mishiadd
2025-04-14 00:41:55
4819文字
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浅草幻想奇譚:■■■

【本編軸】「圧倒的強者としての哀しみからスタートしているヤマトタケルと圧倒的弱者の恐怖からスタートしている宮本伊織が理解り合えるわけないじゃないですか?」という性癖の展覧会【剣陣営】※彌伊示唆あり

その原初の記憶――その生こそは、『奪われる』ことから始まっていた。

親を奪われた。兄弟を奪われた。友達を奪われた。住処を奪われた。安眠を奪われた。――『守られる』ことを奪われた。
その手に守る力がないのならば侵される。抗う力がないのならば打ちのめされる。手を伸ばされ、その手を払う力がないのならば、そのまますべてを『奪われる』。

思えば、彼が最初に奪われたのは彼の名であった。まだほんの幼子であった伊■にとっての唯一の持ち物は、およそその名だけであったので。

彼を伊■と呼ぶ親兄弟や友をすべて亡くしたので、誰も彼を伊■と呼ぶ人はいなくなった。彼の『子供らしさ』を奪い、思いのままに犯して蹂躙した男は彼に無理やり名を告げさせたにもかかわらずその名を呼ぶことはなかった。一度は裸にひん剥いた彼の着物を着せ直し、重い酒壷を持たせて酌をさせた男は、声を喪って立ち尽くすままの彼を傍らに侍らせては上機嫌で己の武勇伝を聞かせるばかりだった。

その男を一刀のもとに斬り捨てた月のような剣がゆうらりと彼の前を通り過ぎた時、伊■は自分が伊■であったことを忘れた。



やがて桜の樹の下で彼を養子にと望んだ男が、伊■に名を授けてくれた。伊織という。



伊■という名は武士の名とするには少しばかり格が足らなかったので、伊■から一文字とって伊織とした。洒落た名だった。伊■は、その名を含めたすべてを奪われたあの夜に、名も力もない『何か』に成り果てていたので――その洒落た名が新しい彼のかたちを辛うじて定めてくれた。伊織は、その時に生まれた

――ただ、彼が生まれ出でたのはどこまでいってもあの混沌たる泥からであった。どれだけ養父の優しい手に頭を撫でられようとも、どれだけ洒落た名が彼の新しい輪郭を定めようとも――彼が発生した源であるその澱は、あの夜の絶望を、恐怖を、悲哀を、――『奪われた』ことの生々しく癒えることのない傷痕を、そのすべてを融かしこんでいつまでもそこにある。それが彼の原風景であり、起源であり、その泥の中で彼が唯一呼吸ができるとするならば、あの夜に見た月を目指して泥から顔を出し、あえかな息継ぎをする瞬間だけであった。







正体のわからない怪異が出るという。

出くわした者によって証言が異なるので、その怪異の姿かたちを掴もうにも埒が明かず、十を超える目撃者の言で唯一合致していることは、「ひどく恐ろしかった――ということだけだ。

「要するに鵺ではないのか、それは」

団子にかぶりつきながら面倒くさそうにセイバーが言った。

「鵺ならば、この浅草ですら無数に湧くだろう。顔は猿、胴は狸、四肢は虎で」
「尻尾は蛇。――どこを見るかによって印象がまるで異なる、という」
「我らなどは見慣れ過ぎてもはや『そういうもの』だと思い込んでいるがな。……というわけで、放っておいてもよいのでは? 道中に我らがたまたま出くわしたのならば物のついでで退治してやってもよいが、わざわざ鵺退治のためにそこら中駆けずり回るなど御免だぞ」

言って串に刺さった団子を食いちぎる。むぐむぐと咀嚼しているセイバーの手から串を奪い取って空になった皿の上に置いた伊織が、「そういうわけにはいかん」としかつめらしい顔をして言った。

「出くわした者達はあまりの恐怖に寝込んでいるのだ。碌に飯も喉を通らず衰弱している者もいるという。――正体がどうあれ、どのみち怪異なのだろう。であれば、この現象は間違いなく儀が原因だ。決して放っておくわけにはいかん」
……きみがそう言うのなら」

じと、とひどく面白くなさそうな顔で伊織を見たセイバーが渋々頷いた。少し前までなら「きみは甘い」だの「弱いくせに物事に首を突っ込みすぎだ」だの散々反発していただろうセイバーも、この頃は(完全に同調しているわけではないにせよ)伊織の意思を尊重し、少なくともむやみやたらに文句を言うようなことはなくなった。そのうち、もしかしたら自分から伊織が言うようなことを喜んで真似して口にするようになるのかもしれなかったが、それにはまだ若干の照れがあるようだった。
「それにしても」とセイバーが伊織を見る。セイバーに一番上を食われてふたつしか残っていない団子を味気ない顔で食べている伊織が、「ん、」とセイバーを見た。

「きみは本当に――弱いくせによくやる。……きみは弱いのだから、大人しくしていればよいものを」
……何」
弱ければ奪われる。これは当然のことだ。では弱者にできることは何か? 接敵せず、強者の後ろに隠れていることだ。そうしろと、私はきみに出逢った頃きみに告げたな? 弱いきみは強い私の後ろに隠れていればよい。そうしている間に私がすべて終わらせてやると。私は、今までだってずっとそうしてきたのだ」
――……
「弱き者は皆、私の後ろに隠れていた。私の背後に回って私を敵の前に押し出して、私に『皆のために戦え』と乞うた。私は、別にそれでよかった。足手まといに邪魔をされるよりもずっとマシだったからな。私にとってはひとりで戦うことが普通で、当たり前で、最善だった。――いや、だから、つまり」

話がやや脱線してしまったことに気付き、セイバーが改めて伊織を見た。

「私もそれでよかったし、私の知る『弱き者』も、皆それをよしとしていた。――だが、きみは」

そこで、一瞬言葉に詰まる。もしかしたら頭に浮かんだ言葉があったのかもしれなかったが、結局セイバーはその言葉を口にはしなかった。代わりに、ぷい、とどこか拗ねたように伊織から目を逸らしながら、もごもごと言った。

弱いくせによくやる――威勢のよいのはいいが、それでもきみはやはり弱いのだ。無茶をしてはいけない。……きみの、そういうところは私は、私は決して嫌いではない――
……
「身の程というものを知って、時には退くということも大切だ。でなければ、いつか本当に死ぬぞ。……私は、戦場に在って今まで別段誰かの為に戦っていたというわけではなかったが、弱いきみのことくらいは守ってやっても――
――だが」

伊織の声がひどく冷え切っていることに気付き、セイバーが伊織を見る。――凍てつくように底光りしている月夜の瞳が、ぽっかりと見開かれてセイバーを見ていた。

弱ければ奪われる……そうだろう?」
――イオリ?」

それっきり、伊織が口を噤む。――もぐ、と串に残った団子の最後のひとかけらを口に含み、串を皿の上に置いた伊織が言った。

「とにかく、鵺であっても、鵺でなかったとしてもだ。これは、俺たちが退治するよりほかにない。行こう」
……ああ」

立ち上がった伊織の後を追い、セイバーも立ち上がる。なにか、もしかしたら――伊織の気に障るようなことを言ってしまったのだろうかと、およそセイバーがこれまで生きてきた中で気にしたことがなかったようなことを、思う。







辻斬りの影にも似た怪異は、夜半に姿を現わした。

目撃証言のもっとも多かった大橋の上で、ふたりで張り込んでいた。橋を渡った先の大通りの提灯の明かりもすっかり落ち、人通りもまったくなくなった頃になると、新月の夜空にぽつぽつと星が見えるだけになった。
「腹が減った」と文句を垂れるセイバーに懐から取り出した饅頭を手渡してから、伊織が橋の麓を見遣る。人影がある。二口で饅頭を食べきってしまったセイバーもそちらに目を遣る。「――イオリ」と低い声で唸るように告げた。

真っ黒な人影――が、ゆっくりと橋を渡ってこちらに近づいてくる。距離を詰めてきている筈の、その姿の情報の解像度がまったく上がらないことに、伊織とセイバーが同時に剣へと手を伸ばす。影は影のまま――真っ黒い何かのまま、恐らくは剣を構えた何者かであるような、曖昧とした暗黒の煙の塊のような姿で、音もなくじりじりと近づいてくる。

――イオリ。……鵺ではなかったようだが、なんぞ大したことはない。あれは変幻自在シェイプシフターの怪異の類――観測する者の『恐怖』を反映した幻覚を見せるだけのつまらぬ手合いだ。その唯一の特技も私の対魔力にかかれば無意味だが――

フフン、と得意げに鼻を鳴らしたセイバーが、やがて伊織の返答がないことに気付いて隣を見遣った。

「イオリ?」
――あ」

喉から絞り出すような呻き声だった。がしゃん、と――まるでガラス細工がその場で砕け散るように、伊織の両膝が折れて橋の上に崩れ落ちる。は、は、と荒い呼吸を繰り返す伊織に、「イオリ!? ――イオリ!?」とその場に立ち竦んだままのセイバーが必死に声を掛ける。

「イオリ――おい、イオリ!」
「あ――ごめんなさ、ごめんなさい」

「何を」とセイバーが言いさしたところで、悲鳴のように伊織が叫ぶ。

「ごめんなさい、弱くてごめんなさい――はい、全部俺のせいです、父ちゃんも母ちゃんも兄ちゃんも妹も友達も隣のおっちゃんも皆死んだのは俺のせいです、弱くてごめんなさい、俺が弱かったせいです、俺が弱くて、俺がおじさんの言うこと聞けなかったせいです、ごめんなさい、ごめんなさい」

セイバーが絶句する。セイバーに己の幻術が効いていないことを悟ったらしいシェイプシフターはそれ以上近づくこともせず一定の距離を保ったまま佇んでいる。それに斬りかかることも忘れ、セイバーは傍らにしゃがみ込んでいる伊織を呆然と見下ろしていた。

「全部伊■のせいです、伊■が弱くて、誰も守れなくて、だからおじさんが怒って皆を殺したのは当然です。全部伊■が弱いからです、ごめんなさい、ごめんなさい」
「イ――
「弱い伊■は強いおじさんの言うことちゃんと聞きます、言う通りにします、ごめんなさい、怒らないで」

じり、とシェイプシフターがわずかに重心を伊織に傾ける。それでようやくセイバーがその存在を思い出し、右手の蛇行剣で素早く掻き斬る。碌な手応えもないままに暗黒の煙がその場に霧散して消え失せる。
蛇行剣を消失させ、言葉もなくセイバーが伊織を振り返る。「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返す伊織の傍で片膝を折った。

「イオリ」
「ごめんなさい、怒らないで、言う通りにします、だからもう父ちゃんたちの体に酷いことしないで」
イオリ
……あ」

伊織が顔を上げる。白い頬に幾筋もの涙が伝っているのが、星明りにわずかに光っていた。

「イオリ。……大丈夫か」
「セイバー。――セイバー」

は、は、と荒い呼吸のまま、ぐい、と着物の袖で乱暴に顔を拭い、伊織がセイバーを真っ直ぐに見た。

「俺は――弱い。まだ弱い。全然、まだまだ、弱い。あの、すべてを薙ぎ払った月のような剣には程遠い」
「イオリ」
「俺は、あの月に至らなければならない。そうでなければ俺は」
「イオリ」

セイバーが慰めるように正面から伊織の両肩を抱いた。その抱擁に応えることもなく、セイバーの肩越しにただ遠くを見つめながら、伊織が言った。

「セイバー、おまえは強い――俺は、弱い」
「イオリ。……弱いことは、『悪』ではないんだよ。イオリ」
弱ければ奪われる……強ければ奪う

「イオリ、」とその言葉にちくりと胸の呵責を覚えながら、セイバーが伊織を抱きしめる腕に力を込める。

「私の腕は――確かに数えきれないものを奪ってきた。だが、この腕が何かを守れるようになりたいと、今は思うんだよ、イオリ」
「強くなりたいんだ、セイバー。おまえのように」
「イオリ」
「弱いのは嫌だ。――強く――

「イオリ」と名を呼んだセイバーの声が虚しく響く。――すすり泣くような哀しみが、新月の夜空の下、大橋の上にこだましていた。






■■■・了