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ゆうな
2025-04-19 12:00:00
15483文字
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【THE BKTD HOTEL 2】トワイライト・クライシス【展示作品】
気持ちを探り合っている最中のふたりがラブホに行って急接近してしまう話。
爆豪くんが轟くんのことをめちゃくちゃ好きです。
全年齢ですが一緒にお風呂に入ったりベッドでちゅーしたりそういう雰囲気になります。
◆Pixivに格納済み
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=25948410
「すみません、大人二人」
無駄にツラの良い男が受付カウンターに身を乗り出し、長い指をピースして見せる。
薄暗いパーテーションの向こう。従業員の姿は影すら見えないが困惑の表情を浮かべているに違いない。この男がここの仕組みをまるで理解していないことは、誰の目にも明らかだった。
「銭湯じゃねンだぞ、やめとけ」
ぐしょぐしょに湿ったシャツの襟を引っ掴んで重たい体を引き寄せる。「お」と小さく声を漏らすのを無視し、タッチパネルに視線を落とした。部屋タイプ、内装写真、料金。画面にはずらりと選択肢が並んでいるが、どれも灰色に沈み、空いているのは一部屋だけ。そういや今日は金曜だったか。
強制的に決定した部屋はこのホテルの中では真ん中くらいのランクに位置しているらしい。どうにか一夜をしのげる場所を確保できた安堵とこの状況への緊張を携えながら、俺は液晶画面に指を滑らせた。
表示された部屋番号を確認しエレベーターへ。背後で轟の靴が水気を帯びた音を立てる。四階を目指して上昇する狭い箱の中で、一体どうしてこんなことになったのかとほんの数時間前まで記憶を遡った。
山奥での遠征、最終日。まだ肌寒い春の風が桜の花びらをそっと地面に落とす。今日だけは轟も参加するのだと事前に知らされてはいたが、結局顔を合わせたのは任務が全て終わった日没の時間だった。
リーダーであるプロヒーローが現地解散を告げると、仲間たちは疲弊した足取りでバラバラに散っていく。
その群れの、一番端に男は居た。
何週間か見ないうちに多少髪が伸びたように思う。また美容院サボってんな、と跳ねる毛先を追っていると、轟とぱちり目が合った。周囲に軽く挨拶をしながら、主人を見つけた大型犬のように駆け寄って来る。「お疲れ」と手を上げているが、本人の方がよっぽどお疲れの顔をしていた。もしかしたら連勤日数は俺より多いかもしれないと、前の休みがいつだったかさえ思い出せない脳内で小さく同情をする。
「なぁ。ここをちょっと下ると小さな町があるんだ。そこで飯でも食ってから帰らねえか」
「てめェのその元気はどっから湧いてくんだよ」
轟がはは、と屈託なく笑う。呆れて肩をすくめるが、確かに腹は減っている。このまま数時間かけて帰っても冷蔵庫は空っぽだし、材料を買って料理する気力など今の俺には残っちゃいない。
それに、この男は食べることが好きだ。そして俺は、轟のことが好きだ。だから、まあ、断る理由も無いだろう。複数人で食事に行くことはままあるが、二人きりは久々だった。
遠征任務を無事終えた安堵感も後押しし、俺は軽い気持ちでその誘いに乗った。
それが、全ての元凶だった。
町へ向かい、家族経営しているという小さな飲み屋で腹を満たす。だいぶ元気が出てきたので少し遠いが駅まで歩こうと決めたものの、数百メートル進んだところで突然の土砂降り。視界を覆う雨粒に、じゃあタクシーでも呼ぼうと番号を呼び出すも、そもそも台数が少ないのか全て出払っているようで電話にすら出ない。駅まで走ることも考えたが、この濡れた体で乗り込み長時間揺られるのは得策ではない。まさか電車の中で火を出して乾かすわけにはいかないだろう。どこか宿を取ろうにも、観光地でもなんでもない田舎には民宿すらも存在しないらしい。昨日まで泊まっていたシティホテルは満室で、クタクタであろう他のプロヒーローを頼るのも気が引ける。
そんな絶望的な状況の中、偶然視界に飛び込んできたピンク色のネオン看板。
濡れそぼった想い人を横目に、きっともう、ヤケクソだった。
四〇二号室。点滅する番号を今一度確認して扉を開ける。水浸しの靴を脱ぎ捨て足を踏み入れると、テーブルやテレビが並ぶ平凡な空間が広がっていた。しかしそれらを一瞬で霞ませるのは中央に鎮座する巨大なベッド。その異様な存在感が視界を圧迫し、俺は無意識に息を呑んだ。
ラブホテル。
何百、何千もの男女が密やかなまぐわいを重ねてきたこの場所。一般人ならばともかく、俺たちのようなプロヒーローがこんな状況で訪れるなど一体誰が想像するだろう。
来てしまった。もう引き返せない。どんな言い訳を並べても、俺と轟が二人きりでラブホテルにいるという事実は変わらない。
背筋を這う冷たい感覚。それが濡れた服のせいなのか、この異常な状況への緊張なのかわからなかった。
クソダセェからとりあえず落ち着け、と自分に言い聞かせ、荷物を置いて重たくなった上着を脱ぐ。ふるふると頭を振って滴る水を適当に飛ばした。
「あー、轟、先に風呂入れ
…………
って、なに食っとんだ!」
振り向くと、歪に巻かれた、いや巻かれてすらいないソフトクリームを舐める轟がきょとんとした顔で突っ立っていた。室内を珍しそうに見渡す目がどこか子どものようだ。
「入り口の近くに、ご自由にお取りくださいって飲み物とかケーキとかが並んでたろ? その中にソフトクリームを作れる機械があったからやってみたんだ。なかなか上手く出来たと思う」
「てめェはソフトクリームの形も知らねぇのか」
自慢げにサムズアップをしてくる姿に肩の力が抜ける。今更コイツと居て少しでも緊張感を持った俺が馬鹿だったか。
冷ややかな視線に何を思ったか「それに」と続けた轟が「楽しかった」と頬を揺らす。ぐっと言葉を飲み込む。俺が作った料理を旨い旨いと平らげる時と同じ表情。ナチュラルにやってのけるのだからタチが悪い。これを見せられてしまうと俺は何も言えなくなり、舌打ちで誤魔化すことしかできなくなるというのに。
「風呂、俺が先に入っていいのか?」
「おー」
「わかった。さっさと済ませるから」
「済ませんな、あったまってこい。湯船に浸かり殺せ」
うん、と眉を僅かに下げた轟が脱衣所の扉を閉める。その背を見送ってから、俺は濡れた上着をハンガーに掛けた。
好きな奴とラブホで一夜を共にする。
そんな夢にまで見たような展開に、頭の片隅で相当浮かれている自分がいる。そして、その裏の欲求を否定するつもりもない。
轟と付き合ってどうこうなりたいわけでもないしまあ今はこのままで、なんて考えていた飲み屋での自分をぶん殴りたい。何年片想いを続けてきたと思っている。こんなところに足を踏み入れておきながら「このままで」なんていい子ちゃんでいられるか。正直、この状況をチャンスとさえ思ってしまっている。
共に飯を食おうが酒を煽ろうが家を行き来しようが、轟との関係が進展することは無かった。平行線のままだった。だというのに、今更一歩進んだ関係を手に入れたいと思ってしまった。あのネオンを見つけてしまった瞬間から、少しでも轟との距離を縮めたくて仕方がない。このレールをいつか交わる何かに変えたいと望んでしまったのだ。
ようやく踏み出す決心がつき、今夜同衾するベッドへと乗り上げる。男同士でするラブホ話なんてのは大抵、どんなセックスをしたかだとか、酒のつまみになるようなくだらねェ失敗談で盛り上がるだけだ。多分。ベッドの広さや寝心地についての感想なんて誰も求めちゃいないし話題にすら上がらない
……
多分。だから、少し乗っただけで飛び跳ねてしまいそうなスプリングの反発力に俺がほんの少し驚いてしまったのも、仕方のないことだ。
そんで、想像以上にこのベッドはデカかった。これは俺がソファで寝るから、なんて言っても轟はとても聞かない大きさだろう。「なんで」「こんなに広いのに」「そんなところで寝るなって言うのは爆豪だろ」「おまえも一緒に寝よう」そう言ってあの無垢な瞳と馬鹿力でベッドに引っ張り上げようとする姿が簡単に目に浮かぶ。
当たり前だが、ここは公安に用意されるビジネスホテルとはまるで違う。
視界の端にある冷蔵庫みたいな箱の中にいやらしい玩具が売られていることも、テレビをつければアダルトなビデオが見放題であることも知識としては頭に入っている。知らずに開けたりつけたりして気まずい雰囲気になるみたいな、そんな初歩的なミスは俺は犯さない。
何かやらかして轟の目の前にえっろい玩具でも出してみろ、その時の初な反応(妄想だ)を見たいか見たくないかで言えば断然見たいが、わざと連れ込んだのか、とか、俺はおまえとそういうことがしたい訳じゃない、などとあのアイスブルーの冷えた瞳で言われたら、俺はその後の気まずさに耐えられる気がしない。だから今こうやって周囲をくまなく調べ上げているというわけだ。
ベッドヘッドに目をやると時計や空調、光量調整のスイッチが並び、横には電話とティッシュケースが置かれている。
その上に、小さなパウチがひとつ。男なら誰もが一度は財布に入れかけるあの薄い包み。少なくとも、俺はこれを装着してどこかに突っ込んだことは無い。轟の性事情は知らないが、アイツも経験は無いだろうと勝手に決めつけている。し、申し訳ないがそうであってほしいと願っている。あの轟が誰かを抱いている姿を想像しようとすると、勘弁してくれとでも言うように脳内でノイズが走るのだ。
そして引き出しを開けると、中にはAVなんかでよく見るマッサージ機が収まっていた。その堂々たる存在感に一瞬たじろぐ。本来の用途で使われることはそう無いのだろうなと冷静に考える一方で、興味が湧いてしまうのも事実だった。轟がこれに乱れる姿を想像する。あのポヤ男が女を抱く姿はイメージさせてやれないというのに、自分に抱かれる姿だけは秒で脳内再生出来てしまって、そんな身勝手な脳みそが不憫で仕方なくなった。
「爆豪!! 来てくれ!」
「アァ!?」
突然、風呂場から轟の焦った声が聞こえてつい食い気味で返事をする。慌てて玩具と妄想を消し去ってベッドから飛び降りた。
あの男が大声を出すなどただ事ではない。まさか怪我か? 一通りの救急道具は鞄に入っているがそれで事足りるだろうか。俺はここに救急車なんて絶対に呼びたくない。
考えうる限りの起こりそうな事故を思い浮かべながら、勢いよく浴室の扉を開けた。
「どうした!」
「お、爆豪! すげえぞ! 泡風呂になった!」
湯船には白い泡が雲のように浮かび、轟は目を輝かせてそれを見つめていた。まるで初めて触れた雪に興奮する子どものような眼差しに、俺の邪な気持ちがぎゅうっと押し潰される。
そうだ、コイツはこういう奴だった。
「
……
ッてめェ
……
何かと思っただろがァ!」
「おまえも入れよ、ふわっふわだぞ」
「なんで大の男が仲良しこよし一緒に入んなきゃなんねェんだよ」
「泡風呂専用の入浴剤っていうのが一回分しかねえんだ。どうせ今夜は泊まりだろ? それなら遊んでいかねえか?」
「
……
ハァ?」
「おまえの体もこれ以上冷やしてほしくないしな」
出会った頃の氷のような目付きからは想像もできない、頬を撫でる春風みたいな笑顔にやっぱり俺は弱かった。
コイツは遠慮という言葉を知らないのだ。
きっと、俺に対してだけ。
はあ、と深く溜息を吐く。ここで断ってもこの男は無理矢理俺を風呂に引きずりこむだろう。ぐるぐるとそりゃあ色んな考えが巡ったが、結局やましい心が上っ面を蹴飛ばした。ここに来た時点でもう頭のネジは緩んでいるのだ。もうどうにでもなっちまえ。
こくりと頷き、張り付いたシャツを脱いで轟の待つ湯気の中に足を踏み入れた。
ビジネスホテルよりかは僅かに広い程度のバスタブに体を沈める。背中合わせは意識しすぎでキメェし、足を折り曲げて横並びなんてもっと意味不明だ。ということで、先に居座る男に倣って向かい合う形に座る。
まあ、思ったより悪くない。
髪を掻き上げた轟の丸い額を真正面から眺めるのもまた一興だ。俺の心にチラつく不純な想いなど知る由もない男は、無邪気に泡と戯れている。しばらく話を続けると、やはり互いに連勤続きでようやく明日が休みであることを知る。ふーん、と思いながら、雑談の合間になんとなく触れた足先を踏んだり爪先をゆるく撫でたりしてみた。
轟は、何も言わなかった。
「泡少なくなってきたな。ジェットバスで復活するらしいけどどこでやるんだろ」
「後ろのそれじゃねえの」
「お」
顎で指し示すと轟がこれか、と直ぐ後ろの機械に手を伸ばす。
身を乗り出した背中や腰から泡がとろとろと流れ落ち、濡れた素肌が徐々に露わになる。身体が隠れる泡風呂で助かったと思っていたところなのに、なんてこった。俺がそっち側に座れば良かった。
見られているわけでもないのに目を逸らすと、フッと照明が消え、浴槽内がオレンジ、赤、青、と色を変えて光り始める。
……
ラブホだ。
わざとらしいくらいにラブホテルの演出だ。
「やべえ、ボタンどれかわかんなくなっちまった」
ラブホをラブホらしくした犯人が適当にボタンを押しまくる。オーロラのような光が二人の身体をチカチカとランダムに照らした。
好きな奴と狭い浴槽に入っている時点で確実に頭はのぼせているというのに、轟の身体に浮かび上がる綺麗な影がより色濃く見えてしまいたまらず眉間を押さえた。
美しく流れる筋肉の凹凸。そこまで鍛えているという話は聞かないのに整った体型は、やはり骨格から違うのだろう。腹が立つくらい良い身体をしている。濡れた肌に纏う泡が色気を助長し、滑らかな腰のラインにまるで引き寄せられるみたいに目を奪われる。寮生活で毎日見ていた未成熟な身体の少年はもうここには居ないのだ。
俺が眉間に皺を寄せている間も、轟はボタンを弄り回している。
馬鹿野郎、なんかいやらしい紫色で止めるな。せめて自動で次々と色が変化して聴いたこともない洋楽が流れるみたいな、笑えるくらいアホらしい演出にしてくれ。ここが遊園地かと錯覚するくらいの。そうすればこの気持ちも萎えるというのに。今はもう全部が目に毒だ。目の前で揺れる轟の尻を見ているだけで舌打ちが出そうになる。
ああクソ、と、カラフルな水中から身体を上げ、轟の横にずいと寄った。
「はよ止めろ」
手間取る轟の背後から腕を伸ばしパネルを操作する。ここにあんじゃねえか。停止ボタンを押すとバスタブのテンションがすうっと落ち着き、暗闇が浴室を覆い尽くした。
ようやく収まってくれた。安堵の息を吐いた直後。は、と気付いた時にはもう遅い。すぐ横には轟の顔面。心臓が跳ね上がった。これは、マズい。いやもう心情的にはずっとマズいのだが、まるで後ろから轟を閉じ込めているような、壁際に追い詰めているような体勢、それに加えてこの暗さは非常に良くない気がする。
離れようと腰を引こうとしたその時。
「爆豪」
低く呼ばれ、視線が重なる。ガラス細工みたいな瞳を覆う水分がいつもより多い気がして、胸がきゅっと震えた。この環境下のせいだとわかっていても、揺らめくオッドアイから目を逸らせなかった。
「こういうとこ、来たことあるのか?」
とても小さな声であったのに、浴室内ではとてもよく響く。まるで二人の間の空気を圧迫するみたいに訊かれて、一瞬、反応が遅れた。
それ今訊くことなのかとか、とりあえず距離を取らせろとか、いくつもの感情が交錯して結局「なんで」とだけ返した。
「ここに入る時とか、今も、こういうボタンとか、なんか
……
慣れてそうだったから」
密度の高い睫毛が目の前でばさばさと揺れる。乗っかっていたしずくがちゃぽん、と湯船に落ちる音がやけに大きくて、このうるさい鼓動も掻き消してくれればいいのにと思った。
「いや、初めてだけど」
「にしては慣れてるな」
「
……
知識だけな」
「予定が、あるのか」
「ねーよ」
「
……
本当に初めてなんだな」
なぜこんなにしつこく訊いてくるのか。いつものように言い返してこの場を去ってしまえば終わる話だったのに、轟の問いかけが妙に真剣で、動くことさえできなかった。
俺に経験があろうが無かろうがおまえには関係無いだろう。そんな風に、そんな顔で言われたら、俺はおまえ好きなのだから、勝手に都合の良い解釈をしてしまうというのに。
「だから、そう言ってんだろ」
「そうか
……
いや、さすがにちょっと緊張してたんだ。いつも通りでいねえとって。でも爆豪も同じなら、なんか安心した」
反響した低い声が無駄に広い風呂場で湯気と共に消えていく。
ハァ? この男が、緊張? じゃあ、なんだ、あのアイスやこの泡風呂は、それを隠すためのヴェールだったとでも言うのか。
すっかり緩んだ顔で「俺も初めてだから」なんて続けられて、何とも思わない男が居るわけねぇだろが。
ぶち撒けてやりたい気持ちを奥歯で噛み締め、唇を尖らせる。
「
……
その言い方、ヤメロ」
「なんでだ」
「なんでも」
じっと見つめてくる瞳から逃れるように丸い額を押した。泡の減った湯船に静かに戻る。泡風呂を復活させることは結局諦めたのか、それとも気にならなくなったのか。何にしても、二人ともあまりに自然に戻ったような気がして、でも今さらそんなことどうでも良くって。浴室にはただひっそりとした空気が流れていた。
「ばくごう」
照明の点灯ボタンを押しそびれた、と思い出した頃、独り言みたいに名前を呼ばれた。紅白の髪の生え際から視線を下ろす。俺もとっくに目が暗さに慣れ、轟が口を動かす様子まではっきりと見えた。
「ここ、泡ついてる」
轟が自分の頬を指差す。泡なんてこの風呂に入ってりゃ付くこともあるだろうに何を言っているのかと、自分の頬を拭おうとした。
「気付かなかったのか? なんか可愛いな、顔につけたままで」
「ア?」
しかしその言葉に動きが止まる。まさかこの男の口から「可愛い」などという単語を聞くことになるとは。しかもあろうことか対象はそこらの犬猫ではなく俺だ。
不器用に笑う轟は、話題を探すことに必死なのだろう。さっきみたく適当に仕事の雑談でも振っておけば良いものを、ここで選択を間違えたことにコイツは気付いていない。
当然だ、轟は俺が今、どんな気持ちでここに居るかなんて、知る筈も無いのだから。
「
……
じゃあおまえが取って」
「、え」
「轟」
柳眉がアーチを描き、視線が水面に落ちる。実際は数秒にも満たないであろうその仕草が、永遠の時間にも感じられた。落ちてくる赤い横髪を耳に掛ける。そんな、ほんの僅かな時間にすら耐え切れなかった。
「やなの」
急かすみたいにぽろりと出てしまった子どもみたいな口ぶりに、きっと轟よりも自分の方が驚いていた。踏み込んだくせに断られるのは怖いだなんて、なんて情けない男だろう。
でも、それを聞くや否やすぐに轟が「やじゃねえ」と首を横に振るから、マジか、と口に出そうになった。
嫌じゃねえんだ、と、思った。
浴槽の縁に肘を置いて待つと、轟が湯船からざぶんと体を引き上げる。胸、腹、と肌が視界を埋めていく。その身体に目立った傷は見えなかった。臍が見える高さまで湯を抜けると、膝立ちのままずいっと近寄ってきて水面が大きく揺れる。体の大きさに比例した一歩。太腿まで近づき、俺の両足を跨ぐ轟に、自然と膝を少し閉じてしまった。
ちょっとそれは近いだろ、と、きっと互いに思っていた。そんな距離じゃなくても、少し伸ばせばその長い腕は簡単にここまで届く。それなのに、轟は引こうとする素振りすら見せなかった。
とくとくと心音が速まる。濡れた左手が俺の頬にひたりと触れた。親指がすり、と肌をなぞって、泡を拭ったのだろう。すぐに取れたはずだ。それなのに、包み込む手のひらはぺたりと張り付いたまま動かない。どうしたのかと、喉仏ばかり見ていた目を上げて、息を呑んだ。
泡遊びをしていたあどけなさなんてすっかり消え去った男の顔がそこにはあった。小さな唇をきゅっと一文字に結んで、真っ直ぐに俺を見下ろしていた。
湯気の隙間から覗く翡翠と薄墨が、普段とは異なる色を滲ませる。降りてきた前髪から雫がぽちゃん、ぽちゃん、と落ちるたびにその色がじゅわりと濃くなって、思わず「な、に」と、動揺が声に出た。
このまま触れ合っていると、この鼓動が伝わってしまいそうだけれど、もうそれでも構わなかった。目を細め、押し付けるみたいに手のひらの方へ顔を傾ける。
すると頬に乗った指先が少し動いて、それから轟が「いや、」と口を開いた。
「とれた。先、でるな」
「
……
ん」
轟がゆっくりと手を引いて、湯船から抜けていく。コックを捻る音がすると、窓に打ちつける雨みたいに勢いよく出たシャワーが全てを流していった。
そうやって、指先を最後まで残さないでほしかった。名残惜しそうに離れていくその手を、うっかり掴んでしまいそうになるから。
シャワーの水音に紛れてこっそりと息を吐く。頬に残る体温よりも高い熱をこのまま閉じ込めておきたくて、俺は二の腕を枕にそのままゆっくりと目を閉じた。
俺が風呂から上がると、轟はあの大きなベッドの隅っこに転がっていた。人形みたいな顔をしてまぶたを閉じている。バスローブは着るというよりとりあえず引っ掛けただけみたいな状態で、その頼りない布の隙間からはほのかに上気した肩や足が見え隠れする。
熱った肌が薄暗い照明の下で動く姿に、いよいよ本当にコイツとここで夜を明かすのかと眩暈がしそうになった。
「おい、髪乾かせ」
濡れたままの紅白頭を軽くどつく。唸り声を上げながら薄目を開けたあと、二度寝でもするように再び目を閉じた。
無視か。
轟の腹のあたりに腰を下ろす。大袈裟なくらいスプリングが波を打ち、ぎ、と軋んだ音を立てる。二人分の重みを受け止めた証拠に、コイツはなんとも思っていないのだろうか。
俺と、おまえ、今、ベッドの上に二人で居んだぞ。
喉の奥で言葉がざらりと引っかかる。
「轟」
頬に掛かる赤髪をそっと掬う。濡れた絹糸の束が指に絡みつく。それを撫でつけ、耳に掛けてやる。
形の良い耳輪を指先でなぞると、轟が「なんだ?」と掠れた声を出した。その音には抗拒も不服も乗っていない。
薄々感じてはいたが、元々あってないような轟の警戒心だとかパーソナルスペースみたいなものが、ここにきてゼロ、もはやマイナスにまで振り切っているようだった。嫌だったらその強個性でいくらでも抵抗すれば良いし、それができない男ではない。なのに、轟は子猫が腹でも見せるようにただベッドに寝転んでいる。
風呂でのやりとりが、どこか境界を曖昧にしたのだと思う。
勝手に触っても嫌がる様子もない轟に、良いンか、と、思ってしまった。
ふにふにと耳朶を触れば、擽ったそうに肩を上げる。
こんなことまで許されてしまうのか、と。
初めて触れた轟の柔らかな耳の感触が指に残り、踏み込んではいけない場所に足をかけたような感覚が広がる。
一体、俺はどこまでこの男の領域に入り込めるのだろうか。
──どこまで。そう思った瞬間、触れていない方の指先まで炭酸が弾けるようにぴりぴりと痺れ始めた。
「
……
だから、風邪ひいたらここに来た意味ねえだろ」
「じゃあ、ばくごうがドライヤーしてくれ」
「甘ったれてんじゃねえよ」
耳の後ろ、首筋。滑らかな肌を降りていく指の下で、轟の体温を感じる。
俺は知っていた。ドライヤーなんて使わずとも髪を自分で乾かすことなど、この男にとっては造作もないことを。
俺がその事実を承知の上で何も突っ込まずにいることに、轟だって気付いている。絶対に気付いている。互いにわかっていながら、こんな風に猿芝居を見せ合っているのだ。なんて愚かで、滑稽な二人。そうやっていっそのこともう本当にどうしようもない馬鹿な奴らだと誰かに笑ってほしかった。
寝転んだままの轟が拗ねたように呟く。
「さっき、ばくごうだって俺に甘えただろ。泡取って、って」
「
……
は」
それを聞いた瞬間、カッと熱が頬を駆け上がり、顔が一気に火照った。風呂場でのワンシーンが脳裏に蘇る。あれを「甘えた」と言い切られたことに、喉の奥がぎゅっと締まるような羞恥が襲う。
確かに俺は轟に甘えた、のかもしれない。それはそうだったかもしれないけど。認めてやらなくもないけれど。でも、おまえは、俺のそれを受け入れたってことを自覚してんのか?
右頬はまだ轟の手のひらの熱さを覚えている。
あの時、俺の頼みを聞き入れ近づいてきたおまえは、一体何を考えていた? 湯船の中で見下ろしてきたあの眼差し。湯気の向こうで揺らめく二色の瞳は、まるで深海に潜む光のように妖しく輝き、欲望を湛えた色で俺を捉えていた。
今、眠たげにベッドに横たわる無防備な姿と、あの熱を孕んだ視線が、同じ男から生まれたものだなんてきっと誰も信じない。
無言を貫く俺に畳み掛けるように轟が続ける。
「おれは、甘えちゃだめなのか」
薄い首の皮の下で声が響く。徐々にスピードが上がる鼓動。這わせた指の腹で俺がそれを感じていることを、轟はわかっているのだろうか。
「なぁ、ばくごうにしてほしい」
大きな体に似合わぬ小さな声が俺の鼓膜を揺らして、ごきゅ、と喉が鳴る。
衝動に駆られ指を鎖骨まで滑らせると、轟の腕が俺の手首を取った。緩く握られ、薄く開いた瞳が繋がりを見つめる。微睡む男の睫毛が蝶の羽のようにゆったりと開いたり閉じたりを繰り返していた。
不味かったか、流石にやりすぎたのだろうか、なんて今さらだ。コイツが今まで無抵抗だったことがおかしかっただけなのに。
調子に、乗りすぎた。これ以上は踏み込めない。ここが、俺たちのラインだった。
そう思い手を引こうとすると、轟の指がわずかに俺の手首に沈む。拒否するように力を込めて、それなのにオッドアイは何でもないように変わらず宙を見つめていた。
……
いや、違った、これはきっと、きっともう少しだけ。
確信めいたものを感じ、轟の手を掴み返してするりと指先を絡めた。
爪先が轟の指の間に触れる瞬間、呼吸が一瞬止まる。微かな震えと共に肌が重なる。それを轟は押し返したりはしなかった。
俺は、手を取られた意味を早とちりしていたのかもしれない。あれは抵抗なんかじゃない。だって今通ってきた白い首筋は、徐々に紅が溶け込むみたいに染まり始めているのだ。
熟れた桃のような綺麗なグラデーションに、じわ、と触れている手が熱くなる。これは轟の個性のせいじゃないし、俺の個性のせいでもない。轟のずり上がった襟からは肩が覗き、すでに首と同じように色付いているのがすぐにわかった。ざあざあと流れる血潮の音が耳の奥で騒いで、騒いで、うるさくって仕方がない。
「俺に、何してほしいんだっけ」
喉から絞り出すようにして、轟に問う。
「髪、乾かしてくれって」
「そんだけで、いいんか」
自然と声が低くなり、熱っぽい指先をすりすりと撫でる。轟がそれを認めると、ふいにその手を自分の顔の方にぐっと引き寄せた。爪の表面が轟の唇にふに、と当たる。
「
……
ほかに、何してくれるの」
思わず動きが止まった。
なんだ、その言い方。
子どもが次のお菓子をねだるような、そんな純粋さが漂うのに、その裏には隠しきれていない挑発的な響きがあった。
声の端に滲む微かな誘い。頭の中がぐらりと傾く。
吐息が当たる爪を柔い唇に押し付けたまま、もう片方の手を轟の顔の横に叩きつけた。囲うように覆い被さるとベッドが軋み、整った顔に影が落ちる。なおも揺るがずに俺を横目で見上げてくる男に、堪えきれず舌を打った。
「おまえ、さぁ。俺のことどこまで許容するつもりだよ。このまま何されてもいいンか」
「先に、おれの質問にこたえろよ」
「てめェの回答次第だ」
んん、と俺の腕の間で轟がごろんと体の向きを変える。シーツが皺を作り、乱れた髪が赤から白へと変わる。でも、その毛先から覗く頸はまだ赤く染まったままだった。
「おれ、どこまでおまえのこと許してんだろうな」
「ハァ?」
「んー
……
おまえになら、何されても良いって思ってるのかもしんねえ」
「な、に言っとんだ」
飛び出しそうなくらい激しい俺の鼓動なんて知らん振りで、轟はそのまま押し黙ってしまった。
続きを促すように目元にかかる髪を避けると、出てきた瞳が細まり「だって」と続ける。轟は仰向けに転がり、口の端を少し吊り上げた。
「爆豪は俺の嫌がることはしねェだろ?」
思考の隙間から、何もかもを支配するような衝動が滑り込んできて、俺の中で音を立てて崩れ落ちていった。
轟が、さっき俺にしたみたいに、頬に手のひらをぺたりとくっつけてくる。その熱が、沸いた頭の芯を一気にぶち抜いた。
ふざけんな。
これが声に出ていたかはわからない。バスローブから覗く肩に顔を寄せる。スローモーションのように見開いていくまぶたを視界の端に入れながら、俺は思い切り歯を立てた。
「あ」
ビクッと身体を揺らして声を上げる轟。口を離すと肩まで朱に染まる身体。内側からぐつぐつとした何かが迫り上がってくる。
「ばく
……
ぅぁ、」
「なァ、もっかいだけ言う」
歯の跡が残った肌を舌でなぞり、顔を上げる。巨大な真っ白い画布を彩る紅白が花のように綺麗で、でも、俺はそれよりも、桜色に滲んだ目元にすっかり魅入られてしまっていた。
「このままてめェが寝こけて風邪でもひいたらここに来た意味がねえんだけど、」
轟の、晒された喉の影が上下に動く。
「来た理由、他に作るか」
今から、二人で。
匂いだけは一丁前のシャンプーがふわりと香る。部屋に漂うその甘さが、じっとりとした空気と混じって鼻腔を満たす。
オッドアイに映り込む自分がどんな顔をしているかなんて知りたくないのに、轟が自分を受け入れる瞬間の顔が見たくて、見たくて、瞬きすら忘れてしまう。
唇に吐息が当たるギリギリまで最終確認をするように見つめ合った。こんな俗世に全く似合わない澄んだ二色の瞳がだんだんと蕩けて、同じ欲に染まっていく様がどこか背徳的で、生々しくて、ゾクゾクした。
轟の薄い唇の表面を掠めてから、呼吸を奪う。ふやけた唇が重なった瞬間は、持て余した二人分の想いを分け合ったみたいだった。それでも収まることなく余計に熱さを増したそれは柔らかく、触れた瞬間から綿菓子のように溶けてしまう。
しばらくくっつけてから、ちゅ、と音を立てて顔を離す。湿った唇の内側が少し触れただけでバカみたいに興奮した。つるんとした轟の瞳が風呂場で見た時よりたっぷりと水分を含んでいて、その美しさに思わず紅白の頭を抱え込む。
額に張り付いた前髪を避けて撫でながら、もう一度顔を近付ける。今度は目を閉じて受け入れようとする轟の姿に、頭が沸いてしまいそうだった。
鼻先を触れ合わせ、唇を寄せる。下唇を軽く食むように挟み、角度を変えて何度も重ねる。ちゅ、ちゅ、と小鳥が啄むような小さな音が響くたびに少しずつ互いの体温が馴染んでいく。薄い皮を隔てただけの境界が曖昧になり、やがて熱が混ざり合う。口の端からこぼれる息さえ、全部俺のものにしたかった。
口づけを交わすたびにベッドに深く沈めて、捕えて、吐息にくぐもった声が混ざる。シーツの上で迷子になっている手を見つけて指先を絡めると、きゅっと強めに握り返された。ぶわっと、胸の中に一瞬で春がやって来たみたいだった。目の前の男が愛おしくって仕方ない。
バスローブの襟をくいっと引っ張る小さな仕草に、額に当てていた手を顎まで滑らせる。
轟に求められている。
その事実だけで頬が緩むのを抑えられない。
何度か舌先でつついて、かぷ、と噛み付く。その意図を理解したのか、こくりと飲み込む音がして細く唇が開く。その隙間からぬるりと舌を差し込んだ。前歯を掠めて、奥に引っ込んでいた舌先に重ねる。
早急かもしれない、カッコ悪ィ、と思ったけれど、こんな姿の轟を前にして欲が出た。止まれなかった。
薄い舌を絡めとって表面を擦り合わせると、襟を掴む手にぎゅっと力がこもる。熱い吐息から溢れる声が、どんどん甘さを増していく。
「はッ、
……
んぁ、」
聞いたことのない、砂糖菓子みたいな轟の声に、脳内へ雷が落ちた。
あー、ヤベェ。マジで止まんねえかも。
部屋に響く水音が静寂を埋め尽くす。一度出てしまえば、後はもうなし崩しだ。上顎を少し舐め上げただけでまた新たな甘ったるい声が俺の心臓を包む。ぐんっと体温が上がり、そこかしこから轟の匂いがする気がした。
色香を放つバスローブの隙間から、引き締まった身体に指を這わせる。触れただけで口の中で小さく声を上げる轟がなんとも情けなくて可愛かった。
吹っ飛んでしまいそうな理性を、迫り上がってくる欲求を、必死に抑えつけながら、ゆっくり、ゆっくりと腹の辺りをなぞる。腹筋がぴくぴくと動いて吐息が乱れる。
がっついていた唇を少しだけ離すと二人の間に銀糸が繋がる。もう一度混ぜてやろうと顔を近づける。「ぁ、ま、って、」轟が顔をくしゃっと歪め、声を上げたその時。
「
……
っっくしゅん!!」
「うぉ
…………
」
「あ、悪ィ、ばくご
……
ふぇっくしょい!」
ずず、と轟が鼻を鳴らす。二発目は顔を逸らしてくれたものの、一発目は見事に直撃した。
顔に飛んできた唾を拭って、はあぁ、と今日一番の溜息を吐いた。濃密に絡み合っていた空気が一気に和らぎ、熱に浮かされていた頭も水を被ったみたいに少し冷める。
なぜコイツと居るといつもこう、締まらないのか。
渦巻いていた衝動がくしゃみひとつで霧散してしまったことに、半ば呆れ、半ば安堵する。
「だから言ったろ。もう髪乾かしたるからこっち座れ」
「
……
ん、悪ィ」
ドライヤーを持ってきて、ベッドの縁に腰を下ろす。足の間に低めのスツールを置いて轟を座らせた。
スイッチを入れると、ぶおんと低く唸る音が部屋に響き、紅白の髪が風に揺れてふわりと広がる。風量は弱いし、耳障りな機械音はひどく情緒の無い音だったけれど、今はそれくらいでちょうど良い。髪を梳きながら温風を当てていくと、濡れた毛先が少しずつ乾き、サラサラとした感触に変わる。
さっきまでの熱っぽい空気がこの音に上書きされていくようで助かった、と心底思った。あのままだと、本当にどこまでいってしまうかわからなかった。
髪を乾かし終え、ドライヤーをサイドテーブルに置く。轟はありがとう、と言ったものの立ち上がることをせず、そのままとん、と俺に凭れるように体を預けてきた。
温かい髪が胸に触れる。轟の肩には、俺がつけた歯の痕が痛々しく残っていた。薄い照明に照らされたそれを見ながら、轟の腰に手が触れてしまいそうになるのを堪える。
ちらりと見上げてくる瞳は、明らかにさっきまでの熱を引きずっていた。
「なあ、ばくごう」
轟が顔を上げ、静かに呟く。頬に落ちた影を見つめながら「ん」と返せば、轟が僅かに唇を動かすが、言葉にする前にまた黙る。
ためらいながらもどこか恥じらうような顔をして、もう一度視線を重ねてきた。
「続き、しねえのか」
真っ直ぐな声が、二人の間で弾ける。抑え込んでいた熱が、体の奥から再び湧き上がってきそうだった。
あの、轟焦凍が。
たとえ石を投げられようとも誠意に向き合い、ヒーローとして自分の力で未来を掴み取った強く凛々しい男が。まるで磨かれた刃のように美しく、それでいて信じられないくらいにピュアで無垢のかたまりみたいな男が。こんな場所で、あの行為の続きを望んでいるという。あの、轟焦凍が。
同じシャンプーの匂いが霧のように頭の中を混乱させ、じわりと火をつける。「続き」と形を作る唇が、声が、目に耳に甘く染み込んで離れない。そうだ、この男は俺の理性の足場を崩していく天才だったのだ。
「
……
続きって、どれのこと言ってんの」
唇が触れそうになる距離まで近付いて、低く返す。意地が悪いと自分でも分かっていた。でも、俺は轟に言わせたかった。高潔で、美しく、人々に称賛されるこの男が、心の奥に秘めた欲望を口にする瞬間を、俺だけに見せてほしかった。
轟のまぶたがゆっくりと上下する。長い睫毛に絡んだ光が揺らめき、まるで夜空に散った星々のように輝いた。
唇を少し尖らせる表情に幼さが滲み、一瞬だけ高校時代の姿を彷彿とさせる。でも今胸にかかる重みは明らかに成熟したプロヒーローである轟のそれで。そのアンバランスさが余計に俺の胸を締め付ける。
轟が「それ、は、」と口をもごもご動かした。
「キス、とか、さっきの、きもちいやつの
……
続き、だ」
正直に欲を口にした男は、俺のうるさい胸元に隠れるように顔を埋める。どすっと頭突きでもされたのかと思うほどの衝撃に息が詰まる。しかし白い髪からわずかに見える耳先がりんごのように赤く染まっていて、ぎゅんと胸が高鳴った。
轟が「言っただろ」と、バスローブをほんの少し引き寄せる。
「爆豪なら嫌じゃねえって。おまえとじゃなきゃ、誘われたってこんなとこ来ねえよ」
籠った声を胸に押し付ける。あんまり可愛いことをしてくれるなと、思わず轟の背に腕を回した。
想いがどばどばと溢れて、溢れて、もう溺れてしまいそうだった。
「すき。好きだ、轟」
ストレートすぎる告白に、自分で言ったくせにひどく照れくさい気持ちになる。それでも目の前の男ははパッと顔を上げ、嬉しそうに笑った。
白い歯を見せながら目尻を下げるのが愛おしくて、さらにきつく抱き締める。どきどきと速まる心音が混ざって、もうどっちのものかわからなかった。
轟が首を伸ばし、ちゅう、と子どもみたいに俺の唇を吸う。
「俺もおまえが好きだ、爆豪」
言うが早いか、轟が飛び上がるように抱きついてくる。
スプリングが体を弾く。二人で一瞬、宙に浮く。
この夜が明けても、きっとこんなくだらないことで俺たちは笑い合うのだろう。
予報外れの雨は、もうとっくに上がっていた。
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