ぷの
2025-04-16 20:51:21
5567文字
Public レイチュリ🍰
 

レイチュリワンウィーク - 幸せのかたち・さよならから始まる

姉の最期の言葉を聞く🦚の話。
※結婚しています。
※人の死に関わるシーンがあります。

 レイシオが彼と出会ったのは、患者と医師としてだった。末期の石紋症を患っている彼に、担当医はレイシオが開発した治療法を試みたが、すでに手遅れだった。どうにかならないかと相談されて、レイシオは彼のもとに赴いた。その担当医は、かつて石紋症の治療法を確立するために尽力してくれた、いわば戦友のような人だったからだ。
 結局、患者の命の刻限を変えることはできなかった。がっかりされるだろうと思ったが、彼は仕方ないとさっぱりした顔で受け入れた。それから、病のことなどそっちのけでレイシオを引き留めて、一方的に話し始めた。大学を中退してから四十年、星の海を飛び回る戦場カメラマンであったこと。あちこちの紛争地帯の医療現場でたびたびレイシオの名前を聞いたこと。死ぬ前に一目会えて嬉しいと。
 レイシオは余命幾ばくもない彼に懇願されて、その星に滞在した三日間、毎日見舞いに行った。彼は仕事で撮った膨大な記録を家族に持ってこさせ、次から次へとレイシオに披露した。カンパニーがしつこく寄越せと言うからオンラインストレージには置けず、いくつもの記憶媒体に分散して倉庫で保管しているのだとぼやいた。
「ほら、これが君が救った人々の顔だ。感謝の気持ちを受け取ってくれ」
 安堵、喜び、神に祈って涙する姿。写真ではわからないが、いくつかの動画では、感謝の言葉とセットでレイシオの名が呼ばれていた。
「この子らはな、せっかく病気が治りかけていたというのに、まもなく病院が空爆にあってみんな死んでしまったんだ」
 数々の虚しい結末を含め、彼は取材した一人一人のことをよく覚えていた。
 そんな中、三日目に見かけた一つの動画がレイシオの気にかかった。動画だが、サムネイルは真っ暗。再生してみると、ガサゴソと衣擦れの音がした。ポケットの中に忍ばせた機器で撮影したものらしい。
「隠し撮りだ。検閲がとても厳しかったから、探知機をすり抜けられないかとダメ元で持っていった手作りの機械で撮ったものでね。ノイズが入ってしまって聞き取りにくい」
「女性の声ですね」
「ああ。まだ十代の女の子だった。とても綺麗な子で、特に強い目に惹かれた。だが、出会ったときにはもう生きているのが不思議な状態で、過酷な死に様だったよ。だというのに、弟に宛てた彼女の最期の言葉はとても穏やかだったんだ。危ない橋を渡るとわかっていたが、手を尽くしてデータを持ち出した。できたら、この録音を彼女の家族に届けたかった。もろともあの星で死んでしまったのだろうが」
「これはどちらで?」
「ツガンニヤ-Ⅳだよ。『第二次カティカ・エヴィキン絶滅事件』でのことだ。名前くらいは聞いたことがあるだろう。あの地の真実は今も公にされていない。私のジャーナリスト生命をかけて公表しようとしても、飯粒より簡単に握り潰されただろう。どうにかならないかと考え続けたが、まだこの録音は私の手元にある。私の命では間に合わなかった」
 レイシオは息を飲んだ。まさか、そんな偶然があるわけがない。だが、否定する材料も足りない。
……もう一度、頭から再生しても?」
「話していて聞こえなかったね。どうぞ」
 ノイズの向こうに、か細い少女の声が聞こえる。呼吸は浅く乱れていて、滑舌も悪い。途切れ途切れに一族を案じ、弟について話した。あの子はきっと生きている、神様が守ってくださると。
『さようなら、■■■■■■』
 苦しくて呻いたともとれる同じ母音を並べた音は、レイシオの耳には正しく人の名前として聞き取れた。その名を知っていたからだ。
 続く言葉も、その後のひゅっと喉を通った最期の一呼吸までも聞き取れた。今まで人が死ぬところなど嫌になるほど立ち会ってきたというのに、この命が消えた一瞬はかつてないほどレイシオを打ちのめした。
「もしかして、彼女の弟に心当たりがあるのかな」
 ある。レイシオの態度から、それはありありと伝わっただろう。けれど、彼は静かにレイシオの答えを待っていた。このメッセージを伝えるも伝えないも任せると無言で委ねられた。レイシオがないと答えれば、彼はこれを自分の命と一緒に葬るだろう。
 レイシオは答えられなかった。姉の最期を知りたいか、知りたくないか。心に浮かぶパートナーの顔に何度も問いかけたが、彼は困ったように笑うだけで返事をくれなかった。当たり前だ、心の中の彼はレイシオの想像の域を出ないのだから。
「結論が出せないなら、持っていてほしい。君は今、彼女と同じ顔をしている。最期の言葉を口にするか束の間迷ったあの子と」
……はい」
「ありがとう、背負わせてすまないね。これで最後の気がかりがなくなった」
 彼は肩の荷が下りたと穏やかに笑った。
 その数日後、彼の容態が急変して息を引き取ったと担当医から連絡が来た。レイシオは葬儀には行かず、お悔やみの気持ちを送った。後日遺族から届いた礼状で、遺品となったデータは全てカンパニーが買い取ったと伝えられた。生前の彼は再三の引き渡し要求を頑なに拒み続けたが、遺言には全部売れと書かれていたそうだ。遺族を煩わせたくなかったのだろう。
 レイシオが受け取ったデータはギリギリでカンパニーの手をすり抜け、握り潰されずに済んだ。姉からのメッセージが弟に届く一番確かなルートに可能性を残して。
 アベンチュリンの神が寄越す幸運は、墓に手向けられた花のようだ。美しく優しく見えるが、そもそも悲しい前提がなければ存在しない。祝福のふりをして、人の不幸の上に咲く。
 レイシオは、小さなメモリーチップを端末から取り出した。指先で摘まめるたった数グラムのそれは、まるで重金属でできているかのような存在感で気を滅入らせる。今、潰して割ってしまうこともできる。そうすれば中のデータは永遠に失われる。何度めかの思いにとらわれて、結局実行には移さなかった。
 このデータをレイシオの手に落としたかの地母神は知っている。レイシオが思惑通りに動くことを。実に忌々しい。アベンチュリンと知り合ってからずっと、そう思い続けて変わらない。


 アベンチュリンは、しばらく前の出張の後からレイシオが沈んでいるのに気づいていた。気づかれないわけがない。結婚して同じ家に住み、時には仕事でも同行する密度の濃い間柄だ。四六時中共にいて相手の顔色も読めないなら、一緒に生きる意味がない。
「そろそろ話してくれないかな?」
 気が進まないならいいよ。レイシオに甘いアベンチュリンは、そう付け加えるのも忘れない。彼はレイシオを信じると決めている。話の内容を知りたいというより、話すことでレイシオの気持ちを軽くしたいと思って尋ねたのだ。誠実であるなら嘘も隠し事も許される。だからこそ、なおさらレイシオは迷った。
 肉親の死の瞬間を封じたタイムカプセルは確実にアベンチュリンを傷つけるだろう。死者・行方不明者数と被害者名簿で知る事実とは衝撃が違う。そうまでして、いまさら知ってなんになる。彼を今以上に「なすべきこと」に駆り立てたくはない。
 だが、今際の家族の言葉を他人が勝手に握り潰していいはずがない。保存されたメッセージが渡せる形で手元にあるのだから、聞くも聞かないも本人が決めるべきことだ。
 本音を言えば、レイシオは届けたい。彼女の最期の一言を聞いてほしい。そんな自分の身勝手を、建前で正当化していないと言いきれない。
 答えは出ている。ただ覚悟ができないだけ。これで巡狩の行人とは呆れる。自分のことなら迷いはしないというのに。
「コーヒーを淹れる時間をくれ。それから、話を聞いてほしい」
「うん」
 並んでキッチンに立ち、とっておきの豆を選んで挽き、丁寧にお湯を落とす。アベンチュリンは挽きたての粉の香りをかぐのが好きだ。「本当にいい香りだよね」といつも同じ感想だが、顔を近づけて香りを吸い込む姿も、リラックスした笑顔も、柔らかい声音も、何度繰り返しても愛おしい。お気に入りの香りが少しでも彼の心を慰めてくれることを、心から祈らずにはいられない。
 リビングに戻って、アベンチュリンをソファの真ん中に座らせ、周りをレイシオとお菓子たちで固めた。三匹は珍しいレイシオの緊張を感じ取ってか、説明もなしに抱き上げてアベンチュリンの横に連れてきても、不満そうな顔すらしなかった。
「万全だね」
「もっと尽くせる手があるなら尽くしたいところだが、結局のところ何をしても足りないだろう」
 不思議そうに首を傾げるアベンチュリンに、メモリーチップを差し込んだ端末とイヤホンを渡した。真っ暗なサムネイルのファイルを呼び出して準備は終わりだ。
 再生の前に、階段をゆっくりと一段一段上るように、この動画を入手するに至った経緯を話した。
「姉さんの……
 レイシオが入手経路と内容からそう判断しただけで、勘違いや人違いの可能性もなくはない。フェイクかどうかの検証もしていない。アベンチュリンなら、彼女の声を聞けば真偽がすぐにわかるだろう。聴覚の記憶は一番忘れやすいというが、消えてなくなるわけではない。脳の奥深くにしまわれているだけだ。
「一人で聞きたいなら、離れていよう。創造物たちを連れて外出してくる。後日がいいなら、そうしよう。僕が悩んでいたせいで渡すのが遅くなって」
 続けて出るはずだった謝罪の言葉は、アベンチュリンの人差し指に止められた。
「君があんなに落ち込んでるから、絶対僕に関することだと思ってた。君が何を恐れてるか、わかってる。大丈夫、安心して、レイシオ」
 アベンチュリンはレイシオを抱きしめた。慰められるべきは彼であってレイシオではない。そんな思いごと小さな体で包み込んで、優しくレイシオの背中を撫でさする。
「女神は僕が受け取り拒否できないように君をメッセンジャーに選んで、ちょうどよく効くと踏んで今を選んだ。クソだな。でも正しい」
「この子らの前で汚い言葉を使うな」
「ははっ、ゴメンゴメン、聞かなかったことにして」
「ぼくたち」
「ときどき」
「きこえないことばがあるの」
 三匹はぽよんと揺れて、甘いお菓子の香りでアベンチュリンの失態を揉み消した。
「今聞くよ。また辛い思いをさせちゃうけど、一緒に聞いて。それから、僕は泣く。絶対泣く。君の前で素直に泣けるんだ、褒めてくれるよね?」
「ああ」
 レイシオはアベンチュリンを抱きしめ返して、離した。お揃いの指輪が光る左手を預けられて、やわく握る。傾いた体はレイシオの腕に寄りかかった。
 アベンチュリンは再生ボタンを押して、音量を上げた。スピーカーからノイズ混じりの音が流れ出す。
 最初の一声が聞こえたとき、アベンチュリンはびくりと体を震わせた。音にならない吐息が漏れる。アベンチュリンの目は真っ暗な画面を見つめ、障害物を隔ててそこにいる肉親の姿を透かし見ようとしているようだった。
『さようなら、カカワーシャ。……お誕生日おめでとう。愛してる』
 アベンチュリンは俯いて、うん、と微かな返事をした。繋いだ手の上に熱い滴がぽたぽたと落ちてきた。
 彼女は神に祝福された子に一族の復讐を託して逃がしたが、本心はそれだけではなかった。束の間迷った末、最期に弟に宛てて明かした、ただひとつの想い。染みついた信仰は剥がれ落ち、残ったのは純粋な弟への愛情だった。
 アベンチュリンはかつて、自嘲気味に言ったことがある。「僕は一族にとって神様からのいただきものだから、本当の意味で家族じゃなかったのかもしれない」と。家族からの愛情に猜疑が差し込むほどに女神の手が絡みついて、彼らの目を塞いでいたのだ。そんな悲しいことがあるか。疑う方も、疑われる方も、等しく辛く、虚しい。
 しかし、その猜疑は濯がれた。
 レイシオは濡れた手を強く握り、ときおり鼻を鳴らして泣き続けるアベンチュリンの頭に頬を寄せた。創造物たちが反対側からぎゅうぎゅうと体を押し付けて、アベンチュリンの重みと合わさってレイシオに乗る。
 やがて肩口から、くつくつと笑う声が聞こえてきた。
「重いよ、君たち」
 涙声ながら、その声色は閉じたり沈んだりしていなかった。タイムカプセルは、感情の大波を起こすことなく彼の中に収められた。大丈夫だと言っていた通りに。
 さきほど汚い言葉で罵られていたが、女神が見計らったタイミングは悪くなかったのだろう。今のアベンチュリンは、姉の言葉をほんの少しも疑ったり曲解したりしない。今だから、愛情をまっすぐ受け取る用意ができていた。信仰とは全く関わりのないレイシオや創造物たちの愛情を受けて、自分のありのままの値うちを認められるようになったから。
「もう少しこうしてて」
「甘えるのが上手だ、百点をやろう」
「久しぶりに聞いたよ、それ」
 アベンチュリンは右手で涙を拭い、寄り添うお菓子たちに手を伸ばして順番に撫でた。ますますのし掛かる力が強くなって、挟まれたアベンチュリンはレイシオの膝の上に崩れ落ちそうだ。
「僕の幸せは重たくて、簡単に投げだせる軽い命じゃ支えられないなあ」
 レイシオは安堵して、緊張が解けていくのを感じた。
 安い銅貨の値段で茶化し、何度もベットして軽んじられてきた命は、何年もかけてようやく一人前の形になった。
 大丈夫、安心して。そう言った彼を信じる。今なら信じられると、やっとレイシオは思えた。
「大丈夫だ、安心しろ、僕が君を支えている」
 人の形をしたレイシオの幸せは、重ければ重いほどいい。これからも際限なく、たくさんの幸せを抱えこめ。
 そして、天から与えられた死が二人を分かつまで、どうかこの腕の中にあれ。