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いを
2025-04-10 18:28:23
4360文字
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刀神
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汝、心音よりも低く在れ
政親、あるいは青嵐
・すこしだけ、蓮人さん【EBIFLY_72】
お借りしています
自分にできることなど、いくつもない。若輩者だから当たり前だろうけれど、それを言い訳にどこぞに逃げるつもりは毛頭ない。彼が
――
雲井青嵐
おばけのおじさん
が「逃げられない」というのだから、本当に逃げられないのだろう。義務、というものから。
手のひらをみると、肉刺ができていた。半年間訓練生としてつとめていた証だ。けれどこの手のひらを誇ろうとはしないし、下っ端でいることも存外、心地が良かった。
そう。自分にできることなど、いくつもないのだ。
自分の無力さを嘆くことすら、烏滸がましい。
「おばけのおじさん、お祓いするときってどんな気持ちでしてるん」
そう尋ねたことがある。彼は目を細めてから杏色の空を見上げた。
「
……
とくに、なにも。ただ、怒りと憎しみを引き抜くんです。彼らから。そうすれば穏やかな魂になり、天に昇れる」
「そんなこと、できるもんなの」
「彼らにも一応、感情のようなものがあります。だからこの地に縋りつく。その感情をコントロールするのが私です」
「なんや、怖いわ」
その頃は中学生だった。彼からこっそりと教わったことがある。人間ではないものと交信する
術
すべ
を。
けれども青嵐はその術をこころの内にとどめ、しかるべき時、しかるべき意思を持ったときに使いなさいと伝えた。今思えば彼は政親を試していたのだと思う。
それに値するかどうかを
・・・・・・・・・・・
。
雲井青嵐という男に初めて会ったときのことを思い出す。
「私は雲井青嵐と申します。君は比売政親くんですね」
すべてを見透かしたような瞳で、彼はいった。小学校3年生のころ、政親を育てた乳母につれられて雲井家のある関東にやってきた。彼の後ろの刀掛けには、刀があった。今思えば妖刀であったのだろうけれど、かたわらに刀神は存在していなかった。
「はじめまして。比売家から参りました。わたくし●●と申します」
緊張したおももちで乳母がいい、彼女に背中をわずかな力で押されて頭を下げると、青嵐は血色の瞳孔を政親に向けた。ほほえんでいたのだろうか。思い出せない。
「私のことはおばけのおじさんとでも呼んでください。おじい、でもいいですよ」
彼は正座したまま腰をわずかにおり、政親の目を覗き込む。このとき、やはり見ていたのだと思う。政親の「目」を。そして、試した。
懐から親指大の瓶を持ち、政親の目の前でゆっくりと振ってみせる。目玉がつられて蠢いた。
「なんや、これ。気味悪いわ」
「これ。坊ちゃん」
隣で見ていた乳母がふいに叱った。
だが、見えたのだ。瓶の中にちいさな蛇
――
腕
――
大きさも太さもいびつな腕が六本、生えている
――
赤い目の蛇が。
青嵐は一度頷いて懐にそれをまた戻し、●●の顔を見据えた。
「比売家では〝この子はかわいそうだ〟と言われているようですね」
乳母がたじろいだ。着物の衿から白い枝のように生えている、首の後ろ
――
うなじから、後れ毛が落ちた。
「なにも、本家に言いつけたりしません。その資格は私にもありませんから」
手を隠すように、彼は袖に両手首を入れた。目尻はやさしくゆるんでいたが、その次のことばに、有無を言わさない感覚を覚えた。
「この子が中学校に上がったら、こちらで預からせてもらいたい」
「えっ」
「比売家のご両親には言付けています。
……
了承も、得ています」
「ぼく、ここの家の子どもになるん」
口を挟むと、青嵐の赤い目が乳母から移った。蛇のような目だと思った。
「いいえ。苗字はいまのままですし、あなたの御尊父も御母堂も、ずっと変わりません」
そのとき安堵する気持ちが薄らいでいたのが不思議だった。もやのように、掴んでもなにも手に残らない気がしたのだった。
「心細いと思いますが、この子が生きるためです」
「
……
心細いなんて思えへん。どこにいっても同じや」
「●●さん、一度下がっていただいてよろしいですか」
「は
……
。坊ちゃん、お行儀良くね」
●●は指先を畳に添えて一度頭を下げた後、そっと立ち去った。
大きな家の隅の大部屋。縁側が大きく開いているが、その両脇にはとても重たそうな木の扉がどっしりと構えている。
残された政親は、部屋をじっと眺めた。
「この部屋、なんや暗いなあ
……
」
「私が
白子
アルビノ
なので、陽の通らない部屋をいただきました」
空はどんよりと曇っている。雨でも降り出しそうだ。青嵐はすっと音もなく立ち上がり、縁側の両脇にある扉に手をそえた。
「この扉は濡れ縁と言います。滅多に開けないのですが、今日は天気が悪いので開けました」
ざらざらとした扉に触れていると、反対側から取っ手をひいて青嵐が濡れ縁と呼んだ扉を締めた。ガタガタと立て付けの悪そうな音が聞こえる。自分もできるだろうかと、もう片方の扉に手をかけてもうんともすんとも言わなかった。
「コツがあります」
苦笑して、彼はあっという間に濡れ縁を締めた。
「
……
真っ暗や」
「私には丁度いい明るさです。さて、政親くん」
暗い水の中のような部屋に、ぼんやりと男の青白さが浮かび上がったように見えた。先ほどと同じように真向かいに坐り、膝に手のひらを乗せるとじっとりと汗をかいた。
「先ほどの瓶の中、なにが見えましたか」
「小さい、へんな腕が生えた蛇。白かった」
「そう。そのとおり、腕の生えた蛇です。私が作りました。見える人間にしか見えない蛇」
「そんなの、つくれるん?」
「ええ」
彼は、ただすげなく頷いた。
青嵐が刀遣いであることは知っていたが、こんなものも作れるなんて思ってもみなかったのだろう。無情に頷いた男に小指の爪ほどの恐怖と畏怖をおぼえながら、政親は「おじい」と呼んだ。
「はい」
――
そして彼は懐かしそうに笑った。
雲井青嵐という男はいたって穏やかだが、その白いかんばせの下に蛇のような魂を持っているのではないか、と思うようになったのは、はじめて顔を合わせた日の夕暮れどきだった。
手を掴んだ体温はひんやりとしていた。そして覆いかぶさるくらいしかできないような、ほの暗い霊。目もとを腫れさせながら、政親を「コウ」と呼んだ。
気を失った人間、それも男ならばなおさら重く感じる。心音と呼吸音は正常だったけれど、背負っているものが悪かった。さいわい政親のほうが背が高かったので背負うことはできた。救急車を呼んだ方がいいと思ったが、ここで「だれか」と重ねたであろうこの人と離れるのは少々はばかられた。
烏滸がましいことをしていると自覚しながら家につき、ソファの上に寝かせる。小さくて細いと思った。へばりついたそれはもぞもぞと動きながらも、苦しそうにしている。天に上がることもできず、この地にとどまる力も殆どない半端な存在だ。
スマートフォンで電話をかける。数秒後、「どうしましたか」という平らな声が聞こえてきた。
「なあおばけのおじさん。今からぼくの家これる?」
「珍しいですね。なにかありましたか」
「弱いものだと思うんやけど、
……
えーっと。拾ってしまって」
「
……
それこそ珍しい。20分ほど、もちますか」
ちら、と名も知らぬその人を見る。今すぐどうにかなるようなものでもないだろう。そのまま答えると、青嵐はそのまま電話を切った。
彼は「待てますか」ではなく「もちますか」といった。すなわち、その「なにか」をすでに分かっていたのだろう。
自分にできることなどなにもない。それくらい、弁えている。
ソファの近くに膝をついて、ぼんやりとその人を見つめた。
「あんなに必死になってたら、振りほどけへんわ」
ごめんなさい、と謝っていた。一体誰に
――
あるいは、何に謝っていたのだろう。
とりあえず水とコップふたつを持ってきて、ローテーブルに置く。彼が目を醒ましたら飲ませようとしたのだけれど、一向に目が覚めない。
わずかに不安になってきたとき、玄関のほうで呼び鈴が鳴る。扉を開けると帽子を被った青嵐が立っていた。
彼はあごを少し上げ、においを嗅ぐように首を動かした。
「たしかに、弱いものですね。
……
お邪魔します」
「おばけのおじさん、もう上がりやった?」
「ええ」
手短な答えを聞き、先導してソファに向かう。コップの水に青嵐は視線を移した。膝を折ってそれを見つめ、「飲みましたか」と問われる。
「いや。ぼくは飲んでへん」
「霊は水場に吸い寄せられます。良い判断でした」
彼はソファの前に坐り、柏手を一度、打ち鳴らした。
「此の水を
天之忍石
あめのおしは
の長井の
清水
きよみず
と
幸
さきわ
ひし給へ」
水を清める
祓言
はらえごと
を口にし、なにも入っていないコップに水を注いだ。
「これを彼に飲ませてください。おそらくこれで大丈夫でしょう」
ソファに近づくと、もうあの霊のようなものはいなくなっていた。減った水と関係があるのだろうか。
焦げ茶色の髪の毛をした男性の肩をそっと揺さぶるとちいさな呻き声が漏れ、ゆっくり目が開かれた。
「
……
あ
……
」
掠れた声だった。
怯えたような瞳でこちらを見上げてくる。
「ここ、ぼくの家。で、こっちのおじいが
……
」
「天照下緒院所属の雲井青嵐と申します。起き上がれますか」
いたって穏やかな声だった。
「まずはこの水、飲んでください。気分がよくなるはずです」
目を伏せたままの彼は、おそるおそるといったように、コップを受け取り、飲みこんだ。
「ありがとう
……
ございます」
「嫌なものがありましたね。取り除いておきましたのでご安心ください」
「ぼくは比売政親。兄ちゃん、誰かと見間違ってたみたいやし。なんだか、そう
……
訳ありっぽかったから、連れて帰ってしもうた。気分まだ悪い?」
ゆるゆるとかぶりを振り、やがて視線を自分の膝に落とした。
「大丈夫やて。ぼくも天照の人間やさかい、安心して」
「天照
……
」
ぽつり、と彼が呟いた。
「政親。あとは任せます」
「ん、ああ。ありがとな。おばけのおじさん」
「それから、こちら。お守り代わりに彼に持たせてください」
鞄の中から取り出されたのはちいさな紙片。朱色の筆で文字が書かれているが、なにが書かれているのか分からない。
「おお。下緒院の御札。大盤振る舞いや」
「ひとつ、貸しですよ」
げっ、と顔をしかめる。しぶしぶうなずくと青嵐は「家に帰ったら物忌みです」と言いながら帰っていった。
青嵐に貸しを作ってしまった。
けれどまあ、いつも大したことではないから今回も同じだろう。
政親はソファのすぐ近くの床に坐り、「なあ、兄ちゃん」といった。
「あなたの名前、教えてくれへん?」
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