らい
2025-04-13 21:00:25
3814文字
Public レオいず
 

レオいず30days⑬「少年失踪届」

フィレンツェ編③ お題「向日葵」


 晴天に垂れる入道雲を覆い尽くすように、ひまわりが揺れている。丘の上に咲いた日輪を眺めながら、泉は「すごい……」と息を呑んだ。
 暑中見舞いの絵はがきに描かれている世界って、ほんとに実在するんだ。絵の具の香りじゃなくて、太陽の恵みをたっぷり浴びた夏のにおいがする───日焼けするのが嫌で、なるべく外を歩きたくなかったけれど。これだけ絶景のひまわり畑を拝めたのなら、充分にお釣りが来そうではある。
 泉は日傘を持ち直して、ふいに隣を確認した。ひまわり畑に連れてきた張本人が「にやにや」と声に出して、不敵にほくそ笑んでいる。レオは八重歯をのぞかせながら、口笛を響かせた。夏みたいな感情だったんだぁ~、と本家よりも間の抜けたメロディーが、渇いた風に乗って青空を駆けていく。

「ったく。夏休みのガキみたいにはしゃいじゃってさぁ」
「じぃ~♪」
「さっきから何ぃ? ジロジロ見ないでよねえ。俺の顔に文句でもあるわけ?」
「あるわけないだろ。強いていうなら、綺麗すぎて困ってる!」
「はいはい。褒めてくれて、どうも」
……すっごく嬉しそうにしてくれてるから、連れてきたかいがあるなと思ってさ」

 ひまわり畑の全景を撮影していたレオが、勢いよく肩を抱き寄せる。「おれも嬉しくなる!」と密着するしわくちゃの目尻。泉はやれやれと笑みをこぼす。
 隙あらばくっつきたがるんだから。暑苦しいったらありゃしない。
 べたべたと触れたがる恋人に文句を並べながらも、今日は特別その手を振り払おうとは思わなかった。せっかく旅行に来ているのだし、わざわざ険悪なムードに足を突っ込む必要もないだろう。
 それに───ひまわり畑には、ふたり以外の気配は感じられない。観光スポットは、どこもかしこも人波でごった返しているというのに、地球上にこんな穴場があるだなんて知らなかった。甘えん坊のペットみたいに頬ずりを繰り返すレオを撫でながら、泉は柔らかな笑みを向ける。

……最高のロケーションじゃん。ありがとうね、れおくん」
「わはは、もっと感謝しろ! おれを敬え!」
「ったく、調子に乗っちゃってさあ。この場所を紹介してくれたのは、あんたの友達の『おじいちゃん』でしょ?」
「おおっ、そうだ! おじいちゃん、ありがと~!」

 無人のひまわり畑に、レオの叫び声が反響する。
 ある日の夜、「別荘を借りてみた!」と事後報告を受けたときには、「まぁ~た湯水のようにお金を使って!」と喧嘩になったけれど───あの忌まわしい記憶は、なんとか思い出に昇華できそうでよかった。
 満開のひまわりが咲いている別荘を紹介してくれた『おじいちゃん』とは、街の広場でギターの弾き語りをしていたときに知り合ったらしい。
 うちの子どもはすっかり巣立って長らく使っていないから、きみでよければ貸してあげるよ。なぁに、自由に使ってくれて構わない。『おじいちゃん』の提案に、レオはふたつ返事でOKしたようだった。もちろん泉は、「無料で!? そんな甘い話があるか! 詐欺だよ詐欺!」とたいそう怒ったけれど、どうやら本当にただの気まぐれであったらしい。
 こいつの純粋さにつけ込むやつは山ほどいるけど、そのぶん親切にしてくれるひとも存在するんだよねえ……
 愛嬌たっぷりの笑顔にはにかみながら、泉はそっとレオの裾をつかんだ。

「結構、広いよね。……ちょっと散策しよっか?」
「するするっ」

 今日はすこぶる機嫌がよい。手を繋いでやろうと思ったが、レオは走り出してしまった。行き場のないてのひらを虚空にすかしながら、泉はふんと鼻を鳴らす。
 二十歳になってしばらく経つというのに、相変わらずの幼さである。無垢な幼稚園児が、体格だけ大人になったような男だった。

「れおく~ん。派手にずっこけて怪我したら、承知しないからねえ~」
「わはは! 迷路みたいだ~っ!」

 夏空に響き渡る泉の声に耳を傾けることなく、レオが夢中で駆けている。本っ当に、いくつになってもガキなんだから。泉は日傘を差しながらぼやく。しかしながら手厳しい台詞とはうらはらに、口角は緩んでしまっている。直射日光はいささか鬱陶しいけれど、たまには無邪気に過ごすのも悪くない。ましてや、恋人同士になってからはじめての旅行であるならば、なおのこと。
 太陽の下に咲き誇るひまわりは、泉の身長ほどの高さがある。もっとも大きなサイズで、背丈がすっぽりと隠れるほどだった。内部は想像よりも遥かに入り組んだ構造になっていて、大人の泉でもほんのり怖い。「おじいちゃん」の子息は既に独り立ちしているようだが、昔はどうだったんだろう。幼い子どもをひとりで遊ばせるには不安がある広さだ。迷子になるのが怖くて、手を繋いでいたのではなかろうか。
 会ったこともない老人の過去を想像していると、ひまわりの隙間からレオがひょっこり顔を出す。

「セナ~」
「はいはい。なぁに」
「セナっ」
「変な顔」
「セ~ナ~」
「もう、しつこいっての」

 ひまわりの間から登場するたびに、レオが白目を剥いたり、きりっと凛々しい目つきになったり、おかしな百面相を繰り返す。愛らしい小動物のいかつい顔つきに吹き出せば、レオもわははと声高に笑った。無邪気な音階が上空に打ちあがり、太陽がさんざめく。
 泉は日傘を持ち直して、頭上を仰いだ。雲ひとつない晴れのキャンバス。おとといの天気予報では雨だったのに、嘘みたいだった。青ざめたレオが「なんでだよ~! 地球のいじわる!」と気合のハチマキを巻きながら、大量のてるてる坊主を作ったおかげだろうか。そういえば、家のベランダにぶら下げたままだった。旅行から帰ったら、晴れにしてくれてありがとねって褒めてやろう。フィレンツェの風に揺れる功労者たちに思いを馳せながら、泉は振り返る。
 レオの姿が忽然と消えていた。

「れおくん?」

 泉はおもわず立ち止まって、もぬけの殻と化したひまわり畑に問いかける。夏のそよ風が通り抜けるだけで、間延びした甘ったるい声は聞こえない。
 ぴゅう、と吹く風とひまわりの静寂。泉は怖くなって、もういちど「れおくん」と名前を呼んだ。

「わははっ。呼んだか~っ」
「うひゃあ~っ」

 背後からレオに抱き締められて、泉は素っ頓狂な声を上げる。死角からの襲撃には、体幹自慢のバレエ経験者もさすがに太刀打ちできない。

「わっ、ちょっとっ、ねえっ」
「おっとっとっとっと」

 泉が態勢を崩すと、レオはとっさに手首を引っ張った。転倒する間際に受け身を取り、泉を支えるようにして地面に倒れ込む。日傘が吹っ飛んで、ぱたんと弾けた。
 レオの上半身に着地した泉は、不機嫌に眉を歪める。レオは苦笑した。

「ごめん! ちょっぴり驚かせようとしたら、なんか想像と違った!」
「想像と違った! じゃないっての。チョ~うざぁい! ……で? あんたは、大丈夫なの。……痛くないわけ」
「セナは優しいな~。……大丈夫だよ。ふかふかの土が、クッションになってくれたから」
「ふぅん、なら別に良いけど。……重いでしょ、とりあえず退けるから待って」

 腰を高く持ち上げて退避しようとすると、手首を引き寄せられる。レオの胸板に、泉の頬がすっぽり収まった。

「ううん。……このままで、いいよ」

 ひまわり畑に倒れたまま、レオに抱き締められる。耳を澄ませた左胸から、どくんどくんと鼓動が聞こえた。わぁっと驚かせたのは、れおくんのくせに───泉は押し黙る。
 脈を打つ汗ばんだ肌。全身を駆けめぐる熱。うだるような夏の暑さとはまた異なる、からだの火照り。泉もまた、他人をとやかく指摘できるほどの冷静さは持ち合わせていなかった。

「急に、いなくなるから。……さらわれたのかと思ったでしょ」
「宇宙人に、アプダクション?」
「そういうSFじゃなくって。……ほら、映画にもよくあるでしょ。ひまわり畑で遊んでいる子どもが、目を離した隙に急にいなくなるってやつ」
「あー」
「あんたって、いっつもガキみたいだから。……なんとなく思い出したの」

 レオと視線を合わせるように、泉はもぞもぞと這い上がる。じっとりと見つめあったあと、どちらからともなく口づけを交わした。短く触れるだけのキスを幾度も繰り返すと、レオは泉の頬に触れる。身体の奥で高まる温度を確かめるように、ねっとりと輪郭をなぞった。

「おれは、もう子どもじゃないよ」
「あ……
「なあ、セナ。おれの言いたいこと、わかる?」
……ん」
「おれは、おまえと特別な夏を過ごしたいと思ってる」
……うん」
「今晩、おまえのこと……もっと、知りたい」

 別荘を明け渡してくれたおじいさん。きっと昔は愛する子どもと手を繋いで、ひまわり畑を歩いていたんだろう。いつしか手を繋がなくなったのは大人になったからだ。おとなの世界に、さらわれてしまったんだと思う。
 困り眉で告げるレオに、泉はふふっと微笑みながらキスをする。夏のそよ風に揺れるひまわり、太陽の乾いたにおい。仲良しこよしで手を繋ぐだけの光景には、きっと二度と戻れないだろう。

「好きだよ、セナ。ずっとずうっと、大好きだ」

 けれども、過ぎ去った夏の向こうに永遠があるのなら。ふたり一緒にさらわれるのも悪くない。