riririnf
2025-04-12 12:00:00
3457文字
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眠れぬ夜の小夜曲

【なみセレ】ペーパーラリー企画(ネップリ)参加作品

※『かたる』の平仮名表記は語ると騙るを掛けています。自分で説明するのも恥ずかしいですが、変換漏れでありませんので、念の為🙇‍♀️

 なにということはなく、ただ眠れない夜がある。

 今宵がまさにそうだった。悪い夢を見ただとか、嫌な出来事に出会っただとか、そういった特段のなにかがある訳では無い。
 ただ──五百年に渡る生で得た経験と、残る百年にも満たない生で得るであろう未経験。その二つが交錯した際に、本当になんとなく、目の前に影が差す。そんな瞬間があるだけだ。
 そんな時は無理に眠ろうとはせずに、ぼんやりと、影に身を委ねることにしている。瞼を閉じることもなく、まんじりともせず朝を待つ。
 けれど今日は、ほんの気紛れ──偶には外の空気でも吸ってみようかと、そんなことを思いついた。
 さっそく部屋の窓を開けてみる。常なら心を和ませてくれるであろう、春夜の柔らかさ。ああ失敗した、と悟る。
 そんな優しさに包まれたい気分ではなかった。どちらかというと、刺すような冷たさに晒されたかったのだと、フリーナは戯れの思いつきに教えられた。
 影を無粋に撫でられた気がして、急ぎ窓を閉めようとする。その時、フリーナ殿?と耳馴染みのある声がした。
 視線を横に滑らせる。窓の外、フォンテーヌ最高審判官ヌヴィレットが、そこに居た。
「──こんばんは、ヌヴィレット。いい夜だね」
 内心の動揺を押し隠し、にこりと笑ってご挨拶。散りばめたような星が輝く空の下、実に相応しい口上は、心にそぐわぬ不適当。けれど、この場においては適当だ。
……こんばんは、フリーナ殿」
 その証拠に、彼はちゃんとご挨拶を返してくる。
「このような夜更けに何を?」
 ヌヴィレットが数歩長い脚を動かす。それだけで彼はフリーナの目の前に来て、二人の距離は縮まった。
「夜空を見ていたのさ。さっきも言った通り、今日はいい夜だろう?そういうキミこそ、こんな夜更けに何を?」
……少々散歩を。今日は、よい夜なので」
「ハハッ、じゃあ同じだね」
 シルクの上に乗せたかのように、上辺の会話が滑っていく。水神を演じていた数百年、何度も繰り返された、本心をひた隠す虚しい会話。
 ヌヴィレットもきっと、この窓枠一枚隔てたような距離感に、心の何処かで気が付いていて、それでも距離を詰めてくるようなことはしなかった。
 それは秘密を隠さなければならなかったフリーナにとっても、とても適当な距離感だった。
……いつからそうしていたのか知らないが、そのような格好で、無防備に窓を開けるべきでは無い」
 ヌヴィレットが呆れた様子で溜息をつく。確かにそれは、もっともな忠言で、今のフリーナの装いはネグリジェ一枚。人前に姿を見せるに相応しくない。
 窓を開けたのは、たった今さ、なんてささやかな真実を伝えることすら億劫で、そうだね、と気のない返事を返す。
「キミの言う通りだね。もう窓を閉めることにするよ」
 適当にそう返して、窓に手をかけた時。待て、と引き止める声がした。
「どうしたの?」
……………………
 声をかけてきたくせに、彼は何も言わない。ただ小難しい顔をして、黙り込む。
 こういう時、用がないなら閉めるよ、とは言えないくらいには、彼との付き合いは長かった。散歩だなんて言い訳で、なにか気にかかることがあって、こんな所まで来たのかも、なんて心配を感じるくらいには。
「なんだい?なにかあったの?」
 フリーナの気遣いを感じ取ったのか、ヌヴィレットがハッとしたように目を見開いた。そしてやっと決心がついたかのように、口を開く。
……なにかあったのは、君の方ではないのか」
「え?」
「すまない、散歩というのは、嘘だ。本当は、君に会いに来た。君が……、泣いているような気がして」
 今度はフリーナが目を見開く番だった。なんで、そんなこと。口をつきそうになる台詞を殺して、唇をぎゅ、と噛み締める。
……そうかい。それはご心配ありがとう。けれど、それは杞憂というものだ。見たまえ、僕の瞳に滴なんかないだろう?」
 窓枠に頬ずえをつき、こちらから、ほんの少し距離を詰めてやる。薄い紫色の瞳が、じっと見つめてくる。その視線に、ただ耐えた。決して影を暴かれないように。
…………
…………
 こうなれば最早根比べだ。こういう場面も、数百年で何度もあった。そして結果はいつもフリーナの勝利で終わる。
 いつも彼が折れるのだ。いつも、折れてくれていた。
……君はいつも、そうやって笑うのだな」
 けれど今日の彼は、違った。
……ヌヴィレット?」
「分かっている。それは孤立無援で戦い続けなければならなかった君の処世術なのだろう。だが今の君にはもう、その必要はない筈だ。秘すべき使命は果たされたのだから」
 そう語る声があまりにも苦しげで、フリーナの鼓動がドギリと鳴った。
「僕は……
 けれど、なんて言えばいいんだろう。なにを語れと言うのだろう。わからない。わからないよ。そんな経験なんて、ないんだもの。
「話せとまでは言わない。だがせめて、無理に笑わないでほしい。……涙を、隠さないでほしい」
 フリーナの心を読んだかのように、ヌヴィレットが答えを紡ぐ。
「言ってる意味がわからないよ。そもそも僕、泣いてなんかなかったよ?」
 自信を持って、そう言える。だって別に、悪い夢を見ただとか、嫌な出来事に出会っただとか、そういった特段のなにかがあった訳では無い。
 なにということはなく、ただ眠れない夜だというだけだ。
 泣きたいほどに心揺れることなんてない。少なくとも、今日は。
……そうか」
 ヌヴィレットが目を伏せて、溜息をつく。なにか悪いことをしている気になって、ズキリと胸が痛んだ。
 けれど、どうしようもないのだ、こればっかりは。だって本当に、自分は泣いてなんかないから。
 いたたまれなくなって目線を落とすと、石畳に無数の染みが出来ていくのを認めた。まさか、これは。
 見上げると、空から滴が降ってきた。星々は姿を隠し、夜の街を静かに水が覆っていく。
 水龍が泣くと雨が降る。これはフォンテーヌの誰もが知っている童謡だ。
 ……違う。
 けれどフリーナは即座に気付く。これは水龍が──ヌヴィレットが流した涙ではない。
 こういう時、そんなことが理解出来てしまうくらいには、彼との付き合いは長かった。
 確かにこれは彼の涙ではないけれど、確かに彼が作り出した滴だと、そんな事が理解できてしまうくらいには。
「──この雨が、」
 雨音と同じくらい静かな声が、それでも澄んで鼓膜を揺らす。雨に濡れる彼を見た。
「君の涙を、隠してくれるだろう」
 夜の帳に濡れ鼠な彼の姿は、本来なら憐れを誘う筈なのに、流石は水龍、と言えばいいのだろうか。
 雫を垂らす銀の髪があまりに綺麗で、縦長の瞳孔はあまりに柔らかい。……だから、だろうか。

 ぱたぱた、しとしと。
 冷たい滴が石畳を打つ音が、まるでメロディーのようにも聴こえてくるのは。
 
 じわりと沁みる、なにかがあった。
…………だから、泣いてないって、言ってるのに」
 目を伏せ、かたる。けれど本当にそうなのか。もう、よく分からなくなってきた。
……そうか」
 応える声があまりに優しくて、影をそっと撫でていく。
……そうだよ」
 フリーナは瞼を閉じる。暗闇の中、聴覚が鋭敏になる。
 ──予感があった。ここに窓を打つ音が加われば、更にメロディーとしての完成度が上がるだろう。それは五百年に渡る生で得た経験に基づく確信だ。
 けれどそれには、窓を締めなければならない。それは彼とのお別れを意味する。となると、途端に音の意味が変わってしまう。二人を分かつ、分断の音。
 音色の意味が変わるのは、音楽にとっての重大事件。あらゆる芸術をこよなく愛する者として、そんな愚行は認められない。
 だからここからは、残る百年にも満たない生で得るであろう未経験。そこに一歩、足を踏み出す。
 何故ならそれが美しい旋律を壊してしまわない為の英断で、最も賢い選択なのだから。
 決意を固めて、瞼を開く。そっと息を吸い、切り出した。
「折角、こんな夜更けにここまで来たんだ。紅茶でも飲んでいかないかい。……ちょっと、眠れなくてね」
 眠れぬ夜を、共にする。五百年に渡る生においての小さな夜に、足を踏み出す。
 ヌヴィレットの瞳が見開かれ、そして、ふ、と唇が綻んだ。
「──喜んで」

 奏者の彼と、共に聴く。このふりそそぐセレナーデを、共に。