雪成はす子
2025-04-16 00:08:55
4066文字
Public 🐧🐬
 

望んだ足枷

🐧🐬、全く祝っていない真ん中バースデー
⚠うっすら匂わせ程度の性描写あり
自ら望んで足枷を填めた🐧と、自ら望んで足枷になる事を選んだ🐬の共依存ニコイチの話
無断転載・AI学習・コピペ・自作発言禁止Repost is prohibited

 雪の降りしきる森の中をずっと進んでいた。
 指先の感覚はもう何もなくて、それでも握りしめた手を離さないように必死に手に力を入れる。びゅう、と強い風が吹いて、辺りの視界が真っ白になった。
「シャチ、ちゃんと着いてきてるか?」
 呼びかけてみるが、シャチの返事はない。
――シャチ?」
 ぎゅ、と右手を握り直す。シャチの返事がないのが気になって、俺は後ろを振り返り――

 ――ずるり。まるで腐り落ちたかのように右腕が千切れ、ぼとりと白い地面に落ちた。

「え……⁉」
 千切れた腕から、だらだらと血が流れる。けれど痛みはなくて、俺は千切れた右腕を眺めた。
 後ろに佇むシャチは、静かな瞳で俺を見つめている。
……どうして?」
 と、その唇は動いた。じわり、とシャチの脇腹の辺りから赤色が広がっていく。

「どうして、振り返ったの?」

……シャチ?」
 シャチの瞳から、ぼろりと涙が溢れる。赤い涙が、ぼとり、ぼとりと溢れ出る。
「ねえ、ペンギン。どうして、俺を置いていったの?」
――――ッ!」
「どうして、俺を見捨てたの? ねえ、ペンギン」
 白い雪原に、シャチから溢れる赤色が落ちる。視界が全て、赤色に染まっていく。
 千切れた右腕。シャチの脇腹。――否、それよりも更に赤い涙が溢れていく。
……っ違う!」
 堪らず、俺は叫んでいた。
「俺は、俺はシャチを置いて行ってなんかいない! 俺はずっと、シャチと一緒に――
「でも、逃げようって考えた事はあるでしょ?」
……ちが、」
「違わないよ。ねえ、俺をあそこに置いていくの? ペンギンはそれでいいの? ねえ、ねえ――
 あかいろが、あふれていく。

 シャチの瞳から止め処なく溢れる涙が、全てを赤く、赤く――



――――ッ!!」
 がばりと起き上がって、俺ははっ、はっ、と短い息を吐いた。
 心臓がバクバクと鳴って、冷たい汗で全身が濡れている。
 薄暗い視界が段々とはっきりして、無機質な空間からここがポーラータング号の部屋の中だと理解できた。
……くそ」
 状況を吞み込むと、今度は悪態が口をついて出る。
 あれはあの頃からずっと、俺の中にこびりついた夢だ。俺の中にずっと燻り続けた罪悪感をいつまでも突き付けてくる悪夢。

 ――どうして、俺を置いていったの?

……違う」

 ――どうして、俺を見捨てたの?

「違う……っ!」
 本来のシャチならば、絶対に言わない言葉だ。それは俺自身が一番よく分かっている。
 シャチが絶対言わないであろう言葉を、夢の中で言わせている――そんな自分自身がただ、腹立たしかった。
 あれは俺自身がずっと抱えている罪悪感の具現化だ。

 ――どうして、俺を見捨てたの?

 一度だけシャチを見捨てようとした、あの日の俺の。



 その日俺たちは袋いっぱいに宝石を抱え、プレジャータウンの路地裏を駆けていた。
「早く戻らないと、またアイツに殴られちまう」
「分かってる……でも、宝石が重くて……ッ!」
「しょうがねえな……ほら」
 よろけるシャチを支え、ちゃんと立ったのを見計らって俺はまた踵を返して歩き出した。そこはもう街はずれで、真っ白な雪の向こうに森が見えている。

 ――今、あそこに逃げたら、俺は助かるだろうか?

 森を見つめながら、ふと、そんな考えが俺の中に過った。
 今、あの森に逃げたら。
 あの屋敷から逃げて、あの男から逃げて、あの森に逃げたら。
 ――おれ、は。

 ――バササッ

 不意にすぐ近くで大きな音がして、思わず俺は振り返った。誰かの家の庭に植えられたモミの木の枝が揺れていて、どうやら積もった雪が重みで落ちたのだと分かった。
 そのモミの木の下、振り返った先で、シャチがくしゃりと顔を歪めて笑っている。
 今にも泣きそうなほどに歪んだシャチの笑顔に、俺はぎゅううっと心臓を鷲掴みにされたような気がした。
 俺は――俺は今、一体何を考えていた?
 あの屋敷から逃げて、あの男から逃げて、あの森のどこかに潜伏して――なのに。

 その妄想の中に、シャチの姿は何処にもなかった。
 シャチを置いてたった一人で逃げようと、俺は――俺は!

「ペンギン」

 にこりとシャチが笑う。それはとても寂しそうな、いびつな笑顔で。
……シャチ」
 違うんだ、と言いたかった。
 けれど言葉が喉につっかえて、何も言葉にならない。
 けれどシャチは、そんな俺の心を見透かすように、

「逃げていいよ」

 にこりと笑いながら、シャチは言った。
 宝石の詰まった袋を両手で抱えたまま、溢れそうになる涙を堪えながら。
 ぶるぶるとその腕は震えていた、けれどそれでもシャチは笑って言う。
「あの人は、俺の叔父さんだから。でも、ペンギンは違う。これ以上、あの人に巻き込まれていいワケない。だから逃げて、ペンギン。俺は大丈夫。あの人は俺の叔父さんだもん。叔父さんだって、ちょっと殴るかもだけど、俺は、俺は平気、だから「馬鹿シャチ!!」」
 雪を蹴って、俺はぶるぶると震えるシャチの体を抱きしめていた。
「そんなに泣いてるクセに、そんなに震えてるクセに強がってんじゃねえよ!! なあ、俺は、俺はシャチと離れたくない!! お前を見捨てて逃げられる訳ねえだろ!!」
……っでも、おれ、もう殴られるペンギン見るの、やだよ……!!」
「そんなの俺だって同じだ!! 殴られるお前を見るのは嫌に決まってる!! でもな、お前をあんな所に置いて、俺一人で逃げられる訳がねえだろ!!」
「ペンギン……っ! 駄目、だめだから、お願い、逃げて、逃げてよぉ……!!」
「逃げない!! シャチ、お前を置いて、絶対に逃げないっ!!」
 シャチの体を抱きしめて、俺は何度もそう言い聞かせた。
 二人とも泣いて、泣いて、やっと泣き止んだ所であの屋敷に戻って、その日は「遅い!」とあの男に二人とも殴られた。
 腫れた頬を庇いながら屋根裏に戻って、あの日は薄い毛布をシャチと分け合いながらシャチの手をずっと握りしめていた。



 洗面台で顔を洗い、何度も口を濯ぐ。
 あの日、一度だけ何もかも放り投げて逃げようとしたあの日の事は、きっと忘れられないだろう。
 時折こうして、あの日のシャチが俺を詰る。
 ――どうして、俺を見捨てたの?
「俺は……

「ペンギン」

 呼びかけられて、俺ははっとして後ろを振り返る。
 そこにはシャチが立っていた。あの頃と違う、俺と同じツナギを着たシャチ。
「なんか、凄く魘されてたけど……大丈夫、じゃないね」
 壁に凭れたシャチが、俺を気遣うように笑った。
「シャチ……っ」
 俺はシャチに縋るように、シャチの腕を引き寄せ抱きしめる。
 あの日喪いかけた体温を、この手で確かめるように。
「シャチ、ごめん、ごめん、シャチ……っ!」
……いいよ。分かってる。大丈夫だよ、俺はここにいるから」
 泣きじゃくる俺を慰めるように、シャチは俺の背中をぽんぽんと叩いた。
 その手の温もりが優しくて、ただただ温かくて。

 この手を手放そうとしたあの日の『俺』を、俺は心の中で何度も詰った。


  ***


 振り返らないで欲しかった。
 あのまま逃げて欲しかった。
 あの日、ペンギンがじっと森を見つめていたあの日――俺はペンギンに、アイツのいない何処かへ逃げて欲しかった。
 俺の親族の事情に巻き込んで、やりたくもない犯罪をさせられた。アイツに殴られるペンギンを見る度に、ペンギンが俺を庇う度に、俺は罪悪感で圧し潰されそうだった。
 だから逃げて欲しかった。
 アイツのいない何処かに逃げて、ペンギンがそれで幸せになってくれるなら、俺はそれで良かった。

 ――それなのに。

 あの日、俺の方を振り返ったペンギンは、今にも泣きそうに歪んでいた。
 まるで、何か取り返しのつかない罪を背負ってしまったかのように。

 ねえ、ペンギン。
 どうしてあの日、振り返ってしまったの?

 俺の事なんか忘れて、そのまま逃げてくれれば良かったのに。
 俺の事なんか忘れて、何処かで幸せになってくれれば良かったのに。

 ペンギンに、逃げて欲しかった。
 俺という楔から、解放されて欲しかった。

 ――けれど。



 その後悔は、全部遅い。



「ペンギン……キスして」
……シャチ」
「いいだろ? 俺がシて欲しいからさ……それにこういう時はさ、一発ヤれば気が楽になるじゃん?」
「お前なあ……
「な、いいだろ? 早くやろうぜ」
 そう言って小突いてやろうとした俺の唇は、けれど吐息ごと奪われて何も言えなくなっていった。
 割り入ってくる舌に応えると、はあ、と熱くなった息が吐き出される。情欲に濡れた瞳に見つめられ、俺はぞくりと期待に震えた。


 俺から逃げて欲しかった。
 俺からペンギンを解放したかった。

 けれどもう、何もかもが遅すぎる。

 あの日、あの時、ペンギンが振り返らなかったら。
 振り返らず、俺を置いて、森に逃げてくれてたら。


 俺は自ら望んで足枷になんかならなかったのに。


 体の中を熱く行き来するペンギンに縋り、何度もペンギンの名を呼ぶ。
 咽びながら、泣きながら、叫びながら――何度も、何度も。
 塞がる唇に齧りつき、ペンギンの背中に爪を立て――己の中にペンギンを刻むように、もっと、と縋りついた。


 俺はもう、手放せない。
 あの日、ペンギンが逃げてくれなかったから。
 ペンギンが、俺から逃げてくれなかったから。

 だからもう、絶対に手放さないと決めたんだ。
 この手の中の温もりを、俺は絶対に手放したりはしない。

 ――だから。

 俺は俺が望むままに、ペンギンの足枷で在り続ける。


 ペンギンが俺から逃げてくれるまで、俺は絶対にこの手を離さないから。