小雨
2025-04-11 17:24:11
2837文字
Public おはなし
 

桜吹雪の教室で

宇宙で一番2展示用、あた面SS

「あ」
 あたるはぴたりと立ち止まる。
 ふわふわと隣を飛んでいたラムが不思議そうに首を傾げた。
「どうかしたっちゃ、ダーリン?」
「忘れ物した……
 あたるは学校の方角を振り返る。そんなことをしても、忘れ物が手元にやってくるわけではないのだが、周囲の建物から突き出た校舎の丸い時計をあたるはつい見つめてしまう。
「何を忘れたっちゃ?」
「コースケに借りたカセット……ガッコーに置き忘れてたなんて明日言ったらあいつ怒るだろうな〜」
 オーディオ好きのコースケが、ああいうものをどれだけ大切にしているかわかっているぶん、雑な扱いをするとどんな反応が返ってくるかも想像はつく。
 おまけに、今いる場所を考えると、まだ家よりも学校のほうが近い。あたるはため息をついた。
「しゃ〜ない、取りに行くか」
「うちは先に帰ってるっちゃ!」
「お〜」
 ふわっと家の方角に飛んでいくラムにひらひらと手を振って、あたるは学校に向かって道を引き返していった。



「あ」
 がらっと教室の扉を開けたあたるは、また立ち止まった。
 窓の外では桜の花が満開である。風に揺れ、はらはらと舞い散る花びらが、あたるの位置からでもよく見えた。
 いつもは人で賑わっている教室も、みんなが帰った今は広々として見えた。だが、そこに一人だけ誰か残っていたのだ。
 あたるが動きを止めた原因になった男は、あたるの前の席で机の中を覗いていたが、扉の開く音とともにぱっとこちらに顔を向ける。
「諸星か」
「げーっ、なんでおまえがいんだよ、面堂」
「それはこちらの台詞だな」
 面堂は冷ややかにそう言って、もういちど机の中を覗いて本を一冊取り出した。
 あたるも教室の中へ入っていって、面堂のすぐ後ろにある自分の席のまえで身をかがめ、机の奥深くから紙袋に入ったコースケのカセットテープを引っ張り出す。目的を果たせて、あたるはホッとした。
「おまえ帰ったんじゃなかったのか?」
「忘れ物を取りに来たんだ」
 面堂はあたるに机から取り出した本を見せる。あたるは表紙の文字を読んで、げんなりした。イマヌエル・カントの『実践理性批判』とかいう、いかにも面堂が選びそうな、死ぬほど退屈そうな本だった。
「ま〜たつまんなそうな本読んで……
「なんだと?」
 あたるの感想に面堂はむっとした顔をするが、すぐに思い直したようにふっと笑って肩をすくめた。
「ま、読書の習慣なんぞ無いきみにとっては、どんな本だろうがつまらないのだろ〜な!」
「おれだって本くらい読むわい!」
 むかっとして咄嗟に言い返し、そしてすぐに後悔した。
「へえ、読むのか? たとえばどんな本を?」
 まさかそこに面堂が食いついてくるとは思わなかったのだ。
「なんだっていいだろ〜が!」
「だって、気になるじゃないか。きみは何を読むのだ?」
「ど〜せ言ったら笑うんだろ。言うもんか!」
 すげなく返すと、面堂は机の上に腰掛けて含みのある笑みを浮かべる。
「やはり本など読まないからタイトルを言えないんだろう!」
「嘘じゃないっちゅ〜とるだろうがっ! そこまでいうなら言ってやる!」
 すると面堂は身を乗り出して、あたるが口を開くのをじっと真剣な顔つきで見つめてくる。あたるはちょっとたじろいだ。そこまで興味津々な態度を取られると、なんだか言いづらい。
 だが、ここまで来たらもう引き下がれない。あたるはこくりと唾を飲み込んでから、ぼそりと直近に読んだ本のタイトルを口にする。
「わ……若草物語……
「若草物語?」
 面堂は、ぽかんと口を半開きにして固まった。それを見て、やはり言うんじゃなかったと思った。じわじわと頬に熱が集まり始める。
「くくく……
 案の定、面堂は口元を抑えて笑い始めた。だから嫌だったのである。
「まさかきみの口からそのタイトルが出るなんて……
「笑うなと言うとろ〜が!」
「だ、だって、諸星がそんな……ふふふふ……
 結局この男は、あたるが本を読むということ自体がおかしくて仕方ないのだろう。次に機会があったら、今度こそ闇に乗じて抹殺してやりたい。
 ひとしきり笑い終わってから、また面堂が口を開いた。
「まあ、よく考えてみれば、きみらしい本じゃないか」
「まだからかおうってのか?」
「そうじゃない。その小説はぼくも読んだことがあるが、思いやりの深い優しい話だな。良い本だと思ってる」
 そう返ってくると思わなくて、あたるは閉口した。まだこちらをからかっているのかと思ったが、面堂の浮かべている微笑みには揶揄する意図は感じられなかった。
 あたるはなぜか、また頬が少し熱くなるのを感じて目をそらす。視線の先、窓の外では相変わらず桜がきれいに花開いている。
「なあ諸星、交換読書をしないか」
「は?」
「ぼくはあまり小説を読まないんだ。だから、きみのおすすめを読んでみたい」
「おまえのすすめる本なんて死ぬほどつまんなそうだな」
「そうと言い切れるか? きみが自分からは読まなくても興味を持ちそうな本、いくらか心当たりがあるぞ」
……
 あたるは少しためらってから、挑むように面堂を見据えた。
「い〜だろう! おまえの選ぶセンスがどんなもんか、確かめてやろ〜ではないか!」
「じゃ、決まりだな」
 面堂は例の退屈そうな本を学生鞄にしまいながら、「明日きみのための本を持ってくるから、きみも明日なにか持ってこい」と素っ気なく言う。なぜ面堂なんぞに命令されなければならないのかちょっとムカついたが、あたるはグッとこらえた。文句を言うのは、あたるの思ったとおりに面堂がつまらない本を持ってきてからにすればいいのだ。
「それじゃ、またあした」
「おう。またあしたな」
 面堂は、さっさと教室から出ていった。あたるもコースケのカセットテープを鞄にしまい、ぱちりと蓋をする。
 外で少し強い風が吹いて、今までで一番たくさんの桜の花びらがひらひらと窓の外を舞った。雨のように降り注ぐ無数の花びらの舞を見ているだけで、なんだか不思議と眠くなってきた。あたるは小さくあくびする。
「い〜い天気だなあ……
 今頃ラムは家についた頃だろうか。こんないい天気の日は昼寝するに限る。もしくはガールハント。でも、こんなに眠くなってしまったから、今日は家でゆっくり眠ってしまいたい気がした。
 鞄を肩に引っ掛けて、教室の扉を出ていく。面堂はもう階段を上ったか下りたかしたらしく、あのむかつく白い制服は廊下にはもう見当たらない。そして廊下をノロノロと歩きながらあたるはふと思った。面堂と、別れるときの挨拶をしたのは今日が初めてだったのではないか、と。
「ふわわ〜……
 あたるはまた欠伸をした。はやく家に帰ろう。帰ってよく寝よう。そして、あした面堂に押し付ける本はいったい何にしようかと、あたるはぼんやり考え始めた。
 今日は実にいい天気である。