riririnf
2025-04-12 12:00:00
4068文字
Public
 

12時を越えても

《なみセレ》有志企画【水の国の御伽噺】
テーマ『シンデレラ』
※主催とりのき様(@Owl_5151)

 窓越しに差し込む穏やかな春の陽射しが心地よい午後。フォンテーヌの頂点に立つ尊き水神──フリーナは、豪奢にしつらえられたソファに腰掛け、ある一点を見つめていた。
 麗しの女神の熱視線を受け、無関心でいられる者はそういない。とはいえ、何事にも例外というものはある訳で。
 ある一点──フォンテーヌ最高審判官ヌヴィレットは、そんな数少ない例外の一人だった。
 彼は自国のトップ兼直属の上司のことなど気にもかけず、窓際の椅子に座って静かに本を読んでいる。
 ページを捲る微かな音だけが響く空間で、フリーナは直属の部下を観察する。
 仕立ての良いオートクチュールの白シャツに、青のベスト。胸元のループタイがさりげなく全体をまとめ、洗練された印象を添えている。
 水神の次に高い地位を誇る最高審判官にしては質素な装いだが、物足りなさなど微塵もない。むしろその簡潔さが、素材の良さを際立たせる。
 春の麗らかな光を受け、艶やかな銀の長髪が柔らかに煌めく。伏せられた長い睫毛が微かな影を落とし、そのすべてが整った顔立ちを引き立てて、静謐な美を完成させていた。
 ……随分、それっぽくなったじゃないか。
 彼のコーディネーターでもあるフリーナは、自らの作品の出来栄えに満足し、そっと口の端を持ち上げた。
 フォンテーヌ廷に来たばかりの頃、「服を着ること、ましてや飾り立てることになんの意味が?」なんて怪訝な顔されたことを思い出す。
 今の彼は毎日お利口にフリーナが用意した衣服を着て生活している。「動きづらい、鬱陶しい」なんて文句も言わなくなった。
 本当に、見違えたものである。
「フリーナ殿、少しいいだろうか。分からない記述があるのだが」
 前触れなく静寂を破る音色は、丁寧ながらも淡々としている。まあ、これが彼の自然体なので、特に気にすることもない。
 だからフリーナは、真っ直ぐにこちらを見つめる薄い紫色の瞳に、にこりと小首を傾げて笑ってみせる。
「ああ、いいよ。なんだい?」
 フリーナは人間社会においての、彼の教師役だ。服装については勿論、食事のマナー、文化、挨拶、およそ人と関わる上で必要な知識、その全てを教えている。
 『鏡の中の僕』の考えのもと、フォンテーヌ廷に招かれた彼は、用意された最高審判官の役をこなすため、法知識を最優先で学んだ。
 彼の吸収速度は全てを受け入れる水の如くに凄まじく、あっという間に望まれた地位に足る了知をおさめた。
 だから今彼が学んでいるのは、後回しにした、その他の部分だ。人間社会に馴染むために、必要なこと。
「この物語にある『硝子の靴』とは、なんだ?割れやすく、合理的な素材だとは思えない」
 ぱちり、とフリーナは目を瞬かせた。
 本を選ぶのはヌヴィレット自身に任せていたから、まさか童話を読んでいたなんて、思いもしていなかった。
 往々にして童話とは教訓ありきの深い話も多いから、まったくの見当違いという訳でもないけれど、あんな真面目くさった顔で読むものでもないと思う。
 ……いちいち気にしていたら、キリがないか。
 人とは異なる感性を持つ水龍は、度々突飛なことをしでかす。これくらいで戸惑っていては、とても付き合っていられない。
「はあ……、分かってないなあ、キミは」 
 フリーナは素早く思考を切り替えて、やれやれ、と両手を掲げて首を振る。
 そうは言いつつ、疑問を持つこと自体は良いことだとも考える。漫然と情報を受け流すだけでは、成長は有り得ない。
 そう思えば、なかなかに出来の良い生徒でもある。
「日常では有り得ない素材だからこそ、特別感があっていいんじゃないか。主人公の娘が明るい未来への一歩を踏み出すに、相応しい装いだろう?」
 だから、丁寧に答えてやったのに。
……理解しかねる」
 ヌヴィレットは僅かに眉根を寄せて、この言い様。そして何事もなかったかのように、再び手元の本に目を落とした。

 まったく、出来の悪い生徒である。

◇◆◇◆

 ────なんて、たわいもないやり取りをしたのは、何百年前のことだったか。

 ベッドに横たわり、薄暗い自室の天井を漫然と見つめながら、フリーナは思う。
 ……終わったんだ。
 五百年間踊り続けた舞台の幕が、閉じた。
 盛大で、歌劇のような、美しい審判。五百年待ち望んだその瞬間を、ついに迎えた。
 ……終わった。
 他に、なにも浮かばない。なんの感慨もない。ただ、終わった。それだけ。
……………………
 指先一本動かすのすら億劫で、ただ四肢を投げ出し、瞼を開けている。
 天井だって、別に見ている訳ではない。視界の先にある。それだけ。
 ……ぜんぶ、
 終わったのだ。なにもかも。
 だからもう、フリーナには何もない。もう、なにも。
「フリーナ殿」
 前触れなく静寂を破る音色は、どこか躊躇いがちに揺れていた。彼にしては珍しい。
 フリーナはちらと、声のする方に瞳を動かした。
……今日も食事に手をつけていないのか」
 声と同じく苦々しい顔をしている彼に、ああ、そういえばメリュジーヌが食事を持ってきてくれたっけ、と思い出す。どれくらい前のことだったか。
…………ごめん」
 気力を絞り出して上体を起こすと、何時ぶりかに動かした身体が、ぎしりと軋む。
 けれど、そこが限界だ。視線を上げるだけの力は残っていない。ただ漫然と、ベッドの縁で床を見る。
…………いや」
 沈んだ声が落ちてくる。きっとなにかを感じなければならない声音に、けれどもなにも感じなかった。
……君は……
 それきり、言葉は紡がれなかった。それになにを思うこともない。ただ静寂が続くだけ。
 もう瞼を閉じてしまおうか。どうせなにを見ている訳でもないのだから。
 そうして落ちる瞼の重みに従おうとした、その時。ふわりと、水色の淡い光を知覚した。
……ヌヴィレット……?」
 その光は、ヌヴィレットが生み出していた。彼が掲げた手の上で、水がうねって形を成していく。
 水色の元素の光が彼の周囲を漂う光景は、幻想的で、美しかった。 
 やがて光は霧散して、水は彼の手の上で完成された姿を見せる。────それは……
……君の未来が、明るいものになることを願って」
 ヌヴィレットが膝を折り、手の中のそれをそっとフリーナの足元に差し出した。
 それは、水の靴。
 透き通る曲線が、僅かな光を受けて煌めく。フリーナの一歩を飾る、優しい装い。
 ……きれい。
 ヌヴィレットの顔を見下ろす。こちらを窺う薄い紫色の瞳が揺れている。
 とくん、と鼓動が弾んだ。彼はこんな風に、自分を見ていてくれたのか。
 ゆっくりと、唇が綻んでいく。あたたかな何かが胸に満ちていく。
 長い長い舞台が終わった後は、楽しい舞踏会が始まる。未知の世界へ踏み出すのは、足が震えそうにもなるけれど、それでも。
「──やっとキミも分かってきたようだね!」

 前に、進もう。娘もそうやって、未来への一歩を踏み出したのだから。

◇◆◇◆
 
 窓越しに差し込む穏やかな春の陽射しが心地よい午後。フォンテーヌの頂点に立つ最高審判官──ヌヴィレットは、自身の執務室で公務に没頭していた。
 かつての上司──フリーナは神から人となり、市井へと降りていった。だから今は名実ともにヌヴィレットがフォンテーヌの国家元首だ。
 彼女が水神として行っていた業務の引き継ぎも無事終わり、ヌヴィレットはまた少し忙しくなった。春の柔らかさを味わう暇もない程だが、なんの問題もない。
 元々仕事が苦にならないたちであり、またこんな日々はこの身を流れる永き生において、ほんの一幕に過ぎない。
 ──そう、ほんの一幕。
 いつか彼女と過ごした数百年の日々も、そんな一幕へと変わりゆくのだろうか。
 彼女がパレ・メルモニアを去って、早数ヶ月が経とうとしている。ヌヴィレットが人間社会に招かれてから、彼女がいない日々を過ごすのははじめてのことだった。
 最初の内は違和感を覚えもしたが、そんな日々が、少しずつ日常となっていく。
 なんの問題もない。けれど、なにも思わずにはいられなかった。…………それでも。
 ……それでいい。
 ヌヴィレットはそっと息を吐き出した。
 人の精神では耐え難い、五百年にも渡る舞台を踊り抜いた彼女は、やっと人として自由に生きられるようになった。
 それはとても喜ばしいことであり、彼女が幸せであることこそが、ヌヴィレットのなによりの願いだ。
 そう割り切って、再び文字列に意識を戻そうとした、その時。
「相も変わらず勤労だね、ヌヴィレット」
 前触れなく静寂を破る音色は、朗々と、鈴の音を転がすような響きを持っていた。
「フリーナ殿?」
 ヌヴィレットの思考の中心──フリーナは、穏やかな笑みを湛えて、扉の前に立っていた。
 今日、アポイントはなかった筈だ。なにか緊急事態があったのか。立ち上がり、「どうかしたのか」と問いかけようとして、気がついた。
 彼女の、足元。────それは……
「娘は貰った靴で舞踏会に行けて、とても楽しい時間を過ごしていたし、十二時の鐘で魔法が解けることもなかった」
 しなやかに足が踏み出される。一歩ずつ、水面を揺らすような音が空気を満たす。
「それでも、どこか物足りない日々を過ごしていたのさ」
 彼女の足元──透き通る水の靴が、春の麗らかな陽射しを受け、美しく煌めく。
「ずっと娘の努力を見ていてくれて、送り出してくれた魔法使いに、また会いたいってね」
 知らずヌヴィレットも、机を越えて数歩進んでいた。なんの隔たりもなくなって、水を纏う娘が目の前で立ち止まる。
 なんの台詞も出てこないなか、色違いの青い瞳が細められ、春が芽吹くが如くに微笑んだ。
「働きすぎだぞ、魔法使い。今度はキミが舞踏会に来る番だ!」
 
 新たな物語の幕がいま、花開く。