物たちが動き出した」
 サルヒの言葉に、ヤルマルはゆるゆるとかぶりを振りながら頭を持ち上げる。
 サルヒの言う通り、魔物たちが一斉に頭を擡げ、ドラゴンフライのように空を行き交う魔物はその翅を広げて移動を始めていた。オランローがヤルマルを引っ張ったのは、あのままでは魔物たちに蹴散らされてしまうと思ったからだ。
「奴ら、どこに向かって移動している……くそ、またか!」
 オランローの言葉の通り、再び竜の咆哮が響く。耳の奥にねじこまれるような大音声に、今度はヤルマルも手も使い、耳を折りたたむようにして暴力的な音を防ごうとした。
 酩酊するほどの衝撃こそ受けなかったものの、一同の耳や角には先ほど以上の衝撃が走る。その理由は明白だ。
「竜が降りてきた……?」
 サルヒが見つめる先、村から少し離れたところに青い鱗の竜が舞い降りるのが見えた。雪煙がもうもうと立ち上がり、その姿を一瞬覆い隠す。
 竜の咆哮に背中を押されるように、魔物が再び行進を始める。まるで、竜の咆哮が彼らに指示を出しているかのような――
「まさか、敵がきたのか」
「でも、一体誰が彼らの敵になったというの」
「そんなの、一つに決まっている」
 サルヒの質問に、ヤルマルは返事をしながらも顔をあげ、ある一点へと視線を送った。
 少し早く訪れた日暮れの気配を纏わせた、山間の中腹にできた洞穴。魔物たちが目指す先がその場所であることは、今まさにヤルマルたちのそばを通り抜けていった一団の様子からも察せられる。
 ヤルマルはリンクパールに指をかけ、すかさずノエたちに連絡をとる。集落の中にいる彼らでは、山林の斜面にいるヤルマルたちより視界が悪い。彼らが気づいていない可能性もあるからこその連絡だ。
 彼女がノエたちに報告をしているのを横目に、オランローは遠くに見える洞穴を睨む。
……もう来たのか。貴族の騎兵たちが」
「恐らくは。あの執事は私たちの様子を伺っていた。ノエが地図を見て、少しだけ顔色を変えたのを、見逃さなかったみたい」
「オデットたちの安否などお構いなしか」
「彼らにとっては、オデットもゲルダも守るに値しない平民にすぎないから。アガテルがいたとしても、同じことをしていたと言っていたけれど、もしそうしていたら、騎兵たちの士気は下がっていたはず」
「結果として、奴らにとって好都合な盤面が揃ったということか」
 思わず、オランローは舌打ちをこぼす。
 攫われた令嬢は身代わりにすぎず、騎兵たちが遠慮をする必要もない。向かう先にいるのはイシュガルドという国そのものを裏切った異端者だ。彼らの事情など、騎兵たちには関係ない。
「オレたちも動いた方が良さそうだな。騎兵たちの相手は、魔物どもに任せればいい」
「動くとしても、何をするの」
 サルヒに問われて、オランローもヤルマルも自分たちが持つ手札を考える。
 魔物を騎兵と共に取り除き、異端者を迎え撃つ手伝いをするか。だが、貴族に恩を売っても、オデットたちが異端者たちに殺されてしまう可能性は拭えない。
 ならば、異端者と協力して騎兵たちを抑えるか。これについては、オランローたちに利点がない。
「ノエたちの手伝いをしに行くべきかな」
 連絡を終えたヤルマルが、オランローが導き出した結論を先んじて口にする。
「私も同感。集落は、随分と混乱している様子だから」
 一部の魔物を退け、騎兵たちが異端者と混戦を繰り広げている。怠けているように見えても、異端者たちも武器は捨てていない。一方的にやられてしまうほど、彼らも弱者ではなかったようだ。
「騎兵たちに攻撃されたらどうする」
「ボクたちの作戦を邪魔してくれたんだ。遠慮なく眠ってもらうよ」
「じゃあ異端者は?」
 ヤルマルは肩をぐるりと回してから、目をすがめる。
「ボクたちの目的は仲間の救出だ。……それ以外を助けていられるほど、ボクたちの腕は広くない」
 この場にいる誰もがわかっていて、敢えて口にしなかったことを、ヤルマルは率先して言葉にする。
「ボクは、オデットたちは助けることを優先する」
 ともすれば、傷ついている誰かを見境なく助けようとする自分を諌めるかのように。
 
 ***
 
 ――最初、その変化は音と空気によって伝わってきた。
 
 長閑にも思えた昼下がりが通り過ぎ、オデットはヒューイの診察を終えたゲルダと共に静かな団欒の時を過ごしていた。昼頃に、オデットの正確な腹時計が時報を告げていると、
「こんなところで餓死されたら迷惑だからね。さっさと食べな」
 と、聞き覚えのある声の女性が倉庫に顔を出して、オデットたちにパンとスープだけの食事を渡してくれた。その女性が、主犯格の一人である息子と大喧嘩をしていた母親だと、オデットもすぐに気がついた。
 彼女に深くお礼を言った後、オデットはゲルダが戻ってきてから気になっていたことを告げた。
「ヒューイさんはどこにいるんですか?」
「あの先生なら、今は他の家にいる若いもんの診察に行ってるよ。うちの息子も、夢ばっかり見てないで、堅実に生きるってことをやっていってほしいものだけどね」
 だが、異端者が『堅実に』大手を振って生きることなど難しい。故に母親の言葉も、結局は叶うわけもない願いを口にしていることが、声の調子からもわかった。
「おばさんと喧嘩してた人は?」
「ゲルダっ」
「ああ、うちの子かい。あの子なら、さっきから外に行って見回りとやらをしているよ。あんたたちがここを出ていこうとしてもすぐに分かるからって言ってね」
 察するに、扉の前で見張り番をしていることに飽きたのだろう。天井近くに窓が一つあるだけの半地下の倉庫から外に出るには、家の中を突っ切るしかない。彼の言う通り、もし人質が出ていこうとしたら、すぐに分かることではある。
(それでも、流石に不用心だとは思いますが……
 不用心といえば、目の前の母親もそうである。もし、オデットが死に物狂いで飛びかかって母親を人質にして、脱出を試みたら――といったことは考えなかったのだろうか。
「あんたらのことは、気の毒だとは思うけれどね。それでも、危ない目に遭いたくないのなら、大人しくしておいた方が賢いってもんだよ」
「は、はい」
「あんたたち、貴族の姫様って話だったけど、どっちがそうなんだい」
 ぶっきらぼうに問いかけられ、ゲルダとオデットはしばらく顔を見合わせる。
「そういえば、先生がそっちの娘を外に出していたっけ。じゃあ、あんたがお姫様かい」
 勝手に一人で納得して、母親はオデットをじろじろと見やった。
 姫君というには随分と粗末な格好をしていると思っているのは、目を見ればわかったが、オデットは沈黙を選んでおいた。母親は、それを肯定と受け取ったようだ。
「ま、姫様だかなんだか知らないけれど、これ以上のものは出せないからね。食べ終わったなら、器は入口のあたりに寄せておきな」
 てきぱきとそれだけを言うと、彼女は扉を閉めて上階へと戻っていってしまった。
 オデットたちは薄味のスープと冷たくなったパンを腹に収めると、言われるがままに皿を入口のあたりに寄せて、静かな時間を過ごしていた。深夜に連れ出されたせいで瞼は少し重くなっており、お腹が満ちたことにより程よく訪れた眠気に身を任せ、午睡をする余裕があったほどだ。
 そんな穏やかな時間を過ごしていたからこそ、オデットはその変化に気づくのに少し遅れてしまった。
……竜の声?」
 何やら体の奥を揺さぶるような音が、まずオデットの頭を覚醒させた。何があったのかと頭をもたげる。
「今の声は――
「お母さんの……ううん、エレオノーラの声だよ」
……ゲルダ?」
 お母さんの声と語るゲルダの口調に、オデットは違和感を覚えた。
 母を無邪気に慕っていた少女は、母親の声と分かる竜の咆哮を聞いたのに、なぜこんなにも落ち着いているのか。それは母を慕う娘というよりもむしろ、随分と懐かしい友人に再会したかのような郷愁にも似た顔に見えた。
「ゲルダのお母さんが、近くにいるのですか」
「うん。気配はここに来たときから、近くにあったから」
「そうだったのですか?! だったら、会いに行かなくてもいいんですか」
「うーん。もしそばに行ったら、私の中の『私』が共鳴して、今の私がいなくなっちゃうかもしれないってヒューイが言っていたから」
「いなくなる……? ゲルダ、それはどういうことですか」
 何やら不穏な単語が飛び出して、オデットは目を丸くする。
 思わずゲルダに縋るように手を伸ばしたが、それと同時に今度は建物が揺れるのではと思うほどの激しい咆哮がオデットの鼓膜を揺さぶった。
……っ! 頭が割れそうです……
 オデットの知らないことではあるが、二度目の咆哮に最も距離として近くにいたのはオデットだった。それもそのはず、彼女たちが閉じ込められている倉庫の裏手に広がる山林に竜は着地したからだ。
「エレオノーラ、やっぱり怒っているのかな……
「ゲルダのお母さんは、怒っているのですか?」
「うん。怒っているし……他の気持ちもきっと混ざっている。これは、あまり良くない気持ちだと思う」
 話している間にも、オデットの耳は何やら不穏な声を聞き取っていた。
 具体的な内容はわからない。それでも、まるで誰かを怒鳴っているかのようなとーんであり、歓声というにはあまりに暴力的な気配を纏って轟いている。
 不穏な声は、遠くなったり近くなったりを繰り返している。微かに耳に飛び込む金属がぶつかる音は、剣戟だろうか。けれども、どうして剣戟などが聞こえるのか。
 竜は煽るように咆哮をあげ続けている。異端者を鼓舞し、集落にやってきた何者かを怯えさせ、それでいて奮起させるかのように。
「一体何が起きて……
 このまま倉庫に隠れて、囚われの身のままでいていいのか。立ち上がって、様子を見にいくべきではないのか。
 微かに聞こえる荒々しい声に、心が反射的に萎縮しかける。
 倉庫に留まって、嵐が通り過ぎるのを待つかのように、何もかもが自分の横を通り過ぎていくのを待っていたかった。だが、そんなことをしても何の解決にもならないことも、オデットには分かっていた。
「そ、外に……出てみますか」
 ゲルダに尋ねたのは、彼女からなんらかの反応が欲しかったからだ。
 肯定でも否定でもいい。むしろ、否定の方が良かったかもしれない。そうすれば、少なくとも、オデットはこの場に居続ける理由を得られるのだから。
 だが、ゲルダは首を縦に振った。
「オデットが行くなら、私は行くよ。この中だと、ノエがもし来ていたのだとしても、分からないもの」
「でも、お母さんのところに行ったらゲルダは……居なくなってしまうって」
 先ほどの不穏な発言を思い出し、オデットは躊躇をわざと口に乗せる。
 先だっての発言が無かったとしても、ゲルダが母親の元に帰るという話は、初めて会った時から話題になっていたことだ。母親の来訪は望ましいことのはずなのに、オデットはゲルダと別れることを嫌がる自分を既に強く自覚していた。
「そうなるかもしれないし、そうならないかもしれない。でも、確かなことは一つだけわかるよ」
 ゲルダは、オデットの手をぎゅっと握りしめる。
 こんな時であっても相変わらず氷のように冷たい手をした少女は、目を細めて、安心させるような笑みを浮かべていた。
「私がオデットのこと、大好きだってこと。それだけは、何があっても変わらないから」
 冷たくとも確かに届いた温もりを、オデットもぎゅっと握り返す。
「はい。……わたしもです、ゲルダ」
 自分を勇気づけるためのお守りのように、言葉を音として、オデットは外に繋がる扉を強く押した。