らい
2025-04-14 21:00:25
4571文字
Public レオいず
 

レオいず30days⑭「ドッグランを駆けまわれ」

フィレンツェ編④ お題「ペット」
※モブが泉を口説くシーンがあります


 フィレンツェの自宅から徒歩十分ほどの距離に、知る人ぞ知る隠れ家がある。二十歳を迎えてから飲酒をたしなむようになったレオが、最初に発掘したバーでもあった。薄暗い照明に上品なジャズ・ミュージックが流れる静謐なそこは、落ち着いて作曲するのにうってつけの場所だ。マスターは口数は少ないが、大喧嘩を繰り広げた恋人と仲直りする方法を相談してから距離が縮まって、今ではすっかり常連客になってしまった。
 週末にバーを訪れるたび、「世界一美しいおれの恋人、マスターにも紹介したいな。でもあいつ酒が飲めないから、残念だけど連れてこられないんだよ」と切なく訴えていた日々。まさかこんなにも早く実現するとは、夢にも思わなかった。
 木の香りがするカウンターに腰掛けながら、レオはうっとりと頬杖をついて、隣の恋人を見やる。

「うん。……これなら、俺も飲めるかも」

 透明なグラスが傾いて、からんと音が鳴る。氷とカクテルが恋人だとしたら、今のはキスを交わした音なのかもしれない。柔らかな目尻の泉を堪能しながら、レオは「ありがとな」とマスターに小声で礼を告げた。「いきなりですまんけど、セナを紹介できるかもっ!」と急に押しかけたのに、お手製のオリジナルカクテルまで作ってくれたのだ。ツキナガ様からです、と提供されたそれを艶やかな唇に運んで、泉は「ふふ。れおくんのくせに、生意気」と色っぽく首を傾けてみせる。
 ワインの底に沈殿した果汁みたいに、甘くとろけてしまいそうだ。頬がぽっと熱くなったレオに、マスターは水を差しだした。ごくり、と飲み干して、レオは一息をつく。昨晩、久しぶりに抱いたせいもあるだろうけど、二十歳を過ぎてから色気がぐっと溢れてきたような気がする。とっくの昔にキスを済ませて、今ではセックスを愉しむ間柄であるというのに。毎日顔を合わせるたび、うぶな中学生みたいにひとめぼれしている。マスターがサングラス越しに笑っているように見えて、レオは照れ臭くなった。

「主演ドラマの撮影で、バーの場面があるんだけど。……雰囲気を知っておきたいわけ」

 泉がそう言ってレオを頼ってきたのは、三日前のことだった。酒のにおいが苦手なのは仕方がないにしても、なにを飲んでどう過ごすのが正解なのか。成人男性として一般的な振る舞いに疎いことが、無性に恥ずかしいらしい。嫌だったら別にいいけど、と前置きする泉にぶんぶんと首を振って、レオはふたつ返事で承諾した。
 願ったり叶ったりの朗報である。夜のバーでデートを楽しむことはないと思っていたから、その日は興奮して眠れなかった。

「マスター、それでね。こいつさあ、ぜ~んぜん知らない奴からお菓子だの、飲み物だの……勝手に貰っちゃうの。とにかく餌付けされちゃうんだよ、人懐こい犬みたいに。こないだなんてチョ~最悪でさあ、とんでもないもの入ってるジュースを飲まされて……
「ああ~っ、みなまで言うな! マスター、セナの話は聞かなくたっていいぞ! おれ今ペン持ってるから、耳以外の全身に写経してやるっ! 耳なし芳一になってくれ、頼む!」
「はあ? ご主人さまとマスターの会話を邪魔する気ぃ?」

 聞き上手のマスターを、泉もさっそく気に入ったようである。他愛のない話で盛り上がっていると、泉の真横に影がそっと現れた。
 背が高く、掘りの深いイタリアの男が「こんばんは」と手を振った。レオは思わず真顔になる。知らない人間だ。

「きみたち、随分と楽しそうにおしゃべりしているね。隣、いいかい?」

 ふたりが返事するよりも早く、軽薄そうな男は泉の隣に腰を下ろした。半分ほど減ったグラスを置いて、泉はきょとんと静止する。マスターは怪訝そうに男を注視した。どうやら顔見知りの常連ではないことがうかがえる。

「こんばんは。……れおくんの知り合い?」
……ううん。おれは初めましてだけど」
「きみ、イズミでしょ。最近、雑誌でよく見る」
「えっ、俺のこと知ってるの?」
「ああ。大ファンなんだ」

 男は、端正な顔立ちをしている。きっと世の女性は放っておかないだろう。甘ったるい笑みで握手を求める男に、レオの眉はぴくりと動いた。しかし泉は機嫌が良いのか、快く応じてしまっている。
 ありがとう、嬉しい、と夜空の月のきらめきのように美しく微笑むので、レオはすっと腰を浮かせた。慣れない酒を飲んでいるせいか、頬がうっすら紅い。男に変な気を持たれないかどうか、心配で仕方がなかった。
 美しい花には虫がつきもの。しょっちゅう追い払っているからわかる。とりわけこの男のお目当ては、泉だ。

「まさか、こんな場所で出会えるなんて。……奇跡だよ」
「ふぅん。そんなに俺に会いたかったの?」
「ああ。……夢のようだよ」

 泉の細腰を抱こうとするので、レオは「あ!」と声を上げる。しかし、レオが行動に出るよりも早く、泉は瞬時にその手を払いのけた。

「ちょっと。気安く触らないでよねえ」

 華奢な身体の半分をレオに寄せながら、泉は露骨に警戒している。
 おれの領域に避難しようとしてる? ───レオはちょっぴり嬉しくなって、口角が緩む。しかしながら安堵したのも束の間、男は距離を詰めるのだった。

「おっと失礼。イズミがあまりにも美しすぎて、ついつい引き寄せられちゃったよ」

 こいつ、確実にセナを口説きに来てる。
 むっとしたレオが男を睨みつけると、意外にも挑発的な笑みを返してきた。男は怯むことなく、首を傾げる。

「ところで、きみたちは……カップル?」

 小指を立てながら、茶目っ気に溢れた口調で問いかけてくる。それも意中の泉に尋ねるのではなくて、直接レオの瞳を射抜いてきた。レオには、男の言わんとしていることが分かる。美しいこの子の恋人が、ちんちくりんの君であるはずがないよね。たっぷりと嫌味を込めているつもりなのだ。
 この際だから、はっきり告げてやろうか。マスターだって、泉が恋人であることは知っているのだし───レオが深く息を吸うと、泉は得意げに答えるのだった。

「残念。俺がご主人様で、こいつはペット」

 そこはおれに言わせろよ! ───テーブルの上で、レオはがくんと肩を落とした。マスターが黙々と注いでくれた水を飲み干せば、男は追い討ちを掛けるように、ハハ、と鼻で笑った。

「でもまぁ、確かにそうかもね。恋人というよりは……『ポチ』だ」

 きみは、あくまでもペット。恋愛の対象として見られているわけがないんだよ。要するにそんな侮辱が込められているのだろう。この世界は多くの愛に満ち溢れているけれど、残念ながら背丈が低いというだけで見下げる人間はごまんといる。しかし、レオは体格の小ささを卑下したことはない。伸びしろのない身長にまったく未練がないといえば嘘になるが、元より両親はありあまるほどの愛情を与えてくれたし、仲間、友達、ファンのお姫さま───関わるひとすべてが自分を愛してくれていることを、レオは充分に知っている。もちろん泉だってそうだ。ときには喧嘩もするけれど、「れおくん、好きだよ」とキスするときの美しい瞳は、なによりも優しさに包まれている。
 どうにかして言い負かしてやりたい。だが、せっかく仲良くなったマスターの店で問題を起こすわけにはいかない。自分が自分らしくいられる場所を、嫌な記憶で上書きしたくなかった。太腿の上で拳を握り締めながら下した決断は、男の挑発を受け流すことだった。
 おれはペット。ワンワンニャーニャー、コケコッコー。
 うまく笑えるだろうか。唇がひきつってかなわない。いや、おれなら演じられる。なんてったって、劇団ドラマティカで舞台に立ったことがあるんだから───意を決したレオが視線を上げると、突然、くちびるに違和感が生じた。柔らかな感触に、甘い蜜の味がする。

「そうなの。……俺のペットは、凄いんだよ」

 泉にキスされている。事実は理解できるが、状況が把握しきれない。混乱しているレオをよそに、泉はレオの首筋に頬ずりをした。硬直している男に見せつけるようにして、幾度もレオに口づける。舌の先端をほんのすこし挿入したあとで、リップ音をちゅっと響かせた。

「こんなに可愛い顔して、夜は激しいんだから。……ね、れおくん?」
「せ、セナさん……?」
「俺の身体を満足させられるのは、お利口なペットだけ。図体ばかり大きくて、肝心のモノは小さそうなあんたは、残念ながらお呼びじゃないんだよねえ」

 どうやら図星のようである。相当のコンプレックスを抱えているのだろう。穏やかに振る舞っていた男が激高し、泉の胸倉に掴み掛かろうとする。レオは、とっさに泉をかばおうとして───大量の水が飛び散った。マスターが、男にグラスを引っかけたのだ。

「地中海に沈められたいか?」

 シャツを捲った腕から、タトゥーが見え隠れする。無言の圧に怯えた男は、情けない声で「ひっ」とつまずきそうになりながら、バーを足早に去っていった。
 もしかしてマスターって、昔そっちの人だった……
 そういう業界からは足を洗って、余生を過ごしてるタイプの人……
 レオと泉は目を合わせて、あんぐりとする。騒がしいひとときが過ぎ去って、マスターはカウンターを拭きはじめた。ふたりは揃って詫びながら、水浸しのそこを掃除する。

「マスター、ごめんな。騒がしくしちゃって……
「ごめんね。……れおくんのこと馬鹿にするから、我慢できなくなっちゃった」

 同時に頭を下げると、穏やかな姿に戻ったマスターは「いいえ」と首を振る。レオは柔和な声に安心しかけたが、マスターが「ですが」と付け加えたことで、全身が強張った。

「熱烈なキスは、ベッドの上でどうぞ。……他のお客様が、興奮してしまいますから」

 数秒前のキスを思い返して、レオは赤面する。慌てて泉を振り向けば、泉はカクテルを飲み終えて、満足げにグラスを揺らした。

「ふふ……。俺たちのエッチなキス、マスターに見られちゃったねえ。……れおくん♪」

 こいつ、酔ってる!
 レオはたまらず泉の手首を引っ張った。そうして無理やり立ち上がらせて、出口に駆ける。色っぽくて危なっかしい姿は、仲の良いマスターにさえ見せられない。それに───下品な男を追っ払った泉に、またしても惚れてしまった。飼い主を押し倒して、いまにも暴れてしまいそうだ。ペットのくせに、リードもなしで。

「マスター、ごめん! 今夜はチェックで! また飲みに来るから!」
「ちょっと、れおくん?」

 酔っている泉の腰を乱暴に抱き寄せながら、レオはドアに手を掛ける。

「ごめん! おれ、今すぐおまえのこと抱きたい。ベッドまで我慢できない気がする。家のドアを開けたら、速攻でキスしたい」
「いいよ。お利口さんで『待て』してたから、ご褒美あげる」

 またのお越しをお待ちしております。
 愉快に呟くマスターに礼をして、レオは夜道を駆け抜けた。ご主人さまのもとに一目散に走って、胸に飛び込んでしまいたい。我慢していい子にしていたんだから、おやつぐらい貰ったっていいだろう。今夜は走り放題だ。