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史加
2025-04-09 10:42:16
3128文字
Public
原神(鍾タル)
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汝は既に神を奪いし者
鍾タル/衝動で鍾離にキスをしたタルタリヤの話
「
……
奪っちゃった」
そんな愛らしい響きを持つ言葉には、驚愕と焦燥がありありと滲んでいた。眼球が転がり落ちてしまうのではないかとばかげたことを思ってしまうくらいにひとみを揺らしているタルタリヤの顔を見ていれば、演技でも何でもなく彼が本当に、理性による歯止めをかけるタイミングを誤ってしまったことが分かる。
唇に残る温度と感触を確かめるように指でなぞろうとして、けれど鍾離は踏みとどまる。どうもタルタリヤは自分が奪った側であると認識しているらしいので、それなら話を合わせたほうが良い気がしたからだ。もっともそれは鍾離にとっての話であるので、タルタリヤにとっては良いことなのかは分からないし、正直悪いことだとしても庇ってやる気はない。
普段は万の言葉を操り巧みに動く口を閉ざしたままにして、鍾離は微笑んでみせる。途端にタルタリヤの白磁の頬にかっと赤みが差して、ゆらゆら、揺れていたひとみが水に沈んだ。あ、だの、う、だの、らしくもなく何の意味も持たない音をこぼして狼狽する彼が、次の一手をどうにか見つけ出すのをじっと待つ。辛抱強く待つのは鍾離の得意とするところだ。負ける気がしない。
深く息を吸って吐く音がする。数回深呼吸を繰り返した青年が、集まる熱を散らすように人差し指で頬を掻きながら口を開く。
「ええと、その
……
ごめん、鍾離先生
……
」
どうやら彼は持ち逃げを検討するようだった。自らの衝動的な行動に対しあれほど困惑しておきながらもその選択をするとは、少なくとも今この時に至るまで自覚がなかった訳ではないということが窺える。
「何故謝る?」
勿論、「奪われた側」ということになっている鍾離が逃がすはずもない。退路を断つように問うと、ぐ、と唇を噤んでタルタリヤは視線を逸らした。
「無かったことにしろ、と言われてもそうは出来ないぞ。お前も知っての通り、俺は記憶力が良いから忘れてやることは不可能だ」
「
……
野良犬に舐められたくらいに思ってくれよ。別に初めてってわけじゃあないだろ」
「それはどうだろうな」
「その態度だよ。六千年も生きてて一回も経験がないんだったらいくら先生でももっと違う反応をするはずだ」
「ふむ、そこまで理解しているのなら改めて問うが、何故謝る?」
ほんの少しだけ声音を低くして尋ね直すと、タルタリヤはぎくりと身体を強張らせた。まだその頬には熱の余韻が薄く残っている。長い睫毛のふるえが恐れによるものではないことは一目瞭然で、なんともまあわかりやすい。その身を置く組織と立場を考えると、こうも初心で大丈夫なのだろうかと庇護欲が心の端を掠めるくらいに。
じ、とタルタリヤを見つめて、鍾離はまた待つ。罠にかかった獲物の状態を見極め、反撃も脱走も許さずにとどめを刺してみせてはじめて一流の猟師と言えるのだ。ここで急所の位置を定め損なうようなことがあってはならないと高鳴る心臓に言い聞かせ、盤石のごとき姿を完璧につくり、その内側で息を潜める。
余裕を失い、うら若き羞恥と傲慢で胸をいっぱいにしたタルタリヤは、あんまりにも憐れでかわいらしかった。水の膜を張ってもなお光を反射することのない瑠璃のひとみは美しく、わななく唇は艶やかで、獣の心を駆り立てる。これで自分が「奪った側」だと思っているなんて、本当にいじらしくてどうしようもない。だから分からせてやりたくて仕方なくなる。
おぞましい興奮を腹の底にしっかりと隠し持ったまま、どれほどの時が経っただろう。それは数十秒だったかもしれないし、数分だったかもしれない。正確に測ろうと思えば測れるものをわざと曖昧にすることを選んで、待って、待って、待って。
「
……
何ひとつあんたにあげられないくせに、奪ってしまったからだよ」
諦めたように笑うタルタリヤから、答えを得た。
強さを得るための手段を選んだりなどせず、生き延びることも、磨くことも諦めない戦士は、いたましいほどに健気だった。
「正直に言うよ。何もあげられないんだからダメだってわかってるのに、どうしても欲しくなって奪った。先生にとっては初めてじゃないだろうし、忘れることが出来ないって言ったってずっと気に病むようなことでもないだろうけど、俺にとってはそうじゃない。はは、若気の至りってやつかな
……
先生とキスをしたくてしかたなかったんだ」
本当はそれよりも先に伝えないといけないことがあるのにね、と呟いて青年は自嘲する。
全くその通りだと思ったが、鍾離に彼を責める権利はない。その青いひとみの奥に並々ならぬ情念が秘められていることに気付いていて、欲望を焚き付けるようにわざと隙を見せたのだから。
狩りはもう最終段階に入っている。獲物は罠にかかり、急所を晒した。
あとはそこを、寸分の狂いもなく貫くだけでいい。
「わかってるよ、脈が無いのは。俺にキスをされたっていうのに嫌な顔をするどころか、神様みたいに笑ってゆるされた時点でもう、わかってる。だから、」
ひゅ、と息を呑む音ごと食らい尽くすように。
タルタリヤの唇のやわらかさを、鍾離よりも少し高い温度を、自らの唇に上書きする。
零距離で青藍のひとみが丸くなって、ぎゅうと瞑られるのが見えた。今更逃げを打とうとしても無駄だ。手で耳を塞ぎ、唇のあわいからぬるりと舌を割り込ませて聴覚と触覚の両方を奪い取る。
「んぅ、ッ
……
」
くちゅり、と。粘ついた水音を立てて整った歯の並びを確かめるように舐める。戸惑って奥へ引っ込もうとする舌に自らの舌を這わせて絡めると、背にかすかな衝撃が走った。弱々しく縋る指先のいとけなさに心臓の裏側がくすぐったくなって、うんとかわいがってやりたい気持ちに駆られる。やろうと思えばこのまま鍾離の好きなだけ蹂躙出来るだろう。
「ン、ん
……
っふ、
……
ぁ
……
」
けれど獲物が「奪った」と思い込んでいるものは、その獲物ごと取り戻して手中に収めることが出来た。ちゅ、と最後に音を立てて唇を食んでから解放してやると、顔を赤く火照らせたタルタリヤがとろんとした目で鍾離を見つめてくる。
まるで夢でも見ているかのような、焦点の定まっていないひとみ。そこにしっかりと鍾離が映るよう目を合わせて、とどめを刺す。
「許してやったのではない。お前にゆるしてもらうために受け入れたんだ」
は、と我に返った青年が、隠しきれない喜びを滲ませた頬の上に悔しそうな表情をつくるのを見て、鍾離は勝ち誇った笑みを浮かべた。
狩りの勝敗は決した後だ。だから言葉の意味が正しく伝わったかなど、わざわざ確かめるまでもない。
「くそっ
……
最初からそういうつもりだったってことか」
「ハハッ
……
ああ、安心しろ。俺が自ら欲して奪ったものを途中で捨てたりなどしないからな」
先ほど見せたしおらしい姿が脳裡を過ぎり、刺した急所の痛みを忘れさせぬよう鍾離は言葉を足す。
よっぽど痛かったのか、タルタリヤは唇を引き結んで黙り込んだ。けれど沈黙も長くは続かず、背に添えられたままの指先にぐっと力が入り、ぎらぎらと情欲を浮かべた目で見つめ返してくる。
「
……
当然だろ。そんなことをするなら今度こそ俺が奪ってやる
……
いや、奪い返してみせるさ」
純情ながらも強かで、傲慢さの満ちあふれている言葉は心地よい。
胸が躍るのを感じながら、鍾離はふっと頬をほころばせて今度は触れるだけのキスをした。
それだけは、己の言葉に嘘偽りがないことの証明を与えるための口付けだった。
汝は既に神を奪いし者
――
故にこの凡人は汝を欲し、身勝手に奪い尽くすことを誓う。
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