紫輝
2025-04-12 09:38:41
13398文字
Public リとヌと御仔の話
 

日帰り異世界ツアー

パパととうさまがまだくっついてない世界に迷い込んだ御仔の話です。ゲストに「おねえちゃん」をお呼びして。この蛍ちゃんはいざ二人が御仔を授かったらめちゃくちゃ可愛がってくれる気がします。三日に一回ペースで会いに来そう。
Q.余所の世界に干渉しすぎていませんか?
A.世界の修正力で全員そのうち今日あったことは忘れるので無問題です(ご都合主義)

 数々の仕掛けを乗り越え、ついにたどり着いた最奥部。輝く木の前で、少女は最後の仕掛けへ手を伸ばす。これを起動すれば宝箱が現れるはずだ。それなりに苦労したから、金枠のそれなら良いなぁ。そんなことを考えながら。
 装置に手が触れた、と思った瞬間、視界が閃光に包まれる。トラップ、の四文字が脳裏をよぎって、襲い来る何らかの衝撃に備えて強く目を閉じた――
 どさっ。
 始めに感じたのは衝撃。それから打ち付けたらしい背中とお尻に鈍い痛みが来て、お腹に重み。重量感のあるそれには温もりがあって。
……、え」
 恐る恐るまぶたを上げると、ライラックの色をした宝石がふたつ、こちらを見下ろしていた。ぱちぱちとそれが瞬いて、持ち主が首を傾げる。銀色のカーテンがさらりと揺れた。
おねえちゃん、だあれ?」
「えええええ……
 小さな唇から飛び出した鈴を振るような可愛らしい声が問いかけてくるのに、少女は呆然と呟くしかなかった。

 日帰り異世界ツアー


「ええと、君のお名前は『レヴィ』。ヌヴィレットに似てるのはヌヴィレットが君の“とうさま”だから。そうだね?」
「あい!」
 ひとまず秘境から脱出し、迎えてくれた麗らかな日差しの下、少女は――蛍は少年と向かい合う。問いかけに元気にお返事してくれるその子は自称ヌヴィレットの子らしく、二筋の青が混じった背を流れ落ちる銀髪、この年をしてすでに片鱗を覗かせる人間離れした美貌、水元素を強く感じさせる気配と彼そっくりの見た目をしていた。銀髪には黒が一筋混ざっているし、瞳の色も彼のそれより少し青みが強く見えるけれど。
 この世界にはいくつもの『可能性』があるという。あの時こうしていたら? ああしていたら? 全ての選択は枝葉のように広がって、たくさんの『同じようで違う世界』を構築しているのだそうだ。自分を誰何しながら親しげに相棒の名を呼んだこの少年もきっと、そんな『可能性の世界』のうちの一つからやってきたのだろう(「あっパイモンちゃん!」と嬉しそうに笑う少年に驚いて問い詰めた相棒は知らない初めて会った誰だよこのちっちゃいヌヴィレットみたいなヤツ、と大いに動揺していた)。さらに聞いてみると、どうやら少年の知る『パイモンちゃん』の傍には『おにいちゃん』がいるそうだ。おねえちゃんみたいにきらきらで、優しくて、いつも遊んでくれるんだよ――にこにことそう語ってくれる少年はそれはもう可愛くて、正直『パイモンちゃんと一緒にいるお兄ちゃん』が羨ましい。私だって構い倒してあげるのに、なんて考えつつ、蛍は思案する。
「あそこにいたのはええと、探検してたら吸い込まれちゃったから?」
「きらきらってしてね、ぴかーってなったら、おねえちゃんがいたの」
 こくこくとうなずかれるのにヌヴィレットの教育方針どうなってるんだろう、と考えて、その考えを一度脇によける。少なくとも“こちら”のヌヴィレットに聞いたところで答えがもらえる疑問ではないので。というか、正直な話「あの」ヌヴィレットに子どもがいる事実がいまだに受け入れられていない。彼が? 子育てを? というのが、蛍の本音だ。全ての可能性を考慮するなら、ヌヴィレットの子を語る未知の元素生物の可能性だってある。なんにせよこちらのヌヴィレットに相談すべきだろう。そう結論づけて、蛍は目的地をフォンテーヌ廷へと定めるのだった。



 パレ・メルモニアの昇降機の前で、蛍はため息をつく。隣には秘境で出会ったお人形のように可愛らしい少年が立っていた。黒い狼のぬいぐるみ(彼の『お友達』だそうだ)を抱えた手は色鮮やかな布の端を掴んでいて、同じ布の端を相棒が持っていた。
 少年と共にここまで来る――ただの移動のはずだったそれは思いの外難易度の高い仕事だった。まず目立ちすぎるその姿をフードで隠す。少年が相棒のマントや足を掴んでいたがるので(きっと不安だったのだろう。可愛い)、布の端をしっかり握っているからと約束をしてうなずいてもらって。
 いざフォンテーヌ廷へ踏み入れてからだ。
 少年は行き合うメリュジーヌの名前を呼んではふりふりと手を振る。呼ばれた彼女達は困惑したように首を傾げ、それでもこんにちはと答えて手を振り返す。時々坊ちゃま、と口にして何故自分がその言葉を口にしたのか分からないと言いたげにますます首をひねるメリュジーヌもいて、蛍も彼女たちのようにねじれるくらいに首をひねりながらここまで歩いてきたのだ。ちなみに片手が布を掴むので忙しい少年が手を振るたびにぽてりと転がる『お友達』が可哀想で、けれども自分で抱きしめていたいようだった少年に、布を持っている方の腕で抱っこしてあげたらいいんじゃないかな、と進言した事により現在の状況が出来上がっている。ついさっきもエントランスを警備していたリアスに元気に手を振って、困惑の振り返しを貰ってきたところだ。
(遠かったなぁ……)
 初めてフォンテーヌ廷へ来た時以来の感想を抱きながら昇降機に乗り込む。「パイモンちゃん、よんかいだよ!」と、押して押してとせがむ様子に、少年の「ヌヴィレットの実子説」が真実味を増してくる。もしかして『余所からのお客様』でもなかったりして。どうしよう、執務室に入った瞬間「ああ、息子と一緒だったのだな」とか言われたら。
 何が来ても新鮮に驚きそうな気がする、なんて思いながら到着のベルを聞き、うずうずそわそわとしている少年が今にも駆け出しやしないかとドキドキしながら正面カウンターへ向かう。ヌヴィレットとは『いいお友達』ではあるけれども、相応の礼儀は通さなければならないし、多忙な彼は面会中であることもよくあるので。
「セドナちゃん!」
「はい? まあ、坊っちゃま! こんにちは。坊っちゃま? 私は何を?」
 やはりセドナも、ぴょんとカウンター前で飛び跳ねて声を掛けた少年に対して他のメリュジーヌたちと同じ反応を見せていた。困惑より先に『坊っちゃま』が出た辺り、“あちら”のセドナは少年と懇意なのかもしれない。この子が本当にヌヴィレットの子であるならメリュジーヌ達とも仲が良いのは確実だし、特にセドナはヌヴィレットの――良い表現が見つからないが、側近と言っても差し支えない立場であるから尚更だ。
「あはは、こんにちは、セドナ」
「あっ、こんにちは、旅人さん。あの、こちらのお仔様は?」
 頬を掻きながら少年の隣に並ぶと、にこ、と笑顔を見せてくれてから彼女は首を傾げる。ちらちらと少年を気にするセドナにどの程度まで事情を語るべきか悩んで、ひとまず秘境で見つけた迷子なのだと伝えることにする。少年が『何』で、その存在が“こちら”にどんな影響を及ぼすか、まだ不明だったからだ。まずはヌヴィレットにこの子の事を伝えて判断や見解を仰ぎたい。もしかしたら世界樹の守人ナヒーダにも助言を求めることになるかもしれないなぁ、なんて頭の片隅で考えつつヌヴィレットにそっくりだったので彼に相談に来たのだと告げると、そうですかとうなずいたセドナはちょうど面会が一件終了したところなのだと教えてくれた。
「ヌヴィレット、お話する時間ありそうだって」
 セドナに事情を話す間大人しく待っていた少年に行こうかと言葉をかけると(相棒は話の途中で疲れたからちょっと休むと姿を消していた)、ライラックの瞳がキラキラと輝く。『親』と会えるのだ。嬉しいだろうな、と自然に考えてしまった。やっぱりこの子はヌヴィレットの子どもで間違いない気がする。こういう不思議現象に対する自分の直感はよく当たるのだ。
 少年があとでね、と手を振ったセドナからも困惑の残る振り返しをもらい、いざ執務室の扉をノックする。どうぞ、と響く声に少年の頭の、ヌヴィレットそっくりの蒼い二筋がふわりと浮き上がった。
「ああ、君だったか。ごきげんよう。息災だっただろうか」
 顔を上げたヌヴィレットが微かに目元をゆるめて挨拶をくれる。それから同行者に気づいた彼の目と少年のそれがぱちりと合って。
「! とうさ、」
その仔は?」
 胎海の瞳を細めたヌヴィレットの誰何に、顔を輝かせた少年が小さな手でぱっと口を塞ぐ。ぎゅう、とぬいぐるみを抱く腕に力がこもったのがわかった。それだけで少年の心中が想像できてしまって、ついでにシンクロしてしまって蛍の胸もぎゅうと痛む。家族に温度なく接された時の寂しさ悲しさはよく知っているから。
「あのね、えっと、ぼく、」
 頭の二筋を萎れさせてしまった少年が懸命に言葉を紡ごうとするのを、肩を叩いてここは任せてと止める。片目をつむって見せると少年はほっとしたように小さくうなずいた。
「こんにちは、ヌヴィレット。この子はレヴィ君。フォンテーヌの秘境でさっき会った子なの。ヌヴィレットも感じてると思うけど、明らかにただの男の子じゃなさそうだから一旦ヌヴィレットに相談に乗って欲しくて来たんだ」
「ふむ秘境で。一先ず掛けるといい」
 勧められるまま少年と共にソファへ腰掛けて、これまでの経緯を語る。秘境の最奥で、閃光と共に現れたこと。相棒とは面識がありそうで、けれど少年の知る相棒の隣にいつもいるのは『お兄ちゃん』であること。メリュジーヌ達の名前を知っていたこと。彼女達の反応。何よりこの子自身が、自分を「ヌヴィレットの子」だと名乗っていること。そしてこの見目。
「なるほど。私も君の予想に同意する。恐らくこの仔は、ここではない別の世界から、この世界に迷い込んだのだろう」
 蛍の話をじっくりと聞いていたヌヴィレットが出した答えは蛍と同じだった。似て非なるそれぞれの世界は互いに不干渉であるものの、トリガーがあれば近しいものたちに影響を与えることはある、らしい。今回の場合は、“あちら”の世界における少年とメリュジーヌ達の関わりが“こちら”の彼女達にも影響を与えたのではないか、との事だ。ヌヴィレットの考察になるほどとうなずく。
「それじゃあ、この子が『ヌヴィレットの子』っていうのもあり得ること?」
 ぬいぐるみを抱きしめて蛍とヌヴィレットの話を聞いている少年をちらと見て問えば、ヌヴィレットはこくりとうなずく。
「君の報告通り、この仔の纏う水元素は根源に近いとても純粋なものだ。普通の生物がおいそれと宿せるものではない。些か信じがたいところはあるが私と同じ気配もする。龍の裔に相違無い。だが本来元素龍わたしたちは代替わりだ。当代と次代が並び立つ事はあり得ず、父や母、仔の概念もないはずなのだが
 言葉を切ったヌヴィレットが、少年へとその瞳を向ける。
「君の世界には私の同位体が君と並列して存在しており、君は『私』を父と呼んでいるのだな?」
……えっと……
 胎海の瞳を向けられてぱっと嬉しそうな顔をした少年は、次の瞬間こてりと首を傾げる。少年の年齢は見た目通りのそれだろうから当然だ。大人にも少々難解なこの話が、この歳の子に理解できるはずはない。
「君のいる世界にも『ヌヴィレット』がいて、君はその『ヌヴィレット』を『とうさま』って呼んでるんですか、だって」
 ヌヴィレットの問いを平易に翻訳してあげると、少年はこくこくとうなずく。
「あい! ぼくのとうさまは、ぬびれっとっていうおなまえで、とうさえっとしんぱんかんさまとおんなじおかおだよ」
 どうやら“あちら”のヌヴィレットも最高審判官であり、この子はその立場を――職務内容はともかく――理解しているらしい。咄嗟に二人称を言い換える賢さと、それが必要と判断したいじらしさに再び胸を引き絞られつつ見やったヌヴィレットは一瞬浮かべた微妙な顔をすぐに常のそれに戻すと、そうか、と呟き長いまつ毛を伏せる。何事かを思案しているようだ。
「旅人」
「うん」
「やはりこの仔は『私』の仔に相違ないと思う。『私』が何を思って彼を成したのかは不明だが、早急に元の世界へ送り届けてやるべきだろう」
 何かしら考えがあってのことだろうから、とヌヴィレットは言った。蛍もそれには同感だ。でもきっとそれは、ヌヴィレットが考えているほど複雑な理由ではない気がしていた。少年に表れている特徴や、ずっと大事に抱きしめている『お友達』を見ればなんとなく察せるものがあるので。こういう時の女子の勘は往々にして当たるのだ。だとすればきっとすごく心配しているだろう。ヌヴィレットは愛情深い人だから。ちょっとそれを表現するのが下手なのと、そうしないように律しているだけで。
「私もそう思う。具体的にはどうしたらいいかな? まさか呑星の鯨みたいに無理矢理空間に穴を開けるわけにはいかないでしょ?」
「そうだな。空間に穴を開けたとて、この仔のいるべき世界に繋がるとは思えない。一番確実なのは、この仔をこちらに引き込んだ場所から送り返すことだろう」
 引き込んだということは、その場所にはあちらの世界との繋がりがあるということ。『私』も動いているだろうし、だとすれば私が“トリガー”になれるはずだ――現状これが最もこの仔にとって安全で、成功率の高い方法だと、ヌヴィレットの下した判断に蛍はうなずいた。
「なるほど。確かに」
「方策は固まったな。では、」
「あっ、ちょっと待って!」
 早速立ち上がろうとしたヌヴィレットに静止を叫ぶと、彼は首を傾げる。
「あの秘境、魔物が大量発生してて。偵察と安全確保のためにそうだな、一時間ちょうだい」
「魔物。くらいであれば、私も力になれると思うのだが」
「水スライムなの。あと濁水精霊」
 想定エネミーの編成を苦笑と共に告げると、ヌヴィレットは微かに眉を下げたようだった。君に任せる他なさそうだ、とどこか申し訳なさげに口にされて、蛍はぽんと胸を叩く。
「任せて。もしかしたら何もいないかもしれないし、予想よりマズそうだったら撤退してくるから」
「うむ。くれぐれも無茶はせぬようにしてくれ」
「はーい。それじゃ、『お片付け』してる間、レヴィ君のおもてなしよろしくね。秘境はここ。一時間経ったら一緒に来て」
 取り出した地図に少年と出会った場所を記してそこまで言ってしまってから、あ、と思う。これは確信だけれど、ヌヴィレットは子どもの相手が得意ではない。もしかして相棒と秘境の外で待っていてもらったほうがいいだろうか。この子がしょんぼりしてしまうところは見たくないし。
っていう作戦になったんだけどいいかな? 私と一緒の方がいい?」
 少年に向かって首を傾げると、小さな頭が横に振られる。
「ぼく、とうしんぱんかんさまといっしょに、おねえちゃんのことまってる」
「私にも異論はない。心得は不足しているが、力の限りもてなしてみせよう」
 少年が可愛い、の前に妙に真剣にうなずくヌヴィレットに思わず笑ってしまった。相変わらずちょっとズレてはいるけれど気合いは充分のようだし、少年がヌヴィレットといると選択したのならそれを尊重してあげるべきだろう。
「わかった。じゃあ、ちょっと行ってくるね」
 気をつけて、がんばって、と、よく似た二人から激励をもらって蛍は執務室を後にする。万全を期すために誰かに声かけた方が確実かな、と考えて、深海を統べる公爵閣下がよぎって。
いや、ダメだ。逆にリスク」
 あの少年はほぼ確実に公爵閣下の関係者でもあるだろう。対水タイプエネミー時の火力は折り紙付きだが、彼と少年が顔を合わせて万が一塩対応でもされたなら、きっと少年は悲しむ。そんな事はあってはならない。『おねえちゃん』として、私はあの子の心の安寧を守ってみせる――ぐっ、と拳を握り、蛍は単騎出撃を決意した。



 少女を見送った執務室である。向かい合う二人の前には一つずつグラスが置かれていた。そういえば客人に飲み物すら出していなかったな、と、ひとまずとっておきの水を饗したところだ。ヌヴィレットの「どうぞ」を待ってグラスに口をつけた幼仔がぱちりとライラックを瞬いた。
「モンドのお水!」
「その通りだ。君は水の故郷がわかるのだな」
「とうさまのこだもん」
 容易く産地を言い当てられて目を見開き、ふすんと誇らしげに笑う顔に何故かじわりと胸がぬくまる心地がする。おいしい、と言ってくれるのが嬉しくて、つい国を変え採水地を変えコレクションを披露してしまった。まさか『私』はこれ・・を望んでこの仔を、とまで考えてしまって、それならば『次代』である必要はないか、と思い直す。水を感じる味覚だけならば眷属で十分だし、テイワット中を探し回れば一人くらい、鋭い味覚を持つ人間もいるだろう。そもそも己が健在の状態で次代を成す事にはリターンよりリスクの方が大きい。リスクを理解した上で必要に迫られて、だとすればわざわざ「この大きさで」成したのも不可解だ。同位体のことながら。
「しんぱんかんさまは、おちゃはのまないの?」
 『私』は案外理解し難かったのだな、などと耽っていた物思いを、幼仔の問いかけが破る。
「茶か。頂く時もあるぞ。主に客人が来た時などだが。君は茶を好むのか」
「この、む?」
 返答にことりと首を傾げられて、何故そこで、と不思議に思って、少女のしていたことを思い出す。そうだ、子、というものには、基本的に平易な言葉で語りかける必要があるのだった。龍や仙人、妖怪など見た目と生きてきた年月が合わない存在はこのテイワットに多く存在するが、この仔に関してはほぼ見た目通りと思って間違いないだろうと、ヌヴィレットはこれまでの少ないやり取りで判断する。
「ええと君は茶が好きなのだろうか?」
 平易に、と考えて、メリュジーヌ達のおしゃべりを参考に言いなおした問いかけに幼仔はうなずいてくれた。今度はきちんと届いたらしい。
「ぼくね、お水もおちゃもいっぱいのむよ。パパのおちゃおいしいんだよ」
 不意に飛び出してきた単語に、意思疎通に成功した微かな達成感と共に水を味わおうとグラスにかけていた指を止める。そうだ、そもそも幼仔を『もてなす』と決めたのは、この仔が単なる次代ではないと直感が、いや、本能が囁いたからだった。
君には“とうさま“と“パパ”がいるのか」
 水の素晴らしさを共有できたことに忘れかけていた本来の目的を思い出して無意味に咳払いをひとつ。改めて重ねた問いに、幼仔はにっこりと笑った。
「ん! ぼく、とうさまとパパのこなの」
 自分を写したような見目の幼仔。けれどその髪には一筋、深海のような黒が混じっていて。
 自分と同じ、毎朝鏡で見る原初の海に似た色の瞳は、自分のそれよりも青みがかかっている。
 少女が出会った時から肌身離さず大切に抱きしめているらしいぬいぐるみは黒い狼の姿をしていて。
 “パパ”の淹れる『美味しいお茶』が、この仔は好きだと言う。
 極め付けは原初の水に混じる氷元素の気配だ。『力』として発現することはないと断言できるほどの微かなそれは、けれど水に呑まれることなく、確かにそこにあるのだと、『目』を持つ者に語りかけてくるだけの存在感を持っていた。
 これはどうやら確定だ。何がどうなってそうなったのかは不明点しかないけれど。
 頼れるビジネスパートナーで、人の心の機微の師で、ヌヴィレットにとって片手で数えるほどの「個人的な付き合い」のある男。だと、ヌヴィレットは彼を認識しているけれど、『私』はそこにそれ以上の何かを感じたのだろう。本来ならばまだ必要のない『次代』を、本来ならば必要のない『もう一人』と成すほどに。
 龍の『つがい』は特別なものだ。書面を重ねてサインをすれば済むような、ただの契約とは違う。生命として人間よりも上位に属する元素龍は強制的に相手の魂を縛ることもできるけれども、そうして縛った彼は彼ではなくなってしまうだろう。それは『私』の望むところではないはずだ。それに何より、そんな歪なつがいから生まれた仔がこんなに真っ直ぐに親を慕うはずがない。
「レヴィ君、と言ったな」
「あい」
「君の“パパ”の名前を教えてくれないだろうか」
 などと並べ立ててはみたものの、結局のところ。
 仔を成すほどの強い繋がりを誰かと持つならそれは彼がいいと、自分が思ってしまっているからありもしない影を探してしまっているのでは。
 だとしたら今までの考察はコアのないマシナリーと同じなのでは。
 不意に、そんな事を思ってしまって。
 確信を得るべく幼仔へそう申し出ると、幼仔は大きくうなずいてくれて。
「パパのおなまえはね、えっと、りお、りおせ、りおちぇちゅい!」
ふふ。そうか」
 それから何故か拳とまぶたをぎゅっと閉じながら教えてくれた“パパ”の名前は予想に確信を与えてくれたと同時に途方もない微笑ましさを連れてきた。失礼と知りつつ、つい笑みがこぼれてしまう。
「うーパパのおなまえ、むずかしくて、ぼくまだちゃんといえないの」
「そうだな。確かに、リオセスリ殿の名前は少々言いにくいな」
 それに憤慨するでもなく、幼仔は唇を尖らせてまた言えなかったと悔しそうに言う。それを聞いて、いつだったか「長ったらしくて言いづらい名前を名乗っておくと絡まれにくくなる」と彼が戯けて笑っていた事を思い出した。これは『彼』にとってきっと想定外だったろうけれど。
「でもね、パパいつもまんてんくれる」
 鋭意練習中なのだと話してくれた幼仔がふにゃりと表情をとろかす。
「まんてん?」
「うん。かわいいからひゃくてんまんてんなんだって」
 くふくふと響く笑い声が愛らしい。そうか、『彼』は我が仔にこのような顔をさせる父親なのか――幼仔の視線の向こう側に壁炉の家の子どもたちを構っている時のリオセスリの楽しそうな顔が浮かんで、『私』のことを羨ましく思った。
君は“パパ”に大切にされているのだな」
「たいせつだいじってこと。ん! パパも、とうさまも、だいじだいじしてくれるよ」
「そうか。良いご両親なのだな」
「ん!!」
 だいすき、と明るく笑う幼仔に、胸の奥がツンとした。別の世界の自分の仔、などと言われて正直なところ戸惑っていたしまさかこの私がと信じられない思いもあったが、幼仔を見ているとそんな未来があっても良いかもしれないと思えてくる。それはきっと、この幼仔の片親の存在もあるのだろう。彼とならあるいは――
「と、しんぱんかんさま?」
 幼い声に呼ばれてはっとする。何かとんでもないことを考えていた気がする。片親も何も、自分と彼は恋仲ですらないのに。
「いやなんでも、ない。考え事をしていた」
 幼仔の頭をそっと撫でたのは無意識だった。メリュジーヌ達へのそれのように、つい慈しみと愛おしさが溢れてしまったのだ。本来であれば親の許しなく仔に触れるべきではない。それが同胞の仔であってもだ。あ、と思ったが、幼仔は心地良さげにヌヴィレットの手を受け入れてくれていて、やはりこの仔は『私』の仔なのだと、認識を確かにすることになった。



 ――秘境の入り口。
 約束通りの時間にやってきた二人はしっかりと手を繋いでいて、蛍は思わず瞬く。おねがいしたの、と嬉しそうに笑う少年と満更でもなさそうなヌヴィレットのさまは、「親子です」と言われれば何の疑いもなく「でしょうね」とうなずけるほど自然だ。子育てするヌヴィレット、「ある」かもしれない。今度フリーナ達とお茶会した時の話題にしよう――こっそりと脳内のメモにそれを書き留めて、三人で秘境へと踏み込む。仕掛けは解除済み、敵性生物も排除済みだ。特に苦労することもなく、一行は秘境の最奥へたどり着いた。
特に変わったところはないね」
「そのようだ。君がこの仔と会ったとき、何か違和感などはあっただろうか」
「うーん
 石化古樹はいつものように静かにそこで輝いている。少年と会ったときは古樹の前に最後と思われる仕掛けがあって、それに触れた瞬間に閃光が走った。けれどそれがきっかけだったとはちょっと考えにくい。もしもそれがスイッチだったとしたら世界中の秘境で今日のようなことが起こりかねないし、そんなことになっていたら秘境最奥の仕掛けへの注意喚起が冒険者協会から出ているはずだ。蛍の証言にふむと思案げに呟いたヌヴィレットは、次いで少年へとその目を向ける。
「君は? “こちら”に来てしまう前は何か感じたりなどしなかっただろうか」
 水を向けられた少年は、ううんと唸って首を振った。
「わかんないあのキラキラのきをさわったらね、ぴかーってなったの」
「そうか、古樹に触れたのだな。ものは試し、と言う。もう一度樹に触れてみてくれ」
大丈夫かな?」
「問題ない。万が一があれば、私がこの仔を護る」
 大切な預かりものだからな、と、淡々と告げる口調はいつも通りだけれども、執務室で顔を合わせたときにはなかった温もりをそこに感じてなんとなし嬉しくなる。やはり家族はこうでなくては。正確にはこの子の“とうさま”は彼ではないけれど。
 こくりとうなずいた少年の小さな手がそっと古樹に伸びた、その瞬間。
 審判の開始、若しくは判決を告げる、荘厳なる鐘の音が響き渡る。呼応するように蒼く輝く石化古樹の前に、水を統べる古龍の紋が浮かび上がった。
 ざあ、と、そこから水が溢れ出る。それはさながら滝のように流れ落ち、地面に触れる前に煌めきとなって消えていく。幻の滝がカーテンを両側から引いたように割れると、人ならざる御業を行使したものの姿が顕になった。
 たなびく銀の髪。造り物めいた美貌。髪から覗く二対の蒼と翻る装束の裾は紋と同じ色の光を宿していて、美貌を彩る宝石のような瞳は力の行使に呼応して煌々と輝いていた。見間違いようもない。フォンテーヌ最高審判官にして水の大権を持つ古龍の継嗣、ヌヴィレットである。
 突き立てられたステッキに添えられた両手にふと違和感を覚える。冒険者の性でつい凝らした目は、彼が珍しくも素手であることを教えてくれた。ついでに左手の薬指に銀色の輪が嵌っているのに気づいてしまってそわそわする。お茶とお菓子を用意して根掘り葉掘り聞きたい、そんな類のそわそわだ。そんな場合でないのはちゃんとわかっているけれど。
 よく知るヌヴィレットと少しだけ違うヌヴィレットは、その瞳でこちら側をするりと撫でて。
「ああ……!」
 吐息のように呟いて美貌をくしゃりとゆがめ、躊躇いなく地に膝をつき伸ばしたその腕で少年を抱きしめた。放り捨てられたステッキが、光の欠片となって異空間へと消える。
「レヴィ。私たちのレヴィ。心配したぞ。無事でよかった」
「とうさま」
 驚きにだろう、固まっていた少年がぽつりと呟き、小さな両手が怖々とヌヴィレットの背に回る。
「とうさまぁ……!」
 その手がきゅうと服に皺を刻み、少年の泣き声が響いた。肩にうずまる小さな頭を撫でてヌヴィレットは息をつく。安堵のこもった、重く深い息だった。
「色々なものに興味を持つのは良いことだが、見知らぬ物には一人で触れないようにと言っただろう。今度から、秘境に入ってしまったらそこを動かないようにしなさい。幸いこうして迎えに来られたが、おまえを探している間とうさまとパパはとても心配だったし、二度とおまえに会えなかったらどうしようとすごく悲しかった」
「あいごめんなちゃい
 少年の頬を包み、濡れた瞳を覗き込んだヌヴィレットが滔々と『お説教』するのを信じられない思いで聞く。佇まいは同じなのに、目の前のヌヴィレットは雰囲気も口調も隣のヌヴィレットと違う。全体的に柔らかくて穏やかな、水の持つ慈愛の一面が強く現れているような、そんな印象。ちなみに“こちら”のヌヴィレットは命あるものに等しく降り注ぐ雨のような、静かで凜とした印象が強い。
「痛いところは? 怖い思いはしなかったか?」
 分かってくれたなら良い、と微笑み、少年の額に唇を寄せたヌヴィレットが白い頬を転がり落ちる涙を拭いながら問いかける。少年はふるりと首を振った。
「おねえちゃんとしんぱんかんさまがたすけてくれたから、だいじょうぶ。でもね、でも、とうさまとパパのところにかえれなかったらどうしようって、こわかった」
そうか」
 前半は笑顔で、後半は眉を下げてぽそぽそと答える少年を抱き上げたヌヴィレットは、あやすようにその背を撫でながらこちらに目を向ける。
「うちの仔が世話になった。心から感謝する。好奇心旺盛な仔ではあるのだが、まさか界を越えるとは思わず貴殿らに会えていなければどうなっていたことか」
「気にしないで。レヴィ君がちゃんと“とうさま”に会えて良かった」
「彼女の言うとおりだ。こちらにはなんの不都合も生じていない。貴殿が気に病む要素は無いので安心して欲しい」
 見てわかるくらいに眉を寄せるヌヴィレットはなんだか新鮮だ。そういえば“あちら”のヌヴィレットは表情も豊かな気がするなぁ、なんて思いながら笑顔で応じる蛍と、自分のそっくりさんと対しているというのに通常運行の“こちら”のヌヴィレットに、“あちら”のヌヴィレットはゆるりと目を細める。
「全ての世界に同じ道筋が用意されているわけではないのは承知の上ではあるのだが私が私であるならば、いずれ収まるところに収まる。そう・・なった暁には、どうかよくしてやって欲しい。貴殿のように世界を旅する「お兄ちゃん」にこの仔はよく懐いているのだ」
「任せて。子どもの相手は得意なんだ」
 蛍の答えにふわ、と微笑んだ“あちら”のヌヴィレットは次いでヌヴィレットを見て肩を振るわせた。
事が成れば彼女に大いに面倒をかけることになる。どう転ぶにせよ、今から友誼を確かにしておくことを推奨しよう」
「ううむ。助言感謝する
 目を見開きこくりとうなずくヌヴィレット、というこちらはこちらで珍しいさまに、つい「わあ」などと声が漏れてしまう。語彙力は異空に消えてしまった。子育てしてるヌヴィレット、すごい。なんか、いろんな火力が。
時間のようだ。私たちは失礼させて頂こう」
 “あちら”のヌヴィレットの目線を追って見上げた紋の光は薄れてきていた。無理矢理繋いだ回廊が閉じかけているのだろう。“こちら”のヌヴィレットがふと身をかがめ、何かを丁寧に拾い上げる。
「レヴィ君」
?」
「『友人』を忘れているぞ」
 彼がそっと差し出したのは黒い狼のぬいぐるみだった。“とうさま”との再会の勢いで地面に転がってしまっていたようだ。片手で“とうさま”の服をしっかりと握った少年が、差し出した小さな手でぬいぐるみを大切に抱きしめてへにゃりと笑う。
ありがとぉ、とうさまじゃないとうさま」
 ぽろりとこぼれ落ちたそれに、ヌヴィレットが瞬く。きっと安心して気が抜けたのだと、あとで教えてあげなくては。この子はずっと、彼のことを「とうさま」と呼ばないように頑張っていたのだから。
「もう忘れ物はないな? さあ、レヴィ。ご挨拶を」
「あい! おねえちゃん、しんぱんかんさま、ありがとうごじゃました!」
 ばいばい!と笑顔で手を振る少年と、腕の中のその子を宝物にするように抱きしめたヌヴィレットの姿が水の幕に覆われて霞んでいく。
「パパは?」
「ここを出たらすぐに会えるとも」
「パパのおちゃのむ」
「そうだな。おまえの好きなミルクティーを淹れてもらおう」
 水の向こう側からそんな会話がぼんやりと響いて、蒼い光が輝きを弱め。
 ざあ、と打ち寄せる波のような音を最後に、石化古樹は見慣れた姿に戻った。
「ヌヴィレットって慈愛に全振りするとああなるんだね
 すごく綺麗でドキドキしちゃった。
 泡沫の面会を終え、呆けてしまった頭で呟く。ナヴィアやフリーナが『感情理解初級』『情緒初心者』などと評する彼に人並みの情緒が備わるとこうなるのかと、『彼』の少年への接し方を思い出しながらため息をつく。あれはなんというか。あのまま歩かせていて大丈夫なんだろうか、“あちら”のフォンテーヌは。詮無いことをつい考えてしまう。少なくともあの調子で執務を執られていたら、パレ・メルモニアは死屍累々になりそうな気がするしスズランは花畑になりそうだけれども。
「うむ私にもあのような顔ができるのだな
 ふにふにと頬に触れながらどことなく呆然としたように答えたヌヴィレットが、その手を胸へと移す。リオセスリ殿、とこぼれ落ちた名に、もう一度あの子に会える日も近いかもしれない――蛍はそんなことを思ったのだった。


「ね、公爵」
「ん?」
「もし君の前にヌヴィレットそっくりのすっごい可愛い男の子が現れて、その子に『パパ』って呼ばれたらどうする?」
「君みたいに可愛い子の『パパ』になった覚えはないな」って答えるかな」
「会わせなくて良かった〜〜〜!!」