こいみる

同棲前。

 その日は夜中に目が覚めた。夜中といっても寝た時間が遅かったので明け方前というのが正確で、日が伸び始めたこの頃になると夜空は青みを帯びて遠くに太陽を感じる。
 綴は隣で眠っている実貴の顔を見ようとしたが、ベッドライトも点けていない暗い部屋ではその表情は窺えない。残念に思いつつ存外しっかり目が覚めてしまったので一度起きようと思い、実貴が目を覚さないよう慎重にベッドから起き上がる。元々一人暮らしをしていたので大きいとはいえないベッドは実貴と一緒に眠るときは若干狭かったが、その分くっついて体温を感じられるので綴にとっては幸せな場所だ。そこから抜け出すのは後ろ髪を引かれるけれど、眠れないまま身動ぎを続けて実貴を起こしてしまうよりはいい。
 寝室を出て台所へ向かった綴は眠れないときの定番だろうと冷蔵庫から牛乳を取り出し、マグカップに注ぐと電子レンジにかける。
 ぶうん、という音を聞きながら考えるのは今日の予定。今日は綴も実貴も休日で、家具を見に行くことになっていた。
 最近、綴は実貴に申し出て同棲することが決まった。
 以前から考えてはいたのだが実貴が大学生であることを考えると時期的に中途半端かと思い、綴はなかなか言い出せずにいた。実貴にも夢や思い描く将来があるだろうし、住む場所もそれによって適した場所があるだろう。実貴が卒業するまではもう少し時間があり、いま彼の住居を定めてしまうのは将来を狭めることになるのではないかと綴は悩んでいたのだ。
 けれど、それぞれ違う場所に帰るのも実貴を見送って帰すのも寂しく、綴が彼を引き留める時間はずるずると伸びて泊まっていってもらう回数も増えていった。これはこれで実貴も不便だろうと思い「いつか」であってもいい気持ちで実貴に同棲を持ちかけたところ、彼は混乱したように綴の手を握り、泣きそうな顔で「住みたい、綴さんと」と言ってくれた。
 勝手だろうか、困らせてしまうだろうかという不安もあった綴にとってはいまでも浮かれる気持ちが落ち着かないほど嬉しい出来事で、ではなるべく早くそうしよう、とこの頃は実貴とふたり物件巡りの日々を送り、それが決まると今度は家具を見ようと今日になったのだ。
(長くかかるだろうし、ちゃんと寝直さないとな)
 チン! と音を立てた電子レンジからマグカップを取り出して、綴は時計を見やる。起きたままでいるには長い時間だし、寝不足でふらふらとしていたら実貴を心配させてしまう。ただでさえ、寝る前は体力を使ったのもある。
 綴がホットミルクの表面に張られた膜が唇に張り付くのをアチアチと剥がしながらひと口ふた口と飲んでいると、寝室のほうから物音がした。小さい音と、次いでがたんと大きな音。
 何事かと咄嗟にマグカップをテーブルに置いて寝室へ向かおうとした綴は、それより早く寝室から出てきた実貴の焦燥感に駆られた表情を見て慌てて彼を抱きしめる。
「どうしたのっ? 具合悪い? どこか痛いのっ?」
「ちが……っその、起きたら綴さんがいなくて…………嫌な夢も、見て……
 つっかえつっかえに言う実貴によってぎゅうと握られた寝巻きに皺が寄る。綴は実貴の手の上に自分の手を重ね、心底申し訳ない気持ちで彼の背中へ回したままの手で背中をさすった。
「ごめんね、ちょっと目が覚めただけで……起こさないようにと思ったんだけど。嫌な夢見たの? 怖い夢?」
……よく覚えてないけど……起きたら、その……すごく寂しくて」
……そんな夢見たのに傍にいなくてごめんね……
 綴の肩口に額を埋めた実貴が首を振る。
 実貴が見せる弱々しい部分を知るとき、綴の胸はいつも痛んだ。自分の前で弱みを見せてくれるなどという優越感はまるで湧かず、まるで癒え切ってはいない古傷に震えるような実貴へなにができるだろうと悩んではただ彼を抱きしめるばかりである。ずっと傍にいる、傍にいたい。そんな気持ちが伝わればいいと思いながら。
「僕ね、ホットミルク飲んでたんだけど、実貴くんも飲む? はちみつちょっと入れてさ。僕が作るから」
 顔を上げた実貴は少し悩んだ様子を見せたからこくん、と小さく頷いた。
 綴は実貴に座って待っていてもらおうかと思ったが、考え直して実貴の手を引きながら台所へ戻る。ほんの少しの距離でも実貴を一人にしたくない。
「これ飲んだら一緒に寝ようね」
……うん」
「手繋いでいよっか。きっと怖い夢見なくなるよ」
…………ん」
……いや?」
「そんなことない! ただ……
 言い淀む実貴を見つめれば、彼の顔がじわじわと赤くなっていく。
 ゆらゆらと揺れる目はいかにも恥ずかしそうで、追い詰めてしまうのは可哀想だがなにを思っているのかを知りたいとも思う。
 じいっと見つめ続ける綴から目を逸らしたままの実貴は、やがてうっすらと口を開き──
 
 
 家具売り場独特の木の匂いが混じった空気を吸いながら、綴は実貴とベッドを見て回っていた。
「薄いマットレスだと困るよね。硬さもそんなにないほうがいいのかな」
「綴さんはどっちのほうがいいんすか?」
……この場合は僕の意見後回しで実貴くんが選んだほうがいいと思うよ」
「え、なん、で………………ぁ、そ……っか」
 綴の言いたいことが伝わったのだろう、こくこく頷きながら耳まで赤くなった実貴に綴も照れてしまう。
 じわりと繋いだ手が熱くなるのを誤魔化すように少し揺らしながら、綴は話を変えるように「サイズはどうしよっか!」と努めて明るく訊いた。
……あんまり大きくなくていい」
……そうだね」
 綴は夜明け前に交わした会話を思い出す。
「もう離さないよ。実貴くんのこと、ちゃんと抱きしめてる」
「ん……
 手を繋いでいるより抱きしめられていたいと小さな声で言っていた実貴。
 そのとおりにすると微笑む綴に物憂い実貴の顔が綻ぶ。ここが店内でなければ綴はきっとキスをしていただろう。
……ねえ、実貴くん」
「はい?」
「今日も泊まっていかない?」
 一緒に暮らすまではすぐだけど、ほんの一時も離れていたくない。
 朝の一番最初に実貴へおはようと言い、眠る直前まで呼吸を聞く日々まで綴はずるりずるりと彼を引き留め続けてしまうだろう。
 悪い恋人だろうか? 独占欲が強すぎるだろうか?
 判定を決められるただ一人の実貴はへにゃりと眉を下げながら笑う。
「俺も……泊まりたい」
 実貴にはもう怖い夢を見させない。綴はずっと実貴を抱きしめて、悪夢が入り込む隙だって作らない。枕を同じくすれば夢のなかでだって実貴と出会えるだろう。
 朝も夜もずっと一緒の日々がやってくるのをいまから指折り数えるように、綴は実貴の指を絡めて握った。