Hizuki
2025-04-15 08:12:26
3023文字
Public あんスタ[薫あん]
 

桜色の風の中、君を引き留めるように

【あんスタ】薫あん。仕事帰りに桜を見に行く2人の話。ちょっとしんみり気味かも。そんなことはないと分かってはいても。



予定されていた外でのロケ撮影は滞りなく終わり、後は帰るだけになった。もう少しスタッフさんと話がある、というあんずちゃんと一度別れ、帰り支度を整えに戻る。スマートフォンに打ち込んだメモに軽く目を通してから待ち合わせの場所に向かうと、そこにはもうあんずちゃんの姿があった。どうやら彼女の方が先に話が済んだらしい。

「ごめんね、お待たせ」
「大丈夫ですよ。私もさっき来たところなので。お疲れさまでした、薫さん」

そう声をかけると、あんずちゃんは労いの言葉と共に笑顔を向けてくれた。それだけで今日一日の疲れが吹き飛んでいきそうな気さえする。

あんずちゃんさ、この後時間あったりする?」

そして、思い切って尋ねてみることにした。日は落ちたものの、まだ時間としては早い方。常にアイドル達のことを考えている彼女ならば、ここから戻ってもう一仕事、なんてことも考えられる。

「はい、今日はこの仕事のために予定を調整してきたので」

そんな俺の予想をひっくり返すような返事が返ってきて、内心驚いた。たまたま急ぎの仕事はないというだけ、ということかもしれない。理由が何であっても、それなら俺にとっても都合はいい。

「休憩の時にスタッフさんから聞いたんだけど、近くの桜が見頃なんだって。よかったらちょっと行ってみない?」
「いいですね、ぜひ!」

季節ならではのもの、桜。休憩中の何気ない話から聞かせてもらえたことだった。慌ただしい彼女の息抜きになればと提案してみれば、きっとこれから見られるものと同じような満開の笑顔で応じてくれた。

「わぁ、綺麗!」
「これはすごいなぁ!」

教えてもらったことを控えたメモを片手に歩いて10分ほど。少し離れた場所の公園にあった大きな桜の木は、月明かりに照らされて静かに佇んでいた。広がった枝には無数の花が咲いていて、揃って感嘆の声を漏らした。植わっているのはこの1本だけ。それでも目を惹かれるほどの立派な木だった。

「でも、こんなに綺麗なのに私達しかいませんね?」
「みんな出店とかもある並木道の方に行くんだって。だからこっちはほとんど人が来ないんだって言ってたよ」

あんずちゃんが言うように、見物客は俺達しかいない。話を聞かせてくれたスタッフさんによると、並木道の方もそれは綺麗な桜らしい。この時期には出店も出ていて、とても賑やかで楽しい、と。そういうことは俺も好きだし、それはそれで興味がある。けれど、あえてこちらの場所の桜のことも教えてくれたのは、俺がアイドルであることへの配慮でもあったのだと思う。それに彼女も一緒であるなら、人混みに紛れるよりも、人気が少ないところでのんびりできる方がいいだろう。

「なるほど、じゃあ今は私達だけで2人占めできるってことですね」

嬉しそうにあんずちゃんが言う。こんな立派な桜を自分達で独占、いや2人占めできるなんて本当に贅沢なことだ。木を見上げる彼女にならって、俺も視線を彼女から桜に向けた。見る場所が変われば見える景色も変わる。太い木の周りを並んでゆっくり歩いて、気に入った景色を切り取った画面で残す。何やら悩ましそうな声が聞こえたかと思うと、やっぱりこのシチュエーションにプロデューサーの血が騒ぐのか、あんずちゃんが親指と人差し指で作ったフレームを俺の方に向けていた。使う予定は今のところはないけれど、せっかくだから彼女に何枚か写真をお願いすることにした。

「そういえば、何で私が今日の予定空けてきたか分かります?」

スマートフォンのシャッター音の合間に、あんずちゃんからそう問いかけられる。

「たまたま急ぎの案件がないとか、そういうのじゃなくて?」

誘った時に思い浮かんだことを答えれば、小さく彼女の笑い声が聞こえる。

終わったら薫さんとデートできるかも、って思ったからですよ」
え!?」

俺の聞き違い、だろうか。あんずちゃんの言葉を飲み込み切れずに、思わず視線を桜から彼女に向ける。その瞬間、カメラのフラッシュが光った。きっと今の彼女のスマートフォンにはさっきの俺の間抜けな表情が残っているはずだ。

えっと、ちょっと、その今の顔は」
「ふふ、いい顔」

慌てる俺とは対照的に、あんずちゃんは満足そうにスマートフォンの画面を見つめている。彼女の前では格好よくありたいと思っているのに、うまく行かないことも多くて。けれど、彼女はそんな姿の俺も好きだと言ってくれる。

「でも、本当に叶うとは思ってませんでしたけど。後で写真送りますね」
ありがとう。だけど、最後の1枚は遠慮しておこうかな」

何のトラブルもなく済んだうえで、あんずちゃんに時間があって、更に俺がスタッフさんから聞いた話が重なったおかげで、こうして2人で同じ時間を過ごせている。その分だと思えばさっきの写真は決して高いものではない。俺の手元に残したいかと聞かれれば、そうでもないにはなってしまうけれど。満足そうに笑いながらあんずちゃんがスマートフォンをジャケットのポケットにしまう。さっきみたいに並んで、また歩き出した。

「わっ」

上機嫌のあんずちゃんが俺の一歩前に出た瞬間だった。突然吹き付けた強い風が桜の木を、枝を揺らした。風に煽られて花びらが舞う。

「薫さん?」
あ、ごめん」

風はすぐに落ち着いて、彼女の姿がはっきりと見えた。俺の行動に驚いたように振り返って俺の名を呼ぶ。開いた距離を詰めて、視界を遮った淡い桜色の中に思わず伸ばした手は、彼女の手首を捉えていた。

「何かあんずちゃんがそのまま桜にさらわれちゃいそうな気がして、さ

漠然とした不安が湧き上がってきて、反射的に手を伸ばしていた。おとぎ話の魔法の世界じゃあるまいし、そんなことが現実で起こるはずはない。非現実的な話を笑うこともなく、あんずちゃんは空いている手を俺の背中に回した。

大丈夫です。私はここにいますよ」
「うん、そうだよね」

優しく込められた力は、彼女がそこにいることを伝えてくれる。

「それに、さらわれたなら連れ戻しにきてくれるでしょう?過激で背徳的な夜の魔物、ですもんね?」
あはは、それもそうだ。もちろん、俺が迎えに行くよ」

そして、重ねられた言葉は俺への信頼を告げる。もしもの時はどんな方法を使ってでも、俺が迎えに行けばいい。俺一人では難しいのなら、周りの手も借りて。

「でも、君を誰にもさらわせたりはしないから」

掴んでいた手首を離すと、あんずちゃんの背中に腕を回して抱き寄せた。力を込めれば、同じように力を返してくれる。

はい。私も『ここ』を離れたくはないので」

あえて『ここ』という言葉を強調されたような気がした。俺の側、という意味なのか、俺の腕の中、という意味なのか。どういう意味で言ったのかは彼女にしか分からない。けれど、あんずちゃんも望んでくれるのなら、俺もその望みを守りたい。少し力を緩めて、そのまま息を吸い込んで、もう一度吐き出した。
ふと彼女の肩にさっきの花びらが残っていることに気付いた。花びら一枚で何かが起きるとは思わないし、起こせるとも思ってはいない。それでも、ここに残しておきたくはなくて、その花びらをそっと摘まんだ。俺の手を離れた桜色は、風にさらわれて夜空の彼方へと吸い込まれていった。